Odilia

 もふもふの真っ白な狼ちゃんが部屋から出てくる。
 長い袖の上着を着ながら腕を上にあげ背筋を伸ばしつつも、少々あくびが出てしまう。

「ん〜……オディーちょっと寝過ぎちゃったカモ?」

 まぁそんなことはどうでもいい、寝る子は育つとなんかの本で書いてあった気がするしきっといい事だろう、言い聞かせる。
 そうしたらいつもの通りのいい日になるから。

 さてと、今日はどうしようか。
 オディーが立派なドールになってお披露目会に出るには何が足りないだろう。

 笑顔? はミュゲお姉ちゃんに見てもらいながらやりたいし、お勉強友達のアメリアお姉ちゃんは会えたらお勉強教えて貰おう。
 だったら今は一人でお勉強するべき。
 オディーに今必要なことはそれやるべき事はそれ。
 だったらそのように行動するべき。

【学生寮3F 図書室】

 階段を上り詰め、寮の最上階に位置する埃臭い書物の蔵に辿り着く。図書室の天井は四階部分までを突き抜けているためか、とても高い。そして、木製のロフトを介して上階にも数多の書物がところ狭しと保管されているようだ。

 図書室はほの暗く、壁に取り付けられた卵型の照明をつけてもまだ暗い。屋根裏の部分に切り取られた小窓から差し込む陽光が、空気中に舞う埃を幻想的に煌めかせていた。

 軽快に階段を上りついたのはちょっと埃っぽい本がたくさんのお部屋。
 いつもここでお姉ちゃんやお兄ちゃん達のお勉強したり絵本読んだり、飽きたらお外で遊んだり。
 とりあえずオディーがよく来る場所であった。

 朝早いからかちょっと暗い、お姉ちゃんが言ってた気がするけれど暗いところでは本を読んじゃいけなかった気がするから、近くの卵型の証明をつける。
 まぁそれでも暗いけれど約束は守ったから大丈夫……多分。

「えっと……今日はどんな本でお勉強しようかな。」

 そう独り言をつぶやきながら、本棚の本の表紙を指でなぞりながらゆっくりと読みたい本を探せば、図書室の奥の方まで来てしまう。

「オディーここまで来るの初めてかも?」

 いつも前の方の本棚で読みたいものを見つけていたが今日はピンと来ず、奥の方まで来てしまった。

 でも初めて見る本がいっぱいで正直自分はワクワクしていた。
 どんな本があるんだろうと、勉強そっちのけで野性的な好奇心に従い目を輝かせながら本を見ていく。

 そうやって探してみたらふと気になる場所を見つけた。
 本棚と本棚の壁が気になる。
 ほかの本棚はあまり気にならないのにここだけ、本能が示してる気がする。
 そう気になり興味津々でその壁を調査しようとする。

 あなたは、図書室に踏み入れた時からなぜか気になっていた、奥まった区画へと向かう。

 本棚と本棚の間の壁、まるで人の目から隠されるように翳った場所には、小さく子供が描いたような乱雑な落書きが残されていた。

 四人の男女が微笑み合って寄り添い合っている。皆一様に赤い服を着ているので、恐らくは今あなたが着ているような制服を纏うドールだろう。

 名前も書かれていたように見えるが、掠れて消えてしまっている。

 壁を調査してみれば、隠されたように、可愛い落書きが描かれていた。

 こういうのって先生に見つかればすぐに消されそうだけど、こんな奥まった場所に描かれていたおかげで消えていなかったらしい。

 お披露目会に言ってしまった昔の先輩とかが描いたのだろうか、同じ色の制服を来てる4人。

 けれど名前は読めない、消えてしまっている。
 多分書いてあってもオディーは読めなかったと思うが、笑顔で楽しそう。

「オディーもお姉ちゃん達とこうなりたいな。
 お姉ちゃん達と一緒にお披露目会出て仲良くこうやって微笑んで楽しくしたいな〜。」

 自然と笑顔が浮かんでくるも、結局まぁ不気味な笑顔になってしまう。
 こうやって絵のように笑顔になるには治さなきゃいけないポイントだ。

「お姉ちゃん達にも見せたいなー。
今度お勉強会する時に見せよーっと」

 そう心の中で決め、ちゃんと覚えておくよう3回くらい、この絵を見せると口で唱える。

 よしっ! とガッツポーズを構えれば、何か忘れてるような……と少し考え、あっ! と思い出す。

「勉強しなきゃ〜! でもどうしよう……ここら辺結構読んだ気がするから新しいの読みたい……かも?」

 そんなことを考えていればロフトが目に付く、あんまり上に登ったことは無いけど目新しいものでも見つかるかな? と思い、ちょっとだけ上に昇ってみようと思う。
 幸い自分はテーセラ。ちょっとは丈夫だし大丈夫だろう、きっと。

 あなたはテーセラの持つ平均値の高い身体能力を駆使して、高い位置にあったハシゴの先端を掴み、ロフトの上へと上り詰める。

 高所から見下ろす図書室はいつもより鬱屈として見えた。しかしロフトの上は、そばに取り付けられた小窓から溢れる陽の光によって、下よりも明るい。
 斜陽に照らされたところに、埃を被った本を見つける。まるで宝物のようにひっそりしていて、あなたは見たことのない本だった。

 題名は『ノースエンド』というシンプルなもの。装丁は古く、かなり昔の本であることが見て取れる。

 ちょっとだけいつもと視界が違う。
 近づいた天井、さっきまで居たのに遠くなった床。
 真っ白なオオカミは今天にいる。

 目の前に広がる世界は天窓から差し込める光よって下よりも明るくそしてワクワクするような雰囲気を立ち込めていた。

 何かないかとキョロキョロ探していれば、陽の光に照らされて、まるでスポットライトに照らされたような輝きを纏う、一冊の本を見つける。
 当然見た事のない本だった。

 そんな本をみつけ彼女の瞳は宝石のようにワクワク感でキラキラと輝くだろう。

 ノースエンド。

 ノースはよくわかんないけどエンドって終わりって意味だったっけ? と思い出す。
 シンプルでありつつもここに放置されていたのか古い。
 でもこう言う古い本の方が面白かったりするものだ。

 早速読もうと、狭いながらもちゃんと座る。

 内容は、エーナドールが読み聞かせに語るような、ありきたりなおとぎ話だった。

 雪けぶる雪国で、貴族の乙女は婚約者である伯爵によって、黒い塔に軟禁されていた。そこに盗みに忍び込んだ貧民の裏ぶれた青年が彼女と出会い、隣国への亡命劇を繰り広げる……といった、いわゆる中世を舞台にしたラブストーリー。

 これらの物語は、直筆で……インクと筆を用いて執筆されていた。そのためところどころインクが滲んでいるし、文字が乱れているところもあった。
 改めてあなたは本の表紙を確認する。『ノースエンド』と雪国の絵が描かれた隅っこに、擦り切れた文字で『Charlotte』と、おそらく筆者と思しき人名が残されていた。

 おとぎ話。
 子供が夢見るための絵本。
 いっぱいいっぱいこの図書室で呼んだことはあるが、それでも在り来りだったとしても彼女にとっては新鮮だった。
 彼女にとってはどんな物語でも新しいものは新しいのだ。

 雪、真っ白いオディーに似てふわふわしてるけどすぐ解けちゃうやつ。
 でも本はいっぱい積もってる。

 煌びやかなお洋服を来た女の子が塔に軟禁されちゃった。
 かっこいい男の子が女の子をそこから助けて幸せそうにしてる。
 良かった、これはハッピーエンドだ。
 ちょっと前に読んだ人魚姫? がちょっと悲しい終わり方だったから、これがハッピーエンドで終わってよかった。

 文字が滲んでて読みずらかったけど、すっごく面白かった、お姉ちゃんにも読んで欲しいなと、これもうちょっと綺麗なところにしまった方がいいよねと、本を閉じ、改めて表紙を目に入れる。

 これまた擦り切れてて読みずらかったけれど、かろうじて読めた。

「しゃーろっと? ここに書かれてるってことは作者だよね。
 何となく、先生にこの作者知らないか聞いてみたいけど持ってっちゃダメだよね……。
 とりあえず綺麗な下にしまいたいけど、片手で降りると危ないから。」

