Prologue

1st Unveiling

Secret event

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Astreae
Sophia
Dear
Storm

《Sophia》
「──さて、と。人数は足りてるわね。」
 部屋の端の、埃を被ったような薄暗い場所。寮に備わった図書室、その隅の棚に先程ページを捲りきったばかりの分厚い本を戻しながら、古ぼけた小さなテーブルに集う面々にちらりと目線を遣る。
 そして、自身もまたその中の一席に腰を下ろし、足を組むと、見慣れた顔──自分と同じ、クラスメートかつ元プリマドールの彼らとアイ・コンタクトを取るように、改めてその秀麗な顔を見回した。

「前から話していた事だし、もちろんこうして集まっている理由はわかってるわね?──もうじき『あの計画』を実行する時。その為に、準備をしていかなくちゃいけないわ。」

 ソフィアはいつになく真剣な様子で、若干伏せられた長いまつ毛によりアクアマリンの瞳の上部が僅かに欠けた。この秘匿の会議の参加者である、親友と呼ぶべき面々がこのさまを見れば、ソフィアが思い詰めている事は想像に容易いことだろう。そして、その理由も。
 現在、行おうとしている計画は難解な課題に阻まれている。それを処理するのは至難の業であるが、かと言って諦める訳にはいかない。きっと同士達も同じ気持ちだ、と信じて、この会議は成っている。

「……まず最初に、ベッドの鍵をなんとかしなきゃならないわよね。」

ソフィアはそんな言葉をこぼした後、口元に手を添えて、静かに思案する。その時間は僅かであった。

「アストレアは女子寮、ディアは男子寮の鍵穴を調べてちょうだい。ストームは……まあディアにくっつきでもしてたら良いわ。あたしは先生と話してるから、頼んだわよ。ついでに鍵の形状でも見られないか試してみるから。」

 ドールズの眠る棺型のベッドには毎夜鍵がかけられる。その常識は殆どのドールが当たり前に受け入れている事だが、この拘束は計画を実行するにあたり必ず取り払わなければならないものであった。……本来ならば対話はエーナモデルであるアストレアに一任したい所であったが、鍵の形状の暗記が出来るのは自分一人だけ……との判断も、このメンツならば汲んでくれる事だろう。「構わないわね?」と付け足して、椅子の背もたれに身を任せた。

《Dear》
「ああ、勿論異論ないよ! 誰よりも聡く愛おしい努力の花……ソフィアの決定に従うとも! 今は、あまり無駄話をしている暇もないだろうしね。キミへの溢れ出る賛辞も、今日ばかりはこうべを垂れるとしよう……どうでもいい無駄話なら、外へ出た後にいくらでもできる。空の星でも数えながら、みんなでね。だろう? ああ、ああ! 元プリマドールの名にかけて、必ずや美しい花束を持ち帰ると約束するよ!」

 内緒話みたいに囁きながら音もなく立ち上がり、くるりと軽やかに回ってお辞儀をする美しいかんばせには、子供のようにきらきらと輝く冒険心に満ちた瞳があった。その小声ながら凜とした声色には、脳器官のてっぺんから柔い指先の神経に至るまで。キミたちは希望に溢れているのだからと言わんばかりの、狂気じみた信頼があった。そして何より、愛があった。
 お披露目。全身をくまなく着飾ったダンスホール、ステンドグラスから差し込む月明かり、美しいスポットライトに照らされて微笑むミシェラは、きっと、きっと、最高に可愛らしいんだろう。私たちのお姫様なのだから当然だ。優しいご主人様に抱きしめられて、暖かな腕の中でずっと幸せに暮らすのかもしれない。私たちが探そうとしている花は、ミシェラの幸せを、奪う花なのかもしれない。皆が幸せなら、それだけでとっても嬉しいはずなのに。どこにも行かないで、なんて。それは、ディアの愛した花たちの心から咲いたであろう思いであり、それでも、ディアの瞳に揺らぎはなかった。だって私、一度だって姫を、ミシェラを満足させられたことなんてなかった。腕の中の小さな体温を、心から笑わせられたことなんて一度もなかった。【なかった】じゃなくて、【まだない】にすると決めた。一緒に、どこへだって行くのだから。私たちには、皆を束ねるリボンとなる責任があるのだから。だって、約束したんだから。待ってて、って。
 私たちにもはや、着飾った激励の言葉など必要なかった。顔を上げ、いつものようにふわりと笑って、愛する皆の美しい瞳をなぞるその仕草。そこにあるのはただ一つ、きらきら煌めく眩しい愛——触れれば消える夢としても、絶対に、世界という名の花束を。我らが姫に、愛しいミシェラに。

「では行こうか、ストーム。健闘を祈っているよ。我らがジャンクドール、愛しい同志たち」

《Storm》
 芯の通った白鳥のような声、そのすぐ後には狂おしくて堪らぬ甘い声が情報として入ってきた。聞き慣れていたとしても胸を高鳴らせる声色。だが今朝は少し違う。
彼女らが言っていることも計画についても十二分に理解している。が、なんとも気後れしてしまうものだ。
 彼女らと同じようにまたストームの心を高鳴らせる声色の持ち主ミーチェのお披露目が決まった。決まってしまった。あぁなんてことだ。まだ少しの冒険もしていないじゃないか。彼女は今朝嬉しそうな表情を浮かべていたものの、ストームにとってはとても祝福できたものじゃなかった。
 彼女の声が二度と聞けなくなってしまうかもしれない。彼女の声を手に入れずして自分の前から姿を消してしまうかもしれない。そう考えただけでストームの心中は穏やかなもので居られそうもない。他人の手に渡ってしまったミーチェに価値はない、ガラクタ同然で愛でる価値すらない!!ミーチェのダイヤモンドですら割合わない価値をその辺の石にすら劣る欠陥品にまで堕とされるものなら愛するドールへ誓った尊い尊い約束を達成した後にダイヤモンドとして彼女を終わらせてやらなければ!!
 ストームの頭の中はそれでいっぱいだった。
 愛おしきドール、ディアに自身の名を呼ばれるその時まで。

「……ぁ。えぇ分かりました。ソフィア、アティス、そちらはお任せします。心配する程の事も無さそうですが」

 こんな怒りに身を任せてしまっても今はどうしようも無いのだ。ディアの言葉で我に返ったストームは再度自分の親友とも言えよう元プリマドールの面持ちを見ると、ほっと安堵した。
 彼女らありきでこの計画が狂うはずが無い。そんな自負がストームにはあったから。静かにこくりと頷くと踊るように立ち上がったディアのすぐ後ろに付き煮えたぎる憤怒をコアの底へと閉じ込めた。

《Astraea》
 それはいつもの一日の始まりのことだった。優しい太陽の光が、幼子の貌をしたうつくしいドール達の朝を照らし、小鳥たちの囀りが、心地よく鼓膜を撫ぜた。カトラリーの音や麗らかな声で溢れた食堂へと響くは手を叩く音。顔を上げれば、ドール達皆が父と慕うその人。細い指で扱っていたナイフを止め、彼からの報せに耳を傾けた。
 "お披露目"にて、仲間の一人が旅立つ事になった、と。そんな報せに食堂は俄に騒がしく、微かな椅子を引く音さえ呑み込み、ドール達のざわめきが渦巻く様であった。
 ミシェラ、彼女は、大切な人──
 Princess──に似た印象を持つドールだった。丸い頬と赤い瞳は、何処かうさぎを連想させ、その小さな背丈はつい抱き締めてしまいたくなる様な愛らしさを持っていた。皆に愛される、ドールとしては最高の素質を持った彼女との別れの勧告は、当炉留が一人称を、とある場所へと向かわせていた。

 寮の三階、図書室の端の古びたテーブルにて膝を突き合わせた面々は、元プリマドール四人。その至極秀麗な面々の内の一人、褐色の頬にスノーホワイトの睫毛を伏せていたドールは、玻璃の瞳に光を宿し、古びた机に頬杖をついて、ささやかな陽の光に見初められた埃が、右に左に寄り道しながらゆっくりと床へ沈んで行く様を視界の端に観察しながら、目の前のドールの言葉に耳を傾けていた。
 我らがブレイン、ソフィアの語る"計画"は、アストレアの美麗なコアを熱く高鳴らせ、真剣な瞳は全身の燃料の巡りをより一層高めた。極めて麗しい元プリマドールたちの秘密の計画、それは(秘匿情報)。同意を得る様ではなから否定など認めない、と云った様子の構わないか、と云う台詞に、不敵に微笑んでは他の面々の返答に静かに頷いた。

「嗚呼、My Dear Wisdom ,  僕が君の意見を否定する事があると思うかい? 僕は君が何よりも清く、正しく、美しく、善いドールである事を知っている。
 だから、ソフィア、僕は勿論、君の計画に従わせて頂くよ。こちらの事は僕たちに任せて、しっかり御義父様と仲良くね。君は少々口下手な所があるのだから。本当なら僕も君とともに行ければ良かったのだけれど、流石にディアやストームに女子部屋の捜索を頼む訳にも行かないからね。こればかりは仕方ないさ。くれぐれも、危険な事はしないんだよ、君は極めて聡明だからわかっているだろうけれど。」

 早朝に掛る霧の如く、爽やかに凛と澄んだ台詞を卓上に投げれば、慈悲の籠った瞳で、我が親友の四つの麗しきかんばせを見つめた。
 さて、これから始まる冒険劇、大いに楽しもうじゃあないか!

《Sophia》

「……なんて言うか。本当に調子が狂うわね、あんた達と話してると。まあいいけど……。」

 自分の述べた内容に三つ分の了承が返ってくることは元より承知していた。が、約二名からの口説きに等しい言葉には未だ慣れないようで、ごく僅かに目元をしかめる。さらりと口下手だと言われたのも気に食わない。このあたしが口下手なんてそんな筈がないのに───そんな筈ないわよね? ええ、そうに決まってるわ。(自問自答。)
 各々立ち上がる姿を「それじゃあ頑張って、また後でね。」と軽く見送る。さて、自分も行動を起こさなければ。きっと彼らならば有益な情報を持ち帰ってくれる事だろうから、こちらも見合う働きをしなければならないのだ。軽く伸びをして、椅子から立ち上がった。

【学生寮1F ダイニングルーム】

David
Sophia

 ──ところ変わって、ダイニングルーム。

 あなたが足を踏み入れた先で、先生は食卓の定位置に腰掛けて、珈琲を片手に何かの冊子を読んでいるようだった。
 あなたの気配に気が付いたらしい。先生は一度冊子をパタンと閉じて、身体ごとあなたの方へ振り返る。そしていっとう柔らかく優しい顔色で微笑むのだ。

「ソフィア。先生に何か用事かな。困ったことでもあったのかい?」

 話してごらん、とあなたの言葉を待つ空白。先生はじっと首を傾げている。

《Sophia》
「……ごきげんよう、先生。べつに困り事って程じゃあないけど……」

 ダイニングルームに足を踏み入れる際、ソフィアは瞬時に拗ねた子供のような表情を形成する。実に分かりやすく、不貞腐れているといった表情だ。先生にとっても見慣れた表情だろう。……幼い子供の、ほんの小さな思いつき。ただのわがまま。そういった風に、ソフィアは語を続ける。

「暗い暗い、夜空の星が見てみたいなーって思っただけ。それだけよ。ここじゃあたし達をベッドに閉じ込めちゃうような心配性な先生が居るからそれは叶わないでしょうけど!」

 ツン、と先生から目線を外し、頬を膨らませそっぽを向く。当然ベッドの鍵は全クラスのドールに共通する話で、施錠の係は彼のみという訳でもないだろうし、彼の一存のみで行われている施錠でもないだろう事をソフィアは理解している。……しかしあくまでも、幼くわがままな子供の皮を被ったままで。

「そう? 困りごとじゃないなら、すこし安心した。あまり君と話す機会は少なかったからかな、こうして話せて嬉しく思うよ。」

 どこか不貞腐れたような、不服そうな感情を隠しもしない表情。先生はあなたのかわいらしい、澄ました横顔にはすこし似合わない膨れっ面を、慣れたように微笑ましそうに見つめている。
 しかし続く言葉を聞いて、先生は困ったように苦笑した。『夜に外を出歩きたい』……そうねだられていることは理解出来たのだろう。首をゆるりと傾け、その頬に柔らかそうな茶毛をかぶらせながら、先生は続ける。

「ソフィア、この寮の周辺は人工の光源が少ない。だからこそ豊かな自然に囲まれて、君達ドールにはのびのびと精神的成長を促すことが出来る。けれどね、夜はぐっと暗くなってしまうんだ、それこそ自分の指先さえ見えるか怪しいぐらいに。
 そんな中で外を出歩けば、怪我をしてしまう。君は聡い子だから怪我なんてしないと思うかもしれない。けれどね、他の子がそうかは分からない。

 君だけ特別に外に出してあげる、なんてことは出来ないから、みんなに許すことになるけれど。それだと他の子が危ない目に遭うかもしれないだろう? 優しい君なら、危険が分かるはずだ」

《Sophia》
「………。だからって、あんなに閉じ込めなくたって……。むぅ………」

 …いかにも、返す言葉がないといった風に、ツンとした表情を僅かに歪めてみせる。未だ不服が残るのを、理性で抑え込んでいるような、そんな顔。先生の話す言葉には確かな正当性があり、この論を新たな論で切り崩すことは不可能である。……それ故、それは特に目的としていないのだ。

「そういえば先生、鍵ってどんな構造なの?授業じゃ習わないわよね。南京錠だってただの金属の塊に穴が空いただけみたいに見えるのに、それに閉じ込められてるなんて気持ち悪いわよね。」

 パッ、と思いついた様に俯きがちだった顔を上げて、真っ直ぐ向き直る。元々はデュオクラスのプリマドールであったソフィア、その知識への貪欲さや好奇心は今も尚生き続けているのだ。こうしてふと思いついた疑問を問われる事も、先生はきっと慣れているだろう。……そう思わせるような自然な表情であった。

「気を悪くしないでくれ、ソフィア。君たちのことを思っての制度だと、聞き分けてくれると助かるよ」

 ぶすくれてしまった子供のような反応に、先生は思わず眼を細めて笑いをこぼす。理解しているからこそ不服なのだと全身で訴えるような姿は何とも子供らしく、愛らしい。
 続くデュオ特有の底無しの知識欲を曝け出すようなどこか前のめりの質問に、先生は一瞬目を瞬いて、口元に指を添えてすこし思案する体制をとる。それからふっと笑みを浮かべると。

「いつも見ているなら分かると思うけれど、あの南京錠はシリンダー式だ。普段は内部に障害物があって開くことはないが、正しい鍵を使うことで開くことが出来る。」

 先生は懐から、チェーンを潜らせた古い鉄製の鍵を取り出した。先端がギザギザしており、鈍く輝いていた。これは彼がいつも就寝前の施錠時に用いている鍵と綺麗に一致した。
 彼はその鍵を数秒ほど揺らめかせ、懐にしまい直す。

「君の飽くなき知識欲は満たされたかな」

 あなたはその数秒で、鍵の形状を完璧に記憶することが出来る。

《Sophia》
「……ふーん。鍵ってこうなってるのね。理にかなった道具だわ……。これにも色々な形があるのよね? そして、これもヒトの開発物………なのよね。」

 じ、っと鉄製の鍵を見つめる。実に興味深いと言うふうな、知識欲を輝かせた表情であった。……当然、本心でくすぶる感情はそれだけに留まらない。今にも口角が吊り上がりそうなのを押し殺して、子供の皮をかぶり続けるのだった。

「ありがと、先生。……少しは満足したわ。少しはね。」

 さて、無事に目標は達成した。……上手く行きすぎて怖いくらい。裏の思案がバレないような演技は徹底したものの、本当に先生は気付いていないのだろうか?悪いケースもいくらか想定しておいた方がいいかもしれない。……さて、次はどうしようか。他の仲間の情報収集がどれほど進んでいるか気になる所である。……先生の先程の様子を見るに、まだこの部屋を動きはしないだろう。寮の探索をしてくれているアストレアの元へ向かうため、「それじゃあ、ごきげんよう。」と先生へ手を振って、踵を返した。

【学生寮2F 少女たちの部屋】

Astraea

 あなたが今朝も就寝し、起床した生活空間だ。温かみのある花柄の壁とふかふかのカーペットが敷き詰められている……が、部屋に置かれているのは重厚な棺桶型のベッドである。
 現在、オミクロンクラスの女子の人数は11名。それよりも少し余裕があるようにか、16個のベッドが二段に積み重ねられたりして上手く設置されている。

 部屋の入り口から左手には大きなワードローブが置かれており、皆の制服がきっちりと収められていることを知っている。

《Astraea》
「さて、分かっていたとは言え量が多いな、今の目的は鍵とベッドの仕組みについて。一つ一つ見ていくしか無いか。」

 今しがた、柔らかなカーペットに靴を沈めて部屋に入ったドールは、そう独り言ちてはまず、ネームプレートに自身の名が刻まれた物へと向かった。使い慣れたそれは、重厚な棺桶の様相をしていながら極めて心地の良い上質な寝具で、中には柔らかな布団が敷かれて居た。それは今朝方アストレア本人によって綺麗に皺が伸ばされた物で、染みひとつ無い純白で清潔なもの。きっとドールを衝撃から守るのにもおあつらえ向きなのだろう。蓋を閉じ、漆黒の蓋に指を滑らせながら、今度は端から、一つ一つ撫ぜて歩いて行くことにした。
 他三人は上手くやっているだろうか、なんて頭の隅で考えながらも、一番奥、今はドールを入れることの無いベッドから順に、自身のものとは違う部分が無いか、確認をし始めた。

 あなたは外装がひんやりと冷たい、漆黒で塗ったくられた光沢のある箱の表面に触れる。材質は謎めいているが、この箱の蓋は存外軽く、ドールの細腕でも簡単に開け閉めが出来る様になっている。

 取手の部分には南京錠が取り付けられており、毎晩先生があなた方を寝かしつける時に、一緒にこの箱の蓋も施錠するのだ。

 これはドールズの安全を確保する為であり、怪我が許されないあなた方が勝手に夜に外を出歩き、危険なことをしでかさない為の防止策であるらしい。つまりあなた方は夜間に外を出歩くことが出来ないようになっている。

 箱の中には上等で清潔なシーツと枕が詰め込まれている。そしてちょうど顔に当たる部分の蓋には格子付きの窓が取り付けられており、上から眠るドールズの顔を確認出来るようになっているのだ。

《Astraea》
 指先で、箱の冷たさを感じながら指を滑らせるも、特に異変は見当たらない。
 箱の取手の南京錠に触れれば、硬く冷たい金属の音が微かに鳴った。柔らかな床に膝をつき、じ、と観察してみるものの、それは何の変哲もない唯の南京錠の様で、何かしらの道具があれば壊せる、或いは開けてしまうことさえ出来そうな程に凡庸なものであった。
 蓋の上部、顔に当たる部分には格子状の小窓が設置されており、それは恐らく毎晩の先生による確認用。大切なドール達が皆、しっかりと眠りについている事を確認するため。
 容量自体は非凡な彼女のメモリーであったが、働きはさして滑らかでなく、特にそれ以上何かを閃くでも無い様で、"いつも通り"程度の情報しか得られなかった。

「特に異変無し。南京錠自体はきっと開けられる筈だ。後は、どう抜け出すかだけれど、それはきっとソフィアに良い案があるだろう。」

 そう断言してしまえば立ち上がり、ベッドの調査は終わり、とばかりにワードローブへと向かった。

 ワードローブの木の扉を開くと、きっかりと皺を伸ばされた綺麗な状態の制服が何着もハンガーに下げられている。それぞれ衣服を置いておく場所は定められており、あなたが使用している一角には予備のズボンスタイルの制服と、ナイトウェアでもある真っ白なフリル付きの寝具がきちんと収まっている。足元には予備の靴も揃えて置かれていた。
 あなたがワードローブの中を検めていると、おもむろに少女たちの部屋の扉が開かれる。

 廊下から室内へ踏み行ってきたのは、おそらく先生との話し合いを終えたのだろう、ソフィアだった。

Sophia
Astraea

《Sophia》
 ──アストレアの様子を見るため、寮に足を踏み入れては辺りを見渡す。どうやら彼女は今ワードローブの中を調べているようで、その背中が見えた。

「アストレア、調査は順調?」

 彼女の隣に並び立ち、その整った顔を覗き込むように見上げては、首を傾げた。この様子だと、鍵の調査は既に終えたのだろうか。報告が気がかりな様子がソフィアの瞳に滲んでいた。

《Astraea》
「おやソフィア、ご機嫌よう。
 今の所変わったことは無い様に見えるよ。少なくとも僕の目には、だけれどね。
 君は? 何か収穫はあったかい?」

 ワードローブの中は"いつも通り"。揃いの制服とナイトウェアが秩序的に並んでいた。収穫無し、か、なんて軽く肩を落としては一つ息を吐いた。
 刹那、横から聞こえた涼やかな声にワードローブから顔を上げればいつの間にやら隣に居たドールを少し見下ろしつつ、困った様に言った。
 気掛かりな瞳に気が付けば、其方のことについて尋ねてみる。優秀な彼女ならきっと何か情報を掴んで来ている筈、そう信じて。

