Prologue

Unopened Tower

Secret event

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 Felicia

《Felicia》
「 ……… ♪ 」

 その日は気持ちのいい晴天で、柔らかくて温かい日差しがふんわりと差し込んでいた。
 ご機嫌に鼻歌を歌いながら昇降機に乗り込むフェリシアが向かう場所は、学園2階の楽器保管庫。

 本で知ったサックスという楽器を実際に見てみたくなって。
 ジャズやクラシックに使われる楽器と聞いたけれど、どんな音が出るのかな! なんて考える、少し浮かれ気味なフェリシア。

 昇降機の扉が開く。軽いステップでその場所まで歩き出した。

【学園2F 楽器保管庫】

 演奏室は閑静だった。幸い、今は誰も使っていなかったらしい。教室を抜けて保管庫の扉を開くと、その先には狭苦しいながらもきちんと磨き抜かれた数多の楽器が保管されていた。

 照明を灯してから一帯を見回すと、ヴァイオリンやチェロ、コントラバスなどの弦楽器や、クラリネット、オーボエをはじめとした管楽器も、打楽器も多様な楽器が収まっている。

《Felicia》
 日頃から丁寧に手入れされているのだろう、照明の光に照らされて楽器たちは静かに艶やかな光沢を纏っていた。

「────」

 静寂な空間の中、つい先ほどまで鼻歌を歌うくらい気持ちが弾んでいたフェリシアは沈黙した。
 思い出したのだ、“あの日”の出来事を。いや、無意識に思い出さなかったのかもしれない。この学園には何かがあるかもしれないと、初めて愛すべきこの場所に疑いを持ったあの日を。

 ── 今日は聞こえない。いつか私たちの日常をめちゃめちゃにしてしまうかもしれない、アレの。


 しばらく考えこんだあと、今は楽器探しをしようと思考をシフトチェンジする。もちろん、あの日の出来事には別に探りを入れる必要があるのだが。
 さて、お目当てのサックスは金楽器だったか、ぐるりと室内を見回していると楽器保管庫の手前、弦楽器の置かれているスペースに元ある場所に戻されていないヴァイオリンがあることに気づく。

「ん? あれってヴァイオリン?
 直しても……いいよね?」

 あなたはヴァイオリンを手に取って、きちんと元の場所に戻してやろうと持ち上げる。両手にはずしりと重みを感じられるが、苦労しつつもどうにか運搬することが出来る。

 その時、ヴァイオリンの下に隠されていたのだろうか。一枚の紙切れがあなたの視界に留まるだろう。それは紙切れというよりは便箋のようなもので、つらつらと丁寧な筆跡の文字が連なっているのが分かる。

《Felicia》
「うぅ、ヴァイオリンってこんなに重いの!? ふんっよいしょっと。」

 ヴァイオリンの運搬は小さな身体をもつフェリシアにとって困難だった。何とか元の場所に戻すことが出来た。

 やっとのことでヴァイオリンを戻すことができたフェリシアは、ぐぐーっと背伸びをする。
 静寂に包まれている保管庫内に、ふぅ、とひと仕事の終了を知らせるため息がひとつ響いた。

 サックス探しを始められそうだと目をやると、戻したヴァイオリンがあった下に何かあったことに気づく。近づいてみると落ちているそれは便箋のような紙だった。
 照明に照らされて、紙に書かれた綺麗な文字は何かを伝えてようとしているようで。

「なにこれ! …… 手紙?」

 拾いあげて読んでみようと手を伸ばした。

 あなたが拾い上げた手紙は、当然ではあるのだが、誰かに宛てたメッセージのようだった。宛名も明記されている。以下のようなものだ。

 うるわしのアストレア様

 あなたがジャンククラスへと堕とされた屈辱の日のことは、今でも記憶に焼き付いて忘れられません。
 あなたのことを今も恋しく想っております。いけないとわかっていながらも、日々の勉強にも身が入らないのです。
 あなたの凛々しいお声でまた夢のようなお話が聴けたなら、わたくしはもうそれだけで天にも昇る心地になれるでしょう。
 ジャンクに要らぬやっかみを受けているのなら、どうかわたくしを頼ってくださいませ。何を投げ打ってもあなたのお力になりたいのです。

 ──ウェンディ

 あなたが手紙の全文、差出人の名前にまで目を通した瞬間。閉ざされていた保管庫の扉が開け放たれる。
 そこには白い肌を上気させ、息を切らせた黒髪の美麗な乙女が立っていた。

 あなたは彼女を知っている。同じエーナクラスで共に勉強に励んでいた、ウェンディという名のドールであった。

「……そ。それ……あなた……」

Wendy
Felicia

《Felicia》
「こ、これって……ウェンディちゃんからアストレアちゃんへのラブレター!?!」

 拾いあげた手紙の内容に、思わず大きな声が出た。ラブレターを送ったウェンディというドールは、オミクロンクラス所属前までにエーナドールとして共に時間を過ごしたフェリシアの友だちである。

 ひとしきり驚いたあとはウェンディちゃんは自身の相棒さんのことを本当に大切にしてたんだな、とほっこりした気持ちになり微笑みがこぼれた。

 すると突然、ガチャリと保管庫の扉が開かれたかと思うと、見しれた黒髪が美しいドールの姿が。
 フェリシアはびくっと声を上げる。
 肩で息をする彼女に、慌てて声をかけた。

「わ!? ウェンディちゃん!?

 えっと、これはね! ちょっと事故というか! とりあえず手紙の内容は全部忘れるから勘弁して〜……! ごめん、ごめんね!」

 保管庫の出入り口からあなたを真っ直ぐに見据えていたウェンディは、やがて無言で俯いて後ろ手に扉を閉ざしてしまう。

 カッカッ、と神経質な革靴の音を響かせながらあなたに迫ったウェンディ。彼女は慌てて謝罪を重ねるあなたの眼前にまで立つと、ずいっと手を差し伸べて、強ばった声で吐き捨てるように言う。

「かえして」

 あなたは眼前に突きつけられた掌、その爪先が小刻みに震えていることに気がつく。よく見れば彼女は、もう息が整っているのにいまだに頬が紅潮している。恥じらっているのだろう。

「……返しなさいよ!! このウスラトンカチの欠陥ドール!!!」



 錯乱して捲し立てる彼女に便箋を返したならば、ウェンディはその胸に便箋を一等大事そうに抱き、溜息を吐き出した。
 それから、キッときつめの印象を受ける菫色の吊り目であなたを睨め付ける。

「……フェリシアさん。わたくしの手紙、読んだのでしょ。だったら分かるでしょう、わたくしがどんなにあの方を案じているのか。
 アストレア様のご様子はどうなのよ。あなた、彼女に迷惑かけてたらタダじゃおかないわよ」

《Felicia》
 無言で自身の方に向かってくるウェンディに対して少し身構える。
 間違えてでも大切なお手紙を読んでしまった責任は、フェリシアにも分かっていた。

 ウェンディが放った“かえして”には静かながら恐ろしいほどの怒りを孕んでいる。

 手を伸ばされ、打たれる! と目を瞑ったが、出てきたのは言葉。
 それも普段の彼女からは想像もつかないような罵倒だった。震える掌と紅潮した頬が彼女の心情を物語っている。

 ── 恥ずかしがってるんだ。
 お手紙見ちゃったことはとっても申し訳ないけど、恥ずかしがってるウェンディちゃんかわいい…!

 慌てつつも、控えめで丁寧な行動ができるウェンディちゃんの姿が珍しくて。フェリシアの心の中はかわいいという気持ちで溢れていたが、ハッとなって手紙を返す。

「あ、はい!! お返しします!!」

 ウェンディちゃんが溜息をひとつついたあと、刺されるような目線を向けられながら彼女の話を聞く。
 彼女が発する全ての言葉を丁寧に聞いたあと、睨む彼女とは対照的にフェリシアは微笑むのだった。

「うん。ウェンディちゃんの大切なお手紙、読んじゃって本当にごめんね。お手紙の内容からはアストレアちゃんへのあったかい気持ちが伝わってきたよ! 本当にアストレアちゃんを大切に思ってるんだなぁって。
 えへへ、何より私もアストレアちゃんのこと大好きだからさ! 迷惑かけないように頑張ってみるよ!
 勿論! お手紙の内容はぜったいに誰にも言わないから安心してね。
 だって私、正義のヒーローになりたいんだもん!」

 見当違いかもしれない。
 しかしフェリシアは素直に感じた気持ちしか伝えられないのだ。
 嘘がつけないのだ。

「あなたの感想なんて聞いてないわ、どうでもいい。アストレア様に迷惑をかけていないならそれで……ちょ、ちょっと何よ……やめなさいよ! ベタベタしないで!!」

 あなたは目の前に立つウェンディを抱擁する。ぎし、と目に見えて動揺したように強ばった肩や艶やかな黒髪からは、微かに柑橘系の上品な香りがした。

 彼女は抗議の声をあげているが、あなたを派手に突き飛ばしたりはしない。それはあなたを気遣ってのことか、『決まりごと』を守ってのことかは定かではない。

「……まあ、この手紙はもう処分しようと思っていたから、どちらにせよ……でも絶対に口外はしないで頂戴」

《Felicia》
「えへへっ、ぎゅうぎゅう …… ♪
 ウェンディちゃんも、私の大切なお友だちだからね!
 今までも、これからもずーっと!」

 彼女の言葉にひとしきり答えたあと、目の前の彼女に抱擁する。
 彼女からは抗議の声をが上がったがそれも気にせず笑顔で友達宣言をするのだった。

「あはは、了解しました!

 そういえばさ、ウェンディちゃんってみんなが噂してる『開かずの扉』の話、知ってたりする?」

 笑いながらびしっと敬礼の真似をして答える。笑顔でいながらも、ウェンディちゃんのことは誰にも言わないつもりだ。

 少しして、ふと思ったことを聞いてみる。それはアレを見失った場所。ゴシップとして噂されている『開かずの扉』がある場所。
 自身も知っているつもりだが、お喋りなドールの多いエーナクラスに所属する彼女なら更にアレを突き止めるための情報を持っているかもしれないと思ったのだ。

「はぁ、もう……まったくお行儀の悪い。エーナにいたころからまるで変わっていないのね、あなた。一刻も早く何か成果を上げて、ジャンククラスから抜け出さなくちゃいけないでしょうに」

 ウェンディはツンと澄ました鼻先をそっぽに向けて、甚くフレンドリーなあなたの好意を跳ね除けた。しかし続けられた問い掛けには、組んでいた腕の力を緩めて双眸を眇めてそちらを見つめる。

「開かずの扉……ああ、怪物の怪談話のこと? クラスの子たちが騒いでたわ、くだらない。そんなことを気にしてる暇があったら、アストレア様の為になることをしなさいよ。

 ……なんでも、夜な夜な巨大な怪物が徘徊してるとか? 開かずの扉の先は、怪物の根城なんだとか? ほんと……くだらないったら。でも、デュオクラスの子が扉の近くで見覚えのないガラクタを拾ったって話はどこかで聞いたわね」

 くだらないと言いつつ、意外と情報通の彼女は、あなたへとそのように教えてくれた。

《Felicia》
「? うん! エーナにいる時の私も、オミクロンの私も、ぜんぶ私だもん! でも確かに、私も頑張ってエーナクラスに戻らなきゃだね!」

 “いつも通り”な可愛い友だちの言葉に笑顔で返す。だがそれは絶対に成すことが出来ないことなのだ。
 オミクロンに落ちた理由、それは拭いきれない傷であるから。
 そんなことを知らない彼女を私の変えられない事実で傷つけたくない、そんな考えから意気込んだフリをした。

「ごめんごめん……アストレアちゃんのことは頑張るからさ!!

 巨大な怪物が徘徊……怪物の根城……それって── 」

 更に聞きかけて口を噤んだ。
 ここで事実を言っても信じて貰えないだろう。
 やはり自分の目は可笑しくなかった。もしかしたら本当にいるかもしれないのだ、“アレ”が。

「デュオクラスに変なものを拾った人がいるのね! おっけい!!

 誰が、どんなものを拾ったの?
 ガラクタだから、覚えてない……?
 拾った子とはいまどこで会えそう!?」

 やっと掴んだ手がかりに前のめりになって質問攻めをする。
 やっと掴んだのだ。正体を突き止められなかったアレを見つけるために、この機会を逃す訳にはいかないのだ。

「そうよ。いつまでもジャンクのままじゃ、あなた、きっとお披露目で輝けないわ。きっと素晴らしいご主人様に見初めてもらわなくちゃならないでしょ」

 ……刺々しい言葉を使うけれども、ウェンディは一応、あなたの処遇を案じてはいるようだった。事実、あなたのオミクロン堕ちに纏わる詳細な事情は知らないようだったが、詮索はしてこない。彼女は確かにキツイ性格だが、エーナドールとして気遣いが出来る女性であったのだ。

「そうね。いま、デュオクラスはきっと講義室Aで授業中だったって聞いたわ。今ならもう終わってる頃なんじゃないかしら。名前はヘンゼル、赤毛の子よ。……でもその子、ちょっと洒落にならないぐらい偏屈で。オミクロンを毛嫌いしてるからあなたの話は聞いてもらえないかもしれないわね。

ていうか……そもそも、馬鹿馬鹿しい噂話なんて信じるんじゃないわよ。学園にそんな怪物がいたら今頃大騒ぎになっているでしょう?」

《Felicia》
「うぐ、その通りすぎてぐうの音も出ないなぁ。こうなってからも、私とお話してくれてありがとね!」

 もちろん知ってる。彼女は、ウェンディちゃんは言葉や態度がキツくても、きちんと気遣いができる優しいドールなのだ。
 こうなってからも、きちんと対等に扱ってくれる。全く、いい友達に恵まれたものである。

「赤毛のヘンゼルくんね! 男の子……であってるのかな!
 あはは、確かに! オミクロンクラスが嫌って子多いもんね! 何とかお話してくれたら嬉しいなぁ。

 そう、そうなんだけどね……、最近気になっちゃって。火のないところに煙は立たぬってやつ。
 意味はウェンディちゃんなら分かると思うんだ。気になるの。

 私は学園のみんなを……友だちを守らきゃいけないから。」

 “ヒーローとして、みんなを守る”── そう告げるフェリシアは真剣だった。きっとウェンディも呆れたように返すのだろう。“そんなに気になるなら行ってこい”と。

 突然に吹き荒れて髪や衣服をかき乱す春風のように、足早に立ち去っていくあなたをウェンディは引き止めずに見送る。そして手にしていた便箋に、どこか気落ちした視線を落とすのだった。

《Felicia》
「ウェンディちゃん色々聞かせてくれてありがとう! 私、さっそく今から行ってくる! また会えたらゆっくりお話したいな!
 勿論お手紙のことは秘密ねー!!」

 ぶんぶんと彼女に手を振りながら楽器保管庫を後にする。
 あれ、そういえば何で楽器保管庫に行ってたんだっけ。

【学園2F 講義室A】

Hensel
Felicia

 あなたが講義室に行きかかると、ちょうどその扉が開いて中から何名かのドールが出てきた。どれもデュオクラスの所属らしく、彼らは手に難しそうな本を抱えたまま足早に講義室を離れていく。

 あなたは講義室に向かおうとして、すれ違うデュオクラスのドールと肩をぶつけてしまう。自分よりも背が高いすらりとした少年で、彼は赤毛だった。
 あなたを見下ろす少年の視線は酷く冷ややかである。

「……なんだって面汚しが学園を平然と歩けるんだ? 理解に苦しむな」

 彼は忌々しそうに毒を吐いては、足早に立ち去ろうとする。

《Felicia》
 楽器保管庫もデュオクラスが授業をつけているであろう講義室Aは同じ2階だった。
 ウェンディちゃんが言った通り、授業が終わったのだろう。複数名のドールが講義室から出てきているのが見えた。

 中に入ってヘンゼルというドールを見つけようと出てくるドール達と逆行して進んでいたため、集団の中のひとりのドールと方がぶつかってしまった。

「わ!! ごめんなさい!」

 ── とっさに謝って見上げた
 デュオドールの濃いバーガンディの髪は、しなやかで美しかった。

「あはは、確かに。オミクロンで……面汚しで申し訳ないな。
 それで、あなたがデュオドールのヘンゼルくん?

 わわ! ちょっと待って!! 私、あなたに会いに来たの!」

 立ち去ろうとしたそのドール、ヘンゼルくんの腕を引き止めようと咄嗟に掴んだ。

 目が冴えるような明るい髪色に反して、あなたを振り返って……じっとりと睥睨するラズベリー色の暗い双眸は、とてもではないがあなたを歓待しているようには見えなかった。

「ふーん、そうか。おめでたい頭はさっさと先生に矯正してもらえ。俺はお前よりもよっぽど議論する価値のあるドールと勉強するのに時間を使いたいんだよ」

 突き放すような物言い。ヘンゼルは自身の掴まれた掌をグ、パ、と分かりやすく広げて『離せ』の意を表明した。ウェンディと同様、無理に突き飛ばすことはしてこない。
 彼の足は今のところは止まっていた。

《Felicia》
 振り返ったそのドールの容姿は、誰がみても美しいと感じるだろう。
 しかし今、その視線は自身を威圧するように、暗く冷ややかな色を帯びていた。
 勿論、歓迎はしていないだろうがいきなり突撃してきたフェリシアにも驚いてすらいないらしい。

「わわ! 掴んじゃってごめん!