 考えた末、結局ここに置いておくことにした。

「ごめんなさい本さん、またお姉ちゃんとか連れていつかそこから綺麗な本棚に戻してあげるね。」

 と意思疎通も取れないのに本に謝りつつ、ロフトからゆっくり降りる。

 とりあえずお勉強はできた……ことにしよう!
 楽しかった、また読みたいな、と思いを馳せつつ、次は何をしようかと思う。

 いつもは遊んでるけど……遊び相手が今はいない。いつも遊んでくれるサラもいないし。
 うーんと考えた末、なにか思いついたのか、学園の方へ向かうだろう。

 あなたは門から昇降機に乗って学園へと移動する。

 辿り着いた学園は、どこもかしこも照明が僅かに暗く落とされた、劇場を思わせる内装だった。真っ赤なカーペットが敷き詰められた床と、ゴシック調の壁。等間隔に様々な種類の赤い花が、様々な形の花瓶に生けられている。

 学園には他のクラスのドールも行き交っていた。皆きっちりと制服を着込み、赤い衣服を揺らしながらまばらに何処かへと向かっていく。
 ……何名かはあなたの姿を見て声を潜ませて、何か噂話をしているようにも見えた。


 そんな彼女らを横目に、あなたはダンスホールへ至る為にその手前に存在するトゥリアドールの控え室に入室するだろう。

【学園1F トゥリアドール控え室】

 控え室の壁には、色とりどりのドレスやタキシードなどの正装がハンガーに掛けられて並んでいる。化粧台が三つほど並んでおり、あなた方はこの場所でお披露目の支度を入念に整えるのだ。
 控え室の奥には一枚の鉄扉があり、その先はダンスホールの舞台袖へと通じている。

 だがダンスホールへ続くその扉は、現在は赤いロープパーティションによって封鎖されていた。お披露目の前後数日は、このようにダンスホールへの立ち入りが禁止されているのだった。

 学園に来てみればまぁ噂話をされる。
 コソコソと、あんまりいい気はしない。

 オディーだって頑張ればなんだってできるのにと心の中で頬を膨らませ、控え室の方へ入っていく。

 ……思いついたようにここへ来てみれば、色とりどりのドレスとタキシード。
 自分もいつかここでお披露目会の準備をするお部屋。

 ここに来た理由は、自分はバレエが踊れるからダンスホールならひとりで誰にも見られずに踊れるし、綺麗で広いから大きな動きしても大丈夫だと思っての事だったが、予想とは違って、空いていなかった。
 大きな扉は、制服とおなじ赤いロープのパーテーションで閉じられていた。

「むーっ、せっかく来たのに閉じてる。
 ちょっとくらい開けてもいいのに。」

 噂話をされたのと扉が閉まってるというダブル不機嫌になるようなことで、本を読んでた時の楽しい気持ちが相殺されてしまった。

 まぁいいや、ほかの所行って遊ぼっと。そうどこかへ行こうとしたら、聞き慣れない物音がした。

「ひっ……何? 扉の先に誰かいるの?」

 閉じられているはずなのに聞こえるはずのない音。
 もしかして誰かいる? 約束破っちゃった?
 もしそうだったら先生に怒られちゃう。オディーは別に大丈夫だけど他の子は怒られるのきっと慣れてないと思うから、でも怖い……。
 ほかのオミクロンの子が来てるとは思えないけれど、もしかしたら来てるかもしれない。
 それにどんなドールだってお兄ちゃんだしお姉ちゃんだから、もし何かあったら大変だから助けないと!

 そう思い立ったら自分は行動してしまう。
 とはいえ怖いものは怖いため、恐る恐る、ロープパーテーションを退けて、見える位だけゆっくり扉を開けようとする。 

 あなたはロープパーティションを避けて、堅固な鉄扉の前へと立つ。

 あなたが気になったのは、この扉には何故か鍵が取り付けられていることだった。しかもこちらが鍵を施錠する側。この扉を閉めたら、ダンスホール側からはこちらに戻ってこられなくなる。どうしてわざわざこんな鍵をつける必要があるのだろうか、と不思議に思うかもしれない。

 そしてドアノブを捻っても、何故か扉は開かなかった。鍵は掛けられていない。ということは、向こう側から何らかの手法で封鎖されているのかもしれなかった。

 扉の前に立つと、向こう側の奇妙な物音が少し鮮明に聞こえた。


 ……何かを洗い流すような水の音だ。そして何かを引きずるような音も聞こえた。
 何が行われているかは定かではない。

 だが、ダンスホールで水の音がするというのは、どうにも結び付かず、あなたの脳内には違和感が残るだろう。

 とはいえ扉は固く閉ざされて開かない。その正体を探る術は無いと言えた。

 頑固な扉。
 きっとこの扉の先には煌びやかな世界が広がっている。
 この扉はその煌びやかな世界の夢を閉じ込めるためのものに思えた。

 けれどもその扉には違和感があった。
 何故かこちら側に鍵が取り付けられている。
 他のところの扉を見ててもこちら側は鍵をかける側ではなくあげる側締める側だったはず。
 なのにどうして?
 こっち側から鍵をかけてしまえば、向こうに入った人は出られなくなる。
 ダンスホールに閉じ込められちゃう。
 ダンスホールの中に裏口でもあるのかな? と思うも……どことなく違和感が突っかかる。

 そして少し開けて中を見ようとするも、ドアノブを捻っても開かない。
 冷たいドアノブを必死にガチャガチャするも、どうやっても開かない。

「うぅ〜開かない」

 流石にテーセラの力でも開かない、扉はビクともしない。

 とはいえ近づいたおかげで謎の音が鮮明に聞こえた。
 水の音? 何かを洗う音?
 それに何かを引きずる音?
 聞いたことのある音だが、ここで響くには少々おかしいと感じる。

 とはいえここを開けることはオディー独りでは無理なことはわかっていた。
 とりあえずロープパーティションを戻して、何処か別なところへ行こう。
 そしてこのことは頭の片隅に入れておこう。

 というかちょっと疲れちゃったかも。流石に動き回りすぎて休憩も忘れていたから、流石に休憩しようとカフェテリアに向かうだろう。

【学園3F カフェテリア】

 カフェテリアは正午の活気で少しばかりごった返している……と言えども生徒であるドールの母数が少ないこのアカデミーでは、混雑の程度は軽いものだが。数名のドールズがリフェクトリーテーブルの椅子を引いて、紅茶と茶菓子、そして積み上げられた本の内容で談笑しているのが見える。

 一帯の広間の奥には、寮ほどの設備や少量の備蓄はないものの、簡易的なキッチンも存在しており、ドールズはこちらの区画で飲み物を用意して、授業後のコーヒーブレイクをおこなっていることが多かった。



 そしてあなたはテーブルの広い一角を占領している、かしましい少女ドールズの集団に気がつくだろう。
 かしましいと言えども、彼女らのお茶会の所作は完璧だ。カップがソーサーに触れる音、カトラリーが皿にぶつかる音、そよぐようなそんなかすかな物音の上に、きゃらきゃらと楽しげに談笑している声が聞こえてくる。

 その中央を陣取るのは、絢爛なヴェールのような美しい黄金を巻き込んだ、ヴィクトリア王朝の耽美な皇女を思わせるうるわしの乙女である。意志の強そうなエメラルドグリーンの双眸を煌めかせ、手の甲を口元に当てて上品に微笑んでいる。

「──聞きまして? 他クラスの頭のおかしなドールの話。どうしてまだ『然るべき場所』に移されていないのやら、甚だ疑問でなりませんわね」
「そんなおかしなドールばかりいらっしゃるようでは……先生方の苦悩は計り知れませんね。けれど、次期のお披露目はきっとあなたのものよ、“アリス”」
「先生も褒めていらしたものね、セオフィラス様に次ぐほどの優秀なドールですって」

「当然です。わたくしの他にこれ以上誰が行くというのかしら。……プリマドールの方々でない限り、あり得ませんわ」

 アリスと呼ばれたかのドールは、瞳を伏せて息を吐き、肩に垂れる髪を払いのける。その仕草さえ、高貴に映ることだろう。

 そこで。

「……ご覧になって。オミクロンクラスの方がいらっしゃいます」

 彼女の取り巻きの一人が、あなたへ囁いた。嫌な感じのする声だった。それを皮切りに、無数の目があなたへと向けられる。視線が集中するというのは、それだけで圧力となることだろう。

Alice
Odilia

「うぅ……ちょっと混雑気味かな。
 ちょっと休憩したいだけだからまぁいいけど。」

 あんまりこうドールが多いところは苦手だ、オミクロンだから視線が集まってしまう。
 お姉ちゃんがいたらお姉ちゃんの後ろに隠れたりしてるんだけれど、今日はいない。
 そのためオディー独りで何とかしなきゃいけない。

 とはいえ普通のドールは本やお茶に夢中でオディーに視線が向いていないのは幸いだった、お茶や菓子を食べるつもりは無い、ちょっと座って休憩したかった。
 そのため、カフェテリアで何処か席が空いていないかとキョロキョロしてると、いっぱい女の子のドール達が集まってるのを目撃する。