《Sophia》

「そう、お疲れ様。あたしは……まあ、収穫はゼロではないわね。」

 一度の探索で大質量の情報など出てくる訳がないのだから、収穫が無くたって構わない。いずれにせよ、自分達は計画を実行に移すだけなのだから。期限内に目標が達成できればそれだけで良い。自分の目でもワードローブの中を流し見してみるも、当然いつも見ている通りの物のようだ。

「あたしは自分でも鍵穴を見てみるわ。無駄にはならない筈よ、──南京錠の鍵の形はもう覚えたからね。」

 ワードローブから離れ、アストレアの方を振り返る。……そう。ソフィアの収穫とは、鍵の形状の暗記。話の運びによって鍵を出させ、それを正確無比なカメラアイに刻み込ませる事に成功したのだ。着いてきても構わないと言うふうに目配せをした後、ベットへと足を運ぶ。

《Astraea》
「嗚呼、流石だMy Dear Wisdom.
 鍵を見られたんだね、」

 流石はソフィア、我が親愛なる英智。優秀な彼女は想定通り、そのカメラアイに鍵の貌を捉えたらしい。自分も頑張らねば、そう思った瞬間であった。
 次にベッドへと興味を移したらしい彼女に合わせ、自身も後に続いてそちらへと寄る。
 先、自身では何も違和感を感じ取れなかった物だったが、彼女が見れば何か変わるのだろうか。

《Sophia》
 ……アストレアのいつも通りの歯痒い言葉も、今のソフィアには苦でない様だ。鍵穴を真剣に覗き込み、そして、──勝ち誇った様に口角を上げた。

「……ふふ、ふふふふ……なるほどね。──アストレア、図書室に戻りましょ。アイツらもそろそろ探索を終えた頃でしょうし、情報を共有しないと。
 情報共有が終わったらあんたにはまた仕事があるからよろしく頼んだわよ。……それさえ上手く行けば、ベッドの鍵を開けられるわ。」

 凛々しくも周りに聞こえない程度の声量で放たれる言葉。──それはすなわち、鍵の解錠の為に手に入れるべき情報が全て手に入った、という事を意味していた。

《Astraea》
「嗚呼、嗚呼、ソフィア! 全く君は素晴らしい!
 僕の仕事、何かは分からないが任せてくれたまえ。きっと上手くやってみせるさ。」

 目の前のドールの不敵な笑みに、心から嬉しそうに笑えばいつも通りのきざな台詞を。
 彼女の言う"仕事"が何かは未だ分からなかったが、割り振られる仕事に外れが無いことは分かり切っていた。二つ返事で了承すれば片目をぱちりと閉じて見せた。

「そうと決まれば戻ろうか!
 向こうは何か進展があったかな。」

 嬉しそうにふふふ、と笑い声を零しながらワードローブの扉を元の様に閉め、部屋の入口へと足を向けた。

学生寮2F 少年たちの部屋

Dear
Storm

 あなたがたが今朝も就寝し、起床した生活空間だ。暗いゴシックレース柄の壁とふかふかのカーペットが敷き詰められている……が、部屋の大部分を占めているのは重厚な棺桶型のベッドである。
 現在、オミクロンクラスの男子の人数は5名。ベッドは余裕があるようにと十個分、二段に積み重なったりしているが、その半分は空っぽという状態である。

 部屋の入り口から左手には大きなワードローブが置かれており、皆の制服がきっちりと収められていることを知っている。

《Dear》
「ふむ……さてさて、美しきソフィアとアティスの奮戦を無駄にしない為にも、私たちも急いで調査に取り掛からねばね。ただでさえ目的の遂行まで時間がないのだし、ストームも私に構わず調査してくれていて構わないよ」

 ストームの様子などいっそ清々しい程に気にせず、見慣れた一室をぐるりと見回す。少年たちの穏やかな眠りを彩る花のあしらわれた壁、空に浮かぶ雲の如き柔い床、いつもと変わらない、静謐で美しい姿。この程度ではとても調査したとは言えないだろうが、今は鍵の調査にトゥリアドールとしての全てを注ぐべきだ。そう判断し、手近なベッドを観察しようと足速に歩き始める。誰かが来てしまうかもなどという不安は、端からディアの心にはなかった。万が一誰か来たとして、壊されてしまうかもなどという焦燥も。
 普段の彼ならまず部屋の隅々に見惚れ、賛辞で時間を溶かしている所だと言うのに随分と所作が機敏だが、彼も皆の努力に報いようと努力しているのだろう。その証拠に、髪を耳にかけ、真っ直ぐに鍵へと向けられたその視線は獰猛に情報を食い尽くさんとする元トゥリアプリマドールの瞳だった。探せ、探せ、食い尽くせ、私たちにとっては柔らかな雲のベッドよりも愛おしいこの場所よりもずっと、ずっと見惚れてしまうほどに美しい。その先にある全てを、手に入れるために。

《Storm》
 毎日、目にしている部屋。少々大袈裟に飾られているような気もするが毎晩ここで一日を始め一日を終えることに慣れてしまっているので今更何を感じることも無い。
 目にかかるほどの藍色の前髪に1度指を通し、視界を少しでも広くしようと流してみたもののすぐに定位置に戻ってしまい何も変化はなかった。こんな些細な事で気分も簡単に落ちてしまう程にはミーチェのお披露目決定にやられている。

 いい加減に頭を切り替えねば。今からでも遅くは無い。ディアが手前のベッドの鍵を調査し始める姿を見て感化され、ようやく思考を切り替えられた。
 ジブンは奥から調べてみよう。それから余分に置いてあるベッドも一応。なにか共通点があればいいのだが。
 歩幅を大きくし部屋の奥まで行くと、するりと白くて細い指を漆黒の箱の蓋に滑らせる。ディアもこの箱に毎晩眠っているのだ。そう考えるだけでも幾分かは気分が晴れるものだ。だって想像するだけでも、いや想像を絶するくらい美しい。
 この箱は自分達ドールをさらに美しくさせる物だ。だからこそそっと触れた。
 撫でるように、壊さぬように。

 あなたは少年たちの部屋に置かれているベッドを一つずつ検分していく。
 どうやらどのベッドも、構造自体はほとんど同じ。量産品なのだろう。南京錠の仕組みも構造も、他のベッドと大差は無いことが分かった。

 更にあなたは一つずつ箱を開けていく。箱にはそれぞれどのドールが使用しているかが明確に分かるように、個別にネームプレートが貼り付けられている。
 そのうちの一つ。ネームプレートに『Ael』と記載があるベッドにだけ、(秘匿情報)。

《Storm》
 棺型のベッドをひとつひとつ注意深く見ていく。
 自身のもの、ブラザーのもの、リヒトのもの。大した違いは見当たらない。
 それはそうだ、テーセラクラスにいた時もクラスメイトは皆同じようなベッドで眠っていた。それにこの学園には他にもたくさんのドールが居る。いくら自分達が高級品であろうとオーダーメイド品で無い限り特注では作られないだろう。空箱の方も似通った造りをしており、量産品だということが見て取れる。
 それは鍵の仕組みも何ら変わりなかった。空箱のものもひとつ残らず触れ見回してみたが違いのひとつも見受けられない。

 他に違いが生まれるとしたら箱の中身。だが気が進みそうにもない。
 普段自身のベッドの中しか知らない上に、進んで他のドールのベッドを覗こうだなんてとても考えたことがなかった。なので、いくら調査だとはいえ喜ばれたものではなかった。
 が、これで少しでも計画が発展するのなら自身はいくらでも後ろ指を指されても構わない! 全てはディアの夢の初歩を確実なものにする為なのだから。
 そう自己納得をさせると申し訳なさが希望へと塗り替えられ、ベッドの中を雑念の欠片も無く覗くことが出来た。
 何ら変わった事は無かった、はずが『Ael』と書かれたネームプレートの箱を開けた時ストームの目は一点に釘付けになった。
 見たことも無い、聞いたことも無い、それはこう“記されている“。

……√0

 ほんの小さな消え入る声で口にしてみても全く身近な物だとは感じられなかった。恐ろしい事は、思考をピッタリ止めてしまうようなその√0の記号はたったひとつでは無い。蓋をびっしり埋めつくしてしまうような、埋めつくしてしまうような√0の記号がそこにはあった。
 √0、√0、√0……目がおかしくなりそうだ。エルは毎晩これを見て眠り、目覚めて一番最初にこれを見るのだろうか? いくら彼が忘れっぽいからと言ってこれ程まで同じ記号で埋め尽くされたものを毎日見ていては脳裏に焼き付いてしまいそうで、その不気味さから眉間に皺を寄せるしか出来なかった。
 そっと蓋を閉じ、思考を巡らせる。

 √0、一体何を表しているのだろうか?

《Dear》
 ひんやりと冷たい自由への鍵を指でなぞり、一つ一つ情報を理解していく。一人一人の顔を確認できる格子状の小窓は一つ一つ厳重に設置されている。つまり、拘束される前に抜け出しておくことは許されない。
 問題の鍵の形状はと言えば、予想していたほど複雑なものではなかった。農具用のトンカチやハンマーを使えば、壊すこと自体はさほど難しくはなさそうだが……この方法には、大きな欠点がある。先生の圧倒的な頭脳の美しさも、私たちを優しく見守る瞳の鋭さも、誰よりも愛している自負があった。だからこそ、信じている。下手な壊し方をすれば、すぐに気づかれてしまうこと。先生に気づかれれば、その時点で【この計画】は破綻する。見た所、装飾品のヘアピン等を使えばピッキングの痕跡はある程度誤魔化せるように見えた。問題は、その技術を誰にもプログラムされていないことだが……海をたたえた静かな瞳は、いっそ気持ち悪いほどに光を失ってはいなかった。この情報は大事に大事に抱え込んで、我らがブレイン、愛しきソフィアに役立ててもらえれば良い話だ。
 自分はただ、思考するだけ。掴み取った星を見逃さぬように、進むべき方向を、そこに介在したヒトの意思を読み取るだけ。
 ——それにしても、あまりに厳重すぎる。格子窓に加えて南京錠なんて、少々美の均衡が取れすぎてはいないか? やることなすこと全て先回りされているような、不思議な感覚がこびりついて消えなかった。そもそもドールはヒトに逆らわないように設計されているはずなのに、物理的な制限をここまでかける意味は?
 ぐるぐると止め処なく思考を続け、次に浮かんだのは、前にも同じ作戦を企てていたドールがいたのではないか? という疑問。

 だとすれば、もしかしたら、同じように思考し、同じように行動に移したのでは? 私たちと同じように、内緒話をするにはおあつらえ向きな、あの場所で!

 そう思ったら、もう、この器の中で鼓動する心を、抑えることなどできなくて!
 居ても立っても居られなくなって、無我夢中で頼れる恋人の下まで走り、手を引いて部屋を飛び出す。その腕に込められた力はストームに比べればとても弱いものだったはずなのに、その強引さはストームの心に溜まった思考さえ振り払うような、かすかな希望への期待に満ち満ちていた。

「ごめん、ストーム、ついてきて! っ間違ってるかもしれないし、全くの無駄かもしれないけれど……“お願い”!」

《Storm》
 √0、数学に関する本を読んだ時に見かけるか見かけないかぐらいの不思議な記号。解的には0だがわざわざ√を付けた意味は? ただひとつに定まる0になんの意味が?
 そもそも数値的な意味を孕まないのかもしれない。だとすれば言葉遊びのようなニュアンスでルート0、道筋や経路のことを表しているのか? 経路0、つまり手立てがない?
 そもそもなぜベッドの蓋に? なぜエルのものだけ?
 思考は止むことを知らず次から次へ生まれ落ち着くところを知らない。

 そんなストームを再び現実世界へ引き戻したのは紛れもない愛する愛するディアだった。
 非力ながら強い希望を動力にストームの腕を引っ張る彼の力はとてつもなく強い。加えて「お願い」の一言がストームのコアを大きく脈打つ。

「えぇ何処へでも」

【学生寮3F 図書室】

Dear
Storm

 階段を上り詰め、寮の最上階に位置する埃臭い書物の蔵に辿り着く。図書室の天井は四階部分までを突き抜けているためか、とても高い。そして、木製のロフトを介して上階にも数多の書物がところ狭しと保管されているようだ。

 図書室はほの暗く、壁に取り付けられた卵型の照明をつけてもまだ暗い。屋根裏の部分に切り取られた小窓から差し込む陽光が、空気中に舞う埃を幻想的に煌めかせていた。

《Storm》
 ディアの言葉にすぐさま同意すると、彼に手を引かれるままにたどり着いたのは図書室。本の独特で落ち着く香りが鼻を掠め心穏やかにさせる。陽の光が優しく部屋を満たし、ポカポカと暖かい。
 でもなぜ図書館? ディアは一体何を思いついたのだろうか。
 きっとジブンの想像を遥かに超える素晴らしい事を思い付いたのだろう。ディアはそんな方だ。

「お聞かせください、一体何を思い付いたのです?」

《Dear》
 図書室のドアを開いた瞬間、無数の本のタイトルに目を滑らせることに夢中になる。全てもう読んだことのある書籍ではあるが、何せ今は視点が違うのだ。何か違和感はないか、相違点はないか、全ての情報を貪欲に摂取する。早く、早く。この希望を、確かなものにするために——小さな器にひたすらに思考を詰め込んでいると、ふと、晴れ渡るような声が耳に届いた。そこでようやく、思考が落ち着く。ああ、いけないいけない。何を一人で戦おうとしていたのだろう。同志として、友として、恋人として、彼の疑問に答えずして何を読み取ろうとしていたのだろう。ストームの口の硬さも優秀さも、全部信じて愛したディアは、迷うことなく口を開いた。

「ああ、ああ! 勿論だとも愛しきストーム! まだ根拠も証拠も何もない、机上の空論だけれど……ベッドに取り付けられていた南京錠には、無理に壊せばすぐに先生が気づくような意匠が施されていてね。それでもソフィアの頭脳を以ってすればピッキングの方法を切り開くことくらい簡単だろうけれど、問題はそこじゃない。私たちはドールで、本来ヒトに逆らうことはないように設計されてる。なら、何故こんなにも物理的な制限が多く課せられているのか。この箱庭を飛び出そうとした、私たちのような【前例】がいたからではないか、って考えが離れなくなって。もしそうであれば、私たちと同じように行動を起こし、秘密の話をするには持ってこいのこの場所で、私たちと同じように思考していたんじゃないか、って。確証はないのに、確信してしまいそうになるんだ。ここに痕跡が眠っているかもしれない……私たちの希望のその先、もう失われた同志の美しき思考の跡がね」

 愛する恋人への信頼が、視野を押し広げていく。軽やかに希望を謳いながら、書籍だけでなく部屋全体へと目を向けることにした。そんな余裕を、彼にもらった。情報が風のように脳器官に入ってきて、心地いい。凪いだ心に、嵐が起きた。気になる書籍も数冊あったが、それ以上に。どうしようもなく、心惹かれる。整然と顔を揃える書籍の海で、ひときわ美しい壁の花。愛しいこの場所を知り尽くすための花を束ねる、一本のリボン。底見えぬ波を掻き分けた先の、本棚の座礁の隙間壁。きらきら輝く星屑を、掴むための力。

「……ねえストーム、キミの持ち得る全てを頂戴。私の夢に、ついてきて」

 あなたは、図書室に踏み入れた時からなぜか気になっていた、奥まった区画へと向かう。
 本棚と本棚の間の壁、まるで人の目から隠されるように翳った場所には、小さく子供が描いたような乱雑な落書きが残されていた。
 四人の男女が微笑み合って寄り添い合っている。皆一様に赤い服を着ているので、恐らくは今あなたが着ているような制服を纏うドールだろう。
 名前も書かれていたように見えるが、掠れて消えてしまっている。

 消えかけた文字の全てを判読することは難しかったが、あなたが注意深く観察すれば、人名のうちのひとつは『Gregory』と書かれていることに気が付けるだろう。
 そのそばに描かれているのは、黒髪に赤い瞳の少年の落書きだ。

《Storm》
 彼の主張は筋が通っている。根拠がある。
 むしろ逆に彼の主張が間違っていたとしたら厳重すぎる鍵についての説明がつかない程に。

「やはり貴方様はとてもとっても素晴らしい……。感動致しました。
 まさかジブン達の他に先人が居たとは………」

 ディアの主張が合っているとすれば何故先人らは逃げる事が出来たのか、はたまた出来ずしてドールとしての生涯を終えたのか何が原因か知る必要があると考える。
 先人が居たとして彼らが同じくし計画を企てて逃げることが出来ていたのならそれは学園側の失敗であろう、失敗から学び鍵を厳重に掛けたのと同じくし自身らも同じくし成長しなければ太刀打ちできない。
 過去の失敗から学べ、いつぞやの授業で先生に習ったような気もする。
 まだ確証は無いが彼の希望に満ち溢れた声色、瞳から確信に変わったのは紛れもない希望であるディアの影響だ。
 だとしたら次にやる事はあまりに明確で単純なもの。
 ─ディアの主張の裏付けを見つけること。
 そして、先人達はどのような計画を立て実行したのかを知ることであろう。
 「頂戴」と願われれば断るなんて選択肢は愚か迷う選択肢すら無くなった。胸の前に手を添え軽く会釈をする。

「仰せのままに」

 忠誠を誓う。ディアの為なら何でもやろう、と。
 ディアに続き本棚の間を調べれば何やら落書きがされているようでそれは自分達と同じドールが描かれているように見える。名前が描き込まれて居るようだがよく見えない。男女比は元プリマドールである自分達と同じだが、見た目から察するにかつての自分達に憧れを抱いたドールが描いたものではないように見える。
 幼いドールが描いたもので、それも随分と古いものに見える。描かれたのはクレヨン? それともペン?
 落書きにそっと触れ指先になにか付着しないかを見、この一箇所だけであろうかと辺りを見回してみる。

 落書きはクレヨンで描き込まれている。まさしく子供の落書きといったような稚拙なイラストだ。
 また、その周辺には似たような落書きの存在は見受けられなかった。

《Dear》

「G・r・e・g・o・r・y……Gregory……!
 ははっ、くふふ……っ、ああ、ああ、そうか、正しくキミは、過去の監視者という訳だね」

 この世の愛しさを全て混ぜ込んだみたいに、ディアの瞳はぐらりと揺れた。そこに描かれていたのは、四人の男女。ここにいるドールたちと同じ、赤い制服。正に、情報の宝石箱と言っていい。だが、その絵がディアにとってとても愛おしく感じられたのは。彼女らが皆、息を呑むほど幸せそうに描かれていたからだろう。周りの文字はほとんど掠れていて読めたものではないし、丁寧さというものは少しも感じられない。それでも、ディアにとってはそれでよかった。それだけで、全部全部大切だと思った。自らを信じてくれる愛おしい恋人の方を見遣り、すぐに絵の方へと視線を戻す。

 次の瞬間には、ディアの瞳は三日月のように細まっていた。その愛を何としてでも糧にせんとする、愛の捕食者の瞳でその幸福の奥を見る。絶対に、逃さないように。

 殆どの文字列は掠れていて読めなかったが、一文だけ、何とか読み取れた文字があった。
 【Gregory】。その隣には吸い込まれるような黒髪に美しい赤の瞳を持った少年が描かれている。恐らく、彼の名前だろう。なら、Gregoryとは誰だ? 今はどこにいる? ——この狭い狭い箱庭で、一体何をしようとしていたの?
 一つ情報という花を愛すたび、花束へと近づいていく。彼の痕跡が知りたくて、先ほど気になった本へと手を伸ばし、必死に瞳を滑らせる。——時の流れくらい、超えてみせろ。

「……覚悟しなよ、我らが同志、グレゴリーくん。今度は、私たちがキミの『監視者』だ」

《Storm》
 指に付着したクレヨンを見てみれば、乾ききってパサパサとしたロウがぺたりと指先に乗っかっていた。だいぶ時間が経ったものだ。しかし本棚の間以外に同じようなものは見受けられない。
 ハンカチーフを取り出すとクレヨンで汚れた指先を拭き取り小さく息を吐いた。四人、プリマドールの数だ。そんな思考を働かせる。
 時を同じくしてディアが声を荒らげたので注意をそちらに向けると聞き慣れない名前が耳に飛び込んでくる。
 グレゴリー?
 ディアは懸命に壁に書かれた文字を読んでいたので恐らくこの四人のうちのどれかだろう。
 グレゴリー、監視者。まれに自分達ドールには言葉のままの意味を込められて名付けられるときがある。エンジェルから文字られたエルがいい例だ。もし言葉のままの意味だったら……?
 いやよしておこう、まさかそんなことあるわけが無い。
 もしこの四体のドールがプリマドールだったとすれば彼らの絆は海よりも深いものとなるだろう。
 だが、仮にドール達に紛れてドール達の動向を監視する者が居たとすれば?このドール達の自由への道は絶たれてしまったのだろう。
 待てよ? 逆に監視の対象が先生に向けられていたのであれば彼はドール達の希望だったに違いないはずだ。だとすれば計画は無事に成功している可能性も出てくる。
 赤く塗られている彼の双眸は劣化して赤黒いものとなり底知れない不気味さを醸し出している。
 ─もし彼と対峙出来たなら、ジブン達に知恵を授けてくれるのだろうか。
 ぐるぐるとグレゴリーの名前が頭の中で回っては様々な可能性を提示してくる。