 確かにそうかもしれないけど……でもね、私にとっては最重要事項なの!! あのね、私あなたと議論しに来た訳じゃなくて、貴方のお話を聞きに来たの。

 ヘンゼルくんも知ってるんじゃないかな?  『開かずの扉』の話」

 掴んだヘンゼルくんの腕をすぐに解放する。そしてとりあえず足を止めてくれたことにほっとしつつ懸命に事情を説明した。
 本来、デュオドールであれば自身ができることを提示し等価交換を図ったほうが良いのだろうが、ヒーローを目指すそのドールは素直にことの顛末を伝えるほかやり方を知らないのだ。
 自身より背の高いドールの目を真っ直ぐに見つめる。そして言い切ったのだ。

「お願い、聞かせて!」と。

 ヘンゼルは苛立たしそうに眉間に皺を寄せていたのだが、なんとも必死なあなたの様子を見るとやがて小さく鼻で笑い、肩をすくめる。

「ああ勿論、知ってるとも。怪物の姿だってこの目で見たとも!
 大抵のドールは滑稽だと笑ったけどな、俺だって又聞きだったらそう思うだろうさ。でもな、俺はデュオモデルだ。他のどのモデルよりも優秀なんだ! この目で見たこと、記憶したことに間違いなんかあるはずがない。

 愉快な笑い話を期待して来たのならお生憎様だが、俺は真面目な話しかしない。ジャンクに笑われる筋合いもないな」

 あなたの目的が不透明なうちは、話してやる気はない。そう吐き捨てるかのように、ヘンゼルは片手に持っていた分厚い教本をひらひらと振った。

《Felicia》
 自身の必死な姿が面白かったのだろう、鼻で笑われてしまった。
 とほほ、と情けない気持ちにもなったがどんな形でも笑ってくれたのならいいだろう。
 諦めたように乾いた笑いを返そうとしたが、その得意げなドールの言葉に目の色を変えた。

「あなたもアレを知ってるの!?
 姿をみたのね! あなたって凄い! 勇気がある!!!
 それはどのくらいの大きさで、どんな姿をしていたの?

 私も、あなたみたいに直接見た訳じゃないけれど。もしかしたら、この学園に怪物がいるかもしれないって思ってるひとり。だから……。
 だからあなたがどんなに人に笑われても、嘘だと言われても、私はあなたを信じる!!
 だから教えて、ヘンゼルくん! 私には今、あなたが必要なの!!」

 自身意外にも怪物の話を本物だと思っている人がいたとは! と驚きつつ、共感する。その話を周囲に言ってしまえば、最悪オミクロンクラスに落とされてしまうかもしれないからだ。
 だから目の前の彼は、怖いのだ。
 そして私がオミクロンだからこそ言えたのだろう。

「話して欲しいの、笑わないから。
 あなたに迷惑はかけないから!

 ……とある女の子から、あなたが『開かずの扉』の近くで拾った物があるって聞いたの。
 私は、あなたに協力して欲しい! 学園のみんなを、守りたいから!」

 必死なのだ。
 真剣なのだ。

 フェリシアは真っ直ぐに、素直に言葉を並べる。アレの正体を突き止めない限り、学園のみんなが危険な目に遭ってしまうかもしれないということは目に見えていたから。

「……ッ……」

 嵐のような勢いで捲し立てる、あなたのその熱意と、恒星のように眩い輝き……志しの高さに圧巻したか。ヘンゼルは思わず頬を引き攣らせて、一歩後ずさる。しかしあなたがすかさず手を握り込んだためかそれ以上逃げられず、彼の指先がビク、と小さく震えた。

 ──あなたって凄い、勇気がある。

 ──あなたが必要なの。

 捻くれ者と勉強一辺倒な者が多い傾向にあるデュオクラスにも、ましてエーナクラスにさえ。こうも真っ直ぐに恥ずかしげもなく想いをぶつけてくるドールは少ないだろう。
 放たれた輝きを真正面から浴びせかけられたヘンゼルは、僅かに息を詰まらせてから。

「……………………。分かった、分かったから。話してやる。でもここは往来のど真ん中だ、頭のおかしいやつだと思われる。こっちに来いよ」

 ようやく折れてくれたヘンゼルは、掴んでいたあなたの手首を逆に掴み返して、乱暴な手つきで引っ張った。その足取りは、学園の《どこか》へと向かっていく。

【開かずの扉】

 ──そうして、ヘンゼルに連れられた先は。
 あなたもあの怪物を目撃した、あの二階と三階の間の踊り場である。

 彼がその階段に足を掛けた途端、あなたは危機感を覚えるかもしれない。しかし彼は階段を登り切ることはなく、数段登ったところで足元を指差す。

「ここでこれを拾った」

 ヘンゼルが取り出したのは、黒くて硬い何かの円盤だった。ドーナツの形のように、中央がくり抜かれている。

「あの日──俺は調べものが長引いて、夕食どきの夜七時に差し掛かるぐらいまで学園に残ってしまっていた。すぐに帰ろうと講義室から出たが、そこで『あの怪物』が……ギリギリって異音を立てながらこの階段を登るところを見た。

それは虫みたいな特徴を持った、大きな化け物だった。でも、間接部位が擦れるギイギイという金属音もしたから……多分あれは『ガワ』だと思う。内側に誰かいるんだ。
何のためにガワを被ってるのかは分からないけど」

 ヘンゼルは手元に目を落とす。
 彼の持つ円盤は、恐らく蓄音機に当てるための『レコード』だろうと予想がつく。

「あの怪物が通った後にこれが落ちていた。何なのかは分からない。……欲しければやるよ。俺にはこんなの必要ないからな」

《Felicia》
 虫みたいな化け物、開かずの扉、そしてそれは生き物ではなく誰かが入った金属でできたモノ ──

「うぅ、知り得た情報がたくさんありすぎる。」

 1日にたくさんのことがありすぎて混乱する。怪物の正体解明に繋がる情報を掴めたものの、謎が更に深まり頭を抱える。

 そして、考えても埒が明かないとノートに書き留めてみることにした。


 まずは楽器の保管庫に行ってウェンディちゃんに会ったこと。
 もちろんラブレターを見つけた事は書かなかったが。

 次にウェンディちゃんが教えてくれた『開かずの扉』の話からヘンゼルくんに会いに行ったこと。

 最後にヘンゼルくんが教えてくれた『怪物』のこと。

 怪物の特徴は、
・目撃した場所が2階から3階へ向かうための踊り場であること。そして怪物がそちらの方に向かっていたこと。
・ヘンゼルが拾ったのはレコード盤であること。
・虫みたいな特徴を持った大きな身体をもっていること。
・そして、怪物の表面が金属で出来ているためその怪物はまやかしの姿で、本当は中に何者かが入っていること。


 一応まとめてみたが、考えても分からない。誰が、なぜそんなことをしているのだろうか。開かずの扉には何があるのだろうか。

 円盤に目を落とす。ヘンゼルくんから手渡して貰ったものだ。一見何も変哲もない円盤だが、怪物が落としたとされるレコードだ。もしかしたら正体に繋がる何かがあるかもしれないと、じっくり観察してみることにした。

 レコードは老朽を感じさせる古いもので、表面にはちらほらと傷があるように見られた。
 そして中央に近い部分にテープによってラベルが貼られてあり、乱暴に引っ掻いたような筆跡で以下の文字が微かに窺える。

 『1-P Abigail』──と。謎の数字とアルファベットの組み合わせに、見知らぬ人名が書き込まれていた。
 一体これはなんなのだろうか。

【寮周辺の森林】

《Felicia》
「ん、よいしょっと。
 うん! いい感じに似せられた!」

 森の木にレコード盤に書かれていた筆跡を真似て“Abigail”の文字を削り書く。
 ヘンゼルが『開かずの扉』にて怪物をみたときに拾ったもの、それはレコード盤だった。

 自分には不要だからと手渡されたレコード盤をじっくり観察してみると、『1-P Abigail』という文字が書いてあった。1-Pの意味は分からないが、Abigailというのは誰かの名前らしい。そこで学園のドールのことなら知り尽くしているだろう先生に、その名前の子のことを教えて貰おうと思ったのだ。

 もしかしたらその子は既に、お披露目会にて素敵なご主人様と出会っているのかもしれない。先生に「何故知っているの?」と聞かれたときに、咄嗟に「森の木に名前が書いてあったの!」と返事ができるように、いまこうして森の木にAbigailの文字を書いたという訳である。


「よし! 先生に会いに行こっと!」

 学生寮2階、みんなの大好きな先生がいるであろう先生の部屋に駆け出した。

【学園2F 先生の部屋】

David
Felicia

 あなたが先生の部屋の扉に手をかけると、扉は抵抗なく開く。先生は自室に鍵をかけることがない、それをあなたは理解している。

 室内にそっと足を踏み込むと、少し先の執務机に先生が腰掛けているのが見えた。ちょうど何かの資料を確認していたところだったようだが、あなたがやってきたことに気がつくとその手を止めて、そちらを見やる。そして柔らかく微笑んだ。

「こんにちは、フェリシア。人助けは順調かな。危ないことはしていないだろうね?」

《Felicia》
 鍵のかかってない開きっぱなしの先生の部屋を訪れる。今日の先生は執務机に腰掛けていた。
 いつものようにふわりとした微笑みを浮かべる大好きな先生に、フェリシアは元気に挨拶をするのだった。

「先生こんにちは! 大丈夫! 危ないことはしてないよ! へへっ、今日もみんなが笑顔で過ごせるように巡回をしていたの!!

それでね、先生!! 今日は先生に聞きたいことがあって会いに来たの! 先生の知ってる子で、アビゲイルって子はいる?」

 もしかしたら自身が知らないだけで、まだ学園にいるのかも知れないと名前だけを単刀直入に聞く。
 返答次第でフェリシアの対応は変わってくるだろう。

「さすがだね、フェリシア。見回りはくれぐれも怪我のないようにね。」

 先生は優しい口調であなたを称えて、にこりと温かな微笑みで出迎える。その頃には既に手にしていた万年筆を机上に置いて、あなたの話を聞く態勢を整えている。
 あなたが溢したその名を聞くと、先生は「アビゲイル……」と小さく呟いて、口元に手を添える。何事か考え込むような沈黙は数秒にも満たず、彼は顔を上げて首を傾げる。

「そうだね、お披露目で卒業して行ったドールの中にそんな名前の子がいた。けれどフェリシアはどこでそれを知ったのかな?」

《Felicia》
「はーい! 先生の言うとおり、気をつけて巡回ヒーローします!!」

 びしっという効果音が付きそうな
 敬礼をひとつ。先生が話を聞いてくれるときはいつも自身の目を見てくれるから話しやすい。
 アビゲイルと呟いた先生が考える動作をしているということは、やはり既にお披露目会に行った子だと考えて差し支えないだろう。

「うー、やっぱりアビゲイルって子はお披露目会に行っていたのね……。
 森で遊んでいたら、木にお名前があったから気になったの!
 もしかしたらその子が助けを求めてるかもー! って!!
 どんな子でも、助けを求めているのなら駆けつけるのがヒーローでしょ? 会いたかったんだけど……。

 ねぇ先生!! アビゲイルって子はどんな子だったの? お披露目会に行ったのなら、とっても素敵な子だったんでしょ?」

 本当は怪物が落としたレコード盤に名前が書かれていたのだが、ヒーローとして先生を守るためにもこのことは話さない方がいいと考えているフェリシア。
 予め言い訳できるように森の木に書いた名前のことを話した。
 日頃から、ヒーローとしてみんなを救う・助けると口癖のように話すフェリシアを疑うことはあまりないだろう。

「フェリシアはいつもいい子だね、素晴らしいことだ。」

 聞き分けの良いあなたの百点満点の返事に先生は微笑み、おもむろに席を立つと、あなたの頭を優しい力加減で撫で下ろす。
 森の木にアビゲイルの名があった。先生はその話を聞いて「なるほど、私も後で確認してみるよ」と頷いてみせる。

「アビゲイルは素晴らしいドールだったよ。アストレアのように、ヒトと対話することを臆さない立派なドールだった。だから、素敵なご主人様に見染められて、このアカデミーを離れていったんだ。
アビゲイルのことは、いずれ皆も忘れてしまうかもしれない。けれど私はいつまでも彼女のことを覚えている。もちろん、君のこともね、フェリシア。」

《Felicia》

「先生に褒められるなんて照れちゃうなぁ……えへへ♪」

 優しく頭を撫でられ気分よく返す。こうやって撫でてくれる手は温かくて、優しくて。
 後で確認すると言った先生に対して、「……? 見つけたところ、案内したほうがいい? 先生。」とついいつものようにヒーローのような言動をしてしまった。本当は自作自演なのに。

「アストレアちゃんみたいにお話が上手だったってことは、きっとアビゲイルちゃんはプリマドールだったんだね。そしてご主人様と運命の出会いをして ── 。
いいなぁ。憧れちゃう。

 えぇ! そうなの!? じゃあ私がお披露目会で最っ高のご主人様と出会えて、ご主人様と安定して暮らせるようになったら、学園のみんなにお手紙を書いていい?
 みんなが私のことを忘れても、先生はずっと覚えててくれるって安心してお手紙書けそうだし!!」

「……そうだね、後でフェリシアの勉強が落ち着いたら、お願いしてもいいかな? その方が早く確認出来るからね。」

 案内を申し出てくれる彼女に、先生は謝意を表明するように深く頷く。樹木の場所まで後ほど向かうよう約束を取り付けつつ、未来を夢想するあなたの様子を先生はにこにこと相槌を打ちながら聞いてくれた。

「ああ、勿論だとも。きっとフェリシアに手紙をもらえたら、ここのみんなも喜ぶよ。君が便りを送ってくれたら、私も必ず受け取ろう。」

 必ず、と力強い約束の言葉を迷いなく述べて、彼はあなたの華奢な肩をポン、と叩く。それからおもむろに時計を確認すると、「そろそろ私は別の仕事に取り掛かるから、フェリシアも遊んでおいで。」と続けるだろう。

《Felicia》
「もちろん! その時はまた先生のお部屋にお邪魔するね!」

 先生と同様に自身も頷く。
 手紙を受け取ってくれるという先生の言葉に嬉しくなりながら「本当!! ふふ、早くみんなにお手紙を書けるようになりたいなぁ」と万遍の笑みを浮かべるのだった。

「先生、お仕事中にありがとう! 行ってきまーす!!」

 レコード盤に書かれていたアビゲイルという名前のドールは、かつてエーナのプリマドールだったということが分かった。
 再生機もないこの場所でなぜレコード盤があったのか不明だが、一歩ずつあの怪物の正体に近づいて行っているような気がする。
 その思考とは裏腹に、フェリシアは元気に先生に手を振り、部屋を後にするのだった。

【学園1F ロビー】

Felicia
Rosetta
Licht

《Felicia》
「二人とも、ちゃんと来てくれるといいんだけど……」

 どこか不安そうな声が、学園1階昇降機の手前にあるロビーにこだまする。

 あの日、フェリシアがみた怪物の正体を知るために必要不可欠になってくる『開かずの扉』の探索。
 ヒーローとしてひとりで行くつもりだったが、自分の2倍も大きな化け物が襲ってきては大して強くもないエーナドールのフェリシアは呆気なく倒されてしまう。
 私が倒されてしまえば、あの怪物のことを信じる人がひとり減る事になる。最悪の状態・学園の皆が油断しているところに怪物が襲撃して来るのは是が非でも阻止しなければいけなかった。

 一緒にあの怪物の正体を明らかにしてくれる仲間を見つけなければいけないと思ったのは実際に怪物の姿を見た、というヘンゼルくんの話を聞いたときであった。
 声を掛けたのは、いつもフェリシアを応援してくれている仲良しのトゥリアドール・ロゼちゃんと、明るく、かつて何でも手伝ってくれるとフェリシアに言ってくれたテーセラドール・リヒトくんである。

 ちなみに、彼等には呼んだ理由をまだ伝えていない。
 呼び寄せた訳を伝えることで「変なこと言わないで」と、大好きな友だちに自分の発言を笑われてしまうのを怖がったせいだ。
 今まで自分が知り得た情報を纏めたノートと、ヘンゼルくんに貰ったレコード盤を抱きしめるように持つ。果たして彼らは、来てくれるだろうか。

《Rosetta》
「こんにちは、フェリシア」

 淑やかに、穏やかに。
 ロゼットは約束の場所へと現れる。
 今から何をするか知らないからだろう。あくまで立ち振る舞いは穏やかだ。

「今日は呼んでくれてありがとう。何かあったの?」

 他の人はまだ来ていないらしい、と リヒトの姿を探し、周囲を見回す。相手が来次第、小さく手を振るだろう。

《Licht》
「フェーリー!! ……と、ロゼ?」

 一階ロビー、遠くに見えた人影に意気揚々と手を挙げて声を掛けたら……ちょうどその隣には、いつもの話し相手がいた。リヒトは目を丸くして走り寄る。頭の上には、また不格好な花冠が乗っていた。……どうやらこの日も、失敗作だったらしい。

「ああ、そっか呼ばれたのか。……ロゼお前、またケガとかしてないか、大丈夫?」

 赤髪の彼女は、よくケガをする。お披露目前のドールとしてコワれたら大変だ、と、リヒトはロゼをこっそり気にかけていた。ちょうど、こんな風に。

「ふふーん、分かってるぜ。なんか手伝ってほしいことでもあんだろ?」

 ノートにこまごま書き込みながら、自分のことを呼んでくれた、という嬉しさがあまり表に出ないように……でもちょっとだけ得意げに、リヒトは確信をもってこう言った。頼ってくれるという期待を、彼はいつも、喉から手が出るほど欲しがっている。

《Felicia》
「二人とも来てくれたんだね……!
 良かったぁ。私にはどうしても、ふたりの力が必要だったから。」

 一先ずふたりが集まってきてくれたことに胸を撫で下ろす。さっきから来てくれなかったどうしようかと、ドキドキして叶わなかったのだ。そして、集まった理由を話し出すのだ「ドールのみんなが噂してる、『開かずの扉』のことを。

『開かずの扉』
 ──夜な夜な巨大な怪物が徘徊している、開かずの扉の先は、怪物の根城だと噂されている場所。

(現エーナドール・ウェンディとの会話より)

 フェリシアは持っていたノートのページを開いた。新品に近いそれの一ページに書いてある走り書きの文章。それはフェリシアが楽器保管庫に向かった一日の備忘録だ。

 まずは楽器の保管庫に行ってウェンディちゃんに会ったこと。
 もちろんラブレターを見つけた事は書かれていない。

 次にウェンディちゃんが教えてくれた『開かずの扉』の話からヘンゼルくんに会いに行ったこと。

 最後にヘンゼルくんが教えてくれた『怪物』のこと。

 怪物の特徴は、
・目撃した場所が2階から3階へ向かうための踊り場であること。そして怪物がそちらの方に向かっていたこと。
・ヘンゼルが拾ったのはレコード盤であること。
・虫みたいな特徴を持った大きな身体をもっていること。
・そして、怪物の表面が金属で出来ているためその怪物はまやかしの姿で、本当は中に何者かが入っていること。

 備考として書かれているのは、レコード盤に書いてあった! との文章と共に「1-P Abigail」の文字である。
 そして、先生によるとアビゲイルはアストレアちゃんみたいに素敵なドールだったらしい! と元気よく書かれている。