 あそこだけ神聖な場所で自分みたいな子が近づいちゃダメな雰囲気を漂わせていた。

 よく見ると作法は完璧で、とっても綺麗、プリマのドールなのかな?
 と思ってしまうほど自分とは違って完璧だった。
 ソフィアお姉ちゃんやストームお兄ちゃんみたいにかっこよくて綺麗だと思ってしまう。

 とはいえなんだか嫌な雰囲気もする。
 自分にとって届かない世界を見てるからだろうか、なんというか居心地が悪い。

 そんなことを考えていれば、その集まりの一人が自分に気づいたことで、視線が自分に集まってしまう。

 ひっ……怖い思いしたからこっちに来たというのに、ここでも怖い思いしなきゃいけないの?
 でも……話しなきゃ怖いかどうか分からないよね?
 あそこの扉の先より正体はわかってるし大丈夫だよねっと思い口を開く。

「お、オディーに何か用? オディーなんか言ってもらわないとわかんないよ。
 心読めるわけじゃないし考えてることわかるわけじゃないし。」

 そう少し引き気味になりながらも精一杯の威圧感を出しつつ見てきた女の子ドールにそう言う。
 とはいえオディーの威圧感は可愛らしいものできっと相手はビビらないことはわかっていた。

 怖気付きながらも、精一杯と言った様子で言葉を発したあなたを。……意地悪で残酷な少女たちは、蔑みの眼差しで見た後にくすくすとささやかに笑い合った。
 あなたが必死になって自身を律し堂々とした態度を保とうとも、無数の同調圧力に晒され、嘲られ笑われては、孤島にただ一人立たされたかのような、底知れない心細さを覚えるのではないだろうか。

 かわいらしく可哀想な狼のあなたでは尚のこと。

「あら、ご機嫌よう、オミクロンの可哀想なドールさん。こちらの席につきたいのかしら? やめておいた方が賢明でしょうね。だってこの学園に、落ちこぼれの居場所なんてないんですもの。……あら、お言葉が過ぎたかもしれませんわね。気を悪くしないでくださいまし」

 悪辣な乙女・アリスが、排他的な言葉を述べる。悠々とカップから芳醇な香りの紅茶を一口。困ったように肩を竦めてみせた。

「あなた、お行儀よくお茶なんて出来ないのでしょ。出来る? ふふ。みじめな思いをするだけよ」

 必死に自分を強く見せようと威圧するも、他の人の圧、嘲笑う声、蔑む眼差し、全てが自分の力を奪ってく。

 ひとりでこんなところ来るんじゃなかった……でも休憩したかったから、オミクロンでも別に休憩していいじゃん。だからここに来たのにこんなことになって。
 ソフィアお姉ちゃん、フェリシアお姉ちゃん助けて欲しい……。
 でもここに2人はいないし、他のオミクロンもいない。
 どんどんひとりぼっちの狼が小さくなってく気がする。

 すると、女の子ドールの中心にいた子から声をかけられる。
 他のドール達とは違って言葉使いは丁寧で優しそうに声をかけられるも、その言葉の節々に悪意を感じる。

 落ちこぼれ……。
 オミクロンは落ちこぼれ……みんなはそう言う。でもオディーがずっと視界に入れてるみんなは、オディーにとっては落ちこぼれなんかじゃない。

「オディーは落ちこぼれかもだけど!
 他のオディーのお兄ちゃんお姉ちゃんは落ちこぼれなんかじゃないから!
 居場所が無いなんて勝手に決め付けないでよ!」

 ソフィアお姉ちゃんは優しくて強くてかっこいいオディーの憧れ、全然落ちこぼれなんて言われるようなドールじゃない。

 フェリシアお姉ちゃんはいっぱいいっぱい優しくて、甘やかしてくれるオディーよりもずっと立派なドールだから落ちこぼれなんかじゃない。

 他にも笑顔教えてくれるミュゲお姉ちゃんやいっぱい仲良くしてくれるリヒトお兄ちゃんも落ちこぼれなんかじゃない。
 自分の視界に映る皆、全員落ちこぼれじゃないと自分は思ってるだから、オミクロンのことを落ちこぼれなんて言って欲しくないし、居場所がないなんて言って欲しくない。

「お行儀よく……。
 わ、わかんないけどオディーは不器用だから多分できない。
 でも! 貴女はできるんでしょ?
 だったらオディーにやり方教えてよ! オディーは教えて貰ったらできるもん」

 自分は出来ないかもしれない、ソフィアお姉ちゃんならできるかもだけれど……自分は不器用だって自覚はあった、でも努力はドール一倍できると自覚してる。
 なら教えてもらえれば努力してできるようにするだけ、そうしたらきっと目の前の貴女も認めてくれるだろうオミクロンは落ちこぼれじゃないって。

「可哀想な子。ご自分の立場が分かっていらっしゃらないのね。それも欠陥のせいかしら? 落ちこぼれは落ちこぼれ専用の安全なお城にいればよろしいでしょうに。

 わたくしなら恥ずかしくって表を歩けません。だって存在そのものがドールの面汚しなんですもの、さっさとスクラップにされた方が幾分マシなくらいよ。馬鹿みたいに生き恥を晒し続けて、一体どうするのでしょうね。」

 言葉遣いこそ美しく丁寧だが、アリスは徹底的にあなた方の存在と立場、あらゆるものをなじり、踏み付けにし、侮辱した。あなたの虚勢など見透かされているかのように、まるで意に介していない。
 冷徹無比な美顔が美しく、異物を排除せんとする排他的な微笑みを浮かべると、それに倣うように周囲のドールズも「まったくね」と同調した。

 彼女はこの国の女王なのだ。

「出来損ないのくせに、アリスに教えを乞うているわ。どこまでみじめになるのかしら。」
「折角のお茶会を台無しにするつもり? さっさと帰りなさいよ、邪魔なのよ」

 ……などと、冷ややかな氷水のような言葉が降り注ぐ中。アリスは少し考えたあとに、にっこりと笑った。それは先ほどの残忍な笑顔と違い、ほんのわずかな温かみを感じられるもの。

「お黙りなさいな、はしたない。こんなにおっしゃっているのです、仲間に入れて差し上げればよろしいでしょう。

 あなた、彼女にお茶を淹れて差し上げて。近頃成績が振るわないみたいですけれど、そのぐらい出来るでしょ?」

 アリスは、茶会の隅っこで縮こまっていた一人のドールに目を向けた。
 赤毛を三つ編みに編み込んだそのドールは、その視線にビクッと肩を跳ねさせて、机の下に隠していた本を慌てて閉じて、席を立つ。

「う……うん。わかっ……た……」

 ……彼女はカフェテリアのキッチンスペースへ消えていく。その空席を指して、アリスは笑った。

「さあ、お座りになったら? お名前は何だったかしら。」

 貴女の意見はごもっともだ、私は落ちこぼれ、それは理解してる。
 落ちこぼれはオミクロンに落とされてあそこにいればいいって言う意見も知ってる。
 それは正しいと思う、オディーは他者を傷つけちゃうし、オディーは笑顔が怖いしあそこにいるべきだと思うから。

「オディーはオミクロンのべきなのは理解してる。
 でも自由を奪われる理由にはならないと思う。

 それに周りのドールも同調するだけで自分の意見を言えないの?
 オディーだって自分の意見示せるのに可哀想だね。
 彼女の意見は彼女のものじゃん意見は口にしないと伝わらないのに同調するだけなんて、そういうところはオミクロン以下だね。」

 なんて同調する取り巻きのドール達に正論をぶつける。

 彼女の意見は受け入れる、そうだって思う。
 でも同調する人たちのまったくねという言葉は受け入れるつもりは無い。

 自分の意思を意見をきっぱりしっかり自分は持ってる、そこは取り巻きのドールより優秀だとこの瞬間思った、そのためそこだけは自信を持ってる。

 教えを乞うてもこれだ、同じような冷ややかな周りと同じ意見を言えという圧に押されて同じようなことしか言えない子。
 可哀想に。
 そんな言葉にもう自分は屈指ない、もうただの同じような言葉の羅列だと思うことにしたから。