「……あぁ、ダメだ、埒が開きませんね」

 いくら考えようと憶測でしかなく確信は掴めそうにもない。それなら憶測の中の小さな世界で結論を出すよりもっと膨大な情報が欲しいものだ。
 ふと目に入ったリフトに興味を向ける。上に登るには危ないので進んでやろうとはしないが、今はそんなことよりも情報の方が大切だ。
 椅子があれば上から覗き込むことが出来るだろうか。もしくは登ることが出来るだろうか。ストームは脚が長く高い椅子を探し始めた。

 ロフトへ登る為の木製の梯子が存在する。梯子の先端はやや高い場所にあったが、あなたであれば問題なく手が届くだろう。

 高所から見下ろす図書室はいつもより鬱屈として見えた。しかしロフトの上は、そばに取り付けられた小窓から溢れる陽の光によって、下よりも明るい。
 斜陽に照らされたところに、一冊の本を見つける。こんなところにある本は、当然読んだことがないものだった。

 題名は『ノースエンド』というシンプルなもの。装丁は古く、かなり昔の本であることが見て取れる。

《Storm》
 自身の背で難なくロフトに登ることが出来れば、キラキラと光る埃がふわりとストームを出迎えた。しばらく使われていないのだろう。
 下で見るよりも強い光に出迎えられ瞬きが自然と早くなり目を慣らす。直ぐに慣れた目が捉えたのは読書通のストームでも1度も目にした事の無いタイトルの本だった。
 「ノースエンド」惹かれるままに手に取ったその本はこの埃をかぶったロフトにずっと置いてあったにしては全く埃を被っていなかった。

 誰かがここでこれを読んだのかもしれない。一体誰が?
 微かな疑問を抱きつつもページを捲ってみれば内容もごく普通のラブストーリーと言った所か。
 珍しく直筆で書かれてありこの作家の魂そのものを刻み込んだ芸術品だ。なんて美しいんだろう。
 ペンの運び方、文字の乱れ具合、インクの滲み節々に作家の性格や苦難が描かれているようで物語の観点からも、作家のヒューマンストーリーという想像でしかない物語の観点からも十分に楽しめる。
 速読は得意な方であっという間に読み終えた頃には、満足感が心を満たしている。
 アメリアはこの物語をもう読んだのだろうか? 早く奨めたい。
 こんなに素晴らしい物語を書いたのは誰だろうかと、表紙を見返せば「Charlotte」の文字が。この素晴らしき物語の創造神はMs.Charlotteか!
 やはり直筆で書かれた本はいい。その中でもMs.Charlotteの物語は繊細に感情表現が描かれていて今のストームには好感を強く産んだのだった。
 だが、ミズ・シャルロットの文字を見たのは今日が初めてだ。この図書室にはもうかの作家の本は実在しないことをストームは知っている。
 こんなにも素敵な話なのになぜ1冊だけなのだろうか。物語の内容的にエーナモデルがインプットしてそうな内容だ。しかし、アティスからある程度のロマンスストーリーを聞いたことのあるストームはあのアティスがこんなにも繊細で素晴らしい話を語らないなんてことがあるだろうか? いや、無いだろう。
 だとすればアティスが知らない物語、オリジナルという事だろうか? まさかかつてのエーナモデルが?
 だとすればこんな芸当できるドールはプリマドールだったに違いない。
 ストームは普通のドールとは“少し“違う。その為か想像力や発想力がテーセラながら豊かで妄想癖があるのだ。
 だからこそ自身の世界に没頭してしまってからは突き進んでしまう悪い癖がある。
 例えば、この本がかつてのエーナモデルのプリマドールによる作品なのだとしたらもっと楽しませるような仕掛けがあるかもしれない、と言った行き過ぎた理想。
 それを解明すべく本を隅々まで観察しはじめるまで時間はそうかからないだろう。

《Dear》
「ふむ……そう簡単に教える気はない、ってことかな? ああ、素晴らしいね、その海よりも深き深慮……燃えてくる」

 いっそ暴力的なまでに分厚い本のページをパラパラとめくり、一ページ一秒にも満たぬ速さで情報を詰め込んでいく。流石は元トゥリアのプリマドールと言った所だが、望んだようなグレゴリーくんならぬ人物からのメッセージなどは見当たらなかった。それでも、ディアの瞳には変わらぬ希望が満ちていた。彼に、失望や落胆といった感情は存在しない。恋人には、そんなもの必要ないからだ。今回のようなケースには、むしろ役に立つ技能だろう。特に失望する様子も見せず、すぐにもう一度あの愛おしい絵に視線を戻す。ああ、グレゴリー。キミの残酷なまでに暗い真っ赤な瞳に隠された希望を早く愛したい……その美しさに見惚れながら、もう一度絵とその周辺の壁をくまなく観察することにした。情報というものは何度目にしても新しい発見があるものだ、ロフトのことはストームに任せておけばいいだろう。ディアが必要な時は、ストームはちゃんとディアを求める。それは二人の世界に置いて、あまりに当たり前の常識だったから。

Sophia
Astraea

《Sophia》
 実に見慣れた図書室。日頃利用しており、先程も足を運んだ、埃臭い場所だ。咄嗟に目に入るタイトルも当然見慣れた物。その内の数冊に手を伸ばして、パラパラとページをめくる。カメラアイとは便利なもので、ごく僅かな時間でも手に取った書物の内容を暗記することは可能だろう。

◆ シンデレラ ◆
『──昔々、シンデレラと呼ばれている美しく心の優しい娘がいました。』

 この枕詞から始まる、灰被りの少女の人生逆転物語だ。
 あなたは以前受けた授業で聞いたことを思い出す。エーナモデルは今でこそ8,000を超える童話や物語をその脳内に収録されているが、過去はそのように高度な焼き込みは出来なかったということを。そのため、ドールズの原型でもあるエーナモデルは、当時は自力で無数の本を読み込み、それを頭に叩き込むという授業を受けていたようだ。
 今ではこの図書室に存在する数々の童話は、ミシェラのように童話を脳内に留め置いておけない欠陥ドールのために存在していると言っていい。


◆ ハイバネーション ◆
『冬眠、及び休止状態の意。人体を低温状態に保つ事で、時間経過による老化を防ぐ事が出来る技術、当該装置による睡眠状態を指す。一方通行のタイムトラベルの手段としても知られている。別名コールドスリープ。』

 高度な技術について様々な記述がされている書物だ。少し小難しい内容だが、あなたであれば問題なく理解できる。
 ……そういえばこの学園は、あまり技術的に進歩しているようには感じられない。自分達ドールズの製法は間違いなく優れた・進歩した技術であるのだが。


◆ 中世の音楽 ◆
『──かん高くヒステリックな音だったが、まるで工作機械のような蓄音機からは、はっきりとした再生音が聴こえてきた。』

 人間の音楽にまつわる文化が記述された本だ。随分古い時代について延々綴られており、上記は末尾に近いページに綴られていた。
 蓄音機の仕組みとしては、レコードに鉄製の針を落とし、引っ掻く事で生まれる振動がホーンを通してこちらに伝わってくる……簡潔に述べるとこのようなものである。


◆ シュレディンガーの猫 ◆

『ランダムの確率で毒ガスの出る装置とともに猫を箱の中に閉じ込めたとき、次に箱を開けた時まで、猫が死んだ可能性と生きている可能性は重なり合っている』

 量子力学におけるパラドックスについて述べた思考実験をもとに専門的な知識が延々と綴られている。
 生死という概念は、生まれてからというものこの箱庭しか知らないあなた方ドールズにはあまり馴染みがないものだ。けれども誰しもに死が訪れることをあなたは知識として知っている。……作り物であるあなたたちでさえも。

《Astraea》
 常日頃から慣れ親しんだ埃っぽいに空気に満ちた図書室へと足を踏み入れる。アストレアは読書が好きで、普段からこの部屋にいる事が多くあった。
 しかしながら、普段と違ったその滞在目的に、注意深く本棚を見ながら歩き回る事にした。と、奥まった本棚の間、何かが気になる。
 よく見ようと、顔を近づければ耳にかけた髪がはらりと落ちた。

「可愛らしい絵だ。
 ……あぁ、My Dear Hope, この絵について何か知っているのかい?」

 壁に書かれて居たのはとある絵。可愛らしい誰かの落書きだろうか、赤い制服を着ているという四人の男女のドールは、まるで自分たちの様で微笑ましく思えた。
 と、自身と同じ様に絵を眺めていたドールに気が付き、問い掛けてみる。自身とは違うモデルの彼ならば、何か気付いた事があるやもしれないから。

《Dear》
「アティス! ああ、ああ、そうだね! この遠く広がる海のように魅力で溢れている美しい絵の真髄を理解できたとはまだとても言えないけれど…ほら、ここを見て。殆どの文字は掠れていて読めないけれど、目を凝らすとこの文だけ【Gregory】と読める。恐らく、その隣に描かれている黒髪に赤目の彼のものだろうね。実は、勝手に男子部屋を出ていってしまったのは、私たちより前に同じことを企てたドールがいたんじゃないかと考えたからなんだ。そして、同じようにここで作戦を立てたんじゃないかと思った。その先に——彼がいた。監視者と名を持つ彼は、私たちの【前例】の一人ではないかと思うんだよ。私たちの希望を繋ぐ、光の道……ああ、とっても愛おしいね!」

 アティスの声を聞いた瞬間、ぱあ、と可愛らしい笑顔が咲く。新しくできた友達を家族に紹介したくて仕方ない子供のようなあどけない表情で、その口はすらすらと情報と仮定を連ねていった。その様は仲間に情報を伝えると言うより恋人の惚気を聞かせるような口調だったが、アティスなら理解してくれると思ってのことだろう。自らが発見し、愛したグレゴリーと言う名の彼。その情報を、聡い彼女ならきっと役立ててくれるとディアは真っ直ぐに信じていた。そして、他の仲間たちのことも。

「っと……あまり彼のことばかり話している場合でもないかな。まずは【計画】の遂行が最優先だ…ソフィアも来ているんだろう? 情報共有でもしに行こうか、アティス。私たちの愛のために、いっぱいいっぱい頑張ろう」

 この愛を貫くためにも、今はあまり無駄な時間を過ごせない。そう判断し、名残惜しそうに絵を一瞥してから周りを見回す。どうやら書物の内容を確認しているらしい星のようにきらきら輝く金髪を見つけて、アティスに手招きしながら足早にそちらへと向かっていった。

「ごきげんよう、ソフィア! 今すぐ二人とも再会のハグと行きたい所だけれど……せっかく集まったことだし、情報共有など如何かな?」

《Sophia》
 パラパラと本を捲り、その内容に目を通す。これが何かの役に立つかはわからないが、脳にしっかりとインプットを行い──そして、再び本棚に戻した。
 と、自分の名を呼ぶ声が届いたのもほとんど同じタイミングであった。

「………あら、あんた達もここに居るってことは役目は済んだみたいね。しましょうか、情報共有。
 あたし達は──鍵の形状と鍵穴の形状はしっかりと確認できたわ。何か道具でもあれば、ベッドの鍵は開けられるでしょうね。あんた達は?」

《Storm》
 本に細工という細工は見当たらず、少々残念に思ってしまう。仕方ないだろう、勝手に期待したのはジブンなのだから。
 素晴らしい発見と素敵な物語を得られたストームは細工ごときでは気落ちはせず、妥当だろうと処理することができた。仕掛けを探すのに夢中になっていたので周りの音が一切入っていなかったようだ。愛すべき甘い声色の他に、凛とした声色と麗しい声色が聞こえてくる。

「お集まりでしたか。失礼、少々興味深い物に夢中になっていまして。すぐそちらへ」

 ロフトから顔を出すとそこには我らがブレインのソフィアとプリンスのアティスの姿があった。表情こそ動かないもののやはり彼女ら含めた旧プリマドールを愛してやまないストームは声色を弾ませる。
 ノースエンドを手にロフトから身を乗り出すと彼女らの所へふわりと飛び降りた。テーセラモデルである利点である身体の頑丈さとストームの特性ともいえよう巧みな体のコントロールによってほとんど音もせず彼らの元へ飛び降りることが出来るだろう。
 飛び降りるや否や、直ぐ彼らに自身が発見した素晴らしい物語を提示する。

「これをご存知ですか? “シャーロット“と言う作家の『ノースエンド』と言うものです。ジブンはアティスからこの手のラブストーリーを聞かせて頂いた覚えが無かったのですが………ストーリーに説得力がありとても感動致しました。しかも直筆という事もあり、ミズ・シャーロットの苦難も読み取れて素晴らしい作品です」

 情報共有、と言うよりほとんどノースエンドを読んだ感想を一気に述べたストームは付け足し程度に「ジブンはミズ・シャーロットは以前ここに居たドールだと睨んでいるんですよ」と加え一旦、口を閉じた。
 皆様はどう思われます? と目配せをして本の表紙を三人に見せシャーロットの名前を指さす。

《Dear》
「男子部屋に入って一番手前のベッドを調べたけれど、特に変わったことはなかったように思うよ。先生がベッドの外から覗けるように格子状の小窓があるから、予めベッドの外に出ておくのはあまり現実的ではないかな。あと、肝心の南京錠だけれどこれも問題なく突破できそうだったよ! 痕跡が残る方法だと気づかれてしまうだろうけれど、ヘアピン等を使ったピッキングな、ら……」

 軽やかに宙を舞う、自分では一生叶うことのないその美しい景色に熱い息を吐く。続けて耳に流れ込んできた愛しい声が告げた言葉は、ディアにとってはあまりに眩しい希望の星だった。点と点が繋がって、星座になるような軽やかな予感。

「ミズ・シャーロット……! ああ、ああ、素晴らしいね! やっぱりストームは最高に素敵だ! アティスとストームにはもう話したのだけれど…あの壁の奥、本棚と本棚の隙間に、それはそれは美しい絵があったんだ。描かれているドールがみんなみんな幸せそうで、とっても愛おしいんだよ! それはきっと、もうずっと前にここから失われてしまったものだろうけれど。そのドールたちは私たちと同じ制服で、私たちと同じ男女二人ずつ。そして、その絵には一つだけ、判読できた名前があった。他の文字は掠れていて読めなかったけれど……グレゴリー、監視者の名を持つ黒髪に赤目の美しい少年。彼だけは、長い年月を経ても風化せずに私たちに名前を教えてくれた。まだ、愛しい彼らのことは何もわからないけれど……私は、私たちと同じようにここで作戦を立て、ここから抜け出そうとした同志だと考えている。そして、そのミズ・シャーロットは、絵の中に描かれている内の一人なのではないかな」

 机上の空論。夢物語。言葉で一蹴して仕舞えばそれまでだが、ディアの言葉はあまりに希望に満ち溢れていた。くるくるとカーディガンをドレスのように揺らして回り、その輝きを撒き散らす。わかっている、計画の遂行が最優先であること。もうあまり時間もないこと。グレゴリーくんのことは内密にしなければならなくても、それでも、ディアはやっぱりこの二人のことが知りたかった。美しいと思いたかったし、愛したかった。そして、ディアのその愛は、時に強いパワーを持つ。
 それは、今目の前にいる愛おしき同志たちへも惜しげもなく発揮される強さであった。

「ああ、ごめんね。つい色々と話してしまって……皆なら許してくれるから、つい気が緩んでしまうよ。皆の手に入れた努力の結晶を、私もこの目に映したいな」

《Storm》
「いえとんでもない。ディア、あぁ貴方様はなんて素敵で聡明な発想をなさるんだ。ミズ・シャーロットとグレゴリーとの関係…とてもジブンでは思い付きそうもなかった。それにその希望に満ち溢れた瞳、何度でも何度でもジブンを酔わせ虜にしてしまう程に美し………おっと、これは失礼。いつもの悪い癖で。
 少々耳にしましたが、鍵の件。少し疑問点を持ちまして……ただの考え過ぎならいいのですが、男子部屋と女子部屋のベッドの鍵別々だった場合、手こずってしまうやもと思いましてね。ソフィアに見せようかと錠を拝借してきたのですよ」

 熱烈なディアの愛の告白を耳にしてしまっては、彼の熱が移ったようにストームは彼と同じような熱量で彼のターコイズに見惚れながら言葉を返してゆく。
 しかし、目線の端にちらりと映ったソフィアは刃のように鋭く、氷よりも冷たい目をしていた。彼女の言いたいことは分かる。それにディアへこの収まりきらない愛を伝えるよりもやらなければならない事があるので咳払いをしては話を戻した。そして、ひそかに入手していた空箱の錠をソフィアに手渡す。

「それからこの本はアティスへ。ジブンは聞いた事も見た事もない話だったのですよ。物語の事は貴方様に聞くのが1番理解出来ますし楽しめるでしょう。この本についての貴方様の見解をお聞かせ願います」

 ディア、ソフィアと順々に顔を向け最後に麗しの王子アティスへと顔を向けると本を手渡し、自身の読んだ物語の流れを軽く三人に説明した。無表情でありながらも身振り手振りを使い、伝わるように、と。

《Astraea》
「私は女部屋を一頻り調べたのだが、精々"いつも通り"と言った情報しか得る事が叶わなかったよ。全く約立たずですまないね。ディアの言う通り、鍵はきっとピッキングで開けられる程度の物に思う。これはソフィアも見ているから報告するまでも無いのだけれど。
 一応ワードローブも覗いて見たのだが特に異変や役に立ちそうな情報は無かった。少なくとも僕の目には、なのだけれど。」

 じっ、と至極興味深そうに、暫くの間聞き手に回っていたアストレアだったが、自身のターンが回ってきたと判断すれば先刻ぶりに集結した親友たちの麗しきかんばせを見渡してはそう、報告をした。
 モデル故(と思っている)、あまり有益な情報は得られなかったとあって、台詞上には謝罪を載せながらもその表情はささやかな微笑を浮かべたままに少しも変わる事は無かった。

「嗚呼、それにしても君たちは本当に素晴らしい、まったく想像以上だ。ものの数刻でこんなにも多くの収穫を獲て来てくれるとは、流石は私の親愛なる元プリマドール達だ。愛しているよ。
 ……で、その本、"ミズ・シャーロット"の『ノースエンド』か……。
 僕も全く見た事がない。ミズ・シャーロットと言う著者の名前もノースエンドと言う本も知らない。これは上に有ったと言う事で良いのかな? ふむ、上にはまだ知らない本があった、という事か、今度そちらも覗いて見るのも手か。」

 麗しき友たちの報告に、驚気を微かに含んだ声で、いつもの様に歯の浮くような褒め言葉を。最後にはさらりと愛の告白も付け足せば、ストームから本を受け取ってはその古びた表紙を眺めた。
 『ノースエンド』、北の終わり、と言う本は、数万の本や御伽噺の知識が詰め込まれたアストレアも知らぬ、全く未知のものであった。
 表紙を開けば、手書きらしきインクの筆跡。嗚呼、ミズ・シャーロット、君は一体何者なんだ。

 題目に『ノースエンド』と記された本。内容は、エーナドールが読み聞かせに語るような、ありきたりなおとぎ話だった。しかし、エーナのプリマドールであるあなたでさえ、その物語は知らないものだった。

 雪けぶる雪国で、貴族の乙女は婚約者である伯爵によって、黒い塔に軟禁されていた。そこに盗みに忍び込んだ貧民の裏ぶれた青年が彼女と出会い、隣国への亡命劇を繰り広げる……といった、いわゆる中世を舞台にしたラブストーリー。

 これらの物語は、直筆で……インクと筆を用いて執筆されていた。そのためところどころインクが滲んでいるし、文字が乱れているところもあった。
 改めてあなたは本の表紙を確認する。『ノースエンド』と雪国の絵が描かれた隅っこに、擦り切れた文字で『Charlotte』と、おそらく筆者と思しき人名が残されていた。

《Sophia》
「──なるほどね、情報はそこそこ集まったみたい。というか……ストームあんた、そんなに手癖悪かったかしら? 本当に変わったわよね。」

 ディアの話も聞き終わり、静かに脳内で情報整理をする。そしていつも通りに〝二人の世界〟が始まったかと思えば、己の睨む視線に気付いたらしいストームが新たにつらつらと情報を並べ立てる。皆の話を合算するに、ピッキング行為は可能とみて良いだろう。ストームから鍵を受け取りつつ、ほんの少し彼を見つめる眉間に眉を寄せながら。
 若干の興味をそそられたのか、アストレアの目線の向いた『ノースエンド』なる本の文字に数秒目を通した後、ようやく鍵に視線を向ける。
 その形状をよく観察し、脳内メモリに叩き込む。そして、頭の中に先生が持っていたあの鉄製の鍵と、ベッドの鍵穴の形状を描いて、それら全てを照らし合わせる──。


 ──鍵を注視した所、どうやらこの錠は女子部屋のベッドに取り付けられているものと代わりがないようで、全く同じ方法で解錠が可能な物のようだ。ふ、と勝ち誇ったように口元を綻ばせた。

「あんた達、喜びなさい。あとは道具さえあればベッドの鍵は何とかなりそうよ。」

 面々に向き直り、ひとつ頷きをこぼす。その強かに灯るアクアマリンの光は、計画実行のための次なる作戦を言い渡す意思が確かに感じられることだろう。

「とにかく、ベッドの鍵をどうにかしないとあたし達は自由に動けないわね。その為に必要なのはピッキングが出来るようなもの。例えば──ヘアピンとか。アストレア、人望のあるあんたなら集められるわよね?