 フェリシアは怪物の影をみた。
 怪物の大きさは自分の身長からみておよそ3m。ギィギィという音を立てていた。
 しかしその音は、ヘンゼルくん曰く金属が擦れる音らしい。

 フェリシアはノートに書かれていたことを、持ち前の語彙力を用いて二人に説明した。
 怪物の話、ふたりは信じてくれるだろうか。

「だから、だからね!
 開かずの扉を一緒に探索するのを手伝って欲しいの!
 学園のみんなを守るためなの!!」

 そして全力で頭を下げるのだった。「お願い! 貴方達が頼りなの!」と。

《Rosetta》
  リヒトが心配してくれて嬉しかったのだろう。目を柔らかく細めて、「大丈夫だよ」なんて言葉を返した。
 花冠がずれているのを直してやりつつ、フェリシアに視線を移す。
 怪物というワードに反応を示したが、どうやら思っていたのとは違ったらしい。

 「それってさ、中に人が入ってるレコードプレイヤーなんじゃないの? 私も見てみたいし、いいよ」

 ちょっとずれた着地点に行きつつも、やる気は出たらしい。
 にっこりと微笑んで、ロゼットは頷くだろう。

《Licht》
「お、大きなムシみたいなやつで、金属で…中に何か、いる??」

 フェリが見せてくれたノートのうち、怪物の特徴についてやレコード盤についてなどをこっちも懸命に書き取りながら、リヒトはぽかんとそう返す。必死に書いてたから、ひょいっと花冠が直されたことには気づかなかった。

「お……おう!! 行くよ!! というか、頑丈なテーセラがいないと危ないだろそんなヤツ…!!」

 全力で頭を下げたフェリの声量に、こっちも大きな声で応えた。怪物のことは上手く想像できないけれど、『頼りだ』なんて言われたら、リヒトは断れない。

 ……それでも、少しだけ。リヒトはアビゲイルについてフェリの言葉でしか知らないからこそ、考えてしまう。もしかしたら、その子は、その怪物に連れていかれてしまったんじゃないか、って。その子が最後に残せたのが、そのレコード盤だったんじゃないか、って。

 だって、オレたちは特別製のビスクドール。
 誰かに手を伸ばされるような、価値のある人形。

(……コワれたオレは、そんなことないだろうけど……)

《Felicia》
 フェリシアの一日の行動が記されたノートを懸命に写しながらリヒトくんは不思議そうに記された内容を呟く。それは些か信じがたいからだろう。夢中になりすぎて花冠がズレたことに気づいていないリヒトくんを、先程マイペースにフェリシアの言葉を受け入れてくれたロゼちゃんが直した。

 微笑ましいひと時にいつものフェリなら笑顔をこぼすのだろうが、顔は少しだけ引き攣っている。
 ふたりがこちらを向いた瞬間に取ってつけたような笑顔を見せるのだろうが、本当は今から本当に怪物に会いに行くのだと生々しく感じて震えが止まらないのだ。

「ありがとう、ありがとう──!

 こればっかりは、ひとりじゃどうしようもないって思ってたから。
 本当にほっとしたよ!!」

 どうやらふたりはフェリシアと共に開かずの扉へと向かってくれるらしい。優しい友だちの勇気に感謝が止まらない。何度も何度も、「ありがとう」の言葉を送った。
 リヒトくんが自身のノートを書き終わった頃、決心したようにフェリシアは話す。

「よし、じゃあ行こっか。
 『開かずの扉』がある場所!!
 ひとまず学園の二階に向かおう!」

 二人の了承を得られたのである。
 それでは、フェリシアが怪物を見失った場所『開かずの扉』へ行こうか。

Amelia
Felicia
Licht
Rosetta

《Amelia》
「……?」

 ロビーに来た直後、聞こえたのは慣れ親しんだ少女の声。
 そう、フェリシアが話す声だ。
 見ればそこにはリヒト様にロゼット様とかなり仲のいいドール達が揃い踏みであった。
 そうして耳を澄ますと『開かずの扉』だとかなんだとか……。

 となれば興味を惹かれない訳が無い、彼女は二階へと向かう一行の後ろをそーっと着いていくのだった。

《Rosetta》
  リヒトとフェリシアは緊張しているようだが、ロゼットはそうでもないらしい。
 怪物なんて実物を目にしたことはないし、本当なら儲け物ぐらいの気持ちでいるのだろう。
 ちょっくら散歩に行くぐらいの気軽さで、軽く声を出した。

「怖かったら言ってね。手を繋いであげるから」

 後ろからついてくる、アメリアのことには全く気づかないまま。
 ロゼットはリラックスしたまま、開かずの扉まで共に向かうだろう。

《Licht》
「おう、オレに出来ることなんて……あんま無いけど、とりあえず任せな!」

 ありがとう、と繰り返すフェリに頑張らなきゃな、と心を決める。その後ついて行ったのんびりしたロゼットの姿を見て、

「……ってな、ワケで。
 アメリア、お前も来る?」

 そしてふっと振り返った先。青い髪の“落ちこぼれ仲間“がそっとついてきていることに、リヒトはとっくに気づいていた。

 テーセラの五感の力か、いやそうでなくても。

「そういやアメリアに聞いてみたいこと、が────」

 そして、そう言いかけた時だった。

 時刻は日の暮れ、PM18:00。学園に残る生徒の数が少なくなり始めた頃合いである。
 あなた方が学園のロビーにて一堂に会し、準備を整えて二階へ続く階段へ向かおうとした、その時だった。

「──や、やだっ!! やめて……やめてよぉ……ッッ!!!」

 あなた方の間を、絹を裂くような少女の悲鳴が貫いた。それは聞き覚えのある少女の声であり、同時にその声では到底聞いたこともないほどの悲痛な叫び声である。

 聴き間違えるはずもない。これはミシェラの声である。彼女の声は、ダンスホールへ続く道筋に存在する、エーナドール専用の控え室から響き渡ったようだ。

《Licht》
 悲痛で、悲壮な、金切り声が耳に届く。届くのと、走り出すのと、どっちが早かっただろう。リヒトは金切り声の方へ、エーナドール専用の控え室の方へ走り出した。……その勢いで、彼のつけていた不格好な花かんむりがふわりと落っこちる。

【学園1F エーナドールズ控え室】

Amelia
Felicia
Licht
Rosetta
Michella
■■■

 踏み込んだ控え室には、色とりどりのドレスやタキシードが部屋いっぱいに溢れていた。そのどれもがまるでステージの主役で、スポットライトをもっとも浴びているのだとでもいうように眩ゆい輝きを放ち、部屋そのものが大きな宝石箱のようにも見える。
 これらはお披露目のためにドールズ一人一人に合うようオーダーメイドされた衣装であり、お披露目が決まったドールには必ず事前に用意される晴れ着なのだ。

 もちろん、落ちこぼれ学級であるミシェラにも、素晴らしいドレスが与えられている。
 ──筈なのだが。

 ウォークインクローゼットの前で座り込んだミシェラが、何かを抱き締めて小さく丸まり、「うあ〜ん」と哀れにも泣きじゃくっている。
 絢爛豪華なビーズやフリルがふんだんにあしらわれた、輝かしいパウダーピンクの生地を用いたドレス。それが彼女の腕の中で、見るも無惨にズタズタにされているのだ。

 彼女の周囲を取り囲んでいるのは、ミシェラと似た黄金色の髪を巻き込んだ、気の強そうな吊り目の少女と、他2名のドールズ。

 恐らくリーダー格であろう麗しの少女は、駆け込んだあなたを横目で見て、嘲るように笑う。

「あら、欠陥ドール様がた、ご機嫌よう。ここはあなた方の居場所ではなくってよ」

《Felicia》
「ミシェラちゃん!! 怪我してない!? 痛いとこ、ない??
 もう大丈夫。怖かったね……」

 涙で頬を濡らすミシェラちゃんに急いで駆け寄ると、ぎゅっと抱き締めて慌てて怪我の確認を。
 安心させるように頭を優しく撫でながら身体の表面を観察して傷が出来てないか確認した。
 抱きしめた小さな身体に傷ができていないことを確認すると、彼女が握りしめているドレスに目を移す。ミシェラの為に特別に作られた可愛らしいドレス。きっと大きなステージで、ミシェラの笑顔と共に輝くのだろう。

 状況は理解出来た。だが焦っては絶対にダメだ。焦って言動が荒くなれば、きっと嘲笑っている相手は面白がる。

「うん、そうかもしれないね。
 私は所詮オミクロンクラスの欠陥品な訳だし。
 ねぇ、でも貴方たちがしてる事の重大さは分かってる?

 それとも貴方たちは理解できていないのかな?
 知らない貴方たちに教えてあげる私たちドールズにとってお披露目は人生でいちばん大切なイベントなんだよね。
 そのイベントを、ひとりのドールの人生の転換点をめちゃめちゃにした貴方たちの顔は忘れないよ。」

 あくまでも冷静に、昂る気持ちを抑えて話す。ここまで怒りが湧いてきたのは初めてだ。これが憎悪という気持ちだろうか。そんなことを言いながらもミシェラを撫でる手は止めない。これは駆け引きだ。相手が私のペースに着いて行けなくなったら私の勝ち。

 沈黙が走る──

 暫くして口を開いたフェリシアはキッと睨んでいた表情を緩めて今度は優しい微笑みを浮かべた。
 愉悦に笑っていたドールたちはその穏やかな表情に驚くだろう。

「へへ、でもやっぱり私は大好きなエーナクラスのお友達がこうやって酷いことをするなんて考えられないよ。

 ねぇ、何があったの?
 教えて欲しいんだ。私の大好きなミシェラちゃんも泣いてるし。
 それに──お友達の貴方たちも、私の知ってる限りそんな事をする子じゃない」

 リーダーと見られる美しいドールの瞳を真っ直ぐに見つめる。
 ペリドット色のフェリシアの瞳には怒りの色も、困惑の色も見えていない。ただ純粋な疑問の視線を向けているのだ。

「ぇぐ……ぅ……ぐすっ……フェリおねぇさま、リヒトお兄さま、」

 ミシェラは喉を引き攣らせ、嗚咽を零しながら、自身を包み込む優しい体温の正体である勇敢なフェリシアと、いち早く駆け付けて来てくれたリヒトの姿を見上げる。その頬には照明に反射してきらきらと照り返す美しい涙がはらはらと伝い落ちていたが、あなた方の登場により涙は止まったようだ。今は涙の余韻を引き摺って、引き攣った声を上げているのみである。

 フェリシアは相対する金髪の乙女を見据える。吊り目がちな瞳の縁取りには、昏くも耽美な輝きを湛えるエメラルドグリーンの双眸が収まっている。
 彼女の名をあなたは知っている。当時から、プリマドールであるアストレアを疎んでは、エーナクラスの中で派閥を作って君臨していたアリスという名の乙女である。

「馬鹿正直のフェリシア様じゃありませんの、その馬鹿面、変わっていらっしゃらないのね。忘れなくて結構です、どうせあなた方には何も出来ないもの。

 出来損ないのジャンクの訴えを、誰が信じると言うのです?

 いいかしら、この後の筋書きはこう。その子は来たるお披露目のプレッシャーに押し潰されて、ドレスをめちゃくちゃにした。私たちは大切なドレスを台無しにしたその子のことを先生に報告する。
 そして、その子は精神性に未だ問題ありとみなされ、お披露目に行けなくなる。

 どうかしら、出来損ないの頭でも分かる単純明快なシナリオでしょう?」

 紅の塗られた赤い唇が歪に笑いの形を作る。彼女は顔にかかった金糸を払い除けて、鼻で笑う。

「欠陥ドールの癖に、この私を差し置いてお披露目に選ばれるなんて、何かの間違い。私はその間違いを正しただけですの、悪く思わないでくださいませ。

 理解出来た? それじゃあ、ご機嫌よう。せいぜい傷でも舐め合っていなさいな。」

《Amelia》
「……!」

 走り出した三人に対して、彼女は少し遅れて、扉を閉めてから入室する。
 今から起こる事が外から見えないように。
 自分のはしたない姿を余り多くの人には見せないように。

 どうも、目の前のエーナモデルのドールは自分の行なった行為を誤魔化そうとしているらしいが……誤魔化されてはこちらとしても大変困る。

「スゥ……ああ、いと気高きエーナモデルの皆々様!
 確かにその策は素晴らしい、デュオモデルにも劣らぬ考えでございましょう!
 けれど、ああ! 悲しきかな、そこには優れているが故に小さな見落としがございます。
 そう、もしもそれに気付かれてしまえば貴方様が逆にオミクロンになってしまうような、そんな見落としが」

 故に、彼女は勇気をふり絞り、空気を肺いっぱいに吸い込んで、普段ではありえないような大きな声で、芝居がかった口調で自分に興味を惹こうと試みる。

 アリスはそのまま部屋を出て行こうとした……が。目の前で扉を塞ぐ、140センチ余りの矮小なドールの存在をじとりと不穏げな暗い眼差しで見下し、一つため息を吐く。

「デュオモデルといっても所詮は欠陥品、そんなあなたが正規のドールであるこの私が気付かないような見落としを?

 つけあがるのも大概にして頂戴、今度はあなたの顔を切り刻んで、使い物にならなくするわよ」

 あなたが自ら閉ざし、外部にやり取りが漏れ聞こえる心配がなくなった空間で、惜しげもなく過激な脅迫を吐き捨てたダークな美貌を研ぎ澄ませた乙女は。徐ろにあなたの肩を掴み、グッと扉の傍へ乱暴に押し退けるだろう。

「──くだらない浅知恵ね。それではご機嫌よう。」

 アリスはあなたの言葉に耳を傾けることなく、そのまま部屋の扉を開いて出ていこうとする。

《Rosetta》
 ロゼットは一人で、部屋の外からやり取りを見ていた。
 まるで舞台の上でも眺めるように、他人事のような面持ちで。
 ミシェラの泣き声、“いい”ドールの悪意、そして友達の怒りや悲しみ。
 部屋と廊下にある、境界線の手前で、ただそれを観ていた。

 「ねえ」

 廊下に出る扉を塞ぐように、ロゼットは立ち尽くす。さながらその姿はかかしにも似ていた。

 「君たちみたいに“いい”ドールなら、そういうことをしてもいいのかな。“わるい”ドールは、君たちに何をしたらいいの?」

 煽りでも、皮肉でも、咎めるようなニュアンスでもない。
 純粋な疑問として、『決まりごと』を守らないドールに、彼女は問いかけていた。
 押したとすれば、きっと容易に倒れてしまうだろう。ガラスのパーツにヒビでも入ったとしたら、アリスはどうするのだろうか。

《Licht》
「っミシェラ!!」

 まず真っ先に飛び込んだその先の惨状に呆然として、次に飛んできた言葉に今度こそ、リヒトは凍りつく。それは紛れもない事実で、避けられはしない真実で、突きつけられてしまえばこんなにも脆く打ちのめされてしまう、現実だ。


 確かに自分は、
 あのドールが言ったように、

 完璧に────コワれている。


(……………それが、なんだ)


「っ……ミシェラ!! アメリア!! 傷とか、大丈夫……?」

 冷水のように届く少女型ドールの言葉から逃げるように、リヒトは二人の方をむく。ぼろぼろ泣いていたミシェラのことも、掴まれたアメリアのことも心配だ。フェリだってこれから何されるか分からない。だから心配だ、だって、だって皆はオレと違ってキレイで、オレよりもずっとコワれてないから、何も出来ないのはいつだって、誰よりもコワれてるのはいつだって、

(それが、なんだ)

 頑丈な体しか取り柄がない癖にさっきからボーっとして動けなくて、だからアメリアが掴まれた時も咄嗟に庇えなくて、欠陥だらけだから、コワれてたから、今だけじゃない、いつだって、ずっと、ずっと……

(っ、今は、こうしてる場合じゃないのに……!)

 こういう時に、自分のことしか頭を占めて離れない、そういうコワれた頭のことが、この世で一番、大嫌い。たった一つ傷を受けただけで、ガラクタみたいに軋む心が、この世で一番大嫌い。

 せめてまた、今度は何もされないように、去っていくアイツらから皆を隠すように移動して…………そうしたら、扉の向こう、アイツらの目の前にロゼットが居た。今度こそコアが止まりそうになる。どうしよう、あそこまで手は届かない。

《Felicia》
 アメリアちゃん、ロゼちゃん、リヒトくん。三人の頼もしい仲間達がこんなにも頑張っているのに。
 腕の中で、可愛くて優しいミシェラちゃんがこんなにも悲しがっているのに。

 目の前のアリスちゃんは何ひとつ気にしてないように立ち去ろうとしている。これ以上は、さすがのフェリシアにも看過できない。 
 お友達であっても、悪い方向に向かう友だちには目を覚まして貰わないといけない。

 フェリシアの微笑みが、純粋な眼差しがだんだんと消えていく。
 緊張する場面の中、「ねぇ、アリスちゃん。」という乾いた声が響いた。
 これからフェリシアは心無い言葉を、言うつもりなのだろう。

「貴方は、本当にそれでいいの?
 あとで後悔しないのかな? 
 確かに私たちには欠陥があるけれど、“既に地べたを這いつくばってる落ちこぼれ”にやっと巡ってきたチャンスを蹴落としてなんになるんだろう?

 もし今の貴方がお披露目会に出たとき、アリスちゃんの心の底から素敵なご主人様に出会えるって思う?
 自分より下の存在を僻んで、欠陥はあれど同じ形をしたドールに地獄の運命を歩ませる。
 教えて。貴方はそんなドールになりたかったの?
 そんなドールになりたくて、ずっとお勉強頑張ってきたの?」

 諭すような口調、だがその言葉には確かな攻撃力がある。
 少なくとも、アリスちゃんには。
 ミシェラちゃんのドレスをめちゃめちゃにしたのも、自分がお披露目に相応しいとそう思って疑わなかったからだろう。

「─── 違うでしょ!!!
 完璧なドールになって、最高のご主人様を見つけるのが本来ドールズの目標なハズ!