 そんな中冷たい言葉であったはずの貴女の優しい言葉が飛んでくる。

 あれ? 入れてくれるの……。
 案外優しい……のかな? お姉ちゃんみたいに素直になれないだけで。

 なんて思ってれば赤髪の女の子が彼女に指示され席を立ちキッチンへ消えていく。

「わかった、オディーはオディーリア。
 呼びづらいならオディーでいい、みんなにそう呼んでいいって言ってるから。」

 今考えるべきはソフィアお姉ちゃんならこの状況何をするか、ソフィアお姉ちゃんならちゃんと座って相手の目を見ると思う、多分だけど。

 そう考え、深く椅子に座りきちんとした姿勢で貴女の目を見るだろう。

 同調圧力に押し潰される事なく発揮されたあなたの真っ直ぐな瞳と、歪みの無い鋭い論は、お茶会の空気を凍り付かせた事だろう。真っ向からの素晴らしき批判を受けたアリスの周囲の名も無きドールズは、言葉を詰まらせて、憤慨に顔を赤くするものも居た。
 ──だがあなたの言った通り、それを表立って言い表せない。アリスの我の強い言葉に同調するばかりだったのだから当然だ。

 嫌な言葉と視線をすっかり鎮めさせたあなたを見据えて、アリスは冷徹なエメラルドの双眸を細めて言った。

「オディーリアさん、先ほどの言葉はお詫びして訂正しましょう。あなたはご自分の立場をしっかりご存じの様ね。

 この子達はわたくしの『友人』でしてよ。友人というのは、わたくしとまったく同じ意見を持ち、それを支持するように出来ている。それは然るべき事で、彼女達は当然の役割をこなしているだけなの。ヒトもまた、このような堅固なコミュニティを持ったと資料にはございましたわ。ですから、わたくしたちはそれを再現しているだけですの。お分かりかしら。」

 ほとんど自身の友人を駒呼ばわりしているだけのアリスだが、その友人達はアリスの背に隠れているばかりなので反論の一石も投じるつもりが無いようだ。

「わたくしはアリス。誉れ高きエーナクラスのドールですわ。オディーリアさん、ご機嫌麗しゅう?」

 周りのドールがどう思おうか気にもとめない。
 自分まっすぐで、純粋で、真っ白な瞳は、もう目の前のアリスを捉えている。
 周りは空気。
 憤慨するものも言葉を詰まらせるものもオディーには関係ない。
 事実を述べただけで怒るのも言葉を言わないのも、事実だって認めてるようなものだから。
 結局自分の思った通りのドールなんだなとしか思えない。

 そんな言葉にお詫びと訂正をかけるアリス。
 彼女はちゃんと意見を持ってるから彼女の言葉だけは聞く。
 どうやら周りのドールは『友人』らしい。
 友人……友達ということだろうか。
 でも彼女が語る友人とは自分の思う友人とは違った。
 まるで自分の意見を引き立てるような道具としか思っていないような感じがして不気味だし怖い。
 資料? 読んだことは無いけれど、それを自分は友達だとは思えない。
 間違ってる気がするけれど読んだことないからはっきりと否定することはできない。
 でも……伝えるべきだと思う自分の意見を、あんな周りのドールと同じにはなりたくないから。

「アリスちゃんもご機嫌う、麗しゅう?」

 言葉に詰まりつつもちゃんと貴女の挨拶に返答するだろう。

「えっとオディーはオミクロンのテーセラのドール。

 周りのドールのことはわかったけれど、オディーが思うにそれは『友人』じゃないと思うの。
 訂正してくれたのは嬉しいけど、でもその意見は他のドール達のことをなんというか道具としか思ってないように思えるの。

 友人は多分友達のことだよね、友達っていうのは一緒に遊んだり、笑ったり、時に怒ったり、一緒に泣いたりするものだと思うの。

 友達っていうのは同じ意見でもちょっと違ったり、全く違ったりそういうのがぶつかっていい意見が見つかる、仲良くなれるって関係だと思うの。

 アリスちゃんの読んだ資料をオディーは見たことないから完全には否定出来ないけれど、オディーが思う友達、友人っていうのはこうだと思う、アリスちゃんの考えてる友人っていうのはちょっと間違った考えじゃないかな。」

 私はソフィアお姉ちゃんやアメリアお姉ちゃんのように賢くないけれど、直感でそう思った、この考え方は違うと。
 だからアリスちゃんに別の意見を提示してみた、アリスちゃんの読んだ資料を自分は見たことがない、今度見てみようかなと思うくらいには知りたいかもしれない。
 でもそれで自分の意見が変わることは無いと言える。

 自分は知ってる、友達の意味を。友達という関係を。友達がどれだけ素晴らしいかを。楽しくて、笑えて、叱ってくれて、泣いてくれて、オディーに色んなことを教えてくれる存在だということを。
 だからこそアリスちゃんの考えは間違ってるのだと周りのドールと違って、はっきりと言える。

「ええ、そうでしょうね。テーセラクラスのあなた方はそうと教わっているでしょう。
 授業内容をきちんと覚えている辺りは、あながち欠陥品と切り捨てられないやもしれませんわね。これは事実であって、落ちこぼれのあなたを認めて差し上げた訳ではありませんけれど……」

 ともすれば気の強い性格をしていると思われるアリスの反感を買いかねないあなたの、真っ向勝負の純真な意見を、しかし。アリスは涼しい顔で双眸を伏せて、頷きながら受け止めていた。
 取り巻きのドールの中には、アリスを見て何か言おうとしていた者も居たようだが、彼女自身が睨みを効かせてその反論を食い止めていた。

「テーセラモデルのドールにとって、ヒトとは素晴らしき『友』となる存在です。切磋琢磨し合い、時に傷付きあって、互いの想いを分かち合い、そうして絆を深めていくものだと。
 とても良き教えですわ。わたくし達はヒトを拝し、常に服従せねばなりません。たとえそれが“綺麗事”でも、ドールの在り方を遵守するというコトは大切ですわね。

 ですが友というものの本質はそれらとは全く別物です。そんなに美しいものではありませんわ。そもそもわたくし達ドールの間に美しい友情や馴れ合いなど不要。余計なことは一切考えず、ただ優秀なドール、プリマを目指して、その為にあらゆるものはとにかく利用しなければならない。それこそがドールの存在理由でしてよ。

 この方々だって、わたくしと本気でお友達ごっこをしているつもりはないでしょう。あなた方のように落ちぶれない為に、規範に則っているだけなのよ。」

 アリスはあなたの言う、意見をぶつけ合うに値するようにか、そう一気に語り尽くしては、乾いた喉を潤す為に紅茶を一口飲んだ。
 どうやら彼女の見解は固く、変わることはなさそうだ。

 そこであなた方のもとに、先ほどの赤毛のドールがやってくる。彼女はラズベリーカラーの気弱そうな瞳を伏せて、あなたの目の前に紅茶を置くだろう。

「……ねえ、あなた? たかが紅茶を一杯淹れてくるだけの間に、わたくしの紅茶が尽きそうなのだけれど」

「あ、う、」

 暗に遅いのだと彼女を批判する冷たい声に、赤毛のドールの身が竦む。

「ヒトに尽くすドールが“こう”では、些か致命的なのではなくって? それともあなたは聡明なデュオモデルの癖に、紅茶の淹れ方もろくに分からないのかしら。あなたこそ、“然るべき場所”に送られるべきじゃないかと思いますわ」

「そ、……それは、駄目、や、やだよ!」

「だったらせいぜい勉強でもしてきたら? 見ての通り、ここにはもうあなたの席はなくってよ。彼女が座ったもの。あなた、邪魔なのよ」

 冷ややかな言葉が赤毛のドールを刺していく。彼女は奥歯を噛み締めたかと思えば、駆け足でカフェテリアを離れて、文化資料室の方へ消えてしまった。

 友達がどうとか自分はちゃんと意見した。
 何となく、反感を買って周りからも怒られたり、アリスちゃん自身からも何か強い言われるかと思ったら、むしろなんか認めてくれたようなないような、とりあえず思ってもなかったようなことを言われる。

 何となく記憶の中のお姉ちゃんに似てる。
 素直になれてない感じとか、強く振舞ってる感じが。

 それに取り巻きのドールも止めてくれて何となく自分の意見をちゃんと聞いてくれているんだなと思えてしまう。

 普通のドール達はみんな意地悪だったりコソコソ話するような子達ばっかなのかなと思ってたら案外付き合いやすい子もいると理解出来た。

 そして私の意見を尊重しつつも、新しいアリスちゃんなりの意見が飛んでくる。

 彼女なりの高貴で約束事を守ったちゃんとした意見。
 自分が先程紡いだ、曖昧であやふやな意見とは違って、芯が通ったそうなるべきという意思を感じるドールらしい意見。

 でもなんだろうなれ合いなど不要だとか友達ごっことか……自分をそう言いくるめているというか、言い聞かせているというか、そうならなければいけないって必死に思っているような感じがする。
 そう言う言葉の……なんて言えばいいんだろう、牢獄? 鎖? そんなのに囚われてるのかなと思ってしまう。

 いやきっといいことなんだと思う、プリマを目指すっていう立派な夢を叶えるためにはそういう意思も必要だと思うでも……。
 アリスちゃんはそれで本当にいいのかなという思考がぐるぐると回っていた。

「多分その意見も正しいんだとオディーは思う。
 ルールを守るのは立派だしかっこいいし、オディーみたいに落ちこぼれなんて言われたくないもんね。
 オディーも普通のドールに戻るためにお勉強頑張ってるからその意見も参考にさせてもらうね。」

 とはいえこういう普通のドールと意見を交わすのは久しぶりで他者の意見というのも参考になる。
 自分はちゃんとしたドールに戻ってお披露目会に出たい、そのためにはアリスちゃんの意見も重要だと思い、批判せず参考にすると言った。

 そうこうしてれば、先程の赤髪の子が紅茶を持ってきてくれる、アリスちゃんに成績が落ちてるって言われた子。
 オミクロンになる理由の一つに成績がある、きっと彼女も該当しそうで怖いんだろう。

 そう思い赤髪の子の子に視線を向ければ、アリスちゃんから批判が彼女に向かって飛ぶ。
 あなたこそ……という言葉、自分と比べられたのかな?