 後、前にもあたし達と同じように動いたドールが居るかもだってのも気になるわね。……隠されていたらしい絵の事を言う訳にはいかないでしょうし……。あのアストレアですら物語の事を知らないって事は、シャーロットって女性は元々ここにいたドールだったって可能性は大きいと思うわ。ディア、どうせあんたは気になってるんでしょ? その人のことを先生に聞いてきてちょうだい。絵のことは秘密でね。

 ストーム。あんたはダンスホールに向かって。全員分かってると思うけど、当然一度は見ておかなくちゃならないからね。わかってるわね、ストーム。わざわざ体力に優れたテーセラのあんたを選んでるの、情報が見つかるまでそこら中探し回ってもらうから。適任でしょ?」

 口元に手を添え、思案するような素振りのまま、淡々と提案……とは言い難い司令を下していく。しかしながら、その司令は合理性のあるもので、断る理由が生まれることはおそらくないだろう。分かったわね、と念押するように、面々の顔を見回してから。

「あたしは玄関の鍵を調べてみるわ、鍵の複雑な形を覚えられるのはあたしだけだものね。きっちり覚えて帰ってきてやるから、あんた達も頼んだわよ。」

《Astraea》
「Yes , My Dear Wisdom.
 この僕に任せてくれたまえ。男子部屋と女子部屋用で二本ずつ、計四本で構わないね? 必ず集めて来てみせるさ。 」

 優秀な我らがブレイン、ソフィアの的確な指示に、了解の言葉を返せば"必ず集めて来てみせる"と断言した。比喩や戯言ではなく、彼女はきっと必ずやってみせる心積もりで居たから。

「では僕は学園の方へ行くことにする。健闘を祈っているよ、My Dear Besties.」

 ヘアピンを集める為には寮内で人を探すよりもきっと学園内の方が楽だろう。行動は早い方が良い。期待と信頼を込めた別れの言葉と共に手をひらりと振れば踵を返して埃の舞う図書室を後にした。
 目指すは学園。少し軋む階段を1段ずつ踏み締め最下階へと下り玄関を出れば、寮の北側、学園へと続くトンネルへと足を向けた。

《Storm》
 我らが気高きクイーンはなんとも可愛らしい声で短く笑った。あぁ……この瞬間だ。ストームは身を震わせる感動に陥る。
 ソフィアの強き美しきコアを心の底から味わえるこの瞬間。
 ストームは思わず息を呑む。彼女が喜べと言う通りに喜べてしまうし、彼女に与えられた指示は強く脳に刷り込まれただろう。

「えぇ……よろこんでソフィア」

 この一言だけで十分だ。ディアと離れてしまうのは少しばかり切なくはあるが再会した時にはより美しく眩しく見えるであろうから受け入れよう。
 アティスに関しても彼女の事だ、多くのドールから尊敬され慕われる存在なのだから彼女にかけられたミッションもなんの造作もなく成し遂げ帰ってくるだろう。その麗しさに拍車をかけて。
 こんな素晴らしきドール達の手となり足となる、なれる。そんな幸福があっていいのだろうか!!
 ストームは幸せで幸せで身体が大きなやかんになってしまったように煮え滾る感覚を必死にひた隠しにした。

「再会の時を楽しみにしております」

 胸に手を当て丁寧な所作でお辞儀をすると、そのまま図書室を出る。長くスラリと造られた足で地面を静かに滑るように移動し、目指すはそう、お披露目が行われるダンスホールだった。

《Dear》
「……! ああ、ああ! お許し感謝するよ、ソフィア! 必ずや愛しい彼女の真髄に触れてみせよう、だって絶対に間違えないあのキミが! 私を選んでくれたのだから!」

 世界一聡い人から許しの言葉を頂いたディアといえば、それはそれは激しい喜びようだった。軽くステップを踏み、くるくるとターンして愛しい同志に向けてお辞儀をする。そりゃあ喜ぶに決まっている!愛しい人に愛を囁くのは、彼にとって呼吸のように当たり前に設定されたプログラム。ずっとずっと器の中に押さえ込んでいたそれを、存分に奮っていいと言って貰えた!喜びのままに、図書室の出口へと駆け出していく。
 ドールとして、自分らしく生きる。あどけない笑顔、風にたなびく桃色の髪、そこに隠れたターコイズブルー。その輝きは正しく、世界の恋人、ディア・トイボックスの本領発揮を示していた。
 ああ、きっと待っていて、ミズ・シャーロット。私の器に注がれた愛を、全部キミにぶつけよう。キミの全てを知り尽くし、キミの全てを愛し尽くそう。キミの叡智を、どうか教えて。

「キミたちの全てに感謝と愛を! また笑顔で会えることを願っているよ、エトワール!」

《Sophia》
「…………はあ。本ッ当にやかましい奴らね、疲れるわ。」

 背を向けそれぞれ立ち去って行く彼らに、ため息と共にツンとした言葉を漏らす。…が、その口元には緩く笑みが浮かんでいて。

「さて、大見得切った分あたしもきっちり働かなきゃね。」

 面々の背を見送った後、ぐぐ、と伸びをして、きびすを返す。向かうは寮のエントランス。なんとしても解錠の方法を明らかにせんと意気込み、図書室を後にするのであった。

【学園1F ロビー】

Astraea

 あなたは学園へ向かう寮から昇降機に乗って学園へと足を運ぶ。オミクロン寮へ続くエレベーターホールを抜けると、その先が学園だ。

 辿り着いた学園は、どこもかしこも照明が僅かに暗く落とされた、劇場を思わせる内装だった。真っ赤なカーペットが敷き詰められた床と、ゴシック調の壁。等間隔に様々な種類の赤い花が、様々な形の花瓶に生けられている。

 学園には他のクラスのドールも行き交っていた。皆きっちりと制服を着込み、赤い衣服を揺らしながらまばらに何処かへと向かっていく。

 ふと、一名の生徒が足を止める。「あれ、元プリマドールじゃないか」──そんな呟きが聞こえたかと思えば、ざわざわと小規模のざわめきがあなたを遠巻きに見つめるように広がっていくだろう。

《Astraea》
 よく磨き上げられた飴色のローファーをカーペットに沈め、学園へと踏み込んだ一体のドール。白い襟を閃かせ、或いは黒いボトムスを揺らした美しいドールズが仄暗いロビーを行き交う中、揃いの制服を身に付けた彼女は、確かに他とは違うオーラを身に纏っていた。それは、彼女がオミクロンクラスの"ジャンク品"であるからなのか、元プリマドールであるからなのか。兎に角、その場のざわめきが彼女を中心に、波紋の如く同心円状に広がっていくのは確かであった。 そんな渦中の本人は、騒ぎにも我関せず、と言うべきか、気付いていない、と言うべきか、いつも通りの微笑みを浮かべて、話し掛ける相手を探して居た。

「ヘアピンを持っているドール、か。話し掛けるのにもやはり初めは知り合いが好ましいかな、エーナドールが居れば良いのだけれど。」

 なんて、独り言ちれば、ロビーに溢れるドール達を見回して、知り合いのドール、若しくはヘアピンをしていそうなドールが居ないか、探してみる事にした。
 皆一様に赤い制服に身を包んだ美しいドールたち、思わず見蕩れてしまう心を制しながら、ドールの顔、特に頭に視線を滑らせた。

Wendy
Astraea

 まるでモーゼの海割りかのように、彼女を中心に道が開けていく。ただでさえオミクロンというだけで悪目立ちをしているようなものなのに、彼女の威光を放つような優美さは人を寄せ付けないオーラを纏っているようだった。

「あ……アストレア様?」

 あなたが周囲を探索しながらロビーを進んでいくと、その途上で。震える少女ドールのか細い声がドールズの隙間を縫ってあなたの耳に届くだろう。
 あなたは覚えているのかどうか定かではないが、彼女はあなたがエーナクラスのプリマであった頃、同じクラスに所属していた少女のウェンディである。

 彼女は、あなたの熱心な信奉者であり、直接的に声を掛けてくることは少なかったが、遠巻きに憧れの目線を送ることがよくあった。

《Astraea》

「……おや、ごきげんよう、My Dear Kitten. 君は確か、エーナモデルで僕の元クラスメイトだね。名前は……ウェンディ、だね、合っているかい? とても綺麗な髪の毛だから僕のメモリーは憶えていたよ。」

 ドール達のざわめきの間に上がった一つのか細い声が、さ迷っていた彼女の視線を留めた。声の主の方を向けば、可愛らしい元クラスメイトの姿が。思わず頬を綻ばせ、挨拶をすれば、相手の手を取り、一つ口付けを落とした。それは、彼女にとっては日常の挨拶の一つであり、日頃の王子様ムーブの一貫であった。
 顔が広いながらあまり他人に興味の無い彼女は、自身が相手からどの様な感情を抱かれているのか察知する力に劣って居た。彼女にとっては息をするのと同じ様なその行動が、相手にどう思われるかも知らず、本題へ移ろうとしていたのだった。

「ときにウェンディ、君はヘアピンを持っていたりしないかい? 所用で必要なのだが、生憎手持ちが無くて困っていた所なんだ。もし君が何本か、出来れば4本ほど持っているのならば拝借することは出来ないだろうか?」

 これが本題。彼女が学園に来た目的は、ピッキング用のヘアピンを手に入れること、ただそれだけ。
 もし目の前の彼女が持っていたのなら運良く借りられたりしないだろうか、オミクロンのジャンクドールなんかに貸したくないだろうか、なんて頭の隅に考えながら、そう問い掛けた。

「へっ……え、あ……貴方様にそのように賛美をいただけるなんて、ま、まるで夢を見ているようです……名前まで覚えていてくださった、なんて……わ、わたくしずっと、アストレア様のことを心配して、ひゃっっ……!?!?!?」

 あまりの動揺に、ウェンディは暫く言葉を継げなかったが。あなたの甘く穏やかな声で名を呼びかけられ、その陶酔してしまうような感覚にくらっとして、しかしこれでは行けないと我に返り、首を横に振る。胸元に手を添えて浅い息を整え、礼儀をわきまえなければと背筋を伸ばしたところで。
 ウェンディのたおやかな指先を、すらりと曲線美を描くあなたの細い指先が掬い上げたことに、彼女は息を忘れた。

 跪いてその白い掌に口付ける様は、まるでおとぎ話の一ページのよう。煌びやかな王子が姫にするかのような恭しい仕草に、ウェンディはまるで、自身の耳のそばで爆発音がしたのかと錯覚するぐらい、バクン!バクン!という大きな心音を聞いていた。それはいっそ畏怖に値するぐらいの衝撃で、彼女は頬を膨らみ切った風船のように赤くしては、「あう、あ、うあ、あ、」と数秒ほど母音しか喋れなくなってしまった。

「へ……へあ、へあぴん、ヘアピン、ですか? そ、それなら、持ち合わせがあります……ヘアアレンジで留めておくためのもので、アストレア様みたいな美しいお方には見劣りする、本当に大したことのないヘアピンですけれど、そ、それでも、よろしければ」

 放心状態でウェンディはカクカクと動き出し、学生鞄から一つのポーチを取り出す。乙女として、身だしなみを整えるための化粧ポーチ。その中から、4本のヘアピンを取り出してあなたに差し出す。

《Astraea》

「おや、顔が真っ赤だよ、まるで熟れた赤林檎の様だ、大丈夫かい? My Dear Apple.」

 目の前のドールが頬を紅潮させている理由が自分にあるなど気が付くはずも無く、普段通りにきざな台詞を吐いては紅林檎の頬にしなやかな掌を沿わせ、底の光る蒼玻璃の瞳で顔を覗きこんだ。
 オミクロンへと堕ちてしまった自分なんかを心配してくれていると云うこのドールの心の何と美しい事か! 普段心無い言葉を掛けられる事も多いだけに、アストレアの冷たい無機物の心は、じんわりと温まっていく様な気がしたのだった。

「嗚呼、ウェンディ、君は全く、なんて素晴らしいドールなんだ。本当に有難う。
 今すぐキスをしてしまいたい気分だが、生憎僕は急いでいるからね、とにかく借りて行くよ。もしかすれば、と言うかほとんどの場合これと同じものは返せないだろう、すまないな。」

 ミッションコンプリート。これでピッキングが可能になった。想像通りのヘアピンを、彼女の手から受け取れば、褒めの言葉と礼を述べ、ウインクを1つした。
 台詞通り、本当は抱擁をし、頬にキスを1つしてしまいたい気分で居たが、今は兎に角時間が無い。このピンを持ち帰り、ソフィアに渡すことが目下彼女がするべき行動。
 「ではまた会おう、」なんて別れの挨拶をすれば、踵を返し寮へ続く昇降機へと向かった。

 ふわふわと雲の上にいるような夢見心地で、ウェンディは暫しうっとりとあなたのご尊顔を眺めていたが、あなたの案ずる声を聞いてハッと我に返り、みっともない頬の赤みを取るために自身の両掌を頬に添えた。

「ご……ごめんなさい、アストレア様。わたくしったら、あなたと話せたことが本当に嬉しくて、取り乱してしまいました。ヘアピンはお好きにお使いくださいませ、そ、それからあの、よろしければ、ガーデンテラスでお茶でも──」

 慌てふためきながらヘアピンをあなたへと託し、ウェンディは時折下を噛みながら何かを発そうとした。
 が、あなたには何よりも優先すべき大切な作戦がある。一刻も早く寮へと戻り、同志にこの成果を報告せねばならない。
 ウェンディは足早にさっていくあなたの後ろ姿に「ご、ご機嫌よう、アストレア様っ」と深々と頭を下げては、儚くも過ぎ去った夢の時間を懸想して幸せなため息を吐くのであった。

【学生寮2F 先生の部屋】

David
Dear

 あなたは意気揚々とした足取りで、二階の男子部屋の正面に位置する先生の居室を訊ねる。先生の部屋は普段施錠されておらず、いつでもどのドールでも、基本自由に立ち入ることが出来るようになっている。
 あなたがそっと部屋の扉を開くと、その執務机には万年筆を動かして授業内容の確認をしていると思しき先生の姿が目に入るだろう。

 彼はあなたの存在に気がついて顔を上げると、ふっと柔らかく眦を緩める。

「こんにちは、ディア。勉強は順調かな。今日はどうしたんだい? 何か相談したいことでもあるのかな?」

《Dear》
「ごきげんよう、先生! ああ、先生はなんでもお見通しだね。その瞳はまるで、白鳥が空へと羽撃く撃鉄の瞬間を静かに愛する水面みたいだ……先生はいつも私たちのことを見ていてくれて、私たちも先生のことを見つめ返したくなる。そうやって、私たちはまた一つずつ、先生が大好きになっていくんだね! えっとね、すっごくすっごく知りたいことがあってね、大好きな先生ならきっと答えてくれると思うのだよ! 知っているなら教えて欲しいな、ふふっ、最も、先生に答えられないことなんてないのだろうけど! それでね、私が知りたいのはね——」

 お利口さんにそっと部屋の扉を開くも、先生の許すような笑みが嬉しくって思わず、たん、たんっ、と踊るみたいに駆け寄ってしまった。本当は今すぐにでも力一杯に抱きしめたい気分だったけれど、お仕事中だったのでそれはなんとか踏みとどまって。それでも、大好き、大好きと溢れ出した愛情のままにディアがブーツの雨を降らせる度に、まるでスポットライトに照らされたステージにいるかのような錯覚を魅せられる。顔いっぱいに先生への信頼と愛を浮かべて、カーディガンとイヤーカフをぱたぱた揺らして。くるくると楽しそうに回る無垢な子供のような仕草からは、悪意は一切感じられないように見える。いや、実際悪意など一つも感じていないのだろう。ディア・トイボックスは、”そういう風に造られた”ドールだ。先生を欺いてやろうだとか、騙してやろうだとか。そんな思惑は、恋人には必要ない。
 そこにあるのは、溢れんばかりの愛だけ。その愛こそが、ディアの強さの真髄。子供が新しく覚えた言葉の意味を教えて、教えてと母親にねだるような口調で発せられた、一言。

「——ミズ・シャーロットについて!」

 愛する人の全部を知り尽くしたい、全部、全部知った上で、心の底から愛していたい。私が描いた夢の中、何処へだって連れていってくれる、優しくて愛しい声も。私じゃわからないことをなんだって考えてくれる、血の滲むような聡さも。小さな私をいつだって守ってくれる、広くて強い背中も。全部、全部、愛している。
 ディアの牙はとても純粋で、傲慢で、故に厄介だ。そして、ドールたちの上に立つ先生でさえ。世界の全てが、ディアの純なる毒牙のターゲット。愛しき先生の一挙一動を見逃さぬように、先生を全部知り尽くしたい、愛したいという一心で。元トゥリアプリマドールのターコイズブルーは、先生の全てを捉えて離さなかった。

「そうか、質問したいことがあったんだね。言ってごらん、話を聞こう。」

 あなたの様子はいつもと変わらず。天界の扉から止めどなく溢れ出す無垢なる愛を、惜しげもなくこちらに掲げるあなたを見て、先生も万年筆を置いて話を聞く体制を整える。
 弾むような上機嫌な足取りがこちらへとふらりと近づいて、机を挟んで見つめ合えば。あなたの瞳には、優しい彼のかんばせが──

「……シャーロットか。懐かしい名前だね。その様子を見るに、きっと図書室のあの本を見つけたかな。」

 ふ、と一層。愛おしそうに綻ぶのをあなたは見るだろう。
 それは日頃あなたが他のドールに向けるものと同じ。溢れる親愛を押し殺そうともしない微笑であった。

「彼女は私の……古い、とても古い友人なんだ。君たちの擬似記憶で言う、『大切な人』に近しいと言っていい。ノースエンドは彼女が執筆した本だ、私が預かってこの場所に置かせてもらった。
 今は遠いところへ行ってしまったけれど、彼女のことを忘れたことは一日たりとてないよ。……この返答で満足かな?」

《Dear》
「……愛していたんだね、ううん、今もずっと。ああ、ああ、ますます気になってしまうよ! 彼女はてっきり優秀なドールなのだと思っていたけれど、友人ということはヒトなのかな?道理でとっても人間的で美しい文章を書く人だと思っていたんだ! 愛する先生の愛した人を、私も愛したい……どんな色の瞳で世界を見つめて、どんな美しい髪を風の調べに靡かせていたのかな? 先生とどんな美しい言葉を紡ぎ合い、どんな夢を共に見たんだろう? 遠い所って? ノースエンド以外の著書は? ねえ先生、もっと教えて?」

 そんな言葉を聞かされてしまったら! そんな愛おしい笑みをこの瞳に映してしまったら! もっと、もっと、知りたくなってしまう。キミたちのことを、愛したくなってしまう。
 貪欲な愛の捕食者であるディアが、いい子に待つことなど到底できるはずもなく。ずいっと机越しに身を乗り出して、矢継ぎ早に言葉の弾丸を撃ち続ける。もっと、もっと、愛しい彼女らの生きた証を愛したい。まだ見ぬ愛への期待にターコイズブルーの瞳をきらきらと輝かせて、先生が牽制したその先へと、ディアは躊躇いもなく手を伸ばした。先生の顔にいつだって貼り付けられている仮面のその下を、一弾でもいい。撃ち抜いてやろうじゃあないか。

「……ふむ。そんなに気になるかい? 参ったな、本当に褪せてしまった昔の記憶だから、掘り返すのも気恥ずかしいんだけれどね。」

 緩やかな話の締めくくりを意にも介さず、隔てられた壁をどこまでも破壊して、着実に、あなたは相手の懐へと、より深きところへと迫ろうとするのだろう。先生はあなたがこちらへ詰め寄り、熱烈な詰問を始めるのを見て、眉尻を頼りなさげに垂れ下げて、苦笑を浮かべた。

 それから少し考えたあと。先生は目と鼻の先にまで迫ったあなたの滑らかで毛穴ひとつ見えない美しく柔らかな輪郭をなぞるように、片手を添えさせた。そっと額を重ねて、あなたに囁く。