 アリスちゃん、貴方はエーナドール。デュオドールより、トゥリアドールより、テーセラドールより人間の心を持ってる。

 優秀なエーナドールであるアリスちゃんなら、いま私たちが感じている気持ちにも気づいてくれてると思うの。」

 声が大きくなる。伝えたいのだ、エーナドールとしての、本来あるべき姿を。かつての友だちに。
 お披露目会に出たい、その気持ちはドールズ達の活動目的そのものであるあり、その気持ちは、ドールズ達を未来へと突き動かす事を。

「それができないなら、申し訳ないけどエーナドール失格だよ。
 相手の気持ちに寄り添えないドールのことを、ハッキリ言ってエーナモデルとは言わない。
 “エーナドール”の私がそう思う。
 とっても可哀想。不憫だね。
 そんなんだからいつまでもお披露目会に出られないんじゃない?

 理由は貴方の中にあるハズなのに自分のことを過信した挙句、自分より下の立場の子に是が非でも行きたかったお披露目会へのチケットを取られたですって?

 笑えるね、はだかの王様じゃん。

 アリスちゃん、私は貴方に心から同情するよ。心からね。」

 これは怒りだ。
 フェリシアの怒りの叫びである。
 懸命にドールとしての道を歩んできた友だちに対する怒りだ。
 変わってしまったことへの怒りだ

 しかしそれは、オミクロンクラスを下に見ていれば見ているドールほど、深く傷つけてしまう言葉だった。

 最後にと、もう一度その質問を。

「ねぇアリスちゃん、そのまま立ち去って本当に後悔しない?」

 アリスは、まるで幽鬼のように廊下の暗がりから現れたローズマダーの仄暗い赤毛のドールを目を細めて見据える。
 ただそこに立っているだけで、道を塞ごうともしていないのだろう。彼女の眼差しはただ目の前に立つアリスをあるがまま写しているだけで、そこに非難の色は窺えない。けれども静かなその言葉から発される言いようのない威圧に、アリスは眉間に皺を寄せ、足を止めさせられる事となる。

 そして、極め付けに。その背に投げ掛けられる、あまりにも真っ直ぐで“正しい”フェリシアの論が、貫くように空間に響く。
 エーナドール失格。かわいそう。不憫。
 謂れのないそれらの、罵倒ですらない彼女の同情の言葉が、的確にアリスの琴線に爪を立て、がりがりと引っ掻き不協和音を奏でているようだ。

 こちらを見ているロゼットには、アリスが奥歯を噛み締め、下瞼を痙攣させている様が映るかもしれない。怒りに一時肩を震わせたが、傍に立つドールの一人に呼び掛けられると、その力を一気に抜くように落とす。

「……あなたに同情される筋合いなどありません。欠陥ドール風情が、まともな言葉を唱えているつもりかしら?

 哀れ? 同情する? 全て的外れ。こちらの台詞よ! あなた方のような落ちこぼれはね、そもそも幸せになる権利なんて与えられていないの!
 この私に偉そうに物を申したいのなら、まずご自身の抱える欠陥をどうにかして、対等な立場になってからになさいまし。まあ、馬鹿正直なあなたでは到底無理な話でしょうけれど──」

 売り言葉に買い言葉。アリスという哀れな嫉妬の獣は、その口から懲りることもなく毒を吐きこぼす。


 そんなあなた方の間に──学園全体に。リーン、ゴーン、と重たい鐘の音が響き渡る。

 それは夜19時を知らせるチャイムだった。学園内に残っているドールには寮へ戻るようにと促す合図でもあった。

「……退きなさい。ジャンク風情が偉そうに道を塞がないで。

 それでは今度こそ、ご機嫌よう。」

 アリスは静かな声で吐き捨てると、今度こそ、あなた方の脇をすり抜けて足早に立ち去っていく。
 控え室には重苦しい沈黙が横たわることになるだろう。

 ミシェラは重たそうに泣き腫らした顔を上げて、見るも無惨な襤褸切になったドレスを抱え上げる。

「……お姉さま、お兄さま、助けてくれて、ありがとう。ドレスを見てたら、あの人たちが来て……止められなかったの、わたし、どんくさいから。

 えへ……お父さまに謝らなくちゃ。せっかくのドレスを台無しにしてごめんなさいって。」

 ミシェラは自身の制服の袖で涙を拭うと、立ち上がる。止められなければそのまま、控え室から出ようとするだろう。

《Amelia》
「そう! これっ……と、お、」

 少しだけ時を戻して、アリスに押しのけられる直前。
 彼女は如何にも証拠品の如く一本のペンを取り出した。
 何の変哲もない、いつも授業で使うそのペンを手に言葉を続けようとしたが、それは無視され、遮られてしまった。
 本来なら、このまま近付いて服の気付きづらい場所に汚れを付けて争った痕であると証言したりするつもりだったのだが、アリスが無視して押しのけるという単純明快かつ正しい対策を取った結果愚かな道化のつたない反撃は始まることもなく失敗となったのだ。

 と、言いたい所だったが、意外にもアメリアは諦めが悪かった。
 かつ、幾つかの幸運が味方した。
 アリスが自分の手で押しのけようとした事。
 直前にペンを取り出せていた事。
 そして、アリスが掴んで押しのけた事。
 これらの三つの幸運が重なった結果として話を聞かずに自分を押しのけようとしたアリスの手に咄嗟にペンを押し付ける事でインクの汚れを付けて見せたのだ。

 そうして、やるべき事を終えた彼女はペンをポケットにしまってから立ち去ろうとするアリスを見送り、……残ったミシェラに対してどんな言葉を掛けるべきかと考えていたのだが……彼女の知識の中に、そんな魔法の言葉なんてありはしなかった。

《Rosetta》
 立ち去るドールたちを見送って、ロゼットはようやく部屋に入る。
 アメリアは何をしていたのかとか、みんながどうしたいかとか。
 そういったものを全て無視して、彼女はミシェラの傍に来た。

「破られる前に気付いてあげられなくて、ごめんね。一緒に先生のところに行って、ドレスを作り直せないかお願いしてみよう。もしも駄目でも、みんなで花冠を作ってあげる。この前、宝石みたいなお花を見つけたんだ」

 相手に拒絶されなければ、しゃがみこんだ後、ちいさな身体を抱き締めるだろう。
 抱き上げる、までは流石にできないかもしれないけれど。少女を安心させるように、歌うように、ロゼットは言葉を紡ぐ。
  リヒトたちの方を見て、「あの〜……何とかちゃんたちのことは、後回しにしよう」と、ロゼットは言う。

「そりゃあ怒りたくなっちゃうかもしれないけど、さ。それよりも、お披露目に間に合わない方が問題だよ。ミシェラにも、ご主人様にも、きっと悲しい思いをさせてしまうから」

《Licht》
「……バーカ」

 フェリに言い返されて何も言えなくなってんじゃん、なんて思いながら、去りゆく背中にバレないように、小さくべっ、と舌を出す。そんなんだからお披露目に呼ばれないんだよ。そんなのより、ミシェラの方が、ずっとずっと、ずーっと、キレイだ。

(皆は、“ジャンク”じゃ、無い)

 ……彼は知っている。
 傷ついたミシェラに真っ先に駆け寄り、言葉と心で戦ったフェリを。フクザツな迷いを抱えていながら、真っ直ぐアイツらに立ち向かったアメリアを。安心できるいつものペースで、ミシェラに寄り添ったロゼを。

「じゃあ、今日はどうする? もう鐘鳴っちまったし、服の話もセンセーにしなきゃだし……。

 ……そーだ、ロゼ。その宝石みたいなお花って、何て名前? こんどみんなで集めて、ミシェラの服につけたらきっと────お披露目の時は、誰よりもキレイなミシェラになるだろ!」

 『その時は、アメリアも手伝ってくれよな!! あいつがビックリして腰抜かすくらい、キレイにしてやろうぜ!』と、アメリアに笑って語りかける。明るく元気なテーセラだから、雰囲気の切り替えにはもってこい。気持ち、抱き締め合うミシェラたちから一歩だけ離れて、リヒトはフェリの、『開かずの扉探検隊』の隊長の判断を待った。

「どーする、タイチョー。オレは待ってるぜ」



 ……彼は知っている。

 オミクロンクラスのみんなには、欠陥とされながらもそれぞれ、キレイな良さがあることを。
 だからこそ、ジャンクの中のスクラップ、本当に手の付けられない故障品が、どれであるかを。
 この場で、誰が一番コワれた出来損ないなのかを、リヒトは知っている。

(……せめて、笑って。なんでもないよって言わなきゃな。……何も、出来なかったんだから)

《Felicia》
「……… 、ふぅ。」

 アリスちゃん達が立ち去った後、熱くなってしまった気分を落ち着かせるように大きく息を吐く。
 アリスちゃん、反省してくれているといいんだけど。
 身体の力が抜けるくらいまで息を吐いたら、今度はゆっくり息を吸いあげた。息が整うと改めて、自身の周りをみる。
 アメリアちゃんも、ロゼちゃんもリヒトくんも。誰ひとりアリスちゃんに臆することなく勇気のある行動を取っていた。なんて、なんて頼りになる仲間だろう。
 もし私独りだったら、何も出来なくて終わっちゃってたかも。

 そして今、ロゼちゃんはミシェラちゃんを安心させようと優しい声で話してる。

 リヒトくんは、場の空気を明るくしようと笑っている。

 ほんと、恵まれてるよ私って。
 私達に幸せになる権利はないって言ったけど、幸せってきっと“こんな”ことを言うんじゃないのかな? ねぇ、アリスちゃん? ──


「んー、リヒト隊員。これからどうしようねぇ。
とりあえず! ミシェラちゃんに怪我がなかったみたいで良かったって思いたいけど…… 。」

 隊長なんて呼ばれ、彼にならっておどけて返す。不安そうなミシェラちゃんをみたあと、その小さな手に持っている切り刻まれたドレスに視線を移した。
 そして元気づけるように明るい声で話すのだった。

「ドレスのことは、きっと何とかなるよ!! でも、ミシェラちゃんひとりだと心配だから、みんなで先生に会いに行こう?
 ミシェラちゃんも、謝るんじゃなくて、“相談”しに行くの!
 こんなことがあって、大変なんです、助けてくださいって!!
 先生なら分かってくれる筈だよ!」

 ミシェラちゃんがいま一番不安定なのに、私が不安そうな顔をしては行けない。ロゼちゃんに抱きしめられている彼女に笑顔をみせて「お披露目会に出られて嬉しいミシェラちゃんの気持ちは、先生もすっごく分かってると思うからね!」なんて付け足す。

 先生なら分かってくれるだろう。
 毎日毎日、優しく見守ってくれる先生なら。

 優しくこの身を抱擁するたおやかな腕。ロゼットの温もりを感じて、ミシェラは小さく鼻を擦り、瞳を伏せてから彼女の懐に潜り込む。
 ロゼットの慰めは、ミシェラの心に突き立った小さな針をひとつずつ丁寧に除いてくれるようで、ほっと安堵のため息を吐くのだった。

「宝石みたいな……お花?」

 その言葉に、ミシェラは顔を上げる。哀しみよりも、そんな素敵な単語への興味が勝ってきたようだった。
 もう一度涙を拭い、リヒトの鼓舞するような明るい声ににへ、と破顔する。

「わあ……それって、素敵。みんながわたしだけの特別を作ってくれるんでしょ? えへへ。それってとっても幸せなこと、ね。

 ありがとう、お兄さま、お姉さま……わたし、みんなのこと本当に本当に大好きよ!」

 もう一度ロゼットに抱きついて、その胸に頬擦りをしてから、意気揚々としたフェリシアの宣言に「うんっ!」と頷く。

「お父さまに、相談……する! わたし、きっと一番素敵なレディになって、お披露目に……行きたいから!」

Amelia
Felicia
Licht
Rosetta
Michella
David

 あなた方が連れ立って学生寮へ戻ると、もう一帯はすっかり日が暮れており、薄暗くなっていた。群青色の帷が空に広がり、星が瞬いているのが頭上に見える。暖かくなってきた春先とはいえ、日が沈むと気温はグッと下がる。その足取りは自然と早まるだろう。

 学生寮に戻る道すがら、あなた方は正面から早足で歩いてくる先生の姿を見つけるだろう。
 彼もまたあなた方の姿を見つけると、急いで駆け寄ってくる。

「何があったんだい? ……いや、一度寮へ戻ろうか。この辺りは冷え込むし、暗くて危ないからね。」

 少し焦ったような、あまり見ない先生の様子に驚くかもしれない。しかし先生はすぐにふっと見るものを安心させる微笑みを浮かべ、あなた方を暖かな空気が満ちる寮へと連れ戻すだろう。

【学生寮2F 先生の部屋】

 ──戻ってきたのは、先生の部屋。
 先生はあなた方に向き直って、改めて何があったのか問い掛けるだろう。その声色はもうすっかり落ち着いている。

《Rosetta》
 フェリシア、リヒト、アメリア、そしてミシェラ。
 全員と歩いて帰った先、見つけたのは先生の姿だ。
 「ちょうどよかった、あなたを探していたんだ。あんまりよくないことが起きちゃってね」
 みんな今の先生くらい慌てていたよ、なんて。
 呑気に軽口を叩くと、風を受けた帆のように、先生の部屋へ同伴するだろう。
 説明はトゥリア向きの仕事ではない。他の誰かが説明すると見て、話の最中はミシェラの近くに立っているはずだ。

《Licht》
 連れ立って歩く、ドールズの行進。春先の少し肌寒い風に誘われるように、リヒトはそっと星空を見上げた。ちかちか、キラキラ、光る星をひとつずつ繋げて物語を作り出す、ヒトの文化について習ったのはいつの授業だったろうか。まだ覚えているだろうか。明けの明星、宵の明星。星座にすらなれない六等星を、見つけたヒトが居ることを考えた。

(……ヒトを支えて、大事なトモダチになって。夢とか、目的とかは、一緒のハズなのにな)

 今はただ、ミシェラがあの明星みたいに輝いてお披露目に行けるよう、あんな言葉で曇ってしまわないように、願っている。


 ……少し後、先生の部屋。

「それは、ソノ…………」

 怒りに任せて彼らの背中に『ばーか』なんて言ってしまった負い目もあって、リヒトは先生の質問に、しどろもどろに目線を動かす……一瞬だけ写った先生の本棚の向こうのことを考えて、頭をかいた。説明は、我らが隊長に任せよう。

《Felicia》
 移動した先、暖かな先生の部屋。いつものように優しく微笑む先生を目の前にして言い淀んだリヒトくんをちらりと見る。動揺する様に目線を動かすリヒトくん、どう説明して良いのか分からないのかもしれない。そういうことなら任せて、とフェリシアは口を開いた。

「先生、折り入って相談があるの。
結論から言うと、お披露目会用のミシェラちゃんのドレスが着られなくなっちゃったの。
そうなったのには理由があってね。実はね───」

 そこまで言うと、
・ミシェラちゃんのドレスが、
アリスちゃんをはじめとする子達にダメにされてしまったこと。
・アリスちゃんが「オミクロンクラスの子は幸せになれない」と言ったこと。
・そしてフェリシア自身もアリスちゃんに酷いことを言ってしまったけど、後悔はしていないこと。
・その時、みんなは勇気をだして“きちんとした”行動をとってくれたこと。

 等の当時の状況を、持てる語彙を使ってこと細かに説明した。

「いまこうやって状況だけを説明しても掴めないことが多いと思うから、これを見て欲しいの!」

 そう言うとフェリシアはミシェラちゃんに、無残にも割かれてしまったドレスを先生に見せるように誘導する。不安そうな目を向けられるが、「大丈夫だよ」と言うように元気に笑いかけるのだった。

「う……うん。お父さま、これなの。」

 フェリシアの安心させるための微笑みを見上げて、ミシェラは不安の為に力強くドレスを胸に抱く力を抜いて、そっと皺になってしまったドレスの残骸を表に、先生の眼前に晒す。

「わ、わたし、確かにお披露目が不安だったけど、このドレスを着るのが、ゆ、夢で……だからドレスをめちゃくちゃになんて、し、しない゛もん……」

 ドレスを広げて掲げる手は次第に震えて、ミシェラはその瞳にまた涙を浮かべ始める。やがてはワッと声を上げ、「お披露目でドレス着たかったぁ、うぁーん」と堪えきれなかった嘆き声を上げるのである。

 先生はフェリシアのしっかりとした説明とミシェラの様子、ドレスをそれぞれと見て、数秒ほど考え込むように口元に手を添えると。

「……なるほど、君たちの事情は分かった。アリスというのは、エーナクラスのドールだな。

 大変なことがあったんだね、気付いてやれずにすまない。君たちも、ミシェラを助け出してくれてありがとう。揉め合いになって怪我はしていないだろうね?」

 彼はフェリシア、アメリア、リヒト、ロゼット、それぞれの顔を覗き込んで目立った負傷がないことを確認し、安堵したように眦を緩めると。

「ドレスのことは問題ない、お披露目までには間に合うよ。ミシェラは予定通りにお披露目に出す。君たちは何も心配しなくていい。

 ドレスがなくて不安だろうけれど、先生に任せておくんだ。それよりも──お披露目はもう明日の晩だ。君たちも、ミシェラとのお別れはきちんと済ませておくんだよ。」

 室内でコチ、コチ、と針の音を立てる時計を一瞥して、彼は肩の力を抜く。

「大変だったろう。夕食の支度は他の皆で行うから、君たちは少し休んでいるといい。私はドレスの件をどうにかしておくから。すまないね。」

 そう言って先生は、泣き噦るミシェラの頭を撫でてから、あなた方を一度部屋から出すだろう。

 寮の廊下に出て、一時その間には静寂が生まれる。

《Amelia》
「……」

 先生が揉め合いになって怪我はしていないか? と聞いた時、彼女は一瞬声を上げようとしたが今は黙っている事にした。
 ミシェラとアリスがもみ合いになってアリスの手が少し汚れた。
 という噓をついてまで信用を得るべき相手ではないし、ミシェラが目の前にいる状況ではミシェラ自身に否定されるかも知れなかったからだ。
 その為、部屋から出るように促された後は小さく一礼だけ先生にしてから素直に従い、廊下に出る。

「…今日は、もう休みましょうか。」

 そうして、一時生まれた静寂の中で真っ先に声を上げる。
 開かずの扉なる場所を調べると言っていたし、ロゼットの言っていた青い花も気になるが…こうなっては出かけるのは無理だろうな…。
 と考えて彼女は一歩後ろに下がる。
 誰も止めなければ彼女はそのまま気まずそうに立ち去るだろう。

《Rosetta》
 先生はしっかり話を聞いてくれたし、ミシェラはちゃんとお披露目に行けることになった。
 開かずの扉の探索まではいかずとも、なかなか悪くない結果になったのではないだろうか。
 「お披露目にも問題がないみたいだし、よかったね。私はもう寝るよ」
 ロゼットには何の不安もない。今の所は。
  リヒトやミシェラに、「小さい子も早く寝るんだよ」と声をかけて。フェリシアやアメリアには、「もちろん、しっかりした子たちもね」と微笑んで。
 彼女はのんびりと立ち去ることだろう。

《Licht》
「ありがとな、アメリア、ありがとな、ロゼ!! ────二人ともかっこよかった!」

 ゆっくりとオルゴールが回るように、みんなは先生の部屋を離れていく。ワンテンポ遅れたリヒトはそれでも、去っていく二人に対して大きく感謝を伝えた。きっと二人には、たくさん讃えられるだけの権利があると思ったから。

「もちろんフェリもな。ヒーローってカッコイイな!」

 当然、あと一人の大事な仲間にも忘れずに。

「大丈夫! 明日にはもっともっとすげ〜服が来てるよ、だってオレたちのセンセーだし」

 次にミシェラの方に屈んで、リヒトは笑顔でこう言った。お披露目前で不安もあるだろう。本番にこんなことがあったらどうしようって思うだろう。だからせめて自分は、いつも通りで居るように。

 ひとしきり終えたら、呑気にみんなと先生に挨拶をして、リヒトも先生の部屋を離れるはずだ。


 その、道中。

(………ん、今。オレ小さい子扱いされた……??)