 そして赤髪の子は嫌だという、そりゃァそうだ、オミクロンになればこうやって侮蔑の眼差しが突き刺さる、毎日のように、普通の子はなりたくないだろう。

 そして邪魔だと言われた子は資料室の方へ言ってしまった。
 ありがとうっていい損ねてしまった、また会えた時にありがとうと言おう。

 そして視線をアリスちゃんの方に戻す。
 やっぱりさっきの意見の節々に感じた、自分を言い聞かせている感じが気になってしまう。
 いや本人は自覚ないんだと思うでも本当にアリスちゃんはそれでいいのかなと思いそのことを隠せないため口にするだろう。

「ねぇ……失礼かもだけど。
 アリスちゃんはいつも寂しくない? 大丈夫?
 こう一切不要だとか、友達ごっことか言って。本当は友達とか欲しくないのかな……って思っちゃって。」

 アリスは走り去る赤髪のドールの背に一瞥もくれなかった。もはや興味は失せたとばかりに、口元にカップを添える研ぎ澄まされた冷艶の横顔が芸術品の如く光っている事だろう。

 何処か憂うような、あなたの心優しい言葉を受けて、アリスは微かにその睫毛を震わせる。日々畏れを抱かれ、胸中では恨まれる事の多い、決してお世辞にも素晴らしいとは呼べないアリスの苛烈な痛罵を受けてなお、彼女を案ずるあなたの心境は何処か謎めいていて、欠陥を蔑む段階を通り過ぎ、もはや不気味に感じるほどだった。

 嫉妬の象徴とも呼ばれる翡翠の双眸を覗かせながら、しかし、彼女は溜息を吐き出す。

「エーナモデルは主人に共感こそすれ、ドールが寂しさやそれに付随する感情など覚える必要はありません。あなたのおっしゃる友達という不定形の存在も、わたくしには一切不要です。

 わたくしはただ、わたくしよりも優秀なドールを排除して、このわたくしがもっとも見栄えよく輝いた状態でお披露目に出たいだけ。そしてその為には、邪魔なドールが大勢いるの。

 オディーリアさん、あなたも栄光を受けてお披露目に出たいでしょう。その為に取れる手段が何であれ躊躇うことは、決断出来ない愚か者というレッテルを貼られても問題ないと言うこと。
 わたくし、絶対にそうはなりたくありませんの。」

 アリスの意志は、もはや強迫観念とも呼べるほどに強固であった。寂しさや感情を覚える必要がないと言いながら、苛烈な嫉妬に身を焦がす不条理なドール。それがアリスであった。

「紅茶が冷めてしまいましたわね。次の授業の時間も近い。わたくし達はそろそろお暇します。どなたか片付けをしておいて。

 それではご機嫌よう、オディーリアさん。欠陥ドールにしては、なかなか有意義なディベートでしたわ。オミクロンから脱却したいのなら、まずはその馬鹿の一つ覚えみたいなお人好しの論理をどうにかなさってはいかがかしら。」

 クスクス。アリスは最後に悪辣にあなたを嗤うと、取り巻きのドールに片付けを押し付けて数名と共に立ち去っていった。

 私はアリスちゃんを心配した。
 お披露目会を目指してる気持ちはわかる。
 自分も目指しているから、お姉ちゃんやお兄ちゃんと一緒に立てることを望んでいるから。
 でもそうやって必死になって自分の環境を犠牲にした先に幸せってあるのかなと疑問に思ってしまったから。

 完全にお節介になってしまった。
 でもそれでも自分は見捨てられない、きっと記憶の中のお姉ちゃんもアリスちゃんみたいな子見捨てれないと思うから。

 アリスちゃんの綺麗な翡翠色の瞳が私に向きそしてため息を耳にする。

 返答はあまりにも自分には残酷で難しいけれども理解できる内容。
 けれどもその返答はオディーの中にあった疑問を不安を心配を増幅させるものだった。

 必死に言葉で自分を取り繕って、言い聞かせてる。

 冷たくまるで雪の女王の氷の欠片のように突き刺さる残酷な現実を突きつける言葉。
 自分はその氷の欠片を貰い思った、アリスちゃんの心は凍てついてる。
 お披露目会に出たいという純粋な気持ちをきっと持ってたんだろう、最初は。でも辛い道のりと競走による疲れで凍てついてしまったのだろう。
 きっと心の底では寂しがってる。
 オディーが何とかしなきゃ……。
 そう思えるほどに自分は敏感にその冷たさを感じていた。

「あ、ありがとうアリスちゃん!
 今日は楽しかった。
 またお話一緒にしようね〜」

 と授業だからと席を立ち数人を引き連れ、このカフェテリアを去っていく後ろ姿のアリスに向かって言う。

 最後の言葉の、お人好し。
 そうかもしれない……でもそれでも、きっとアリスちゃんの氷を溶かすために必要なことかもしれない。
 ミュゲお姉ちゃんに似ちゃったのかな、アリスちゃんの満面の笑みを見てみたいと思っちゃった。

 そのためにも努力しなければ!
 今度ソフィアお姉ちゃんにお茶会の作法を教えてもらおう。
 と視界に入るのは紅茶、そういえば飲んでなかった。
 冷めていしまったとはいえもったいないと、ティーカップを持ちゆっくりと飲み干す。

 これからどうしようか……。
 ダンスホールは予想外で閉じていたし休憩もできた。

「あ、周りのドールさんもお片付けありがとう!
 それじゃあオディー帰るね」

 バイバイと言い、仲良くしてくれなかったとはいえ片付けしてくれてる相手にお礼を言いつつ、このカフェテリアから自分も出ていくだろう。

 彼女の心の日記には今日アリスちゃんという友達ができたと記されることだろう。
 彼女にとってはお話するだけで友達判定なのだから。

【寮周辺の森林】

Licht
Odilia

《Licht》
 さて、所変わって寮周辺の森。いつもテーセラモデルの運動に使われている木々の下に腰掛けて、リヒトは森の奥を睨みつけていた。

「……まあ、どうしたってこの先の柵を、越えなくちゃいけないか」

 いつものノートに今までの事を書き加えながら、リヒトはゆっくり暗くなっている、木々のあわいを見つめながら、暇つぶしにこの辺りの木の葉っぱの絵も書いていた。

 そう、彼は待っている。
 時々寮の方を振り返りながら、これから来るはずの妹分を。

「さーて、オレたちのオオカミちゃんは来てるかな」
 
 今日は、もちろん森と柵を調べたいのもあるけれど……同じモデルの妹分と遊ぶのも目的だ。やりたいコトや、やらなきゃいけないコトは、“いつもの日々“に隠さなければいけないのだから。

 だから、全力で遊ぼう。

「わーいリヒトお兄ちゃん〜!!」

 元気よく白くてふわふわの子が走ってくる。
 木々の隙間を通り抜け、寮の方から。

 どうして森の中に来たのか、それはお兄ちゃんと遊ぶためである。
 お兄ちゃんと遊ぶためなら例え火の中水の中どんなところまででも頼まれればいくのが自分である。
 だってお兄ちゃんと遊ぶのは楽しいから。

 そんなワクワクとした気持ちを抱えながら全速力で走りここまで来た。

「おっとと……セーフ!」

 通り過ぎないように急ブレーキをかければ、少し転びそうになるもちゃんと体制を整え転ばないようにする。

 普通のドールなら疲れていそうなところだが、テーセラのため全然疲れておらず、むしろ元気いっぱいなオディーは貴方にむかって明るい声で言うだろう。

「お兄ちゃん〜遊ぼ〜!!」

《Licht》
「おっ、来たな〜!!」

 柔らかな草原を、花畑と噴水を越えて、真っ白モコモコな塊が……もとい、オディーがやってくる。明るい声とは裏腹の、ちょっとムスッとした顔で。もちろん、リヒトも彼女の‪コワれた部分は知っている。その不器用さも、不出来な部分も。