「──私の大切な思い出なんだ。今は内緒にさせてくれ。もし君がお披露目で外の世界に出ることがあったら、お別れする前にきっと話すよ。なんてね。」

 クス、と小さく笑い声をこぼすと、あなたが期待外れに落胆しないようにその頭を優しく撫で下ろし、万年筆を持ち直す。

「さあ、ディア。私はお仕事の続きをするから、他の子と遊んでおいで。」

《Dear》
「……ああ、そんな甘美な日が来るのなら、みんなとお別れするのも悪くはないのかもね」

 先生は、いつだって私たちのずっと遠くへ行ってしまう。捕まえたと思えば、霧のようにその体温を掠めて仕舞う。決して届かない星に思いを焦がす、御伽噺の人形のように。そのまがいものの肌は、先生の体温をしっかりと覚えた。それを反芻するかのように、ゆっくりとその薄い瞼を下ろす。もっと、もっと欲しい。ずっと、ずっと欲しい。ああ、いつか、キミの全てを知れたなら。キミの全てを愛せたなら。きっと、きっと、私は世界一の幸せ者だろう。けれど。

「でも、いつかきっと、自分で奪うよ。貴方の全てを、心から愛してみせる。……だからごめんね、先生。そんな約束は、いらない」

 もう一度開かれた瞼の下には、誰にも囚われぬ自由の海があった。強い意志があり、心があった。ディアはもう、物言わぬ人形ではない。誰にも見つけてもらえない、考えなしで嘘つきのピエロじゃない。ディアはもう、一人じゃない。
 だって、彼は輝きをもらった。先生だけでなく、世界の全てから希望をもらった。先生に譲れない大切な思い出があるように、ディアにはたくさんの約束がある。いつだって美しい思い出で、真っ白なキャンバスを埋めていくから。いつか、本当の光の中で。愛する人の話をしよう。
 きらきらと宝石のように輝く瞳で振り返って、愛する人の下へと駆けていくディアは。元プリマドールでも、傀儡でも、道具でもない。たった一人の、無垢で強かな恋人の顔だった。

「それじゃあ、待っている人がいるから、私は行くね! お話ありがとうね、先生! 愛しているよ!」

【学生寮1F エントランスホール】

Sophia

 エントランスホールはだだっ広い大広間になっていた。三階までが吹き抜けになっており、天井からぶら下がっている古いシャンデリアがきらきらと優しい光を落としている。
 薔薇の花を描いたボタニカル柄の大きなカーペットが足元には敷かれていて、階段と出入り口に挟まれた構造になっている。

 エントランスホールの出入り口の傍にある壁には、ドールズが守らなくてはならない大切な『決まりごと』が一覧となって掲示されていた。

《Sophia》
 良く見慣れた、絢爛なエントランスホール。暗唱出来るほど目にした事のある『決まりごと』。それらのどれにも用事はなく、真っ直ぐと玄関扉の方へと向かっていく。
 想定の通りその玄関扉には鍵が取り付けられており、夜間には施錠が行われる。これも当然突破しなければならない障壁であった。必ずやどうにか突破してみせる、と息を巻いて、鍵へと手を伸ばした。

 あなたは玄関扉に取り付けられた錠前を確認する。一般の玄関扉の錠であれば、普通は手前側に扉を閉ざすためのサムターンが存在するものだが、この寮の扉は違う。
 内側に施錠する側の錠が存在し、外から鍵を閉める形になっている。つまり寮内部に閉じ込められるような構造になっているのだ。

 この寮の一階部分にある窓はその全てが嵌め殺し型になっており、窓からの脱出は不可能。
 つまりあなたはこの玄関の鍵をどうにかしなければならないが。

 錠の構造を見たところ、ダミーのピンが大量に組み込まれている構造になっているらしく、どこを押さえればいいのかが判別が難しい。玄関扉の鍵をあなたは見ていないため、解が分からない。あなたは途方に暮れることになるだろう。


 あなたが玄関扉の錠と真剣な表情で向かい合っているところで。

 ──その側に歩み寄る人影があった。その存在はあなたの元に着実に近付いてくるようだ。

《■■■■■》
 足音は酷く静か。だが確実に影は伸びてゆく。
 元プリマドールのブレインとして信頼されている彼女の元に。
 鍵を真剣に凝視している彼女の背後に立てば、そっと扉へ手をついて逃げ場を限定させる。

「ソフィア」

 そう一言声を掛けたのはオミクロンで1番の高身長を誇り、彼女ら元プリマドールと同じ称号を持つストームだった。
 低く安らぎを歌うように発せられた声。愛おしいものを呼ぶ時のそれに似ているだろう。

「貴方様の指示、確実に遂行して来ましたよ。役目を終えたのでジブンにも貴方様のお手伝いをさせて下さい」

Storm
Sophia

《Sophia》
 ──知識に貪欲な者の定めか、ソフィアには物事に没頭すると周囲への関心が散漫になるきらいが見られたらしい。自分に降り掛かる巨大な影……そして、低く自分の名を呼ぶ声。それらに気付いたのは、あまりにも遅すぎた。

「ッ………………! って、ストームじゃない……驚かせないでよ。」

 影の正体は、良く見慣れたものだった。警戒心が爆発的に高まり、肩を揺らすも、その姿を見てはどっと力が抜ける。大きな溜息と共に胸を撫で下ろし、ストームに向き直った。その視線は若干の疑いが混じった怪訝そうなものである。

「随分早かったみたいだけど、本当に全部調べられたの? 何か情報は手に入ったんでしょうね。」

《Storm》
「あぁ、驚かせてしまい申し訳ない。ソフィアが熱中する姿、真剣な顔、あまりに美しく近くで見たいと思ってしまいまして」

 ほっと胸を撫で下ろすソフィアを見ては目を伏せ身を引いた。ご無礼な真似を、と軽く頭を下げ彼女と対峙する。
 その不揃いな色の双眸は彼女の美しきアクアマリンを射抜かんとする程の熱量が込められているだろう。

「調べてきましたよ。
 驚きました。ダンスホールに排水溝があったもので。しかし、その他は特に変わったものは見受けられませんでした」

 端的に結論から話し、その後排水溝は釘でしっかり止められていること、中を覗いては見たものの暗く先は見えなかったこと、匂いなどの不可解な点も無かった旨を伝え報告を終えた。
 報告を終えソフィアの後ろへと目を向けると彼女は玄関扉の錠を調べていたところだった。

 錠を見るやいなやストームは目を微かに見開いた。
 そして語る。

「あぁ、すみませんソフィア。ジブンはなんて、なんて過ちを犯してしまったのだろう!
 皆様に伝えなければとずっと思っていたのですがすっかり頭から抜け落ちていました」

 ストームは使えぬ頭を2度、拳で叩いた。
 あぁやってしまった。ジブンはなんて愚者なのか。と。
 だがその大きな感情変化も束の間額に拳を当てたままに、大きく深呼吸をすると次にはいつもの仏頂面に戻っていた。

「それは既にジブンが調べました。ピッキング可能ですよ。是非ジブンに任せて頂きたい」

 真摯な瞳を強く彼女に向けストームは頼み込む。時間は有限でありながらソフィアに必要のない事をさせてしまったのだから。償いをさせてくれ、と言った強い意志でもあるだろう。

《Sophia》
「排水溝──ね。ダンスホールに設置する意味が分からないわね、お披露目はイルカショーでも開くのかしら。はあ…………ありがと、お疲れ様。一応内部が見られたみたいで良かったわ……。
 ……あたしの方はダメ。この鍵、あまりにも複雑なんだもの……鍵を見ないとどうにも出来ない。でもこれ以上先生に鍵の話をして怪しまれたらいけないし、手詰まりね……。あんな見栄を切ったくせに、自分が情けないわ。このあたしがこんな屈辱を受けるなんてね……。」

 ストームの報告を聞き終われば、再び大きな溜め息を吐いて鍵へと視線をやった。その溜め息は先程のような安堵故のものではなく、意気消沈の溜め息であることがわかるだろう。自分に自信と信頼を置いている反面、そこに〝裏切り〟が生じると一気にしおれてしまうのは、ソフィアの一種の悪癖と言うべきであろうか。どこか子供っぽいようなしょぼくれた顔のまま、恨めしそうに鍵を凝視していた。………最も、落ち込んでいる状況下にも関わらず彼女の根底に存在する自分への自信は揺るがないようだが。

「……何、過ち? あんたが頭のおかしいやらかしをするのなんていつもの事じゃないの、わざわざ今になって改めることなんてないでしょ………ああそうそうピッキング、ピッキングは無理で──って、はあ!?!?」

 随分としおれてしまったソフィアは、変わらずどこか上の空の状態でかちゃかちゃと鍵をこねくり回しながら話に耳を傾けていた。……が、ストームが衝撃的な文を発してから、少々の間の後に先程とは人が変わったような剣幕でぐるりとストームの方へ首を向け、勢いよくストームへその顔を近づける。

「あんたバカじゃないの!?!? それ早く言いなさいよ!!!! というか調べたっていつの話よ!!!! どうやってピッキングなんてするってわけ!?!?」

 ──この一部始終を見ていた者がいたならば、100人の内少なくとも95人は二重人格を疑うことだろう。勢いのありすぎる剣幕と、本来は鈴を転がしたような美しき音である筈の声をキンキンと響かせ弾丸のように言葉を浴びせる。どうやら、ソフィアの脳内では先程のストームの謝罪は完全に消滅してしまったようである。

《Storm》
 ソフィアの凄まじい剣幕に怯えた様子も、ましてや動揺する様子もない。凪いだ表情で彼女からの詰問を静かに受け止める。
 彼女がストームの弁明を待つように口を止めた時、ストームはようやっと反応を見せた。ソフィアの小さく可愛らしい唇にそっと人差し指を添える。

「お気持ちは重々理解します。ですが、あまり大きな声を出さぬように。他のドールに聞かれてしまっては怪しい言動を先生に告発されてしまうかもしれませんので」

 ソフィアに聞こえるような声量でそう伝える。計画が破綻すれば願いも希望も夢物語として泡となるだろう。そんなことソフィアを始めとする旧プリマドールが一番忌み嫌うだろう。

「実は皆様と計画を立ててからすぐに調べ始めてまして、つい最近開けることに成功したのですよ。……実行する報告もタイミングがなかなか合わず事後報告となってしまいました。申し訳ございません」

 理由と共に再度謝罪を述べ、頭を下げた。

 ソフィアとストームが玄関先で話し合っているのを、今しがた学園から戻ってきたアストレアは目撃するだろう。
 ソフィアは玄関扉の錠の確認をしており、ストームはその手助けをしているようだ。
 あなた方は自然と合流する形になる。

《Sophia》
「……………、それは……そうだけど。……心地が悪いわ、離してちょうだい。」

 ストームの的を射た意見にハッと我に返り、声をしぼめる。しかし子供を静まらせるような方法を取られたことは気に食わなかったようで、口元に触れる人差し指を手で跳ね除けた。素っ気ない態度ではあったが、瞳に自省の念が滲んでいるのはきっと見て取れるだろう。

「……そう、調べてたのね。報告する機会くらいあったでしょうに、あんたって奴は………。はあ、まあいいわ。鍵は何とかなるわけだし、とっとと戻りましょ……って、アストレア?」

 呆れた声と溜息を同時に放出しながら、自分の前に立つ大柄な身体をやや乱雑に手で退ける。……と、見慣れた青玻璃色の双眸と目が合うのも同時だった。こうしてこの短期間でここまで帰ってきている所を見るに、随分と作戦は早く上手く行ったようだ。やはり彼女に任せたのは正解だったな、と仲間と自分の采配を一人脳裏で誇りながら。

「まさか二人ともここまで早く終わらせてくれるなんてね、あんた達のことは認めては居たけどさすがに驚いたわ。……もしかしたらここで待っていたらディアも直に来るかもしれないわね。そうなったらわざわざ図書室まで戻る手間が省けるから楽なんだけど……」

 そこでアストレアに続き、先生と交渉を終えたのだろう、ディアもまた玄関扉の付近へやってくる。

 こうして『作戦』のため各々のすべきことをこなしてきたあなた方は、また一堂に会する事となった。

Astreae
Sophia
Dear
Storm

《Sophia》
「──さて。条件はこれで整ったわね。」

 アストレア。ソフィア。ディア。ストーム。信念を宿した各々が揃い進めてきた計画への準備も、大詰めへと入ろうとしていた。今まで四人の力を合わせ手に入れた情報を共有し終わり、この四人の軍師たるソフィアは神妙な面持ちで面々に向き直る。

「ベッドの鍵の解錠の仕方はわかった。そして、その為に必要な棒もアストレアが集めてくれたわ。エントランスの鍵はストームが解錠できる。………あとは、昇降機が夜に動くか確認するだけ。

 ──今夜。確認しに行きましょう。」

 決意を灯した瞳は、爛々と輝いていた。その鋭い眼光は、研ぎ澄まされた鋼の剣のようで。

「大人数で行っても先生に見つかるでしょうし、あたしとストームで行ってくるわ。異論はないわね?」

 確認を求めるような口振りであるはずなのに、『反論はさせない』との意が確かに込められた強い口調も、彼女のいつも通りの、実に『らしい』物である。ソフィアを軍師に据え共に戦う同士達の答えは、きっと一つだろう。

「──ディアが言ってたとおり、もしあたし達と同じ考えのドールが居たなら、あたし達がしっかりと意志を継いであげなくちゃね。」

 ──あなた方が支度を整えた、その日の晩のこと。

「さあみんな、お休み。また明日、楽しく勉強を頑張ろう。いまはゆっくり眠るんだよ。」

 先生は毎晩、そうやって一人一人に声を掛けながら、ドールズを棺のような箱型のベッドに寝かせ、鍵を閉めていく。
 そのため、あなた方が眠る前に見るのは、小窓の隙間からこちらを慈愛の眼差しで見下ろす先生の姿だ。

 あなた方はその日も、自身が収まるベッドの鍵を先生に施錠され、今朝までは動けぬ時間を過ごす──が。

 ……夜も更けた頃。草木も眠っているのか、物音一つしない静けさに包まれた学生寮。
 ソフィアとストームは女子部屋と男子部屋、それぞれで目を開き、棺の蓋を押し開いた。あらかじめアストレアとディアに、先生の目を盗んで鍵を開錠してもらっていたのだ。

 あなた方は音を立てぬように部屋を抜け出し、エントランスで落ちあうことになるだろう。

【学生寮1F エントランスホール】

Storm
Sophia

《Storm》
 ひんやりと冷たい空気が身体を包んだ。空気を体内に取り込み、吐き出す。深呼吸。なにか大きなことをする時、ヒトがよくやる動作なんだと本で読んだことがある。いまいち変わった気はしないものだが、最近よく行うのでなかなか板に付いてきた頃だろう。
 ストームはナイトキャップを置き、手頃な結糸で乱雑に髪をまとめ上げて低めに後方で結ぶ。
 夜の寮は朝や昼とは違い、あまりに静か過ぎる。それに加えなんだか視線を感じるような気もする。もちろん、気の所為だろう。静か過ぎるために監視されているような感覚に陥ってしまうに違いない。
 実際、幼いドールは少し暗い場所に連れて行っただけですぐに自身の歩いてきた道を振り返る習性がある。それと同じようなものだろう。

 存外簡単に棺のベットから抜け出せて自由を得たストームは、ドアを静かに開け猫にも似た足運びで階段をおりて行く。造作も無かったな、と思いながら開けたエントランスへと顔を上げるとそこにはいつもとは違った姿の夜更かし仲間が不服そうにこちらを見ていた。

「こんばんはソフィア。夜に会うのは初めてですね。今の貴方様の姿、いつもとは違った味がありとても美しい……。
 ……あぁ、もしかしてお待たせしてしまいました?」

 夜に会おうとストームはストームで、いつものお辞儀でソフィアに挨拶をしいつもと雰囲気の違う彼女の美しさを賞賛した。呑気だ、という印象を彼女に強く与えるということすら考えずに。

《Sophia》
「──レディを待たせるなんて、ずいぶんとマナーがなってない紳士様ね。あんまり待たされたものだから、てっきり怖気付いて逃げ出したのかと思ったわ。」

 なんの気配もしない、寂然としたエントランスホール。その出入り口へ寄り掛かりながら、小さく響いた声の主をじろりと見る。すらりと降ろした長い金髪は、普段三つに編まれているくせを引きずって緩やかなウェーブを描いていた。その金の糸の一本一本は細く、てらてらと光を放っているようにすら見える。
 至る所にフリルのあしらわれた上等なナイトウェアに身を包んだ姿は、到底生命力に溢れたものではなかっただろう。冷たく無機質な美そのものである人形は、幾度と鼓膜を巡った賛辞の言葉を無情にも無に帰そうと、ちらりと鍵に視線を向けた。

「……コレ。開けられるのよね? 分かってるでしょうけど、あまり時間はないわよ。」

 腕を組み、ストームへと瞥もくれず告げる。つまるところ、『早くしろ』ということである。なんとも横暴な態度であるが、これももはや慣れたものだろう。そして、ソフィアが言う通り、時間が限られているのも事実。次の相手の行動が分かりきっているが故か、ソフィアは壁にもたれかかったまま余裕げに力を抜いている。

《Storm》
「ミス・ソフィア、ジブンのご無礼をお許しください。ジブンの夢半ばに逃げ出すなんてとんでもない」

 彼女らしい挑発的な言葉に乗っかるよう返し、彼女の横を通り過ぎる。言い訳してる暇があれば作業に取り掛かれ、とソフィアはきっと言うだろう。麗しの淑女を待たせるのはストームの志に反する。スラリと真っ直ぐに伸びた背中を屈めディアから預かったヘアピンを取り出すと、早速作業に取り掛かった。
 防犯加工のしっかりと施された鍵。だが、テーセラの基本性能である五感が覚えている。同じものならきっと意図も簡単に解けるだろう。

 ストームは記憶にある通りの場所を押さえ、上手くダミーをかわしながら正しいピンを外していく。細いヘアピンを器用に扱うと、数秒後にはかちりと小気味の良い音がシリンダーの内部から鳴り響いて、玄関扉が開くことに気がつくだろう。

《Sophia》
「……ふうん、開いたみたいね。あたしが調べても解らなかったって言うのに、一体どこでこんな技術を身につけたのか謎だけど……まあいいわ。上手く行ったことには代わりないし。さ、行きましょ。」

 手際よく解錠を行うストームを半信半疑で眺めていたが、確かに鍵の開いた音を聞けば彼の能力を認めざるを得ない。不思議そうにストームの顔を覗き込んだ後、考えるのに飽きた様に玄関扉に手をかけた。もしかしたら、先生に気付かれてしまう可能性だってないわけではない。なるべく早く行動を済ませ、速やかにベッドに戻らなくてはならない……それ故、扉が開けば足早に昇降機へと向かうだろう。

 あなた方は連れ立って寮を飛び出す。外はもうすっかり夜が更けており、寮周辺の大空には見るも美しい星々が煌びやかに瞬いている。暗がりの中、草地を踏み締めて学園へ続く門を目指す。
 先生が言っていた通り、寮の周辺には人工の照明などは取り付けられておらず、自然光のみを頼りに進んでいくことになるだろう。だがそれも五感に優れたテーセラモデルのストームの先導により、問題なく学園へ続く門へ辿り着けるはずだ。

【学園へ続く門】

 辿り着いた門は、煉瓦造りでかなり巨大なものだった。周辺は苔むしており、かなり古い門であると窺える。大きくぽっかりと口を開けた先は、この一帯よりも更に暗い。まるで出鱈目に漆黒を塗りつけたような、嘘みたいな暗さだった。自然光すら届かないトンネルの先に昇降機はある。

 あなた方がトンネル天井から落ちる水滴の音を聞きながら進んでいくと、やがて行き止まりに差し掛かる。
 ここがいつも学園へ向かう際に使用している昇降機だ。普段であれば、ドールが正面に立てばそれを察知して移動式の箱がやってくる筈だが、その気配はなく、扉は固く閉ざされたままだ。

 どうやら強引に開けるしかなさそうだ。

《Storm》
 いつもは自身らを迎えるように箱が昇り降りしてくるのだがその様子は全く無い。普段ごく自然に行われる作業が機能しないというのは、今の現状が非日常であると強く示していた。
 ぴちゃり、ぴちゃり、と水滴の落ちる音が嫌に反響する暗闇の中、今晩の夜更かし仲間の麗しい姿すら全く見えていない。そんな中でも酷く冷静で居られるのも計画実現への強い強い意思が二人に一貫してあるからだろう。
 開かずの扉に立ち塞がられようと、引き返すなんて考え浮かびそうになかった。

「……致し方ありませんね」

 ストームはひたりと昇降機の扉に触れると、細く長い指を挟み込ませ力を込める。どうやら無理矢理こじ開け強行突破するつもりだ。
 テーセラの中でも類い稀ない身体能力を持ったストームの持ち前の力が試されるだろう。

 ストームは昇降機のピッタリ閉まった扉に強引に指先を捩じ込む。他のモデルに比べて、テーセラモデルの力は強めに設計されている。上背にも恵まれたストームは、後ろ足を踏ん張りながら強引に扉をこじ開けることに成功するだろう。

 扉の先は、照明が取り付けられていないため、かなり薄暗い。
 が、いつもあなた方を迎えにくる密閉された籠は、きちんと目の前に存在した。オミクロン寮で暮らすもの全員がこちら側へ戻っているはずなので、当然と言えば当然なのだが。