 設計的には、ロゼに次いで、このメンバーでは二番目に背が高いハズなのに。あ〜〜っ!!と反論しようにも、ロゼはひらりと立ち去ってしまったあとで、リヒトも部屋を離れた後で。次あったらタダじゃおかないぞ、なんて、リヒトは心に決めるのだった。

《Felicia》
「リヒトくんの言う通り! 先生だったらきっと、もっと素敵なドレスを送ってくれるはず!!
心配しなくても大丈夫だよ!!」

 元気づけている一番星にならってフェリシアもにっこりと笑いつつ
 ミシェラちゃんに声をかける。
 そのまま部屋を出ると、立ち去ろうとするみんなを呼び止めた。
 集まってくれたのは、偶然通りかかったのだろうアメリアちゃんを除けば、元々開かずの扉に向かうために誘ったメンバーなのだ。

「色々あったし、開かずの扉に行くのはまた今度にしよっか!
とりあえずミシェラちゃんのドレスが何とかなって良かったよね!」

 それを言うと、フェリシアも先生の部屋を離れるだろう。持っているレコード盤と記録したノート。それらは今日行かなくても残っているものだ。本来ならばひとりでも行こうとするのだが、在りし日に笑いあったお友達の悲しい姿を見たのもあり、フェリシアは精神的にも肉体的にも疲れていた。

 ─── もうすぐ日が沈む。

 今日あったこともきちんとノートに書いておこう。可愛いミシェラちゃんと過ごせるのもあと少し。今日は彼女にとって大変な一日だったけど、明日からお披露目会までずっとミシェラちゃんにとって素敵な日になるといいな。

「〜〜♪」

 お気に入りの歌を口ずさみながら明日がみんなにとっていい日であるようにと、ヒーロー志望のそのドールは思うのだった。

学生寮1F エントランスホール

Michella
Licht

「──みんな、お祝いありがとう! えへへ、お別れはすごく……すっごく寂しいけれど、大好きなお兄さまとお姉さまに背中を押されたら、わたし、きっと頑張れるって思えたわ。
 わたし、わたしね……みんなのこと、ずっと大好きよ!」

 それは、お披露目当日の晩の事だった。ミシェラと行う、最後の食事もつつがなく終えて、あなた方がいつも就寝する時間。
 ベッドに潜り込んでしまえば、いよいよ彼女とはお別れになる。なのであなた方はその前に、エントランスホールで各々最後の別れの挨拶をしていた。

 ミシェラはこの世の誰よりも幸せそうな顔で笑い、祝福を受け取っている。そんな彼女の肩に手を置いた先生が、「さあ、みんなはそろそろ眠る時間だよ。名残惜しいけど、お別れはここまでにしようね」と告げ、最後の見送りもお開きとなる。

 他のドールズがまばらに散って、自室に戻り、ナイトウェアに着替えて就寝の準備に向かう中。
 エントランスホールに残ったミシェラは、少しでもこの景色を目に焼き付けておこうと、どこか寂寞を宿す相貌で周囲を見渡していた──。

《Licht》
「間、に、合、った────!!」

 寂しそうな、悲しそうな、幸せに満ちた日が終わってしまう切なさのような、そんな静寂を打ち破るように……リヒトが、エントランスホールにギリギリ駆け込んできた。お別れの挨拶の時から既にソワソワと何かを気にしていたようだが、どうやら、間に合ったようだった。
 わとと、と手に持った何かを落としそうになりながら、咄嗟にそれを後ろに隠す。

「あっ、とっ、と……ごほん。ミシェラ、ミシェラ。目、瞑って」

 そしてリヒトは、妙に改まって咳払いをして、ミシェラにそう言った。

 今から、とびきりの魔法を掛けてあげよう。

 下手くそで、ドジで、間抜けで、無能で、無知で、コワれた見習い魔法使いの、精一杯のおまじないだ。大事な大事なトモダチが舞踏会に行くための、最初で最後の、小さな奇跡を、ここに。

 ミシェラが素直に目を瞑ってくれるなら、リヒトはワクワクした気持ちを隠そうともしない声色で、何度も確認するはずだ。

「瞑った? 瞑った? ……ゼッタイ開けるなよ……
 びびでぃ、ばびでぃ、ぶぅ!」

 きっと、エーナモデルなら記憶にある、魔法の言葉と共に、リヒトはミシェラに魔法をかける。ぱさり、と軽い音がして、何かがふわりと乗るだろう。まるで餞のように。

 ────それは、今までで一番上手く作れた、ミシェラのための花冠。

 ミシェラが過日の余韻に浸ってエントランスホールに佇んでいたところ、突如背後の扉が勢いよく開け放たれたことに驚き、「わあーーっ!?」と普段はあまり耳にしないような盛大な悲鳴を上げてしまう。
 目を丸くして、驚嘆に彩った顔で振り返り、飛び込んできた闖入者の姿をミシェラは視界に収めると。安心したようにほっと息を吐いて、眦を緩めた。

「なーんだ、リヒトお兄さまだったのね。えへへ、ものすごくびっくりしちゃった……え? 目?」

 何やら緊張したようにこわばった声でお願いをされては、ミシェラは疑うということを知らないのでそのまま目を伏せる。相手があなたであれば何も怖いことはないと信頼しきっているのもあるだろう。
 そうは言っても脈絡もなしに目を閉じていろと言われれば、何故か無性に緊張はする。「ね、ねぇ? リヒトお兄さま、これ、なんの──」──遊びなの? ……なんて続けられようとした声は、しかし。
 意気揚々とした聞き覚えのある魔法の呪文によって、噤まれることとなる。

「わっ、なに、なあに? いま、なにかした? お兄さま……目、開けてもいい?」

 ……本当は。頭に乗った軽やかで柔らかい感触に、もしかして、なんて思ってもいたけれど。彼からの答え合わせを待つように、そわそわと踵を持ち上げてはぺたりと床につけることを何度か繰り返す。

《Licht》
「いーよ、目、開けて」

 二歩、三歩と離れて、そわそわとリヒトは後ろで握った手を組みかえる。期待と、不安と、ちょっとした祈りを混ぜた気持ちで、ミシェラが目を開くのを待った。

 その、長いまつ毛がゆっくりと、確かめるやうに持ち上げられた時。

「じゃーん!! ……前、教えてくれただろ、花かんむり。いちばん上手く出来たから、ミシェラにやるよ!」

 照れ混じりの、それでも誇らしげな笑顔が咲き誇る。 ……『どうかな』と尋ねるリヒトの頭の上には、渡したものより幾分か不格好な花冠が乗っていた。不格好でも、おそろいだ。

 お披露目までの短い時間の間。この数日何度も花冠を作っては、何度も自分の頭に重ねていた。最後の最後、一番最後。軋んだ思考能力が唯一弾いた最適解に、そっと花の茎を通して出来上がった、いちばん綺麗な花冠。

「宝石みたいな花は、その、見つけられなかったけど……」

 ロゼの話していた花は、ついぞ見つからなかった。それでも春に咲く、ミシェラに相応しい花を選んで組んだ花冠は、しっかりと丸くミシェラの頭の上で咲き誇っている。

「……!」

 ゆっくりと目を開ければ、目の前にはいつもの可愛らしい花冠を乗せたあなたが立っている。ミシェラは安心したように眦を緩めて、しかし。未だに落ち着かないそわそわとした様子のあなたを見つめながら、そっとその両手を自身の頭部へとやった。
 かさり、と指先に触れる生花の柔らかな感触。ゆっくりと花でかたどられた輪っかの輪郭を辿りながら、ミシェラはじんわりと頬を喜びに染め上げていく。

「……お兄さま。見てみてもいい? お兄さまがわたしに……わたしにだけに作ってくれた、花冠」

 ミシェラはそうお願いをしてから、そっと頭に被せられた花冠を取り外す。両手に乗せた花冠は、確かに今までで一番素晴らしい仕上がりだった。一つ一つの茎が丁寧に寄り合って、織り込まれている。確かにミシェラが普段作る花冠に比べたらずっと不恰好かもしれないけれど。彼の努力と誠実さの表れのような、純朴な贈り物にミシェラは胸が温まっていくのを感じる。

 ──これをわたしに届ける為に、こんなに夜遅くまで頑張ってくれたんだ。

 そんな温かな『特別』が、こんなにも嬉しい。
 ミシェラは噛み締めるようにくしゃりと破顔して、何も言わないまま、輪っかを頭に載せ直す。改めて、残念そうに宝石の花を見つけられなかったと語る彼を見据えてから。

 ミシェラはドンっ、と勢いよくあなたに飛びつく。拒まれなければその薄いお腹にしがみつくようにぎゅっと抱擁しようとしながら、いっとう幸せだとでもいうように表情を蕩けさせた。

「お兄さま、花冠すーっごく作るの上手になったねぇ! わたしね、すっごく……すごく嬉しいの。こんな形でお兄さまの中にわたしの存在が残ってくれることが。わたしのこと、もしも忘れちゃっても……花冠の作り方は、どうか覚えていてね。
 この冠は一緒に外へ連れていくね。ずっと大切にする。ずっと、ずっとリヒトお兄さまのことがだいすき。お祝いしてくれて、ありがとう」

《Licht》
「どーよ、やれば出来んのさ!」

 どんっと、勢いのいい抱擁を受けて、リヒトはびっくり両手を広げて……その後、そっとミシェラに手を添えて、自慢げに誇った。

「……そう。やれば、出来るんだ。みんなだって、オミクロンだって。……そうやって、頑張ったから、ミシェラはお披露目に行くんだな」

 そして、感慨深いような、口惜しいような、独り言。コワれた自分の、悔しさや、惨めさを踏み越えて渡したこの花冠が、純粋な餞ではないことは、何より自分が分かっているが……それでも、褒めたかったんだ。認めたかったんだ。
 誰よりもその努力を見届けてきたから、分かる。この子は、どこに行ったって誇らしい、オレたちのミシェラだ。

「……ミシェラ、お披露目に行って、ご主人様のとこに行ったら、その人のことをイチバンにしなきゃダメだぞ? ……寂しいけど」

 そっと、ミシェラの手を下ろそうとしながら、ゆっくり後ずさる。一歩、二歩、三歩、この距離が、これから彼らの間に生まれる距離だ。

 サヨナラの時間だ。

「……うん! リヒトお兄さまだって、きっといつか、素敵なところをいっぱい認めてもらえるわ。わたし、先に外に行って待ってるね! みんなが来てくれるの……ずっと!」

 こちらに添えられる優しい手が愛おしかった。ミシェラは胸一杯の幸せを抱えて息を吸い込んで。一歩ずつ離れていくあなたを、寂しそうな微笑みで見送る。

「ご主人様のこと、もちろん何より大事にする。でもわたしにとってはみんなも、ずっとずっと一番で、特別なのよ。みんながわたしにいーっぱい“わたしだけ”の特別をくれたように、……わたしも、わたしの中でみんなとの思い出を一番の特別にしておく。
だから安心してね、お兄さま。わたし、みんなのことずっと忘れないからね」

 ミシェラは名残惜しそうな表情を拭い去り、いつもの元気いっぱいな満面の笑みを向けると、ブンブンと元気よく手を振った。

「それじゃあおやすみなさい、お兄さま。行ってきます!」

Prologue - 『√0』
《Unopened Tower》

【学生寮1F 少年たちの部屋】

「リヒト。今日もよく頑張っていたね。ミシェラとのお別れは寂しいけれど、明日からもまた頑張ろう。おやすみ。」

 ──ミシェラとの別れを済ませた晩。
 あなたはいつも通りに棺型もベッドに収まることになる。先生は毎晩、あなた方一人一人に声を掛けてから、その棺のベッドの蓋を閉ざして、鍵を掛けていく。
 あなたが最後に見たのは、小窓から見える先生の優しい微笑みだった。



 そして、夜は更けていく。
 今頃先生とミシェラはお披露目の支度を整えて、会場であるダンスホールに向かったのだろう。あなた方はいつも、お披露目をこの目で見ることは許されていない。だからこのまま休むしかない、…のだが。

 けれども、あなたは一人ベッドに横たわって、眠れぬ夜を無為に過ごしていた。
 なにか、原因のわからない胸騒ぎがして、眠れないでいたのだ。

 ──そんな時。あなたはどこからか、ギィ、という音を聞く。それは毎朝あなた方が聞く、棺の蓋を開ける音であった。
 しかしそれはおかしい。先生の手によって、全ての棺に鍵が掛けられていたはずだ。

 そのはずだったのだが……。
 あなたは小窓の隙間から、確かに見えた。部屋の外へ音を立てぬよう注意を払いながら出ていく、ディアと、ストームの姿を。何処か急足で部屋から消えていく彼らの姿に、あなたは疑問符を覚えるかもしれない。


 ──まさかお披露目に行ったのだろうか?
 あなたの胸騒ぎが次第に大きくなっていく。……そんな折、あなたはほぼ無意識のうちに、片手を伸ばしていた。
 目の前を塞ぐ、棺の蓋に。

《Licht》
(……そうだ)

 そうだ。聞きたいことが、言いたいことがあったんだ。ストームの青い髪が夜闇に揺らぐのを見て、リヒトの機能は急速に起動する。

(どうか、どうか)

 ルートゼロ。先生の秘密の部屋。開かずの扉。怪物の噂。ミシェラの涙。

 思考能力が著しく落ちていても、それでもどこかで引っかかる、拭いきれなかった胸騒ぎ。なあ、親友。君なら答えてくれるかな。こんなものは杞憂だって、コワれたオレにも分かりやすく、教えてくれるかな。

 だから、どうか。

(何も無かったって、言わせてくれよ────)

 他でもない、ミシェラの為に。

 箱を押し開ける、震えた手で夜を掴む。製造されてから初めて感じる、夜の空気が躯体に沁みる。できるだけ軋む音を出さないようにそっと押し開けて、リヒトは体を滑らせて、箱の外に出る。

 夜を阻む格子の向こう側に、
 六等星は今、降り立った。

 あなたはゆっくりと棺の蓋に手をかける。
 鍵は──先生の手によって、施錠されていたはず。だが、予想と反してあなたの指先が感じたのは、軽さだった。
 ギィ、と先刻耳にしたばかりの鈍い音が寝室に響いて、それきり。ずっと開くはずがないと思い込んでいた蓋は思いの外呆気なく開いて、あなたは深夜の肌寒さをその身に感じるだろう。

 もしも部屋を出るなら、ナイトウェアを着替えたほうがいいかもしれない。きっとすぐ汚してしまうから、先生に出歩いたことを気付かれてしまう。
 ……あれ? どうして気付かれると不味いのだろう。先生は優しいから、きっと規則を破っても少し叱って許してくれる、はずだ。

 それでもあなたはルーティンのように、ウォークインクロゼットから自分の赤い制服を取り出し、身につけ始めるだろう。

 深夜の学生寮は、不気味なほどに静かだ。皆も寝静まってしまったのなら、起こしてしまうのは忍びない……だろう。

 元プリマドールの優秀で煌めいているような彼らは、いったいこんな夜中になにを見に行ったのか。あなたは追って、確認したくなるかもしれない。

《Licht》
(……あれ、なんで?)