「よく来たオディー! 今日は〜、森で鬼ごっこしようと思って!!」

 だから、彼は弾けたように笑うのだ。まるで年上の子がお手本を見せるように。……本人に、その気はまるで無いけれど。

「まずはキョーソー!! 先に柵の近くまで着いた方の勝ち、な!」

 もし了承が得られたら、よーい、どん! という掛け声と共に、ぱっとリヒトは森の奥に向けて走り出すはずだ。自分よりも一回り年下の設計であるオディーに合わせて、多少は加減した速度だが……もちろん、手を抜いたからオディーに追いつかれて、抜かれる可能性も大いにある。

「鬼ごっこ!! やりたいやりたーい」

 鬼ごっこという単語に目をキラキラと輝かせ、本当に楽しみでワクワクが止まらないとぴょんぴょんと飛び跳ねクルクルと回る。

 鬼ごっこ! いっぱいここを駆け回りお兄ちゃんを捕まえたりお兄ちゃんがオディーを捕まえたりする遊び!
 他の子ともやった事あるけどすっごい楽しい遊び。
 記憶の中のお姉ちゃんともやってたこと。
 すっごく楽しくてすっごく面白くってワクワクが止まらない遊び。
 2人より大勢でやった方が本来は楽しいのだが、オディーはそんなこと気にしない。
 2人でも面白いと感じるからだ。

「うん! わかった競走する!! オディーいっぱい走る〜!」

 でも先に競走という単語が聞こえ競走するということに切り替える。
 競走もものすごく楽しい遊び。
 びゅーんって風を切って、早く着いた方が楽しいけど、2番目でも面白い遊び。

 そんなことを考えていればスタートの合図が響き渡る。

 その合図と共に、先程まで走っていたと言うのにその疲れなんてどっか行ってしまったように、疲れなんて見えない全速力の走りでリヒトお兄ちゃんを追いかけるだろう。

《Licht》
 小さな森の中を走って、大きな根は飛び越えて、樹皮に手を触れて。テーセラモデルの設計か、否か、運動は心地よい。何より気分を切り替えるには、一度限界まで疲弊したほうがいい。あの日の冷たい湖の水のように、きっと体と心を冷やしてくれる。

 ……なんて物思いしているうちに、真っ白な毛玉は遥か先へ。

「はっ────ちょ、待っ早〜っ?!」

 今度こそ手は抜けず、リヒトは全力でオディーを追い掛けるが、踏みしめる足よりもずっと早く、真っ白な影は遠のいていく。コアが痛む、ズキズキ痛む。気のせいだと、思う。
 ……先に着いたのはやっぱり彼女の方だった。

「はっ、っ、はぁっ、はっ……っはは!! 早いなー! お、オディーすっげ……!!」

 適度に調節された疲弊が出力されて、リヒトはグッと背伸びをして先に着いたオディーに話しかける。コアはズキズキ。それでも笑って、柵の近くを見て回った。

 ……思い出したくないんだ。擬似記憶の“君”は。君がオレを置いていったんだから、もう、頭の中に来ないでくれよ。

「なんか見えるかな、柵の奥。……なあオディー、いつか走って行ってみたいよな。この柵の向こうまで」

 疲労と共に付きまとってくるじっとりした記憶を振り払うようにリヒトは首を振って、オディーを誘って柵の近くを歩いて回って、同じように柵の奥を見つめた。日常に隠れた、秘密の作戦。コワれた体で出来ることは、精一杯やらなくちゃ。たとえば……逃げ場所探し、とか。

「あれれ? オディーお兄ちゃん置いてっちゃった!」

 軽快に風を切り、目指すは指定された柵。
 この先には行ってはダメと言われてるしそもそも行けない。

 とはいえ行きたい。こうやって制限されない世界で走り回れたら楽しいのかな? と思いつつ走っていたらいつの間にかリヒトお兄ちゃんを置いて言ってしまっていた。

 柵の先に広がるのもまた森であり、そよ風が吹いてくる。
 そのそよ風が頬を撫で、お疲れ様と言ってるように感じる。

 自分が柵に着いて数秒後、リヒトお兄ちゃんもその場所に着く。

「ご、ごめんねお兄ちゃん。
 オディー楽しくってつい置いて行っちゃった。」

 悪気はないんだよ。
 と困った顔をしながら貴方に謝る。
 そうやって謝るオディーを褒めてくれるリヒトお兄ちゃんは優しい。
 早く走れることは凄いことなのか実感はないけれど、褒めてくれるから好き。

 森の奥……柵が邪魔で行けない世界。
 自由な世界。
 もしこの柵を超えれたらもっと自由に走れるのかなと疑問に思う。
 そのためにもお披露目会にでなきゃいけない。

「オディーね、この柵の先に行くために、頑張って笑顔の練習とかしてお披露目会に出るの。
 そうしたら自由にこの森の中とか走れるよねきっと!」

 彼女は求む自由を、この世界を走り回れるときめきを。
 きっと草原を走るのは気持ちいんだろうな、ノースエンドに出てきた雪いっぱいの世界を走るもの楽しいんだろうな、人魚姫に出てきた砂浜もきっと。

 そんな純粋な気持ちを持って貴方に言うだろう。

 あなた方は無事、寮の外周を取り囲む柵の前に辿り着く。あなた方が踏み出したことのない、柵の『外側の世界』。まるで檻のように重苦しく設置された格子の向こう側にも、穏やかな森林が続いている。

 先生は、この先を入り組んで複雑な森だと言っていた。ひとたび外に出てしまえば、元の道を見失って迷ってしまったり、獣に襲われてしまう可能性もある。そんな危険からあなた方を守るのが、この柵なのだと。

 現在地の周辺には、特に目に留まるものは見当たらない。──“もの”は。


「……………」


 あなた方は目を疑うだろう。ふと目を向けた先に、同じように鉄柵の向こう側を見据える、赤い制服を着た見慣れないドールが突っ立っているではないか。
 癖のある茶髪を後頭部で結い込んだ、険しい表情をした堅物そうな青年ドールだ。彼の上背はあなた方が見上げる程に優れており、その身体つきも精悍だった。


 ──ああ、そうだ。
 一瞬見覚えがないと思ったが、あなた方は知っている。彼は元々、テーセラクラスで共に学びを得ていた、ジャックという名のドールであると。

 彼はあなた方に気付いていない様子で、柵に手を掛けて軽く揺すっては、何かを確認しているように見えた。

Jack
Licht
Odilia

《Licht》
「いーの、いーの。オディーが楽しかったらそれでいい!」

 走ってる最中見えた背中は、楽しそうに飛び回っていた。表情を作るのが苦手でも、体全体から嬉しそうで楽しそうなのが伝わってくる。オディーはコワれてなんかいない、キレイな心だ。

「……そう、だよな。オレたちはみんな色々、やりたいことがあって、したいことがあって、だからお披露目を待ってて……」

 純粋に煌めく気持ちで話しかけるオディーに、リヒトは目を伏せて答えた。……答えた、と言うよりは、それは酷く自分勝手な独り言のようにこぼれ落ちた。

 お披露目は、存在しない。

 それしか知らない。何かあることだけは感じるが、エーナモデルほど彼は機微に敏感では無い。何かある、少なくとも、望まれない何か。

 なんだか希望を持つのも辛くてふっと目をそらすと、制服の赤がそこにあった……森の、中に? 思わず注視する、もしかしたらサラがまた夢うつつのままにここまで来ちゃったのかも、と推測して……。

「…………あれ、ジャック……?」

 それは独り言のようで、ことの他、大きく響いた。きっと彼にも届いている。

「どうして、ここに?」

「お兄ちゃんがそう言うならいいんだけど……。」

 まだまだ少し納得がいかず、しょんぼりした顔になる。

 まさか置いていっちゃうことになるとは思ってもなかった。
 お兄ちゃんは早くて優しくてオディーに色んなことを教えてくれるから。
 ずっと前を行ってくれると思ってたらいつの前にか追い越してたみたいで、なんか少し寂しい。