 ──お披露目の日は、先生とミシェラが学園側へ移動しているはずだ。であれば、籠は当日、降りきった状態であると考えたほうがいい。

 この昇降機は普段、寮から学園へ向かう際は『下降している』。なので実際に学園に向かう際は、昇降機が移動する昇降路(シャフト)を通らなければならない。
 降り切った際に、この籠に入ってから学園側に抜けられるよう、籠に外から侵入できる出入り口を見つけ出す必要があるだろう。

 ソフィア。あなたはこの昇降機には必ず、シャフト点検用の出入り口があると当たりをつけている。上手くそれを見つけ出せればいいのだが。

《Sophia》
「はー、案外サクッと開く物なのねこういうのって。……もしくはあんたがとんでもない馬鹿力なのか分からないけど……」

 堅く閉ざされた扉は、自分の目では到底開きそうもない物に見えた。が、どれほどの力が込められたのかは想像はつかないものの案外時間もかからず開いてしまった扉を見て、ひとつ感嘆の声を上げる。

「とにかく、連れて来たのがあんたで良かったわ。お疲れ様、ありがと。──そうね。ストーム、昇降機の天井を見てちょうだい。あたしじゃ届かないわ。」

 諸々の説明を省くとして、ともかくシャフトの点検口は絶対に存在するはずで、当日はそれを利用して移動しなければならない。籠と壁の間にほとんど隙間がないことから、点検口があるとすれば天井部である可能性が高い、と睨んだ。殆ど命令のような形であったが、断られることはないだろうと確信しての言葉であった。

《Storm》
 こじ開けることに成功し、くるくると両手首を回す。重い扉を無理矢理開けたことによる欠陥が生じることも無く、問題は無さそうだ。当日も予想外な事が起こらなければ開けられるだろう。

「いえ、滅相もございません。天井、ですか?分かりました」

 ソフィアからの労いの言葉を受け取り、次の指示に頷く。しかし、とった行動というのはあまりに不可思議なもので、今1度天井に目を向けた後、凝視する事もせずソフィアを背後から両脇に手を添え彼女の小さな小さな体を持ち上げた。

「いかがですソフィア。めぼしい物はありましたか?」

 彼女にも見せなければ、とでも思ったのだろうか。ストームは高々に彼女を持ち上げ問いただした。
 きっとあなたから聞こえるストームの声色はどこか楽しげだ。

《Sophia》
「あたしの見立て通りなら、きっと天井に──ッえ、きゃあっ!? ちょっ、何、はッ……離してよ変態!! 」

 指示通り天井を探り出したであろうストームの方を見ず、一人思案に耽る。故に、彼の不可思議な動きに気付いていなかった。両脇──もとい胸部を掴み上げられては、何が起こったのかの整理がつかずに悲鳴をあげた。しかし、暗がりでもその様子がわかるほど顔が天井に近づけられた事を理解して、ようやくストームの意志を察知する。

「…………そう、いうことね。ハイハイあたしが見ればいいんでしょあたしが……。一言何か言ってくれたらいいのに……。落としたりぶつけたりしたら承知しないから。」

 彼の思惑を理解しても尚その不機嫌そうな態度が治まることはなく、ぶつぶつと文句を呟きながらも天井の観察を始める。確かにこういうのを見るのはこちらの方が適任だろうが、だからといっていきなり持ち上げられては驚くし怒っても仕方ない、との意思だった。果たしてそれがストームに伝わっているのかは定かではないが。

 ソフィアが顔を近付ければ、白く継ぎ目のない天井が暗がりの中に現れる……が。継ぎ目はないと思われていた天井の一角を四角くくり抜くように、薄く細い線が見えた。恐らくこれが点検口、かつ昇降機が何らかの動作不良で緊急停止した際に臨時で使用するための救出口にもなるのだろう。
 往来のエレベーターであれば外から鍵が掛けられている事が多いこの点検口だが、このアカデミーに滞在する人の母数は少ない。レスキューが外部から学園に駆けつけることもまずないため、基本は要救助員が内側から押し出して開き、密閉された籠から抜け出せるようになっている。

 ソフィアの細腕ではかなり重たい蓋になってはいるものの、グッと腕を天井に押し付ければ開くことが出来る。点検口の先のシャフトは薄暗いが、少し先に行き止まりが見えた。この昇降機は寮と学園を行き来するためだけにあるため行き先が限られているのは当然だ。

 これで出入り口の確認も出来た。夜は昇降機が機能停止されていることも分かったため、このシャフトをロープを用いて通過し、学園へと移動する。
 これがあなた方の行動方針となる。

 昇降機の下見は概ね完了した。あとは先生に悟られぬようこっそりとベッドに戻るだけだ。

《Sophia》
 点検口の存在、および当日の大体の動き方は充分に確認できた。あとはロープ代わりにベッドシーツでもあれば思う通りに行動できるだろう。満足したように、ひとつうなずいた。

「なるほどね、大体わかった。ストーム、もういいわ。早く降ろしてちょうだい。さっさと戻らなきゃいけないんだから……………あ。」

 そういえば、抜け出す事ばかりを考えて、その後の事がすっかり頭から抜けていた。そう、内側からではベッドに鍵がかけられないのだ。当然翌朝ベッドに鍵が掛かっていなければ、解錠しに来た先生に抜け出した事がバレてしまう。…しかし、今からではどうにもできない。し、相手はあの先生だ。怒るところなんて到底想像がつかない。温和な先生のことだ、謝ればきっと許してくれるだろう。恐らく。

「………やっぱりなんでもないわ、行きましょう。先生が起きちゃうかもしれないし、早くしないと。」

《Storm》
 怒られはしたが、言葉で説明せずともストームの意思を理解し即座に自信のやることを判断出来るソフィアの姿はさすがの一言に尽きる。
 彼女は膨大な情報量とそれを処理する精密な回路、そしてやると言ったらそう簡単には折れそうもない不屈のコアをこの華奢過ぎる小さな身体に詰め込んでおり、ストームらの行路を確かなものにしてくれているのだ。
 ソフィアを支えながら、尊敬か欲望かその両方か熱烈な視線を小さな後ろ姿に向けていると、彼女の分析終了を示す言葉が聞こえてくる。

「流石です。ありがとうございます。暗いので足元にお気を付けてください」

 何かを言いかけた彼女に気を掛けるより、怪我をしないように彼女を降ろすことに意識が向き聴き直すこともしなかった。彼女の華奢な体躯をそっと降ろす。

「ですね。早急に夢の中に戻らなければ、明日の目覚めも良くなることはありませんから」

 では、あなた方は昇降機での段取りを確認し、足早に学生寮へと戻るだろう。闇夜に冷え込んだ風があなた方へ容赦もなく吹き付けて、すこし身震いする。
 音を立てぬよう寮へと戻り、あなた方はそれぞれの寝室へと踏み入ることが出来る。そこまでの道中で、幸いにして先生は居室を出ていなかったらしく、彼に悟られることはなかった。

 ソフィア、あなたもまた少女たちの部屋へ戻り、行き掛けと同じようにベッドに横たわり、自分でその蓋を閉めることになるだろう。些細な違和感に先生が気が付かないことを祈りながら。

《Sophia》
 計画の最終準備は、実に上手くいった。それこそ、不気味なくらいに。寝室へ踏み入った後も、音を立てぬよう細心の注意を払い、そっとベッドまでたどり着く。そしてゆっくりと横たわる。内側から蓋を支える力を段々弱めていくことで、結果的に音もなく蓋を閉めることに成功した。
 当然、内側から鍵をかけ直す事は不可能だ。翌朝にはきっとバレてしまうだろうし、先生に何かを言われるだろう。相応の覚悟と、『どうか気づきませんように』という微かな祈りを抱いて、そっと瞼を閉じた。

 ──あなたは棺のベッドの暗がりに身を委ねる。柔らかなシーツが身体を包み、厭が応にも眠気が襲いくる。もう夜もずいぶん更けているのだから当然だが。

 証拠を残さざるを得ないまま眠らなければいけない、というのは、心臓をそのまま曝け出しているかのような緊張感があるだろう。あなたの祈りが神に届くか否か。

 眠りに落ちるその寸前──あなたの棺の外で、カタン、と音がした。

《Storm》
 音の後すぐにソフィアは大きな影を目撃するだろう。しかしその影は彼女を脅かすモノなんかでは無く、見慣れた藍髪を流していた。
 音の正体は藍髪を持つストームの足音であった。一度彼女と別れた後、時間を置き女子部屋へと侵入したのだった。ストームは彼女に有無も言わさず棺の南京錠をガチャリ、と施錠する。
 自身がソフィアの棺の鍵を閉める、と言っても絶対に来るなと突っぱねられるのが目に見え現在の行動に至ったのだ。
 格子窓に目を落とし静かに、と人差し指を自身の唇に近付けた。

「おやすみなさいソフィア。ジブンは平気ですから安心して眠ってください」

 棺に向かい一礼すると立ち上がってソフィアの前から影を消すだろう。男女ふたりの鍵が外れていた、という状況より自身の鍵が外れていた状況の方がいくらでも誤魔化しは効く。
 あの方達の……あの方の為になるのなら、自分はどれだけ犠牲になっても幸せなのだから。

《Sophia》
 うと、うと。夜も更け、規則を破った事による緊張感も薄れて、ソフィアは瞬くうちに睡魔に襲われ舟を漕いでいた。
 ……しかし、心地の良い微睡みの時間は直ぐに冷めてしまう。──カタン。その音で、ソフィアの意識は直ぐに覚醒する。まだどこかで神経の張りつめている部分があったのだろう、敏感に身体を震わせたかと思えば、小さな窓の向こうを懸命に覗こうと限られたスペースの中僅かに上体を起こす。すると、大きな影が目に留まる。……それは、先生の物ではない。すぐにわかった。見慣れたものだからなのか、もしくは物理的な違いに気がついたからなのか、わからないが。どうやら、彼はこのベッドの鍵を施錠しに来てくれたらしい。わざわざ、女子部屋に潜入して。きっと提案してしまえば却下されてしまうだろうから、と独断で行ったのだろう。実際その考えは正しいものであり、そして施錠が行われるのは非常に助かる。が、それではストーム一人が責任を負うことになってしまう。……しかし文句を言おうにも声などを出しては不自然だし、他のドールが起きてしまってはストームが夜間に出歩いている事がバレてしまう。仕方がなく、その場は文句を押し殺し、再び夢の世界へ戻ろうとまぶたを閉じた。

 二名という少人数での昇降機チェックも滞りなく済み、あなた方はベッドの内側で夜を過ごす。ストームだけがベッドに鍵を掛けることが出来ぬまま翌朝になったが──幸いなことに、先生はその事実に触れてこなかった。どうやら異変には気が付いてはいないようだ。

 あなた方はお披露目までの間に急拵えでロープを用意し、これで完璧に準備は整った。

 ──後はいよいよ、お披露目当日の晩を待つのみだ。

 あなた方は、かつて優秀なるプリマの冠を被っていたドールズだ。

 プリマドール達は、お披露目の日の晩に備えて、ある支度をしていた。
それは、自らの目で謎に包まれたお披露目の実態を確認する、先生には内緒の、『秘密の作戦』

 支度は整った。
 月が空に輝く晩、あなた方は決まりごとを破って寮を飛び出す。

 ──楽しげな音楽を遠くに聴きながら。

Prologue - 『√0』
《1st Unveiling》

Michella

「──みんな、お祝いありがとう! えへへ、お別れはすごく……すっごく寂しいけれど、大好きなお兄さまとお姉さまに背中を押されたら、わたし、きっと頑張れるって思えたわ。
 わたし、わたしね……みんなのこと、ずっとずうっと大好きよ!」

 それは、お披露目当日の晩の事だった。ミシェラと行う、最後の食事もつつがなく終えて、あなた方がいつも就寝する時間。
 ベッドに潜り込んでしまえば、いよいよ彼女とはお別れになる。なのであなた方はその前に、エントランスホールで各々最後の別れの挨拶を済ませた。

 ミシェラはその後、お披露目に出る準備を整える。
 往来であれば、このタイミングで晴れ着の衣裳に着替えるのだが、ミシェラは昨日とあるトラブルでドレスが駄目になってしまい、先生が現在は学園側に新しいドレスを用意しているという。
 なので彼女はいつも通りの制服姿で、あなた方に別れを告げた。


 ──お披露目はドールズがベッドに入った真夜中に行われる。無論、あなた方の棺型ベッドにもいつものように先生が鍵を掛けたのだが、下見の時と同じように交互にピッキングを行うことで、あなた方は全員が閉じ込められた箱から抜け出すことに成功するだろう。

 もう、きっと先生とミシェラはお披露目会場に向かっている。

 空は生憎の曇り空だ。だが、雲間から差し込む月の光が怪しげに輝いている。
 あなた方はエントランスで合流し、手筈通りに昇降機に向かうだろう。

Astreae
Sophia
Dear
Storm

《Sophia》
「──まあ、流石に。あの子の晴れ姿も見れない、だなんてあんまりだしね。」

 足早にエントランスへたどり着いたソフィアは、やる気を入れ直すようにぐぐぐ、と伸びをする。ミシェラとあそこまで切なげな別れをした手前、またこうして会いに行くのも未練がましい気がしなくはないが、まあそれは良いだろう。お守り代わりに持ってきた、ミシェラから貰ったリボン。しっかり持ってきてあることを確認するようにポケットに手を突っ込む。シワにならないくらいに優しくそれをいじれば、満足したのかポケットから手を引き抜いた。
 …そう、これは悪いことではない。別にお披露目を邪魔してやろう、なんて言うつもりじゃなく、ただあの子の晴れ姿をこの目で見届けてやりたいだけなのだ。(こうして勝手に夜間に出歩いている事は悪いことではあるかもしれないが。)きっと、見つかってしまっても先生も許してくれるはずだ。と、僅かに残る憂いをかき消すように、心の中で独り言を呟いてから。

「さぁて、と。あいつらはいつ来るのかしら。アストレアはすぐに来るでしょうけど……寝てないでしょうね。」

 男子寮室の方をぼんやりと眺めながら、壁に寄りかかって余裕げに残りのメンバーを待った。

《Dear》
「ごきげんよう、ソフィア! 夜風が肌に心地いい良い夜だ……キミの流星の如き金髪を着飾っているようだよ! ミシェラはソフィアとお揃いの綺麗な髪だから、きっとミシェラも最高に可愛らしいね。ああ、早くこの瞳に映してみたいな……」

 ソフィアを見つけると、小声で囁きながらも足早に駆け寄っていく。その姿は正しく愛しき人との待ち合わせ場所へと駆けていく恋人のようで——まあつまりは、思わず拍子抜けしてしまうほどにいつも通りだった。暗い宵闇に包まれた中でも、ディアの溢れんばかりの笑顔は輝いて見えるだろう。不安や憂いなんて吹っ飛ばしてしまうほどに、ディアのステップは密かに、軽やかに響くだろう。そして、何だか全部馬鹿らしくなって笑みが溢れてしまうほどに、幸せに溢れているだろう。ディアの愛はいつだって変わらず輝いている。——それが誰かを苦しめる皮肉になるかもしれないことなんて、何も知らずに。

「二人も早く来るといいね! このまま見つかっちゃったら私たち、逢引してるみたいだもの」

 ひたすら無垢なる恋人は。それしか知らない恋人は。ソフィアの隣に真似をするように寄りかかって、ただまっすぐに笑っていた。

《Astraea》
「やぁ、遅れてすまないね。待ったかい? 逢い引きの邪魔をしてしまった様で少し気が引けるね。」

 長い脚を差し出して、いつも通り薔薇のエフェクトを背負って登場したのは、皆の王子様ことアストレア。
 きらりと光って見える白銀の髪の毛と、玻璃の瞳は暗闇にも至極美しく、まるで月の精の如く優雅であった。
 先に集まった面々を見留めれば、逢い引きの邪魔をしてしまった、と揶揄いとも本心ともとれる台詞を吐いてはにこやかにウインクを一つして、壁へ寄りかかる二人の横に立った。にこやかに、とは言えど、彼女はデフォルトで非常に綺麗な笑みを浮かべられるドールであった。本心では緊張感やら恐怖やら何やらを感じていたやもしれないが、そんなことは御首に出すこともせず、いつもと変わらぬ笑顔と飄々とした口調で、ただすらりと姿勢よく立っていたのだった。

《Storm》
 ストームはディアが棺を出てしばらくしてから棺を出た。
 愛しいミーチェのお披露目が決定してから1週間はあまりにもあっという間だった。彼女の晴れ舞台と言うことを分かっていながら、祝福出来ない。出来そうもない。
 ──あぁ、ミーチェ。こんなジブンを許して下さい。
 ストームの心情は彼女への謝罪で晴れ晴れとは言えなかった。彼女が自身の目の届く範疇から抜け出して行ってしまうのだと言うのなら、いっその事とっとと壊してしまえば良かった……。
 寂しさと悔しさが入り交じりストームの気持ちは落ちている。普段から仏頂面とはいえ、親愛なるディアを初めとする旧プリマドールの紳士淑女にはバレてしまうだろう。


「……いけませんね。ミーチェの晴れ姿、きちんと記憶にのこさなければ」

 自身に告げるように呟くとエントランスへ足を進めた。
 心底愛して止まないディアが既に先に行ってしまっている。ストームはその均整の取れた長く美しい足を早める。

「逢引きとはディアらしい素敵な表現ですね。今晩は愛し子ミーチェの晴れ舞台を見に行くダブルデート、とでも言うべきでしょうか。エスコートはお任せを」

 既に三人は集まっていたようで、いつもの様にお辞儀する。ディア、ソフィア、アティスと、それぞれに視線を向けてみれば芯の強さと今日という日への覚悟が痛いほどに伝わってくる。
 やはり、この方達は最高だ……。

 あなた方は各々に思うところもあろう、お披露目の晩にひとところに会することが出来た。 だが、今は寮に先生がいないとはいえ、悠長にしている暇はない。あなた方はこれから急ぎ学園へ向かい、お披露目の様子を確認してから、先生が戻ってくる前に何事もなかったかのように寮へ帰り着かなければならない。

 その為の準備も万全とはいえ、一刻の猶予もないことは事実であった。
 あなた方はやがて自然と示し合わせ、ストームが玄関の鍵をピッキングし、寮の外へと飛び出すだろう。生憎の空模様だが、優しい月明かりが行先を照らしてくれたため、学園への門までは困ることがなかった。

【学園へ続く門】

 柔らかな草地を踏み締めて、あなた方は門へ向かう。その途上、門の近辺にあらかじめ隠しておいたロープを回収し、当の昇降機へと向かうだろう。
 下見の時と同じであれば、昇降機は現在電源を落とされた状態であるはずだ。無理矢理その扉をこじ開けるのは、以前と同様ストームの役目で問題ないだろう。

《Storm》
 ストームは何を言うことも無く、すっと昇降機の扉の前に立った。警報器は付いていないことはソフィアとの調査で既に分かっている。
 あの日の晩と同じ様に、扉に指を入れ込み足に力を入れ無理矢理こじ開ける。
 普段は籠が自分達を出迎えるが、今は降下して真っ暗な空間が自分達を出迎えるだろう。
 扉を開いた事で、妙な緊張感が顕なものとなりピン、と空気を張りつめさせる。

「向かいましょうか」

 後ろを振り返り、仲間達を見てはそう告げた。
 真相への第一の扉が開かれた記念すべき瞬間を鮮烈に刻む事だろう。

 ストームが少し踏み込んで力を入れれば、以前と同じようにギギギ、と重い音を立てながら、昇降機の扉は開かれる。
 しかしストームとソフィアが以前見たように、その先にあるはずの籠は現在は存在しなかった。

 籠があるのは、今は遥か6mほど下の──学園側。ミシェラと先生が最後に移動している筈なので、当然である。
 あなた方が扉の先を覗き込めば、絵の具の黒を乱雑に塗りたくったような、盲目に近しいような暗闇が広がっている。それは底のない黒い海のようで、下から噴き上げてくる冷たい風が身を竦ませてくるようだ。

 そう、底は見えないのだ。そんな昇降路を、あなた方はロープを伝って降りていく。
 それは全員もう決めたことで、僅かに恐れが芽生えようと、あなた方は後戻りしないだろう。

 ロープは昇降機付近の、トンネル内部を形成する支柱である柱に括り付けた。
 もう一方の先端を蜘蛛の糸に落とせば、経路は整った。しっかり掴めば落ちる事はないだろう。

《Storm》
 危険が伴う過程、下を覗けど広がるのは暗闇だけだった。一番身体の丈夫な自身が先に行ったほうがいいと判断したストームは、即席だがストームの大きな身体ですら支えられるようにしたロープを支柱にロきつく縛り付ける。
 一、二度強めに引っ張り強度の確認後、浅く頷いた。よし、いける。
 そのままロープを手に暗闇へと再び対峙し、息をついた。