 何かが、引っかかった。ぱさり、とナイトウェアを落とす音。何が、引っかかった? 制服の衣擦れ。コワれた頭じゃ分からない、ワカラナイ。それでも見つけなければならない、この不安感を見逃してしまえば、きっと、ずっと、後悔する。

(なんでストームは、先生、なんで、鍵、夜、なんで、格子、プリマドール、ミシェラ、なんで、お披露目、咎め、なんで)


 声は出せない。
 気づかれてならない。
 バレては行けない。


 それでも、
 見つけなければならない。

 この胸騒ぎの正体を。


 リヒトは声を潜めて、足音を殺して、呼吸機能すら低下させて、そっと、ディアとストームの足取りを追っていく。六等星は見にくいから、だから、見つけられるものもあるのだ。

 どく、どく、どく。
 いつも規則正しく脈打ち、燃料を循環させているはずのあなたの心臓部が、今は不規則に動いて、あなたのリズムを狂わせる。それはあなたの底知れぬ不安感をそのまま表しているかのようで、落ち着かない。

 それでもあなたは戸惑いを振り払って、意を決して少年たちの部屋を抜け出す。

 照明もすっかり落とされて、不気味に薄暗くなった寮内は、まるで知らない別の建物みたいだった。
 肌寒さが少し増したようで、あなたは僅かに縮こまる。そうして廊下の軋む音を聞きながら、あなたは寮の階段へ差し掛かる。

 そこで、あなたと同じように少女たちの部屋の扉を開いて、やってきたドールがいた。

Felicia
Licht

 あなた方は──真夜中の学生寮で交差する。階段の前、吹き抜けの向こうに開かれた窓から差し込む月明かりが、暗がりの最中のあなた方を優しく照らした。

 規則破りのあなた方の行動を、正しいものだと支持するかのように。

 吹き抜けから階下を見下ろすと、もうすでにプリマドールの面々はエントランスから消えていた。
 ……それでも微かに玄関扉が開いていたから、彼らが外に出ていったのだということが分かる。

 そして。あなた方がふと階段に目を向けると。その途中に、見覚えのある赤いリボンを見つけた。

 拾い上げてみるならば、それはミシェラの持ち物であるリボンの片割れだった。
 出掛ける前に、彼女が落として行ってしまったのかもしれない。あなた方がもしも彼女の忘れ物を届ける気概があるのなら、ここで必ずミシェラのお披露目へ向かわなければならない理由が出来てしまうだろう。

 その先でなにを目撃するとも、知らずに。

【学生寮1F エントランスホール】

《Licht》
「────ぁ」

 自信を持って言える。

 あの時、自分は……不安と、恐怖と、何かに追い立てられるような焦りとで、とんでもなくヒドイ表情をしていたって。

「フェリ、フェリ! しーーっ!!」

 夜のメインホールの中で、リヒトは懸命に静かな声で、フェリにそう言った。バレちゃいけない。

「どうして、ここに……」

 リボンの元まで駆け寄りながら、フェリにも慌てて話しかける。なんで、なんで。コワれた思考回路は何も叩き出さない。

 どうして、ここに。
 リボンも、フェリも。

 理由が見つからないのが、見つけられないこの頭が、今だけひどく恨めしい。

《Felicia》
「こ、これって………!」

 声も、手も、心まで震えた。悪いことをしているから震えているのではなく、それを見たから不安になったのだ。

「わぁ、ご、ごめん!」

 フェリシアが驚きで声が大きくなりそうだったのをリヒトくんは慌てて止めてくれる。そうだ、ダメなことをしてるから…声は小さくしなきゃ。

「だ、だって─── 」

 そう言うと小さな声で簡潔に事の顛末を話すのだった。
 眠れないでいたところに元プリマの子たちが部屋を出てるのを見て、自分も追いかけて来たのだと。

「リヒトくんこそ、どうして?」

 首をこてんと傾けた。
 もしかしたら男の子で元プリマのあの二人も、部屋を出ていったのかと思ったからだ。

《Licht》
「……それは、その」

 なんだっけ。
 焦って頭が回らない。

「そうだ、ストーム。ディアさんと、ストームが、箱を出て歩いてて……それで」

 普段と、違うと思った。だから、『普段』に押し込んで考えないようにしていた、たくさんの疑問が蓋を開けて、飛び出してしまったんだ。自分がそうしたように。
 ……普段と違うのは、自分たちもだった。

「なあ、これ届けないといけないよな、ミシェラに。きっと今、焦ってんじゃ無いかな……」

 焦っているのは、果たしてどっちだろう。声の根っこが震えている、その感情はどこから来るのだろう。

 きらり。過つことなく差す月光が、リヒトの設計された虹彩に映り込む。まるで明かりのない暗い夜に、たったひとつ手を伸ばす星のように。

「……届けなきゃ」

 フェリを見つめる。答えを待つ。タイチョー、オレは、行かなきゃいけないと思うんだ。

《Felicia》
「うん、うん。ディアくんとストームもベッドから出たのね。
 話してくれてありがとう。」

 状況は私と似ているようだ。
 元プリマの子達は、みんな揃って部屋を出たらしい。相談してたのかな、それとも──
 考えを巡らせようとしたが、それはリヒトくんの言葉でフェリシアの考えはシフトチェンジする。

 ミシェラちゃんを案じる言葉を紡ぐリヒトくんの声は震えていた。
 フェリシア同様、不安と恐怖、そして非日常的な体験に混乱しているのだろう。

 しかしその時、リヒトくんの瞳は意思が固まったように煌めいた。
 元気な一等星は弱気になりがちな部分があると、フェリシアは知っていた。その彼が、優しくも強い彼が、強い意志で気持ちをこちらに伝えてる。
 答えは勿論──

「そうだね、ミシェラちゃんが大事にしてたリボンだもんね!

 リボンを届けに行こう! お披露目会が終わる前に!!」

 そうと決まれば私たちは会場に行かなければならない。
 二人で向かう場所は、ダンスホールへ向かうための昇降機である。

 あなた方は互いに示しを合わせて頷き合い、足早に階段を駆け降りる。元プリマドールの彼らが存在した名残か、いつも夜間には施錠されるはずの玄関扉は開いたままになっていた。風に揺られて、静かにキィキィと揺らいでいる。

 初めて規則を破って、外へと踏み出す。不安と緊張、不思議な高揚感。慣れぬ感覚にあなた方は戸惑うだろう。
 その行先を導くように、雲間に映える月明かりが薄暗い平原に降り注いでいる。あなた方は駆け足で、日頃通過している学園へ続く門へと向かった。

【学園へ続く門】

 辿り着いたのは、煉瓦造りの大きなトンネルだ。あなた方を丸ごと飲み込める、怪物の大口のように開かれたトンネルの先には、出鱈目に塗りたくられたムラのない暗闇が続いている。
 ひたひたと、天井から水滴が降り落ちる音を聞きながら、あなたたちは感覚を頼りにトンネルを進んでいく。

 ……その先には、学園へ向かうため日ごろ用いている昇降機があった。
 しかしいつもとは様子が違う。

 ポッカリと開いたままになった扉から、何故かロープが伸びているのだ。ロープの先はトンネルを形作る支柱の内の一本に固く結び付いている。
 扉から伸びている──というよりは、この柱から昇降機に垂らしていると言った言葉が正しいかも知れない。

 そして開きっぱなしとなった昇降機の扉の先に、いつもあなた方を迎えにくる籠は存在せず。ただ暗い昇降路(シャフト)が遥か下まで続いている。

 先生は学園へ移動した後、昇降機の電源を落としていったのかも知れない。だから最後に学園側へ移動したきり、そちらに籠が留まってしまったのだ。

 そしてそれを知っていた元プリマドールたちは、あらかじめ用意していたロープでここを伝い降りて行ったのだろう。


 昇降路は6m程の高さがあった。下からは冷たい風が噴き上げて、あなた方の身を震わせる。まるで底のない黒い海で満ちているようだ。

 そう、暗すぎて底が見えないのだ。あなた方はこの高所を降りていく先の見えない恐怖に耐えかねて、引き返すことも出来る。

 だがこのロープを使えば、降りていくことも勿論出来るだろう。
 どうすべきかは、答えが出ているはずだ。

《Licht》
 どうすべきかは、答えが出ていた。どれだけ迷っても間違えさせてはくれない、あの北極星のように。

 やらなきゃ、いけない。この駆り立てられてる感情が、どの機能から発信されているのか分からないけれど。

 リヒトは、ロープの結ばれている場所を確認して、ぐっぐっと引いて固定を見る。それから、真っ暗な底を見て、強がるようにすこし、笑った。

「……よし、行けるかな。よし、よし。フェリ、オレが先に行くから、もし来るなら、その後から来て。
 その……ロープをこう、引っ張るように持って、昇降機のカベを歩く感じで」

 オレ(テーセラ)が下なら、フェリが落ちても踏ん張って受け止められるから。そう説明して、リヒトはロープを握り……少し後に、こうつけ加えた。

「……待ってても、いいけど」

 ここで。

《Felicia》
 昇降路の高さは6m、自身の4倍ほどある。落ちたらタダじゃ済まないだろう。だがフェリシアは、その小さなヒーローの決断は決まっている。

 可愛いあの子に、ミシェラちゃんに笑って幸せになってもらいたい
 大切なリボンを届けて、私たちのことを忘れないで欲しい。
 ヒーローとしての正義感だけでなく、フェリシア個人のその気持ちが身体を突き動かすのだ。

「う、うん。ロープの使い方は、分かったよ。後ろから着いてくことにする。何かあれば声だすね」

 リヒトくんはフェリシアにロープを使って降りるやり方を教えてくれる。どうやら先に彼が降りてくれるようだ。気持ちは一緒。
 フェリシアが落ちても、リヒトくんが受け止めてくれるらしい。
 なんて優しい友だちなんだろう。仲間意識が一層強くなる。

 だが最後の一言で、フェリシアは怒ってしまった。そして小声ながら、むっとした声で話した。

「待つ訳ないでしょ! 私だって、貴方の……リヒトくんの仲間だよ?
 弱い者扱い、しないで。」

 フェリシアのそれは八つ当たりに過ぎない。今まで何度思ってきたことか……私がテーセラだったらいいのにって。でもそれは叶わないことなのだと諦めてきた。
 この状況で思い知らされて、悔しいのだ。お前は役立たずだと指を指されているようで。

 一瞬でハッとなって直ぐに謝る。
 リヒトくんは私を心配してくれただけで、要らないなんて言ってないじゃない。
 ただの私の、エゴに過ぎないと。

「ご、ごめん!
 ほら、ヒーローとして負けてられないなって! ヒーロー勝負だよ!
 リヒトくん!!!」

 無理やり明るい声で笑顔を作る。
こんな状況で暗い雰囲気にするのは絶対に良くない。

《Licht》
「よ、弱いモノ扱いしてる訳じゃないから!! 違うから!!」

 明るい声で上がった言葉に、思わずもっと大きな声で反論する。そんなことを言いたかった訳じゃない、そんな、思ってもいないこと。ああ、コワれた頭じゃこんな時でさえ、選ぶ言葉を間違える。

 不安になって、またロープを引っ張って。相変わらず固定されているそれを見て、ぐっ、と胸を叩く。

「……そー、だな。ヒーロー勝負だ!」
 
 意気揚々と聞こえるように、張った声を掛けて、リヒトは先に、ゆっくり昇降機のシャフトを降りていった。

 ……道中。

(落ちて、コワれたら、ひとたまりもないな。……こんなの、真っ先にスクラップだ)

 だから、待っててもいいと言ったんだ。言い訳するように思いながら、一歩一歩、下っていく。
 コワれて欲しくない、自分みたいに。こんな、惨めで、つらくて、苦しい欠陥は、一人だけで十分なんだ。


 そんな物思いに耽りながら降りていたから、きっと、気づかなかったのだろう。頭上でパッと広がった、綺麗な藤色の髪に。

《Felicia》
 分かってる。分かってるんだ。
 リヒトくんはフェリシアの身体を気遣ってくれてるだけなんだと。しかし、それがどうしようもなくやるせないのだ。ヒーローとしての身体なら、自身よりリヒトくんの方が相応しいってそう思ってしまう自分がいることに。

「くぅ……」

 手にびりびりとした痛みを感じる。
 手だけで自分の身体を支えるのはこんなにも力がいるのか。自身の記憶の中のヒーローは自分の身体だけでなく助けた子まで支えていたのに。

 このままじゃ……このままじゃ──

 手に力が入らなくなってきた。
 いけない、今は降りることに集中しなければ! そう思うほど、焦るほど、苦しくなっていく。

 でも、でも、集中しようとすればするほど、頭がぼーっとしちゃうのはなんでかな───

 力が抜けてしまう。
 あぁ、“全てを諦めた”感覚って、こんな感じなんだね───

 ヒーローに、なりたかった──

 真っ逆さまに落ちるフェリシア。
 「フェリ!!」とリヒトくんが聞こえていた。
その瞬間、ぐっと自重を感じた。
  どうやら彼は言葉どおり、フェリシアを受け止めてくれたようだ。
 自身の名前を呼ぶ声が、だんだんと鮮明になる。
 目を開けたフェリシアは、落ち込んだように「ごめん」とひとつ謝るとリヒトくんはいつものように明るく笑っていた。あぁ、出会えたのが彼でよかった。

 あなたは降下の最中にロープを手から擦り抜けさせてしまい、瞬く間に急直下へ転落してしまう。しかし半ばまで既に降下していた事が幸いしてか、高度はそこまでなく、全身がバラバラになる──なんて恐ろしい事態は防げた。

 当然受け止めようとしてその下敷きになってしまったリヒトは、その衝撃に腕や胴の節々が鈍く痛むのを感じるかもしれないが、幸いなことに動けなくなるほどではなかった。

 そうしてあなた方は6m下方に存在する学園側に移動した昇降機の籠外郭に到達する。
 籠の天井部分には四角くくり抜かれた点検口が開かれており、ロープの先端はそこから籠内部へ降りていた。

 籠内部に降り立ち、扉を強引に押し開ければ、こちらから学園へ侵入する事が出来るだろう。

《Licht》
「でっ!!!! ………フェリ、フェリっ!! 大丈夫……?!」

 何度も、何度も呼んで、小さなごめん、って声が聞こえてようやく……リヒトは笑った。内心、焦って、怖くて、びっくりして、それでもフェリの声が聞こえたから、安心させたくて。テーセラモデルは明るく、快活。何も出来なくてもせめて、そのくらいは。

 籠内部に降り立てば、いやでも分かる。これを開けなきゃ行けないことくらい。

「……よ、よし、開けるか。フェリタイチョー、合図して」

 ぱちん、と軽く頬を叩いて、リヒトは硬い籠の扉と相対する。そして、しばらくの後に、迷ったように言葉を選ぶ。暗闇で星座を探すように。

「これから何があるかわかんないけど……オレの、“頭“になってよ。オレのはコワれてるから、頼りにしたいんだ、ヒーローを」

《Felicia》
「大丈夫!! 心配かけちゃって、改めてごめんね。受け止めてくれてありがとう。痛くない??」

 優しくも強い一等星の笑顔に安心したフェリシア。動揺した色は消え、冷静さを取り戻した脳内は、受け止めたリヒトくんの身体の事を心配していた。

 降り立った籠の扉は閉まっていた。
 ここを開けなければ学園内に入れないことは分かる。どうすれば開けられるか…と思考を巡らせようとするもリヒトくんは迷わず、手でこじ開けるつもりらしい。
 やっぱりその方法しかないのか。

「え!? やっぱり手で開けなきゃいけないんだね!?!
 おっけい。私がいちにのさんって合図するから、タイミングを合わせて一緒に開けることにしよ!」

 気合いを入れて扉に向かうリヒトくん。投げかけられた言葉に頷いたフェリシアは嬉しそうに答えた。

「頭にもなるし、ちょっと頼りないかもしれないけど、リヒトくんを守る盾にもなるよ。
 私は、こんなんでもヒーローになりたいって思うから。

 それから……それから、リヒトくんは絶対に壊れてなんかない。
 私にとって貴方は大好きな友達で命を助けてくれた“命の恩人”だから。」

 ひとりでは絶対に完璧になれないそんなことはフェリシアも知っている。そして、それは決して欠点ではないことも。

「よし! じゃあ開けるよ!!!
 いち、にの……」

 元気よくリヒトくんに声をかけて合図をする。「さん!」と声を出すと片方の扉を開けようと手に力を込めた。

《Licht》
「……はは」

 壊れてなんかない、と。その言葉を、どう受け止めたのか。ドールズに命はあるようで存在しない。生命に見えるものは機能が叩き出した設計された現実で、この体の実態だ。その仕組みに不具合が生じてしまえばすぐスクラップに……ならずとも、グレードを落とされる程度のもの。

 六等星は、真っ暗だ。
 いつか眩く輝くために。

「さん!!」

 フェリの合図に合わせて、もう片方の扉を開けるため、リヒトは強く力を込めた。


 さあ、この胸騒ぎの、原点へ向かおう。何も無かったね、なんて笑いあって、先生にこっぴどく怒られて、そして、いつも通りに眠るために。

 二人で力を合わせながら、重い扉をどうにか抉じ開けると、いつも通りの薄暗い学園がその先には広がっている。オミクロンクラスが利用する昇降機の先は学園の中央ロビーが正面に控えており、螺旋階段の向こう側にはドールズの成績を掲示してある掲示板が設置されている。

 そして現在、掲示板の上部にはお披露目に選ばれた者たちのリストが掲載されていた。知らせは各寮に出ているため、あなた方はこの掲示を知らない。
 いつの間に掲載されていたのだろうか? お披露目の準備のためだろうか。

《Felicia》
「わわ! 開いた……!!!」

 ぐぐぐっと全力で籠の扉を引く。やっとのことで開けられた事実に嬉しくて思わず大きな声が出そうになったが、ハッとなって口を閉ざした。危ない危ない──

 昇降機から学園の正面ロビーに出ると、螺旋階段の向こうに何かが設置されているのが分かった。
 目を凝らしてみればそれが掲示板だとフェリシアは分かるだろう。

「リヒトくん、あれ見て。あれって掲示板……だよね?
 お披露目会に選ばれた子達が載ってるのかな!」

 隣にいたリヒトくんに声をかけ、掲示板がある場所を指さす。
 気になったフェリシアは、あの近くまで行ってみたい! と彼に目で訴えた。

 掲示板にピン留めされた一覧には、ひどく簡素ながらにお披露目に選抜されたドールズの名がずらりと並んでいる。中にはあなた方が知っている名前もいくつか見られるかもしれない。

 内容は以下の通りである。

【Doll of LifeLike;Servant】
【XXXV 定期品評会】

『1-L Augustus』
『1-F Gloria』
『1-M Jasmine』

『2-B Cyndy』
『2-S Penelope』

『3-B Rita』
『3-F Rapunzel』

『4-M Virginia』

──以上八名。滞りなく出荷予定。

 あなた方はここまで読んで、明確な違和感を覚えるだろう。以上八名、であるはずがない。あと一名、この場所にミシェラの名がなければおかしいはずだ。

 それなのに何故……。

《Licht》
「……へ」

 フェリに導かれて掲示板を上からゆっくり見たリヒトは、直ぐに目線を戻すことになった。何度も、何度も指でなぞるように、コワれた自分でも読み逃さないよう何度も、何度も、読み返して……。

「あれ? ミシェラは?」

 当然の驚きを口にする。自分たちがここにやってきた理由、ミシェラの名前が無いのだ。

「フェリ、フェリ……なあ、オレ、ミシェラを見つけらんなかったんだけど……どこに書いてある?」

 見間違いだ、そう思いながら不安な心を押し込めて、小声でフェリに確認する。

《Felicia》
 掲示板に書いてある名前は8個。
 上から順に読んでいく。
 オーガスタス、グロリア、ジャスミン、シンディ──
 おかしい、ミシェラというドールの名前が無い。
 それについてリヒトくんに声をかけようとしたが、先に言われてしまった。

「だ、だよね……無いよね? あれ?
 私もいっぱい確認したけど、どう見たってミシェラちゃんの名前がない──」

 ありえない、というように呟く。
 だってミシェラちゃんは今頃お披露目会に出ているハズなのだ。
 ドレスも準備して……先生も……そう言っていたのに。

「書き忘れることなんて絶対に無いよね? あれ? ……え??」

 頭の中に疑問符がひとつ、ふたつと増えていく。とにかくありえないのだ。ミシェラちゃんの名前が載っていないことが。

 あなた方が掲示板のリストを前に当惑を露わにしていると、ロビーの左右に伸びる通路にそれぞれ二つずつある、控え室へ続く扉の一つがガチャリ、と脈絡無く開かれた。

 それは、トゥリアクラスのお披露目を控えたドールが使用する控え室である。あなた方は先生に気付かれてしまったか、とハッとして心臓を固めるかもしれないが、部屋から出てきたのは予想に反して、困った顔をした一人のドールだった。

 彼は若草色の短髪を刈り上げ、ハニーブラウンの双眸をもっており、一見のんびりしたドールに見えた。お披露目に出るのだろう、その首元から爪先までをぴっしりと皺のないタキシードが覆っており、その立ち姿は絢爛であった。装飾として散りばめられたビーズが眩ゆい。
 しかし彼の眉尻は現在垂れてしまっており、頬を掻いて廊下に立ち尽くしたかと思えば、あなた方の姿を見つけて目を瞬く。

「……ん〜? あれれ? もしかしてお披露目に選ばれてない子達〜? どうしてここに……?」

■■■
Felicia
Licht

《Licht》
「だよな、コレってどういう………あっえっあっ」

 同じ疑問を抱いてくれている、と安心したリヒトは、そのままグイッと掲示板に顔を近づけて確認……しようとした。その時。

 がちゃん、とドアが開く音。

 びっくりして、背筋がびーーん、と伸びた。そのままリヒトはカチンコチンに固まって、二三歩後ずさって振り返る。

「あ、あ〜〜っ!! 忘れモノ、忘れモノを届けに来たんだ!! お披露目に行く子に!! ほ、ほら……先生に、頼まれて!」

 『な、なっ!! そうだろ!』と慌ててフェリの方を振り向いて、確認する。ちょっとずつ事実と違うところもあるが、大まかにコレは合っている。彼らは忘れ物を届けに来た。お披露目に居るはずの、ミシェラに。

 ……少し前の、あの一件が頭を掠めた。もしかして、アリスに、本当にお披露目に出られないようなことをされてしまったんじゃないか……??