 ふとお兄ちゃんの顔を少し見れば、目を伏せて返答している。
 なんで? どうして?
 なんというか悲しい、辛い?
 そんな感情を感じ取っていた。

「お兄ちゃんどうしたの? 何処か寂しいの?
 オディーここにいるよ」

 なんて心配したのか優しく手を握ってあげる。

 なんというかキラキラした希望、温かさを何となく感じなくなってお兄ちゃんからそういう明るいものが消えちゃったように感じた。

 大丈夫かなお兄ちゃん、自分にはどうすることもできない。せめてここにいてあげることしか。

「え? ジャック……?」

 お兄ちゃんが声をあげる。
 その声は1人のドールの名を紡いでいた。
 その名はジャック、オディーやリヒトお兄ちゃんと同じテーセラのお兄ちゃん。
 一緒に勉強してたお兄ちゃん。
 お兄ちゃんが向ける先にきっといるのだろうと、自分もそちらの方を向きジャックお兄ちゃんを見つける。

「あ、ジャックお兄ちゃん! そこ危ないよ、お兄ちゃん〜。」

 聞こえているのか分からないため少しだけ声をあげて、危ないことを伝えるのと自分達がここにいるのを伝えるだろう。

 静かな森に響くような声で名を呼ばれたジャックは、眼を見開いてあなた方の方を振り返る。健康的に日に焼けた肌と、コメットブルーの鮮やかな碧眼が視界に眩い、テーセラドールのお手本のような見目の精悍な青年である。

「お前達……リヒトに、オディーリアか……。

 ……、……故あって言いつけを破り、この場所にいるが……オミクロンのドールに良からぬことをしようとしている訳じゃない。……だから、俺がここにいると言うことは……どうか、内密にしてほしい。」

 ジャック。彼は以前から、口数が多いドールでは無かった。寡黙で、大らかな樹木のように静かにそこに立っている。現在は弁明の為に言葉を幾つか連ねているが、低く響く声はさほど大きくもなく、耳馴染みのあるものである。

《Licht》
「あっ、いや、その……いい。言わない。つーか、言うリユーもねえし」

 耳馴染みのいい低い声に、大樹のようにどっしりと構えた静かな態度。変わりない、ジャックだ。

「ジャック……久しぶり。……元気?  ……テーセラクラスは……その、なんというか……ああ分かんねえなあ! こういう時どう言うべきか!!」

 方や、オミクロンクラスの中でも出来損ないの、ジャンクドール。方や、テーセラモデルの立派なドール。かつて同窓ではあったが、今はもう話すことすら覚束無い。オミクロンに落ちる前、テーセラクラスにいた頃の記憶が……その焦りさえ、思い出せそうだった。

 『とにかく会えてよかった! な、お、オディー!』と同意を求めて振り返り、気まずさを拭おうと何度も言葉を重ねる。

「……と、言うか。なんでオミクロン寮の森の……柵近くなんかに居んの? どうやって来たの?」

 気まずさを拭おうと重ねる度にちぐはぐとズレていく距離感に気づかないまま、リヒトは焦ったように続けた。

「お、お兄ちゃんのことは絶対に言わないよ!
 とりあえず何してるのか気になっただけだから……。
 危ないことしてないなら良かった。」

 低く穏やかな声はオディーの耳に優しく届いた。

 ジャックお兄ちゃん、自分がテーセラのクラスにいた時からあまり喋らない、口数の少ない明るい子が多いテーセラドールの中ではちょっと異質だったドール。
 でも、それでも他のお兄ちゃん達と同様に優しかったことは覚えてる。
 その声のトーンが証明していた。

「お、リヒトお兄ちゃん落ち着いて?
 オディーもジャックお兄ちゃんに会えて嬉しいよ!」

 顔で表現すると怖くなってしまうから身振り手振りで嬉しいという感情を表現しリヒトお兄ちゃんとジャックお兄ちゃん、両方がわかってくれるよう表す。

 オディーだってジャックお兄ちゃんに会えて嬉しい。
 元とはいえ同じクラスメイトだったドール、久しぶりに会えたのだから嬉しい。

 するとリヒトお兄ちゃんから質問がジャックお兄ちゃんへいく。

 そういえばそうだ、なんで普通のドールがオミクロン寮のしかも柵の近くになんかいるのだろう。
 普通のドール達ならカフェテリアとかあるだろうに……。
 そう疑問に思い首を傾げる。

 どうやら彼らが、己の不法侵入を不問にしてくれるらしいと分かると、見る者を緊張させるような険しい顔をしていた彼は、ふっと僅かずつ、眦を緩めた。それでも仏頂面であることには変わりないが、幾分強張った空気が和らいだように感じるだろう。会えて嬉しいだとか、久しぶりだとか、旧友との再会を喜ぶ素直な言葉は吐かないが、気の置けない雰囲気を感じ取れるのではないだろうか。

 警戒せずに快諾してくれたあなた方に、ジャックは深々と一礼をした後、目の前の高い柵を見上げた。彼はかなり体格に優れているのだが、それでも彼が見上げるほどに柵は高かった。

 多くは語らず、彼の目的がこの柵であることを目線で示しながら、再びジャックはあなた方の方へ向き直る。

「…………夢……トイボックスの、真実……、……ドロシーに、頼まれたんだ。下見を頼むと。この先に、知りたい事実があるらしい。」

 彼が零した、ドロシーという名。これも、あなた方は聞き覚えがあった。
 彼女は所謂、テーセラクラスの模範的な優等生であった。当時のプリマドールであったストームに並ぶほどの成績を優に収め、生真面目に勉学や鍛錬に打ち込んでいた姿を今も思い返せる事だろう。

「この柵は……俺なら、越えられるが……、……、……規則を破る事になる。だから、様子見だけを……していた。」

《Licht》
「夢、トイボックスの、真実。ドロシー、 が? ……どんな? もしかして、お披露目とか───?!」

 取り乱しかけた言葉に自分でハッとし、思わずぐっと口を噤む。結局ストームからは聞けなかった、お披露目についての事かと先走ったが……トイボックスには謎が多い。どの真実についてのことかは分からないし、話してくれるかも分からない。

 ぐむむ……と口を噤んで、リヒトは仕方なく話題を変えた。

「……っ、ジャック、どうやって柵登るの? つーか登れるの? すげえな……」

 ドロシーの話を聞きたいのは山々だが、エーナモデルでない彼が上手く聞けるとは思えない。代わりに、今後絶対必要になるだろう、柵越えについての情報を聞こうとした。自分よりも上背のある彼がどうやってこの2mの柵を越えようとしているのか、その方法が分かれば、きっとストームが出来るような気がして。

「お披露目会に何かあるの? お兄ちゃん……」

 自分は何も知らなかった、知る由もなかった。
 真実? 夢? 分からない。
 オディーにとってお披露目会というものは憧れであり自由を噛み締めれる場所。

 それなのになんというかお披露目会に何かが隠されてるような言い草だ、それに急にリヒトお兄ちゃんが口を閉じる。
 何かがおかしい、それにお披露目会があるダンスホールから変な水音がしたし、扉はあかなかったしそれに謎にこっち側に鍵があったし、わかんないことがいっぱいだ。

 ひとりで考えても仕方ないかもだけれど、心にモヤが残る、ぐるぐるとした毛玉のような。

「本当だ、お兄ちゃん向こう側いけるの?
 柵、あんなに大きいのに、ぴょんって飛んだらオディーも行ける?」

 柵を超えるということはリヒトお兄ちゃんを置いていくくらい足が早い自分でもすごいと思えることだ。自分じゃ手は届かないし、ジャンプしてもきっと届かないだろう。

「ジャンプか……流石にオディーリアの背丈では、ジャンプだけだと厳しいな。だが、ロープが一本あれば、誰でも越えられる……はずだ」

 暗にジャックは自身の身体一つで越えられることを示唆しつつ、再度鉄柵の格子を掴んだ。また軽く揺すって強度を確かめるような動作を取りつつ、またあなた方の方を向き直る。

「俺も、外の世界には前から興味があった……。外に出てヒトに奉公しなければならないのに、ドールはお披露目まで外を見ることは許されていない。この『決まりごと』に疑問があったのは……昔からだ。

 これはドールを守る為の柵ではなくて、商品を逃さないための柵……だとしたら。頷ける理由がある……。

 その内、柵越えをしにくる。なぜオミクロン寮でなければならないのかは、ドロシーにしか、分からない事だが……」

 ジャックは踵を返し、学園の方角へと歩き始める。その途中、リヒトとすれ違う間際。「柵越えをするのなら、先生の監視に気を付けろ。何か足止めをしておけ」──と、あなたに囁いて、そのまま彼は立ち去っていくだろう。

《Licht》
「……そっか。守るための柵、逃がさないための柵。ロープが、一本」

 ジャックと同じように自分を柵を掴んで、揺すって強度を確かめ、リヒトは言葉を反芻する。自分じゃ思いつかない、ストームに伝えよう、と思いながら。
 それから、ノートを開いてメモを取り、囁かれた言葉にはっと目を開いて……丸い瞳に、去っていく制服が映った。