「では、ジブンから行きますね」

 ストームの特性を理解している彼等なら止めることもないだろう。と、分かっていたストームは一言だけ告げては、体を反転させて昇降機の籠を囲っている壁に足をかける。いくらテーセラモデルだからとて、軽率に飛び降りれば身体が欠けてしまうだろう。最悪再起不能になってしまうかもしれない。そんな恐怖と隣り合わせになろうと、ストームは酷く冷静だった。怖気付くことも無く、淡々と降りて行く。

 あなたはテーセラが持ちうる身体能力を駆使して、容易くするするとロープを伝い降りていく。昇降路は暗く、深みに至るにつれて、またより暗く。深い井戸の中に降りていくような不安が伴う順路も、あなたにとっては問題にすらならないのだろう。

 やがてあなたの足先が、硬い床に到達する。そこは昇降路の終わり、学園側に着いた昇降機の籠だ。その外側天井の部分にたどり着いたのだろう。

 あなたは問題なくその上に立つことが出来る。また、籠の中からは特に物音は聞こえない。誰もいないのだろう。
 皆が降りてきても問題はない。あなたはそう判断するはずだ。

《Sophia》
「……どうやら、行っても問題はないみたいね。それにしても器用な奴……。まあいいわ、ストーム! バランス崩したら頼むわよ!」

 紆余曲折を経て、学園への進入口まで辿り着いた面々。しばらく沈黙を貫いていたソフィアは、それまでの記憶(〜風のように吹きつける口説き文句、寝耳に水のような逢瀬だなんだのと言う言葉〜)をひとまず虚無に還すことで、いつもの通りのきりりとした様子へ無事戻ったらしい。
 ソフィアはロープを固く掴むと、物怖じせずするするとロープを伝ってすぐに籠の上に降り立つことが出来るだろう。ソフィアは『トゥリアモデルよりはマシ』程度の、耐久性に若干の難があるデュオモデルのドールだ。しかしここまでスムーズに進めたのは、おそらく本人の度胸と天賦の優秀さによるものなのだろう。少しも怖気付く素振りを見せることなく地に足を付けたソフィアは、残っている約二名を急かすように見上げる。

「さ、あんた達の番よ。さっさと降りてらっしゃい。」

《Dear》
「ふふっ、なんだかわくわくするね! こちらを飲み込もうと静かに待ち構えている底の知れぬ暗闇でも、キミたちが、愛する同志たちが下にいてくれていると思うだけで! 兎を追いかけて穴へと飛び込む少女のような気分にさせられる——ああ大丈夫、壊れるようなことはしないさ! キミたちがいるからね」

 一番脆いトゥリアドールであれど、ディアに恐怖や不安など存在する訳がない。小さな足で好奇心のままにステップを踏み、楽しそうにニコニコと笑い、今すぐにでも思い切り飛び込んでしまいそうな。その希望に溢れたスポットライトに焼き尽くされて、今にも砕けてしまいそうな。その姿はいっそ、ひどく危うく、そして、美しく見えた。
 だが、「キミたちがいるからね」という言葉通りお利口にロープを掴んでそっと降りてくるその様には、ある種の矜持が感じられるだろう。ディアは恋人として、愛しい人が悲しむ可能性のあることは絶対にしない。自らの身体能力があまり良いとは言えないものでも、万が一のことがあったとしても、ディアには【自分は絶対に壊れないであろう】と言う自覚があった。自信でも、自負でもない、自覚。だからこそ、ディアは皆を愛している。ディアの足取りは危うくとも、約束という二文字が心をいつだって強くさせた。
 愛する二人に比べれば少し……だいぶ危なげのあるゆらゆらとした所作ではあったが、本人は至って楽しそうに、ワルツでも踊るかのように軽やかな足取りで籠の上へと降り立って、両手を思い切り広げる。——ディアは強い。また別の愛しい人に尽くそうとするのも、ディアの恋人の役目であることが難儀な点だが。

「アティスもおいで! キミに限ってそんなことはないだろうけれど、もしバランスを崩してしまったのならきっと抱き止めるよ!」

《Astraea》
「こんな体験初めてだ。全く、コアが昂ってしまっていけないね。冷たい身体中を熱い燃料が駆け巡っている感覚がするよ。
 万一落ちたら僕の巻き添えを喰らわないようにきちんと避けておくれ。まぁ、狭いから叶わないやもしれないけれど。」

 一寸先も見えぬ闇。数メートル下から聴こえるは愛おしき友の声。
 覗き込めばどこからか吹き上がる微かな冷風に、全身の昂る感じがして、思わず身震いをした。闇夜に紛れ、気付くものは居ない様であったが、彼女の美しい玻璃の瞳は闇夜を彷徨う猫の如く爛々と輝き、薄い唇は不気味な程に冷たく麗しい弧を描いていた。
 しなやかな掌でリネンのロープを掴めば、一息に、飛んだ。ドールとしての重量でそれなりに揺れはしたものの、容量の良い彼女のこと。後はコツを掴んで、重力など無いかの様にふわりと籠の天井へ降り立った。

「ふふ、無事降りられた様だ。良かったね、僕はMy Dear Besties(君達)を潰さずに済んだ。」

 飄々と言い放っては伏せがちの長いまつ毛で笑う。幸運にも四人が全員無事に降りる事が出来た。
 降り立った先はいっとう暗い。時間は無い。先を急がなくては。

 あなた方は全員、無事に昇降路を降りきり、籠の外郭に降り立つ事が完了した。
 皆滞りなく降下出来たとはいえ、依然時間が足りないことは事実。いつお披露目が終わるのかも、いつ先生が戻ってくるかもまるで不透明だ。

 あなた方は急いで昇降機の籠の点検口を探り当てる。この作業についてはソフィアが下見の際に位置を確認していたため、すぐに済むはずだ。
 あとはロープのあまりを籠の内部に垂らし、閉ざされた二重扉をこじ開けて学園側へ出るだけだ。

《Sophia》
 全員が無事すみやかに降り立ったのを確認すると、特にそれに対して反応をすることも無くソフィアは静かにしゃがみ込み、点検口を探る。下見の時に発見した通りの位置に点検口は見つかり、華奢な細腕に力を込めれば、無事点検口を開けることに成功する。

「これで移動できるわね。ほらストーム、先にさっさと降りてちょうだい。あんたがあの扉を開けなきゃ移動できないんだから。」

 籠の内部にロープのあまりを乱雑に投げ込んでは、小慣れた命令口調で当然のように指示を出した。

《Storm》
「仰せの通りに」

 ソフィアからの少々高圧的な頼みに、頷くと籠の中へ飛び降りた。ほとんど音をさせずに着地を成功させると早速重い扉に手をかける。
 先程と同様に力いっぱいに扉をこじ開ければ学園への扉が開くだろう。お披露目中の学園は言い表しようがないが、いつもと雰囲気が、空気が違う気がする。
 何はともあれ、これで移動できるはずだ。

【学園1F ロビー】

 ストームが先陣を切り、重い扉をどうにか抉じ開けると、いつも通りの薄暗い学園がその先には広がっている。オミクロンクラスが利用する昇降機の先は学園の中央ロビーが正面に控えており、螺旋階段の向こう側にはドールズの成績を掲示してある掲示板が設置されている。

 そして現在、掲示板の上部にはお披露目に選ばれた者たちのリストが掲載されていた。知らせは各寮に出ているため、あなた方はこの掲示を知らない。
 いつの間に掲載されていたのだろうか? お披露目の準備のためだろうか。

《Dear》
「ああ、ああ! スイートハートの柔らかな腕に抱き止められる愛しい日々のその先を、希望のスポットライトに照らされた明日を、今宵手に入れる愛しき天使たちを——こんな素晴らしい愛の導を見落としていただなんて!」

 自らが心の底から信じ、愛した強さが切り拓いた、自由への扉に愛を囁いた先にあったのは。ディアにとっては、どんな宝石よりも美しい愛の証であった。その薄い唇から漏れた囁きは、まるで告白のようで。
 誘われるようにブーツを鳴らして、きゅう、とときめきに悲鳴をあげる恋する乙女の瞳で。愛おしそうに、恋人の頬を指でなぞるかのように手を当てる壁の花。たった一枚のリストから、その天使たちの生き様さえも知り尽くそう、心から愛そうと願う健気な花。その深淵に触れて仕舞えば、その棘の甘美さに心を殺されてしまうであろう桃の薔薇。曇り空さえも吹き飛ばしてしまいそうなほどに、月さえも焼き尽くしてしまいそうなほどに、振り返っては甘やかに贈られるその笑みは。世界を捨て去るに、有り余り値する輝きだった。

【誰かを特別にする夢は、ディアには絶対に叶わない】

 ディアには愛の全てがあって、それ以外の全てがない。けれど、愛がある! 紙に記された文字列も、まだ見ぬ鮮やかな外の世界も、もちろん、煌めきを生まれ持った同志たちも! ——世界中の全てを、愛すための翼。

「あっははっ、ほら、みんなもおいで! 一緒に見よう、一緒に愛そう、愛しい人よ!」

《Astraea》
 月の精にも見まごう銀糸の髪を靡かせる一体のドールは、飴色の踵を鳴らし、今しがた開かれたばかりの扉からその長い御脚を踏み出した。
 希望に満ちて、絶望に溶けたその底光の瞳で広いロビーを見回す。それは本能的、と言うか設計的に、周囲の環境を知ろうとしたからであり、先生達に見付からない為の確認であった。
 幸いにも玻璃の瞳は誰とも交わる事無く端から端へと遠く踊っては通常通り微かな笑みを湛えて彼女の目の前へと再び舞い戻った。

「これは、お披露目に出るドールのリストか。嗚呼、さよならMy Dear Kittens , また淋しくなるね。」

 愛しき希望に誘われて、王子そのひともその麗しき視線を掲示板の文字列へと滑らせた。
 彼女の優秀なメモリーにも憶えの無いそれは、どうやらお披露目へと選ばれたドール達の名前を掲示する為の物らしかった。
 一体いつの間に。普段から活字は1つ残らず記憶したい性の彼女にとって、掲示板に踊る文字は非常に興味を唆られる物であった。

 掲示板にピン留めされた一覧には、ひどく簡素ながらにお披露目に選抜されたドールズの名がずらりと並んでいる。中にはあなた方が知っている名前もいくつか見られるかもしれない。

 内容は以下の通りである。

【Doll of LifeLike;Servant】
【XXXV 定期品評会】

『1-L Augustus()
『1-F Gloria』
『1-M Jasmine』

『2-B Cyndy』
『2-S Penelope』

『3-B Rita』
『3-F Rapunzel』

『4-M Virginia』


──以上八名。滞りなく出荷予定。

 あなた方はここまで読んで、明確な違和感を覚えるだろう。以上八名、であるはずがない。あと一名、この場所にミシェラの名がなければおかしいはずだ。

 それなのに何故……。

《Sophia》
「………、え……?」

 お披露目に出るドールのリスト。当然、興味が全くないと言えば嘘になる。それ故、他の面々と同じように、掲示板に近付いてそれを読み込んだ。……が、最後の文字まで読んだところで、ソフィアは明確に目の色を変えた。
 この際、出荷という文言が気に食わないのは目を瞑ろう。けれど、どうしてもおかしいのだ。何故、ミシェラの名前がない?
 ──ソフィアの優秀なメモリは、様々な情報を詳細に掬い取っては、記録する。唐突に再生されたメモリは、「スクラップ」という単語。……どうせ不良品〝オミクロン〟はスクラップになる……なんて言う、くだらない噂話の一節。その記憶が、全くの無意識の内に、唐突に脳裏に躍り出た。

「……まさか、まさかね。多分ただの記載漏れでしょう……。

 ほらみんな! こんなの見てるより早く行っちゃいましょ、時間が無いわ。」

 一瞬だけよぎった不吉な予感と、無駄なメモリと、悪寒。それらを一気に吹き飛ばすように、ソフィアは2、3度頭をぶんぶんと振って、掲示板から視線を外す。そう、こんな所で止まっている暇はないのだから、早く会場へと急がなければならないのだ。皆を急かし、自分もダンスホールの方向へと足を踏み出した。……ポケットに入ったミシェラのリボンを握る手はすこし震えている。

《Dear》
 桃色の髪をふわりと揺らして、小さな顎にその細い指を当てながら、ディアはこてんと首を傾げる。その可愛らしい動作は、いっそ不釣り合いなほどに軽やかであった。からん、とぶつかって歌を奏でるイヤーカフの声も、腹立たしいほどに澄んでいて。猜疑だとか不安だとか、そういった感情を一切持たない、持てないドールは、ただ。想起するほどの暗いメモリーもなく、そこから想像するほどの最悪の未来もなく、不思議だなあ、とだけ思った。
 あんなにも可愛らしいミシェラを忘れるだなんて、これを書いた人は相当におっちょこちょいなんだろうなあ、愛おしいなあ、なんて、思いを馳せては微笑むほどの余裕さえあった。不思議そうに小さな空白を指でなぞるも——ソフィアの焦るような声に急かされて、ようやっと足を前へと踏み出す。

「ああ、記載漏れなら仕方ないね! おっちょこちょいな先生もいたものだ、きっとミシェラの可愛らしい姿を見て後悔しているよ! あまり気に病まないと良いのだけれど……ああ、私たちもミシェラの晴れ姿を早く見たいね!」

 記入漏れというソフィアの言葉に何の疑いも持たず、素直に納得しては笑顔を返す、希望に溢れた恋人は。未だ実態の掴めない、ふわふわしたその衝動を。愛するミシェラの名前をつい探してしまった理由を、【文字と一緒にミシェラもいなくなってしまったらどうしよう】という感情を。ディアはずっと知れないまま、ダンスホールへと歩み出した。

《Storm》
 各々が言う“記入漏れ“をストーム自身も確認した。その中にミシェラの名前は見つかりもしない。
 当たり前だ。かつて王座に君臨していた誇り高きドール達がくだらない嘘を、今ここでつくわけが無いのだ。
皮肉な事に、ストームの確信が不穏な空気を確かなものとさせた。
 ソフィアの声色は震え、対極にディアは希望に溢れ返った声で謳っている。本当に、この方は……ディアは残酷なまでに美しくて、妬ましく苛立たしい程の輝きを放っている。どこへ行こうと何を見ようと何も変わらぬディアを深く愛している。それと同時に大嫌いだ。

「……えぇ、本当に。ミーチェは確実に今まで見た中でいちばん美しいのでしょう。でもすみません。
 ジブンはミーチェの煌びやかな姿を直視してしまうととても衝動が堪えられそうにありません。ヒトの手に渡ってしまうだなんて考えてしまうと……。
 この計画をやり抜くにはジブンは、ジブンの欲望は足枷となります。ですがとても自重する事が出来そうにありません」

 ストームは顔に影を落とし、胸元を強く握りしめる。ほんの突然に芽生えてしまった破綻した欲望がふつふつと沸き上がり今にも破裂してしまいそうなのだ。
 口元は上がり、声は子鳥のさえずりの如く弾み、言葉も流暢なものになる。自身を抑えるのに必死、と言った風だった。
 そう、ストームは今必死に約束と欲望とを天秤にかけ戦っている。
 こんな時にまで欲望が湧き上がってしまって、なんて愚かなんだ。でも一度脈打ってしまったコアは止められそうもない。

「哀れなジブンをお許しください皆様。お披露目を見てしまうと狂ってしまいそうだ。なので、お披露目を見ている間の監視をお任せ下さい。どうか。
 ミーチェの晴れ舞台を“壊したくない“」

 補償に出したのは、お披露目を見ている間先生に見つかってしまうかもしれないという危険性に備え、万が一の警報になると言ったものだ。
 今ストームができる最大の自重の策を懇願したのだった。

《Astraea》
「……記載漏れ、か。
 まぁ、そうなのかもしれないね。」

 彼女は、"夢を騙るドール"でありながら、誰よりも現実を視るドールであった。他人の特性を、誰よりも正しく理解するドールであった。
 彼女は気が付く。あの先生が、義父と慕う人が、そんな凡庸なミスをする筈が無いのだ、と。知る名、知らぬ名が入り交じる文字列の中、自身が小さな姫と愛慕するそのドールの名前は無い。
 彼女は悟る。この世界の不条理に。今、自分たちはその一端を目撃しようとしている。嗚呼、怖いな。いつまでも、この箱庭で安らかに暮らして行ければ良かったのに。

 だからこそ、信じたいのです。それがうわ言だったしても、"記載漏れ"であることに、懸けたいのです。あの先生でも、失敗してしまうという事に、懸けたいのです。
 珍しく、力ない笑い声を零せば伏せがちのまつ毛を上げて親友への同調の台詞を。嗚呼、神様、どうか僕から平穏を奪わないで。
 彼女は知っていた。本当は神様など居ないという事を。

「ミシェラのことだ、きっと素敵にドレスを着こなして、誰よりも素敵な御主人様に見付けて頂けることだろうね。」

 顔を上げ、うっとりと、お得意の陶器のほほえみを浮かべれば、その舞台へと足を向ける。きっと、美しい衣装を身に纏った彼女は今までで一番美しい。それだけは変わることのない事実だから。
 これからどんな未来が待ち受けていようとも、この親友の背中を忘れない様に。

 ダンスホールに入るためには、まず控え室を経由しなければならない。
 そこであなた方は無意識に、ミシェラが滞在していることを期待して、エーナモデルの控え室に踏み入るだろう。誰かがまだ室内に残っているかも知れないことを警戒し、扉の外で聞き耳を立てようと、室内から物音は聞こえない。

 ──代わりに、もっと遠く。ステージの方から、楽しげな音楽が響いているのが聴こえる。

 もしやもう、お披露目は始まっているのだろうか。
 控え室を扉を開けても、やはりそこにドールズの姿はなかった。代わりに、お披露目の衣装を皺なく保管するためのハンガーにいくつか空きがある。晴れ着への着替えはどうやら、もう済んでいるらしい。

 相変わらず、ステージの方からは穏やかかつ上品で、しかし聴いているとどこか浮き足立つようなクラシックの音色が響いている。

 ダンスホールへ続く扉は、開いていた。

《Sophia》
 ……控え室には誰もいない。音楽は鳴っている。もっともっと向こう側から。お披露目は、もう始まっているのかもしれない。
 脳内には、先程の掲示板の文言が映し出されて、BGMにドールの〝あの〟言葉が流れる。さながら走馬灯のように。悪い予感は、振り払ったはずなのに。横隔膜を刺すような気分の悪さが込み上げてきて、心拍が異様にはっきりと耳に届く。……ドールも汗をかくのだろうか、触れる空気はなんだかいつもより冷たく感じて。
 ごくり、と固唾を呑む。お披露目がもう始まっているなら、きっとこの先にはミシェラが居るはずだ。自分が願ったように、あの子が願ったように、いつもの幸せに満ちた笑顔で、ステージのスポットライトを浴びているはずなのだ。
 言葉はなかった。……ソフィアは、ダンスホールへ向けて、足を踏み出した。

 あなた方は、ダンスホールへ続く鉄扉を押し開いて、先へ進む。見張りのために入り口に立つストームを除いて、薄暗い舞台袖に忍び込むだろう。
 幸いにして、舞台袖にも監視の目はなかった。つるつるとした感触の床を踏みしめながら、重い緞帳の裏を沿って表舞台へと迫っていく。

 もうすっかり、愉しげな音楽はすぐ傍に在った。様々な楽器が折り重なり合う重厚な音色はまさしくオーケストラ。このオペラハウスのような形状の劇場には似合いのバックグラウンドミュージックであり、その空気を揺るがす迫力に圧倒される。

 ──袖からこっそりと舞台を覗けば、その先には煌びやかなステージが当然あって。脚光を浴びせられた主役たる誉高きドールズは、光を反射してより一層輝く晴れ着を纏い、ステージを舞い踊っている。
 この場所まで迎えに来てくれたヒトをもてなすための、いわばお遊戯とでも言おうか。洗練されたパフォーマンスは見るも美しく、あなた方の目を楽しませることであろう。

 ──余韻を残して、やがて音楽が止む。
 舞台上でステップを踏んでいた華やかなドールズはその瞬間立ち止まって、互いに顔を見合わせてお披露目はまだか、もうそろそろじゃない?などと口々に話し始める。
 そんな折、一人のドールが首を傾げた。

「ラプンツェルは?」

 そんな疑問に応えるように、反対側の舞台袖から、一人のドールに手を引かれて、若草色の短髪をしたドールが現れた。

Rapunzel

「“花”は見つかったの?」
「……ううん〜、ダメだった。どこにもない。せっかく見つけてもらったのにぃ……」
「そう、でももう諦めなさい。先生も、もうすぐお披露目が始まるから準備しておきなさいって言ってたでしょう?」
「……うん〜」

 ラプンツェルと呼ばれた少年は、浮かない顔で美しいタキシードのタイの部分をいじった。何か失せ物をしたようだが、周囲のドールに諭される形でステージの中央に歩み寄る。

「どんなヒトがいらっしゃるのかしら」
「外の世界はどんな場所だろう」
「たのしみ、楽しみね」

 空っぽの座席を見上げて、ドールズははしゃいだ声を零し合う。
 ただ一人、ラプンツェルは浮かない顔で、

「……ごめんねぇ、ブラザー」

 と俯きながら謝罪を零した、ように見えるだろう。


 ──開演ブザーが鳴り響く。

 それはまるでサイレンのようで、聞くものに緊張と不安を与える嫌な音だった。


 ブザーの後、耳障りなノイズを交えながら、女性の声がどこからか響き渡る。恐らくスピーカーがどこかに設置されており、そこから発されているのだろう。

『支援者の皆様方、今宵の定期品評会に集まりいただき、誠にありがとうございます。
 この度も、規定の水準に達したドールズを取り揃えました。どうぞ心ゆくまで、大切なひと時をお過ごしくださいませ。』