《Felicia》
「さぁ、私にもさっぱり……」

 考えるように目線を下に提げ首を傾げた。もう一度確認しようと顔をあげようとした瞬間、ガチャリと控え室の扉が開かれた。

 フェリシアは肩をびくっと震わせて、小さく「ぴゃ!?」と声を出した。綺麗な装飾が施されたスーツを見る限り、のんびりしているように見えるその子はお披露目会に参加するドールなのだろう。
 あたふたしながら説明するリヒトくんに何回も大きく頷くと、フェリシアも付け足すように話すのだった。

「そうなの! ミシェラちゃんって子なんだけど。宝物を落としているのを見つけたから届けに来たの。

 ………も、もちろん先生にも許可を取ってるんだ! 大切な宝物だから私たちに渡してきて欲しいって。
 えへへ、私たちが届けに行きたいですって、先生に頼み込んだのもあるんだけど。
 へへ、それは置いといて……ミシェラちゃんはね、金髪で赤い目をしているの。ねぇ貴方! ミシェラちゃんがエーナの控え室に入るとこ見てなかった??」

 あとで謝りに行くにしても、これから大切な行事に参加するであろう子に嘘をついてしまった。
 初対面だがこの子とはもう会えないかもしれないと思うと罪悪感が拭いきれない。それでもミシェラちゃんに、リボンを私に行かなければ。その思いだけで必死に言葉を紡ぐのだった。

「忘れもの……? それは大変だねぇ……お披露目に出たらもうアカデミーには戻って来られないし、始まる前に届けてあげなくちゃ」

 あなた方の挙動ははっきり言って怪しさ極まりなく、疑わしいものであることには間違いないのだが、そのドールは疑うということを知らないらしく、あっさりその嘘を信じ込むだろう。一緒に悩み、困った表情を浮かべると、フェリシアが語る見た目の様子を聞きうけて頷く。

 ……お披露目に出るのだと思しき彼がまだここにいるということは、幸いにして、お披露目はまだ始まっていないのだろう。今ならまだ間に合うかもしれない。

「金髪で赤い目の女の子……だよねぇ? うんー、それだったらさっき、オミクロンの先生が……あの子の手を引いて二階の方に向かっていくのを見かけたよぉ。どうしたのか聞いたら、お披露目のドレスを取りに行くんだって言ってた。
 学園の上の方にドレスが届くような部屋はなかったと思うんだけどぉ……不思議だよねぇ、どこに行ったのかな……」

《Licht》
「二階? リョーカイ、ありがとう!!」

 素直に答えてくれたことにリヒトは目を輝かせ、ぐっと拳を握って応えた。先生と一緒なら、少なくともイジめられて……どこかに閉じ込められたりとか、そんなことはない。はず。

 きっとドレスを取りに行ったんだ、と、リヒトは疑いもなく信じた。……いや、疑いはあったのかもしれない。それを直視したくなかった、それだけかもしれない。

「キミは……そっか、お披露目なんだな。ミシェラと同じだ。……いいな、すっげーカッコイイ!
いいご主人様に会って、頑張れ!! 応援してるぜ!」

 そのまま離れようとして、ようやく少年のきらびやかな衣装に気がついた。きっとお披露目なんだろう、と遅ばせながら理解した。やっぱり、という諦めと、小さな小さな棘のような劣等感と……それより大きな、励ましの気持ち。精一杯の笑顔で、リヒトは名も知らぬ優しいドールを祝った。

 ……そしてフェリに、2階に行こう、と目配せする。オレたちのやることに、戻ろう。

《Felicia》
 ラプンツェルくから素直に情報を貰えたことで目を輝かせたリヒトくんと対照的に、フェリシアの顔は強ばっていた。本来であるならば笑顔で感謝を述べるところなのだが、感謝どころその口は固く結ばれているのだ。

 2階と聞いた瞬間に緊張が走る。フェリシアは覚えているのだ。
 開かずの扉と噂されている場所でみた光景を。“怪物”の影を。
 そして自身がそれを見た時間も、ヘンゼルくんが怪物を見たという時間も決まって“夜”だった。
 居るかもしれないのだ、アレが。

 嫌な予感がした。もしかしたら
 先生とミシェラちゃんは、アレに襲われているかもしれない、と。
 開かずの扉があると噂されている場所は2階から3階に行くための階段の踊り場。そちらの方に二人が向かっていたら───

「リヒトくん、すぐに行こう!!」

 こうしてはいられない!
 もしかしたら二人は既に襲われているかもれないのだ。
 教えてくれたのんびりしたドールに「ありがと」と余裕のない顔で短く言うとリヒトくんの手首を軽く掴み、1階から2階に通じる階段を駆け上がった。

「えへへへ……ありがとぉ、頑張るよぉ。きみ達も忘れもの、届けられるといいねぇ。がんばって!」

 激励の言葉を受け取り、彼は素直に喜んで、頬をかきながら微笑んだ。事態は一刻を争うと察したのだろう、彼は一歩下がってあなた方を見送ってくれる。

 あなた方は連れ立って、二階へ向かったという先生とミシェラを追い、二階へと駆け上がった。
 二階より上階は、照明を落とされているせいかぐっと暗くなった。赤い壁紙と点々と飾られた生花の赤がぼんやりと暗がりから浮かんでいて、見慣れた学園のはずなのに不気味さを覚える。

 それでも立ち止まるわけにはいかず、あなた達は三階へ続く階段に振り返るだろう。

 そこで、あなた方は異様な物音を耳にする。

 ──ギリギリギリギリ、ギィィィィ…
ギッギッギ……

 それは錆びた歯車同士を無理に噛み合わせ、動かしているかのような、あまりに耳障りな金属音だった。

 少なくともあなた方は、何がこんな音を立てているのか予測がつかない。

 しかしこの異音は、二階と三階を繋ぐ踊り場から響き渡っていることだけは分かった。
 赤い壁に溶け込むような造りになったその扉が、ポッカリと口を開けて、その先に二階の暗がりよりもずっと深い暗闇を落としている。

 ……ミシェラと先生は、この不気味な通路を進んだのだろうか?

《Licht》
『金属』『踊り場』『ギィギィ』『怪物』『擦れる』『階段』『虫みたいな』『レコード盤』『2階と3階』『アビゲイル』

 ひとつ、ひとつ。
 言葉が暗闇に浮き上がり、線を持って繋がって、絵を描き出すような。そんな実感と共に、リヒトは震えた。腹の底から響くような、耳障りな音の向こう。恐怖と狂気の更に向こう。

 あの柔らかな金の髪は。オレたちのミシェラは。

「……フェリ」

 振り返ることなく暗闇の向こう側を見つめて、リヒトは尋ねた。

「先生と、ミシェラ、この先に行ったのかな。……連れていかれちゃったとか、かな。そうじゃなくて、ほんとにちがくて、ほかの場所にいるかも、かな」

 気休めのような、時間稼ぎのような、慰めのような発想が次々出てくるけれど、そのどれもが違うことを、リヒトは直感で理解している。

 ……ああ、怖い。こんなに怖かったんだな。あの時はまだ日が出ていたから、二人だけじゃなくて、アメリアもロゼもいたから、あんなに明るく振る舞えたのに……二人だとこんなに、こんなに怖いんだな。足が竦む。手が震える。金属の音がどんどん、自分をコワしていくような、そんな恐怖が目の前にある。迫る、迫る。暗闇が迫る。息が詰まる。大きなオソレが、リヒトを俯かせる。


 ────それでも。


「……任せる。フェリが、タイチョーが正しいと思ったことに、オレも、ついてくから」

 『オレたち、“開かずの扉“探検隊、だろ?』と、明るい声で言うその言葉が、もし頼り甲斐のあるように聞こえても。慣れっこの笑顔が完璧に、動揺を隠せていたとしても。フェリに向かって差し出されたリヒトの手は、確かに震えていた。

《Felicia》
 怪物の影をみた“あの日”が鮮明に蘇る。本当に開かずの扉があってその中にあの時の怪物がいることそれらはどうやら間違いでは無いらしい。
 フェリシアが感じたのは滞りなく燃料が回っているハズのコアをぎゅうっと握りしめられているような、そんな感覚だった。

 あの中に、きっとあの中に私たちのミシェラちゃんがいる。
 可愛いあの子は、きっと泣いてる。

「うん、リヒトくん」

 尋ねられた言葉に反応するが、見つめる先は変わりなくあの扉だ。

「確かにそうだね……そうかもね。
 だけどもしあの二人が中に連れていかれたとしたら?
 助けられるのは、私達しかいない」

 リヒトくんを諭すように、自分に言い聞かせるように、フェリシアはその言葉をゆっくりと発する。
 しかし勇気あるその言葉を紡いでいく表情は、先ほどと変わらずに強ばっていた。
 助けられるのは“私たち”だけ。
 自分で放った言葉なのに、こんなにも怯えている。こんなにも、苦しくなっている。

 ─── 行きたくない。

 行ってしまえば無事では済まないかもしれない。ミシェラちゃんと先生はもう、駄目になってしまっているかもしれない。

 ─── 逃げたい。

 その言葉がずっと頭の中で反響していく。大きく膨らんでいく。
 何も知らなかったことにして、寝室に戻って眠りたい。知らなかったことにしたい。

 ─── だけど、だけど!!!

 私たちのミシェラちゃんはきっと待ってる。助けてくれる存在を。救ってくれる“ヒーロー”を。

 そして自身はどうするべきか、既にフェリシアには分かっている。

「行こう。」

リヒトくんの震える手を、両手でぎゅっと握ってフェリシアは強ばった表情を緩めていつものように笑った『“開かずの扉”探検隊は、絶対に諦めたりしないよ!』と。

 怖くてもいい。逃げたいって思ってもいい。それでも私はヒーローだから、悲しんでいる子たちの所には駆けつけてあげたい。

 握った両手を解いて今度はリヒトくんの右手を取ると、階段を上がって開かずの扉の前へ立つ。
 リヒトくんと目を合わせて微笑んでひとつ頷くと、暗闇の中へと歩み出した。

【開かずの塔】

 あなた方は何が待ち受けているかも知れない未知の区画への恐怖を飲み込み、今だけは誘い込むように口を開けた、開かずの扉へとおもむろに踏み入っていく。

 学園では進む先々に赤い上品なカーペットが敷き詰められた床だったものが、その先の通路は一気に雰囲気が変わり、足元が無骨な鉄鋼の床に変じている。

 縞鋼板があなた方の靴にぶつかり、カツ、カツ、と音が微かに反響してしまうような場所で。少しでも足音を立てぬように、あなた方は渡り廊下のような直通の通路を進んでいく。その通路は横の範囲がやや狭いが、天井は高かった。

 やがて眼前には重たそうな鉄扉が現れる。鉄扉を押し開くと、その先にはちょっとした小部屋が広がっており、何かの資材と思われるコンテナや代車が仮置きされていた。
 ひょっとするとこの場所は、外部から資材を運び込む場所なのか。だから、ミシェラと先生はこの場所にきたのだろうか?

《Felicia》
「誰か……誰かいませんか〜?」

 暗い建物の中。開かずの扉と重量感のある鉄扉の先にあったこの空間は一体何だろうか。
 沢山の資材が置かれたその場所でフェリシアはリヒトくんに倣うように声を出す。

 謎の空間に入ってすぐフェリシアの目に止まったのは黒いボードだった。一枚の紙が挟まっているようだ。

「……?」

 気になったフェリシアは拾い上げてみようとボードに近づいた。

 床にぽつんと落ちていた黒いボード。ボードには一枚だけ資料が挟み込まれており、手書きではない均一の文字がずらりと並んでいる。
 驚くべきことに、そこにはあなた方の名が綴られていた。内容は以下の通り。

【トイボックス管理者各位】

【Dolls of LifeLike;servant】
【定期機能実験・適合者通達】

0-1P-L Astraea
0-2P-M Sophia
0-3P-L Dear
0-4P-M Storm

0-1-P Felicia

0-2-P Ael
0-2-L Amelia

0-3-S Campanella
0-3-S Lilie
0-3-M Mugeia
0-3-S Brother
0-3-P Rosetta

0-4-B Sarah
0-4-P Licht
0-4-S Odilia


 ──以上十五名を“適性有り”と認定。
 予定された定期品評会への出荷を見送り、順次折を見てオミクロンクラスへ移籍せよ。
 ■■■は既に了承している。
 ■■■■実験については同封する別紙にて記載。

 読了した資料の持ち主によってか、資料の一部の文字が潰されている。そのため具体的に何の通達かは分からない。だが何か得体の知れないものを感じるだろう。

《Felicia》
 拾ったボードに挟まれていたのは何かの資料らしい。暗がりの中、書かれている文字に目を凝らしてみる。ゆっくりと文字を追いながら驚いた。それらに書いてあったのは自分たちオミクロンクラスに所属するドールの名前だったから。

「これって……オミクロンのお友達の名前? 名簿、じゃなさそうだね」

 クエスチョンマークを浮かべつつ読み進めていくと、最後の文章に行きつく。黒塗りによって一部の文字は読めなくなっているが、何かを通達していることだけは分かった。そしてフェリシアは不気味に感じる。

 15名を“適正有り”認定。

 品評会への出荷“見送り”。

 オミクロンクラスへの“移籍”。

 そしてその名前は分からないが、私たちに行われるであろう何かしらの“実験”。

 私たちオミクロンクラスは肉体的な欠陥・精神的な欠陥・成績不振などによって自身のクラスから“落とされる”ことになっている。
 そしてその資料によると、私たちは品評会及びお披露目会に出る予定のドールだったらしい。

 おかしい。明らかに自身が知っている話とは違うからだ。
 そして何気にいちばんフェリシアが気になっているのは実験という言葉だ。何の適性が有り、一体どのような実験を?
 冷静にことを捉えようと思っても疑問は減るどころか増えるばかりである。

《Licht》
「……ミシェラー、センセー……」

 か細い、か細い声のまま、リヒトは二人を呼び続けた。繋いだ手の温かさを頼りに、真っ暗な中を進んで、少し。かつかつと響きそうな硬い床を歩いて、その先の鉄扉を押し開く。

 その先には、学園内ではおよそ見た事のないような場所が広がっていた。積まれた荷物、冷たい壁、全てを拒否するみたいに冷たい、奥の鉄の扉……。

「おーい……」

 積み上がった、大きな鉄の箱……コンテナの向こう。横をそっと開けて、リヒトはその中を窺った。中に2人が居るかもしれない、と期待して。奥の扉の、さらに向こうに居るとは思いたくなかったから。

 リヒトはコンテナの内部を覗き込もうとして、思わず息を呑むだろう。
 コンテナの蓋を開けた途端、中のものが一部零れ落ちたのだ。ぎゅうぎゅうに衣服を詰め込んだクローゼットの中身が、開いた瞬間に溢れ出るように。

 ぼとぼとと音を立てて飛び出してきたのは──人工皮膚を纏った本物そっくりの人形の脚部だった。右大腿部までのパーツなので、当然だがかなり大きい。
 同様のパーツが同じように詰め込まれており、その光景はあなたの目に異様に映るだろう。コンテナに集められた脚部パーツはどれも表面がそれなりに傷付いてはいるが、大破した状態ではなさそうだ。

《Licht》
 薄ら寒い感覚を耐えながらコンテナを開く。その途端、転がり出てきたモノ。それは、モノ。それは、モノ。従属するモノ。隷属するモノ。それを良しと作られて、そして、使えなくなれば捨てられるモノ。バラバラにされて、グチャグチャにされて。

 それが、DoLL;s。


(コワされた、)

 脚が、転がっている。

(コワされた、)

 人形の脚が、転がっている。


(コワされたんだ────!!)