 ──ゴウン、ゴウン、と。
 アナウンスが途絶えるとともに、劇場奥の巨大な扉から、低く轟く機械音が鳴り響く。それはあなた方が日頃学園へ訪れるために用いる昇降機の稼働音と酷似していた。

 “何か”が。
 姿すら知らぬ“ヒト”が。

 降りてこようとしている。

 あなた方は、嫌な汗が滲み出るのを感じる。なにか、想像を超えるほど恐ろしい出来事が、その魔の手が、今に迫っているのではないかと恐怖を感じる。


 だがもう、遅すぎたのであった。


 劇場奥の扉は、無情にも開かれる。箱庭の幻想を破る“現実”を従えて。

 あなた方がドールズの晴れ舞台であるはずの『お披露目』で目撃したもの。

 それは、見たこともないような悍ましい化け物による、残忍な殺戮劇であった。


 初めに降りてきた『怪物』は、図鑑に記された蜘蛛の如く無数の骨のような黒い足を蠢かせる、到底人間とは言えない形状をしていた。昆虫の特徴を持つ赤い複眼と、その上部でギョロリと蠢めく血濡れの眼球が悍ましく、直視出来ない有り様である。
 しかしその化け物の頭上では、見るも麗しい青い花が咲き誇っていた。その青い花は淡く発光しており、醜悪な化物をほんのわずかでも彩っていた。だがその美醜の重ね合わせはあまりに歪で、生命として何か逸脱したものを覚えたに違いない。

 蜘蛛に似た多足で座席の合間を這うように移動したその怪物は、ステージで惚けた顔をしていたラプンツェルの若草色の頭を見下ろし、それに喰らいつく。

「ぇ、」

 隣でそれを見ていたドールの頬に、彼から飛び散った血痕が付着した。

 ラプンツェルの頭部は怪物についた恐らく口であろう器官に貪り食われ、首を欠損した状態でステージ上で倒れ伏せた。断末魔を発する暇もない、それは一瞬の出来事で。


 ステージ上は阿鼻叫喚となった。我先にと逃れようとしたドールを、また不定形の化け物が捕らえる。優しく抱き上げられたドールの節々が引きちぎれる様を見る。
 悲鳴と、絶叫と、断末魔とが。地獄を彩る材料となって。

 あなた方の足元に逃れようとしたドールが斃れて、こちらに化け物の目が向きかけた時、


 ──あなた方はもはや考える余裕もなく、ステージから離脱していただろう。これ以上あの場にいては、巻き添えを食ってしまう。そんなことはデュオモデルでなくても理解出来た。


 鉄扉から控え室へ転がり出て、なぜか取り付けられていた鍵を閉める。
 この鍵を閉めれば、あのドールズは逃げられない。そんなことは分かっていたが、もしあの化け物が学園側へ来れば?

 恐ろしい未来は容易に想像出来た……。

 惨劇の舞台から逃れたあなた方は、息も絶え絶えにロビーに行き着く。
 幸い、その場所にはまだ誰の目もなかった。

 見たもの全ての整理をつけるには丁度いいと言えた。

《Storm》
 ストームは物思いにふけていた。
 ただぼーっと、愛し子の煌びやかな姿を想像しながら。
 先程の興奮は既に収まっていて、むしろ静寂だけがストームを支配している。
 そこへ息を切らした3人が走って来た。3人は酷く脅えきったような顔をし、酷く慌てている。
 何かから、逃げている?
 そう感じとったストームは、今まで頭を支配していた思考からバチン! と切断され自分がとるべき最適解を導き出す。
 そして、今現在に至る。と言ったところだろうか。
 ロビーで呼吸を整えると同時に3人の様子を再度確認し、口を開いた。

「………皆様、普通じゃない。逃げ方、息遣い、明らかに変です。何があったのか説明していただけますか」

 一番に呼吸を整えたストームは3人に問いかける。
 見張り役をかって出たのだからお披露目で何が行われたのか、何を見たのか、どんな経験をしたのか分からなかった。今分かるのは3人の普通では無い反応だけ。
 誰かが答えるまで沈黙は流れ続けるだろう。

《Astraea》
「…………僕は、自分の目を信じたく無いんだ。」

 自身の制服の袖をぎゅ、と掴んでは未だに震える身体を抱き締めぼそりと呟いた。それはいつも歯切れの良い彼女の台詞にしてはあまりにも頼りない、切ないほどに心からの願い。
 透き通る玻璃の瞳は恐怖と困惑とでゆらゆらと揺れて、薄い唇を強く噛んでは俯きがちに、今見た記憶を脳内で反芻しては、「は、はは……」なんて笑う。勿論、楽しい訳でも嬉しい訳でも無く、彼女の優秀なメモリーに鮮明に刻み付けられた鮮やかな赤が、こびりついて離れそうに無いから。"あの時"のものとは比べようの無い程の視界いっぱいの赤は、いつも落ち着いた彼女をも混乱させ、恐怖に恐れ戦かせるのに十分だった。
 今は兎も角、目撃したことを話すしかない。ストームにも、伝えなくては。

「……ストーム、落ち着いて聞いておくれ。正直、僕も未だ理解が追いついて居ないんだ。でも、僕のメモリーはあれが本当だったって痛い程にシグナルを送って居る。嗚呼、悪い夢ならば、どれ程良かっただろうか。
 嗚呼ストーム、僕はこの恐ろしい記憶を君に話すのが辛い。でも言わなければならない。さぁ、端的に言おう、彼処に"ヒト"なんか居やしない。居るのは化け物だけだ。僕らは、ドールたちは、あの化け物に頭から喰われてしまうんだ。」

 "悪い夢ならば、どれ程良かっただろうか。"
 それは彼女の悲痛な思い。切実に、心から願えど、彼女の優秀なメモリーに間違いを留まる事は無い。震える声で、一つ一つ、言葉を紡いでは、苦しげにそのかんばせを歪め、悲痛に目を伏せた。
 あれは、文字通りの地獄。願わくば、二度と見たくない境地。御伽噺にすら出てこない程のそれは、正しく現実は小説より奇なりと言った具合だろうか。この世は本当に不条理で、彼女の頭はそれを理解するのには到底足りなくて、純粋に生きるのには十分すぎた。
 彼女は、恐ろしい程に現実主義なドールで、現実を知ってしまった彼女には、行き着いて、これが夢である事を願う事しか出来なかった。

《Storm》
 最初に口を開いたのはアティスだった。
 彼女はまるで現実味を帯びていないような、悪夢を話し出すような、まるで生気を感じられない笑い声からその話は始まった。
 いつも御伽噺を聞かせてくれるその口から、“ヒトは居ない“、“バケモノに頭を食われてしまう“そう告げられた。
 まるで信じられない。
 だが、残念な事にストームは彼女らを深く深く信じているのだ。そう頭に刻み込まれ、記憶されている。
 だからこそ、アティスが言うことは本当だと言うこと。それに加えソフィアは過呼吸になったっきり戻りそうにない呼吸で肩を上下させている。
 物的証拠は何一つ無くとも、ストームは一言一句アティスの言葉を疑うこと無く飲み込んだ。そして俯く。

「そう、ですか。
 つまり一生に一度の晴れ舞台の実態は、そのバケモノの遊び相手となりガラクタとなること。そういうことでしょう?」

 あぁ、なんて……なんて滑稽だろう。夢にまで見た舞台が自身を殺戮する為の処刑場所だったなんて。
 想像もしたくないが、アティスの最大の強みである話上手がその場面を鮮烈に浮かばせてくるのだ。
 壮絶な怒りと共に酷い程の安堵に襲われた。
 旧プリマドールの皆様でなくて良かった、と。ディアでなくて良かった、と。
 四人揃った状態に安堵を覚えてしまうのだ。

《Dear》
 ストームの強く冷静な判断を心の中で讃えながら、アティスの事実を告げる震えた声に愛おしそうに耳を傾けながら、ソフィアの心の奥の勇気に愛を覚えながら。
 ディアは、冷静にあの時の状況を思い返していた。細い顎に手を当て、左上に視線をやりながら思考する様はあまりに気楽で、テストの答えを思い出そうとうんうん唸っている時の方がよほど切迫しているくらいだった。違う、違う、ストームとは、訳が違う! ディアはしっかりとあの惨劇を目撃していたし、むしろ、トゥリアドールとして、愛の捕食者として、ドールたちの、【ヒト】たちの、世界の恋人として。ずっとずっと、深くを見つめていたはずで。それでも、ディアのターコイズブルーはあの惨劇の赤を吸い込むことなく、静かな輝きを保っていた。もう、あのドールたちの瞳の輝きは、誰にも目撃できないのに。それだけが、ディアは少し惜しかった。
 異常だ。辺りの重苦しい空気からは、完全に逸脱している。確かに、いつまでも絶望に耽っている訳にはいかないけれど、でも、それにしたって。あの惨憺たる記憶へとすぐに飛び込んでいく様は、強さと言うべきか。強すぎる輝きは、いっそ不快だ。

【——きみなの?】

 悲鳴、絶叫、断末魔。赤、赤、赤。若草色の髪を持つ、優しい瞳の、愛しい少年……だったもの。美しい彼の最期の瞬間に、美しい唇で、声にならずとも確かに囁かれた美しい言葉。ディアにはあの一瞬に、それを目撃するだけの。メモリーに焼き付けるだけのパワーがあって。それが誰に向けられた言葉なのかさえ、よくわからなかったけれど。抱きしめたい、と思った。キミの名前は何?何が好き?私はディア、キミが好きだよ。たくさんたくさんお話をして、たくさんたくさんだきしめて、愛を囁きたい。でも、それはもう叶わないみたいで。それでも、あの美しさを、ただ、覚えておこうと思った。愛していようと思った。それが、彼にとって何の救いにもならなくとも。

 強い覚悟を胸に、ディアは記憶の海から顔を上げる。その瞳は、やっぱり息を呑むほど美しく、輝いていた。美しいディアが、美しい唇で、続けて発した美しい言葉は——

「うん、アティスも、ソフィアも、ストームも、とっても強いね! 流石は私の愛する同志たちだよ!」

 嫌味なほどに、強かった。

《Sophia》
「………………ッ、強くなんて、ないわよ………」

 その荒い呼吸は、遁走したことによる体力不足か、はたまた恐怖からのものか。ようやく少しは落ち着いたらしいソフィアが、へたりこんだまま声を上げる。その華奢な身体は震えたままで、顔色はすっかり青ざめていた。目元には涙を大量に流したあとがくっきり残っている。そのアクアマリンから光は失せてしまっている。

「…あた、あたし達……ああやって、惨めに……殺される為に、生まれてきたの……? そんなのって……し、しかも……扉、閉めてきちゃっ……ステージに出てた子達の、逃げっ、逃げる道……逃げられな……ああ、あぁぁ………」

 呼吸がまた荒くなる。震える手が頭に伸びて、掻きむしるように動く。また涙が溢れる。……錯乱している。ソフィアのメモリは優秀であるから、見聞きしたものを詳細に記憶することが出来る。──惨劇の記憶でさえも。鮮烈に紅が飛び散るあの光景は、きっと忘れることが出来ないだろう。永遠に。
 酷く怯えて錯乱した様子のソフィアであったが、ある一点に気がついたように、一瞬だけ正常性を取り戻す。バッと俯いていた顔を上げて、面々に問うた。

「ね……ねえ。あそこ、ステージの上に、ミシェラって居たかしら………?」

《Astraea》
「嗚呼、嗚呼、ディア、君はほんとうに──僕の親愛なる"希望"だ。」

 その時、彼女は、絶望に耽って、されど希望に満ちた瞳を薄い瞼の下に隠した。
 溜息混じりに薄く笑えば、"希望"の言葉に大いなる絶望を感じて。いっそ清々しいほどにこのひとは変わらない。僕は、そんな彼を愛しているのだ。ほら、歪で恒久なる我らが恋人は、今もあっけらかんと笑ってはそのターコイズに光を宿して居るのだから。
 僕は、私は、そんな彼が恐ろしいのだ。愛おしいのだ。嗚呼、My Dear Hope、ほんとうに、君は変わらないね。

 美しい君へ、いつまでも、そのまま、希望だけを視続けていて。

「ソフィア、僕達は何も間違っていない。仕方なかったんだよ、何にせよ、彼処のドール達が逃げ仰せても僕らの、他のドール達の安全は確保されない。皆殺しにされることだって有り得たのだから。
 彼らは逃げられない。君は自分が見殺しにしたかの様に思えるだろうが、きっと今までの歴史の中では、この惨劇が何度も何度も繰り返されて来た。今回は、たまたま、偶然にも、僕らが目撃してしまった、ただそれだけ。
 ミシェラは、あの子は、彼処には居なかった。少なくとも、僕のメモリには……。
 そう、あの子をあの場所では見ていない。きっとどこかで生き長らえているさ。」

 ソフィアの小さな震える肩を抱き、ゆっくりと、幼子へ言い聞かせる容量で語る。その口調は、普段の御伽噺を読む時のものとは何ら変わらない、落ち着いた、澄んだ声で、その囁きにも近い声はまるで戦ぐ風のしらべ。落ち着かなくては、彼女はそう思った。普段の凛とした表情とは打って変わって、恐怖に打ちひしがれた彼女を見て、本能的に、設計的に、宥めなくては、そう思った。僕がしっかりしないと。
 "仕方なかった"これは本当。誰も悪い事なんか無い。誰よりも正義感の強いソフィアの事だ。きっとその強く脆い心に刻み付けられた傷は酷く深く、そんな言葉では到底埋まるはずも無い。その言葉は所詮子供騙しに過ぎなくて、けれど夢を騙るドールの彼女には、云う義務があった。"君は悪くない""君は正しい"全てを肯定すれば、きっと上手く行くと、そう学習させられたから。
 ミシェラ、ステージの上、唯只管に赤い記憶を反芻してみても、その言葉は繋がらない。ステージの上で煌めく衣装を纏ったドールズの中に、小さなプリンセスは居なかった。これだけは、間違いのない事。では一体彼女は何処に? 掲示板に名前は無かった。何故お披露目に行くなど嘘をつくのか?
 嗚呼、何も分からない、頭脳が足りない、何も知らない、この箱庭は何なのか、答えは誰が知っているのか?

 きっと、どこかで生きている。そう信じようと思った。例えそれが迷い言だったとしても。

《Dear》
「ううん、ソフィアは強いよ! だってね……賢いソフィアが、最悪の可能性を考えていなかったはずがないでしょう。ソフィアがたった一度、やめようと言えば、私たちもそれを聞いたはずだったでしょう。でも、ソフィアはそれをしなかった。知ろうとして、踏み出して、私たちを守ってくれた」

 ソフィアの美しい瞳をじい、と見つめながら、ただ滔々と愛を囁く。全てが絶望に包まれているかのように見えた現実が、少しずつ紐解かれていく。雨が降り注ぐ砂原で、一つ二つと花が咲く。正直で健気な、真実の花。
 ディアは、いい加減なことは決して言わない。きちんと見つめて、きちんと愛す。揺らがない真実を、掠れていく声を、誰よりも深くまで見つめ、それを丸ごと愛している。残酷で、強くて、その言葉になまじ救われてしまうから、やっぱりディアは残酷で。
 見たことから目は逸せないし、聞いたことは覆らない。忘れることは、許されない。だからこそ、私たちは夢を見る。姿形が違ったって、目指す夢が違ったって、生きとし生けるものみんな一緒だ。大切な人がいて、守りたい人がいて、幸せになってほしい人がいる。忘れられない、人がいる。もっと知りたい、全部、全部、愛していたいよ。愛は不変、この世で唯一、変わることのない強い真実。ああ、それって、きっととっても素敵なことだ。
 慰めとか、憐れみとか、そういったものを一切持たない。優しくて、どこか淡白で、ひたすらに真っ直ぐなその愛は。

「ほら、今だって。希望に気づくのはキミだ。私たちの心に、道筋を示してくれるのはキミだ。ソフィアは強い、誰よりも。キミを含めた世界が、何と言おうと。——ふふっ、さあ、次はみんなでどこへ行く?」

《Storm》
「ミーチェはお披露目の場に居なかったのですか。
 ……やはり、やはりソフィアの観察眼は素晴らしい。常軌を逸した恐怖体験の最中、咄嗟の判断でミーチェの姿の有無を判別出来るとは。心の底から尊敬致します」

 不幸中の幸いの報せに、俯きっぱなしだった顔を上げアメジストとトパーズに光を灯す。
 話を聞いた時からもうダメかもしれない、と何度も何度も考えていたがそんな事も無いのだと、ソフィアが希望を教えてくれた。ソフィアの与えた希望の種を、アティスが芽生えさせるように確かな物として、ディアが何倍にも何十倍にも大きくしてゆく。
 だからこの方達は他のどのドールよりも“欲しい”。
 その為にも得体も知れないバケモノに壊されるなんて事あってはならないのだ。
 散っていったガラクタに興味は無い。生贄だった、それだけだ。しかし、まだディアとの約束は破られてはいない。だからこそストームは再度忠誠を誓うだろう。

「ソフィア、酷な事を言いますが落ち込んでいる暇があるとは言えません。お披露目が次いつ開かれるかも、誰が生贄にされるかも全くの未知数。
 貴方様の事だ、みすみす愛し子達をあの殺戮に見送るなんて事出来ないのでしょう?」

 今くらいは感傷的になっていても構わない。が、いつまでも引き摺られてはそれは強かで誰もが憧れるような灯火なんかじゃない。ソフィアなんかじゃない。
 やらなければならない事は山積みだ。バケモノは何者なのか。お披露目はどう言った目的で行われているのか。そもそもこの学園は何のためにあるのか。
 自分達は何者なのか。
 ひとつひとつ紐解いて証明していくには、ソフィアの頭脳と度胸が必要不可欠なことを、ストームは知っている。
 そしてストームはこの行き過ぎた信頼をソフィアへ、彼女のその細い首を締め付けるだろう。
 そうして、自身へも縛りと絶大な自負を覆い被せるように誓い、ディアへ続く。

「皆様とならば、何処へでも」

《Sophia》
 すん、すん、と鼻を鳴らす音が鳴っていた。ソフィアは泣いていたのだ。アストレアに抱き締められた肩を震わせて、手で顔を覆って。怖かった。ただただ怖かった。もちろん、あのステージ上にミシェラの姿が見られなかったことによる安堵も生きてはいる。けれど、あんな化け物が存在すると言うその事実だけで、怯え切るには充分だった。
 ストームの真っ当な意見を受けても、ソフィアは動けなかった。声を出すことも出来なかった。それほどまでに、ソフィアの心を埋めつくした恐怖は大きかった。
 またいつお披露目が開かれるのかもわからない。ミシェラは今回たまたまステージ上に居なかっただけで、次にまたクラスメートが選ばれたとして、同じようにステージに上がらないという確証はない。次にあそこに立って、……あの惨劇と同じように散るのが、クラスメートだったら? ……自分だったら?

「…………ッ」

 よろり、と立ち上がる。その動きは頼りなく、すぐにでも倒れてしまいそうなものだったが。目眩を起こしたかのように、頭を抑えながらであったが、しっかりとその場に立って。

「………わかってる、わかってるわ。次いつお披露目が開かれるのか、誰が選ばれるのか……わからない。だから、怯えたままでいる訳にはいかない。」

 声の震えが治まっているわけではない。しかし、先程までよりは普段の張りを取り戻した事がわかるだろう。

「──戦う。あたし達、あんな風に殺される為に生きるなんてごめんだわ。絶対に生きて、生き延びて──殺される前に脱出してみせる。あの子達のことだって殺させない。」

 ソフィアは、前を向いていた。怖くて怖くてたまらなくて、今にも倒れてしまいそうだけど。

 アクアマリンには、光が確かに灯っていた。

 ──ドールにとっての最大の晴れ舞台であると言われたお披露目は、まやかしの栄光で偽られた、恐ろしい殺戮劇であった。

 ドールズに与えられる未来が、玩具として転がされ、やがて使い物にならなくなれば処分されるような、まるで救いようのない末路しかないのなら。


 行く先には破滅しか無いのなら。


 幸いにして、あなた方には各々、霞み劣ることのない才覚がある。

 理不尽な運命に恐怖し、憤る心がある。

 感情がある。

 あなた方には、鼓動がある!


 たとえ欠陥品でも、その事実は揺るがない。

 閉ざされた残酷な箱庭で、自分達は生きているのだと叫んで証明し続けるのだ。

 足掻き続ければ、欠陥ドールにも許された未来がきっとあると、そう信じて。

Prologue - √0
『1st Unveiling』

── END ──