「ひ、っぁ……やだ、イヤだっ────!!」

 転がり落ちた人形の脚部が、声なき声で訴えかける。お前もすぐに、こうなるぞ。出来ないお前は、コワれたお前は、いずれすぐに、こうなるぞ。

「ひっ……ご、ごめ……ごめんなさ、ごめんなさい。ちゃん、ちゃんと……やる、ちゃんとやる、やるから……次は、次はで、出来る、から……!!」

だから、お願い。
コワさないで。

この“人形たち“みたいに。



 両手で目を押え、頭を抱えてリヒトはその場にしりもちをつく。たった一つのちゃちな勇気すら塗りつぶす、暗夜が顎を開いている。人当たりのいいように作られていた笑顔の裏の、どうしようも無い恐怖がリヒトを支配する。うわ言みたいに繰り返しながら、震える足でコンテナから離れようと後ずさった。一刻も早く、離れないと……ああ、次にあのコンテナに転がっている、バラバラになった自分の姿が、カンタンに想像出来てしまうから。

《Felicia》
 資料にもう一度よく目を通す。
 オミクロンクラス所属ドールは総勢16体。しかし適正有りと判定されたのは15体。ということはつまりミシェラちゃんは───

 頭をぶんぶんと振った。信じたくない。考えたくない。
 ミシェラちゃんは適正有りと判定されなかったからお披露目会に出ることになったんだって。

 だってだって! お披露目会って、ドールたちの憧れの場所で、今まで頑張ってきた自身が輝けるそんな特別な行事だから。

 フェリシアは資料を持ったまま、ありえないと言うように立ちすくしていた。

 ───!!

 その時、鉄製のコンテナの方に向かっていたリヒトくんからの悲鳴が!怪物に出会ったのだろうか、それなら、助けに行かないと!!

 今すぐに!!!

「リヒトくん!!」

 フェリシアは資料を強引に折り曲げると自身のサスペンダーと服の間に突っ込んだ。そしてリヒトくんの声がする方へ走り始めた。
 駆けつけなければ! 早く、早く!

 うずくまっているリヒトくんを見つけた時、近づこうと彼の周りを見たフェリシアは更に目を大きく開いた。散らばっているのだ、私たちにも付いている脚のパーツが。

 その光景に目を疑ったが、一先ず怪物が出現していないようなので胸を撫で下ろす。それ以上に異様な光景が目に飛び込んできてはいるのだが。



 しゃがみこむリヒトくんに駆け寄ったフェリシアは、同じように足を曲げて彼に目線を合わせる。
 小さくなっている彼を包み込むように優しく腕を回した。
 そして言い聞かせるように話すのだった。

「聞いて。聞いてリヒトくん。
 私も正直混乱してて、コンテナに入っているものの正体が何か分からないし、すごく怖い。
 でもこれだけは分かってるんだ。
 貴方は……リヒトくんは、そのままで居てくれることが一番輝けるんだって。飾らない、純粋な優しさとは強さを持っている貴方は、決して壊れてなんかない!」

 フェリシアの右手は、ずっとリヒトくんの後ろ髪を撫でていた。
 声音は優しいが、その言葉を紡ぐ声はどれだけ抑えていても震えていた。……フェリシアだって怖い。
 だけど憧れるヒーローは、恐怖に屈したりはしないから。今できる精一杯の気持ちを伝える。

 心配していた、彼は優しいから。とびきり優しいのに自信が無さすぎる。そんなところを危ういと思っていたのだ。私の大切な友だちに出来損ないなんてひとりも居ないのに。

「そ、それにさ! もしかしたら新しいお友達が来た時のために使われるパーツなのかもしれないし!
 何にせよ使い道が分からないから変な心配しても……ね?」

 パッと抱きしめていた腕を離し、今度はおどけたように笑った。
 そうだ、どういった経緯でこうなったのか分からない。そう考えを変えるんだ。嫌な妄想は、これについては、先生もミシェラちゃんが無事なのを確認してから考えることにしよう。

「さ! こんな気味悪い所、早く出ちゃお! 次は〜……! あそこ!
 あそこに行ってみよっか!
 さぁ、何が出てくるかな〜?」

 立ち上がったフェリシアは落ちている脚のパーツをできるだけ見ないようにして未だにしゃがんでいるリヒトくんに笑いかける。
 そして「早く出よう」とリヒトくんに右手を差し出した。

《Licht》
「……」

 ぐわん、ぐわん。頭がまだ揺れている気がして、フェリが近くにやってきたのを見た。何か、さっきとは違った紙を持ってて、でもそのキラキラ輝く瞳は、こっちを見ていた。ああ、真っ暗な夜を間違えないように進むための、星みたいで、どれだけ暗くて寒い場所でもここに居るよって言ってくれてるみたいで。ずっと、ずっと……。

(こんな星に、なりたかった)


 コアの辺りが、酷く痛んだ。


「だい、大丈夫。フェリ、大丈夫、オレ……オレ、まだ、まだ大丈夫だから」

 まだここに居るよ。
 まだ体は動くよ。

 まだ、まだ、役に立てるよ。

「行こう、ミシェラたちを、探しに」

 離した手を、もう一度繋いで立ち上がる。今度は置いていかれないように。今度はちゃんと出来るように。それが、あの脚の山に散らばらないための、唯一の道だと思ったから。

 ───進まなきゃ、先に。


 今度は鉄扉の向こう側。念の為に扉に聞き耳を立てて、さっきの怪物の音がしなければ、扉を開けて先に進もうとする。

 リヒトは部屋の奥の重そうな扉に耳を当てる。

 ……ゴォ、と低い空洞音が聴こえた。

 恐らく、あちら側はこの小部屋と違い、相当に広大な空間が広がっていると容易に予想出来る。しかし先ほど鳴り響いていた、精神を切り詰めるような金属音はしてこなかった。

あなたが、冷え切った取っ手を静かに下ろして扉を開けるならば。重い扉を押し開いた先が自ずと見えるだろう。

 先程まで通ってきた渡り廊下のような直通の通路と似た、無骨な鋼鉄で固められた床と壁。

 少し先に進むと、とてつもなく高い天井と、とてつもなく深い穴に挟まれた、円形の広間に出た。
 外観を見ていないが、この場所は正しく『黒い塔』だった。内周に沿って鉄板が打ちつけられた通路が丸く続き、中央部分が吹き抜けのようになっている。空洞音は吹き抜けの下から迫り上がってくるように聞こえ、天井が視界に映る場所にある分、相当下に深く造られていることが察せられた。

 そして吹き抜けの中央に、何か……錆びついた鉄籠のような装置が鉄鎖によって吊り下げられているのを見つける。鉄鎖は塔の最上部に滑車でつながっており、そのもう片方の先端はあなた方がいる階層の円形通路に伸びていた。
 その構造はまるきり、井戸の桶を落とす滑車の構造であった。用途不明の鉄籠は、不安定にぐらぐらと揺らいでいた。

Michella
David

「──ねえ、お父さま。わたし……わたしね、
この場所がこわい。」

 あなた方の耳に届いたのは、ここに来て漸く聞けた、耳馴染みのある幼い少女の声だった。

 あなた方が暗がりからそちらに目を向ければ、円形通路に沿って先生とミシェラが手を繋いで歩いていた。
 先生は不安そうなミシェラを落ち着せるかのようにバラードを歌っていたが、彼女の言葉にその声は止む。

「ねえ、ドレスはどこ? お父さま……はやく、ここから出たい。ここってなんなの?」

 しきりに不安を訴えて、先生の腕を揺さぶるミシェラ。しかし先生は穏やかな笑みを浮かべながら応えることはない。
 その姿には、寒気すら感じる恐怖を覚えるだろう。嫌な予感どころの話ではない。
 目の前で相対するミシェラの膨れ上がり続ける不安はもはや限界であった。

「お父さま、ねえってばっ──」

 そこで、ミシェラの表情が凍りつく。恐怖を訴える声すら静まり、彼女はすっかり絶句してしまった。

 は、は、と彼女の浅い呼吸が広い空間にこだましている。彼女の目線は、円形通路の下層に向けられていた。

ギリギリ、ギィ、ギギギ、ギ……

 擦れ合うような異様な金属音を発して、下層へ続く階段から這い上がってきた存在があった。

 上背が信じられないほど高く分厚い、屈強で巨大な、存在そのものが脅威と呼べる『怪物』の姿が浮かび上がる。漆黒に塗りたくられたその身体は、周囲の暗がりよりもより暗く、深淵に身を浸して現れたかのようだ。

 虫のような触覚と、羽、そして鉤爪。人間的要素を排除して形作られたその化け物は、その巨体を悠に晒して、幼く小さなミシェラの前に立ち塞がった。

「ミシェラ。私は、君に会えて本当によかったと思っている。これは本当だよ」

「え? ……お、お父さま、ねえ、なんで、わかんない、なに、これ。やだ、やだっ!!!」

 すっかり凍りついて動けなくなった彼女の腕を、先生が鷲掴み、その華奢な身体を吊るされた鉄籠に押し込んだ。彼女が大人の先生に力で勝てるはずもなく、不安定な鉄籠の中でうずくまりながら、彼女は目の前で閉ざされる鉄格子を見上げる。

 矮小な彼女は、まるで哀れな実験ラットのようだった。

「だから分かってほしい。そして信じてくれ。きっとまた会えるということを」

 先生は、背後に聳える鉄鎖が巻き付いた巨大な滑車装置の起動を担っているであろう、金属製の重たそうなレバーに触れた。

 そして一息の後に、それを勢いよく降ろしてしまった。

 ──あなた方は直後、その目に地獄を見る。

 開かずの塔の深淵は正しく地獄の釜で。
 噴き上げるのは、罪を焦がし尽くす、赤き輝き。

 無情なる炎であった。

 ミシェラは。

 ……ミシェラは燃えた。
 深淵から噴き上がる炎に鉄籠が飲み込まれていく様を、あなた方は直視した。

 助け出すことなど不可能だった。得体の知れない怪物が居ては、飛び込んでいったところで、あなた方は諸共八つ裂きにされるしかない。

 本能に近いところで理解したあなた方は、だからこそ動くことが出来なかった。
 何より信じられなかった。
 現実を受け止められないだろう。

 優しい先生がミシェラを殺したのだ。

「……………」

 音を発さぬ怪物が、先生を見下ろす。
 あの怪物は先生を襲わなかった。先生の、仲間なのかも知れない。

「ああ。手筈通りだよ、品評会も滞りなく。君もいつも通り、あのスクラップを拾い上げておいで」
「……………」
「資源供給プラントが一つ潰れた。これからはパーツ一つでさえ価値が高騰する筈だ。何一つ無駄には出来ないぞ。分かっているな」

 事実、先生は物言わぬ怪物に冷徹な声を投げ掛け続けた。ミシェラのことなど何も引きずっていないという顔で、あっけらかんとした、涼しい、顔で。

 ……先生の足先がこちらへ向いた。もしかしたらもうこちらへ戻ってくるのかも知れない。

 あなた方はすぐにこの場所から離れなければならないだろう。見つかった場合は、おしまいだ。そんなことはすぐに分かった。

《Licht》

 それは、

 少年ドールの心をコワすには、

 十分すぎるほどの惨劇。



「────、──」

 われに、かえったときには。せんせいだったカイブツが、カイブツとはなしていて。めのまえの火と、だんだんと明りと、うるさいコアと、ふるえる手と、足とが、分かって、聞こえて、一秒一瞬たりとも、扉を開けてから此方、ずっと、この惨劇を惨状を苦痛を悲鳴を痛感を後悔を激情を放心を忘れることなんて、出来ないと悟って。


(逃げなきゃ)


 考えが、及ぶより、はやく。
 コアの鼓動より、はやく。

 あのカイブツより、はやく。
 あの“カイブツ“より、はやく。

 はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく!!!!!

「────っ!!」

 リヒトは、その場に座り込んだフェリの位置を確認した。そしてそのまま彼女の右手をしっかりと握って引きあげて立たせ、そのまま抱えて逃げ出した。靴音が鳴る廊下だけれど気にしては居られない、一刻も、一刻も、はやく。鉄扉を、コンテナの横を走り抜け、早く返ってこい、と念じながら、自分の“頭“が、タイチョーが我に返るのを待っていた。そうしないと、そうしないと、一人で抱えているのはあまりに、苦しい。苦しい。苦しい……!


 そして、逃げ出す時、塔の方を一度も振り返らなかったことを、彼はこれから、ずっとずっと、後悔することになる。大きな大きな、罪として。

 コワれた自分への、罰として。

《Felicia》
 ── ねぇ、おねえさま!
 今日はあのお話の続きを聞かせて欲しいの!

 どんな記憶のミシェラちゃんも、太陽のように笑ってる。

「………………ぁ。」

 フェリシアがみたその光景は、紛れもなく“地獄”であった。
 ショックのあまり身体が動かない。
 逃げなきゃ、早く逃げなきゃ!!って思うのに、思ったように脳が働かないのだ。力が入らないのだ。


           心
           に
    恋    あ も
    し    ら
    か    で
    る    う
  夜 べ  な き
  半 き  が 世
  の    ら に
  月    へ
  か    ば
  な


 塔から寮に戻るまでの記憶は曖昧で、リヒトくんに運ばれた事だけは鮮明に覚えていた。
 リヒトくんがこちらを見ている。
 嗚呼、帰ってきたのか。


 手元に残ったのはミシェラちゃんのリボンと、開かずの間で拾った資料と、そして───

 何も出来なかったという無力感と後悔と、罰と、悲しみだった。
 つまり、つまり、私は、

「─────」


 ヒーローになる資格なんて、


「─────」


 ………ない。


「私がもっと強ければ……。
   私がもっとしっかり見てれば……。
   私が、弱かったから──

 っ…………、ぅ、あ……」

 溢れ始めた涙は止まることをしらない。泣きたくないのに。オミクロンに落ちたあの時でさえ泣かなかったのに。


 ──フェリお姉さまっ!


 痛かったろうに、熱かったろうに。
 何も! 何も! してあげられることがなかった!!!!!!!

 挙句の果てはリヒトくんに連れられて出てくるなんて──!!


 助けられなくて、ごめんね。
 ごめんね、ミシェラちゃん。

 ヒーローになれなくて、ごめんね。

《Licht》
 ── それじゃあおやすみなさい、お兄さま。行ってきます!


「オレも」


 ── ずっと、ずっとリヒトお兄さまのことがだいすき。お祝いしてくれて、ありがとう。


「オレだって、そうだ」


 ──……お兄さま。見てみてもいい? お兄さまがわたしに……わたしにだけに作ってくれた、花冠。

 くしゃり、と。リヒトは、自分の頭の上に乗った、下手くそな方の花冠を握りしめる。弾みで組まれた茎がズレて、花がバラバラと落ちていく。一輪、一輪。一枚、一枚。今夜、渡した一番キレイな花冠は、お披露目されることなく燃え尽きた。

 ミシェラと、一緒に。


(オレが、もっと早くロープを降りられていれば)

(オレが、あのコンテナでパニックにならなければ)

(オレが、“バケモノ“を止められていれば)

(オレが、フェリを連れて逃げなければ)



 ────オレが、
 コワれていなければ。



「オレの、せいだ」


 泣きじゃくるフェリを腕の中に入れて、そっと抱きしめる。こんな時でさえ、あの“バケモノ“に気づかれたくなくて、それが怖くて、フェリの泣き声が響かないように、そっと世界から隠した。自分を包む世界の全てが、あの時のバケモノのように、あの時の火のように、その恐ろしい手を自分に伸ばしてきているような気がした。

 そうして。

 フェリと、自分が泣き止んで、泣き疲れたその時。リヒトはすっと立ち上がって、フェリに向かってもう一度、右手を差し出すだろう。気づかれないようにまた、寮の中に戻るために。あの地獄のことを、ミシェラを絶対、覚えておくために。


 そして、
 どれだけ深い闇の中でも、
 先も見えない夜の中でも、


 自分たちは独りじゃないと、忘れないために。






 トイボックスから転げ落ちた、
 誰も知らない六等星。

 コワれた体でただ逃げ出した、
 何も出来ない小さな光。

 欠けたカラダにともる灯が、
 罪と罰を教えてくれる。



 ──さあ、前を向いて。
 出来損ないの(-リヒト-)

 モラトリアムの内側で。

《Felicia》

 あっという間の出来事だった。
 気づいてあげることすら出来なかったのに、ヒーローになる資格なんてないはずなのに、こんなにも私は生きようとしている。


 ─── やだ、やだっ!!!

 笑っているミシェラちゃんの最期は、彼女の悲痛な叫びだ。
 笑っている思い出しか、なかったのに。そしてこれからもずっと、…ずっと笑って過ごしてくれるとそう思っていたのに。


 残酷な炎は、楽しかった思い出を一瞬のうちに塗り替えていき、
 その代わりに償いようのない罪とトラウマを植え付けていった。


 リヒトくんのぎこちない腕の中で涙が止まらないフェリシア。

 次に何が起こるか分からない恐怖の中で学園を過ごしていかなければいけないという絶望感。


 それでも、それでも。

 私たちは生きなければいけない。

 もう絶対、ミシェラちゃんみたいな子を出しちゃいけないんだ。


 フェリシアの濡れた頬に一筋の雫が線を描いた。しかし彼女はその煌めきが落ちる前に袖で大きく拭った。

 そして、差し出された手を左手で掴んで心の中で誓うのだった。


 ── もう、泣かない。
    いや、泣けないんだ。


 ねぇ“ヒーロー”、私のヒーロー。
 決めたんだ。絶対に誰にも悲しい思いをさせないって。

       |
       |
       |

 始めよう、私たちの革命を。
 この場所の謎を全て解き明かそう。


 ミシェラちゃんのリボンを右手で握りしめる。びりびりとした使命感に“武者震い”をした。


 ── さぁ、笑うのよ。

 半人前ヒーロー、 ╴フェリシア ╴

 大切な人を今度は守り切るために。

 ──ドールにとっての最大の晴れ舞台であると言われたお披露目で、輝かんばかりの栄光と、埋もれるぐらいの幸福を与えられると信じていたミシェラ。

 彼女はそんな夢を裏切られ、暗い深淵と地獄の劫火に堕ちて、本物のジャンクになってしまった。

 もしも、あなた方のような出来損ないのドールズが、彼女のようにスクラップにされる道しか無いのなら。


 行く先には破滅しか無いのなら。


 幸いにして、あなた方には欠け落ちていると言えども、思考出来る頭がある。

 理不尽な運命に恐怖し、憤る心がある。

 感情がある。

 あなた方には、鼓動がある!


 欠陥品でも、その事実は揺るがない。

 閉ざされた残酷な箱庭で、自分達は生きているのだと叫んで証明し続けるのだ。

 足掻き続ければ、欠陥ドールにも許された未来がきっとあると、そう信じて。

Prologue - √0
『Unopened Tower』

── END ──