「わかった、ありがとな。────ジャック!! その……」

 コワれた自分に、言えること。
 コワれた自分に、出来ること。

「気を、つけて」

 ──それしか、言えなかった。

「……オディー。オレたちの目標は、お披露目会に行く事じゃない。自分の、自分だけのご主人様に、会うことだ。……そうだろ? 」

 立ち去っていくジャックを見つめながら、彼の姿が先生に見咎められないよう心配しながら、リヒトは確認する。出来れば、声が軽くなるように、本当になんでもないように。

 柵……。
 守る為じゃなくて、逃がさないための柵。

 逃がさない?
 ダンスホールの扉もまるで向こう側に行った存在を逃がさないように、向こう側では開けれないようにこちら側に鍵があった。

 先生は優しい……でも逃がさない?
 自分はソフィアお姉ちゃんや、アメリアお姉ちゃんより頭がいいわけじゃない。わかんないけど色んなことにより疑問が増えていく。
 お兄ちゃんは何か知ってそうだけれど隠してくるから分からない。
 アリスちゃんと会った時にも言ったけれど心が読めない、読めれたら今の状況も理解できるのだろうか。

「あ、ジャックお兄ちゃんじゃあね! また遊んでね!」

 と手を振りジャックお兄ちゃんの背中を見つめることしか出来なかった。

「そ、そうだけど……」

 お披露目会に何かあるのか聞いた返事は、お披露目会に行くことが目標じゃなくてご主人様に会うこと。
 そ、そうだけど……だけど、そんなに内緒にされちゃオディーも知りたいよ。
 なんて言おうとしたのに続きは出てこない。

 オディーにも話せないことなのかな……やっぱオディーがまだお姉ちゃんやお兄ちゃん達みたいに立派じゃないから……。
 しょんぼりしながら自分はそんなことを考えるのだった。

《Licht》
「……うん、そう。そうだよな。オレたちはまだ見ぬダレかのために、ずっと頑張ってるんだ……お披露目のためじゃない」

 もうジャックの背中も見えない草原を見つめる。隠しちゃいけないかな、と心のどこかで鍵が揺れる。遊ぼうと思っていた、どこか逃避気味な気持ちは既に、あの業火に追いつかれ、囚われていた。

「いいか、オディー。ヒミツにしようかとも思ったけど、やっぱりお前だから、言うよ。オレはコワれてるから、カクシゴトは苦手なんだ」

 そう言って、リヒトは真っ白でモコモコな大切な妹分を見つめた。今から大事なことを言うよ、というに、二三度深く瞬いて、口を開く。

 ああ、ミシェラも大事だったんだ。かわいい、オレたちのミシェラだったんだ。

「お披露目は、オレたちが想像してるより、もっと酷いものなんだ。お披露目に行ったミシェラは……今、幸せなんかじゃない。オレ、ミシェラを助けられなかったんだ。目の前で、見たんだ。

 ……なあオディー。ヒミツの作戦をしよう。学園の謎をオレたちオミクロンで解いちまおう。そうして自分たちで、ご主人様に会いに行こう」

 お兄ちゃんとしてはあまりにカッコ悪くて、年上設計としてはきっと脆い言葉。それでも真面目だ、真剣なんだ。

 リヒトは真っ直ぐオディーの不器用で素敵な顔を見つめた。

「センセーは、こんなこと聞いたらきっとジャマするから、センセーには絶対、バレないように」

 ────さすがに、信じてもらえないかな。少しだけ後悔が滲む。

 お披露目会、オディーの目標はそれだったけれど理由はご主人様あの記憶の中のお姉ちゃんのようなご主人様に会うため、それが目的だった。
 赤色の髪のお姉ちゃん、隣に立ってバレエを踊ることそれが幸せだと信じて。

 でもリヒトお兄ちゃんが次に喋ったことは自分にとってショッキングな事だった。

 目標としていたお披露目会が思ってるあのキラキラしたお披露目会では無いということ、あんなに一緒に勉強したミシェラが幸せじゃないということ、そしてお兄ちゃんはミシェラを助けられなかったこと。

 きっと助けられなかったということは悪い人が邪魔したのか、見れたけど遠かったとか色々理由はあるだろう。

「ミシェラを助けられなかったのは、仕方なかったんだよね、多分。
 だからリヒトお兄ちゃんは自分を責めなくていいよ。」

 ミシェラを助けられなかったのはオディーもそうだから。
 自分のせいでもあるから、例え事情を知らなくてもお兄ちゃんお姉ちゃんは悪くないってわかるから。
 助けられなかったとしてもオディーにとって最高なお兄ちゃんお姉ちゃんだから。

 お披露目会がそういうことだということ、昔の自分だったら信じてない。
 でもダンスホールの扉、水音、この柵、ジャックお兄ちゃんの言葉。
 怪しいことだらけのこの世界、本気で信じていいのかは分からないけれど、でもそれでもお兄ちゃんの言うことは信じてみたい、助けになってあげたい。

「いっぱい謎だらけで、オディーが力になるか分からないけど……!
 オディーお兄ちゃんの力になりたい。そしてみんなでご主人様のところに行きたい!
 だから手伝うよお兄ちゃん」

 リヒトお兄ちゃんの手を掴みぎゅっと握ってそう伝える。
 握ってるオディーの瞳はいくら感情表現が苦手でもわかりやすいくらい真剣な眼差しだった。

「先生には内緒ね……わかったよお兄ちゃん。
 頑張ってオディー隠し通すね!」

 嘘は苦手だけれど、本当は先生も騙したくないけれど、お兄ちゃんお姉ちゃんの力になれるならという気持ちを持ちお口チャックの動きをする。

《Licht》
「ありがとう……ヒミツ、ヒミツな。オレたちの、オミクロンの大事なヒミツだ!!」

 オディーの言葉を、優しい言葉を、棘としては行けない。傷にしてはいけない。覚悟とともにその言葉を受けて、リヒトはぐっと飲み込むように笑った。不器用だけど一生懸命伝えてくれる、大事な仲間に応えたくて。

 コワれた体で……大丈夫。
 ずっと戦っているよ。

 ごめんな、ミシェラ。

「よーし、そうと決まれば早速、学園の謎について話そう!  
 ええと、オレは……寮の中にいっぱいある『ルートゼロ』って記号について知ってる。これは、医務室の寝る箱の蓋の裏に書いてあって、ミュゲが聞いたことあるって……あとエルの箱の蓋の裏にもあったらしい。ストームに聞いた。
 それから、学園の『開かずの扉』の話。……これはとっても危ないから、一緒に行ったフェリ、フェリシアにも話を聞いてくれ、な。絶対に一人で行くんじゃないぞ。
 さらにさらに、センセーの部屋の本棚の秘密。……実はあの本棚、動くし、裏に扉があるんだ! だからオレはそこの鍵を探してみてる。見つけたら教えてくれ!
 あと、お披露目の秘密。お披露目で何があったかは、元プリマ……ええと、ストーム、ディアさん、アティスさん、ソフィア姉が知ってるよ」

 『この位かな、オディーはなんか、気になったことあるか?』と妹分に目線を合わせたまま、こてんと首を傾げて彼は尋ねた。

「うん! 秘密だよお兄ちゃん」

 ミュゲお姉ちゃんに教わったように手でにーと、笑顔を作ってみれば、明るく貴方にそういうだろう。

 これが今の自分に出来る精一杯の笑顔。
 これでお兄ちゃんも責めないでくれると嬉しいけれど。
 もっと自分が笑顔が上手だったりしたら、もっとリヒトお兄ちゃんが背負わなくて済むかもだけれど、自分が出来るのはここまでだった。
 せめてリヒトお兄ちゃんの荷が自分が協力することで少しでも降りてくれればいいと願う。

「ルート……ゼロ、よくわかんないけどミュゲお姉ちゃんとエルお兄ちゃんとストームお兄ちゃんが知ってるんだね!

 開かずの扉はフェリシアお姉ちゃんが、それと1人で行っちゃダメ。

 リヒトお兄ちゃんが先生の部屋の隠し部屋の鍵を探してて。

 ストームお兄ちゃん、ディアお兄ちゃん、アストレアお兄ちゃん、ソフィアお姉ちゃんが秘密を知ってる……。
 わかった! 全部覚えた!」

 情報量は多かったが、これでも勉強は頑張ってしているため多少は記憶力も鍛えられた。
 そのためちゃんとリヒトお兄ちゃんが言った情報のことを記憶に入れガッツポーズをする。

「気になったこと…………?」

 何か不思議に思ったことだろうか……学校で。
 確証はないし直接見た訳では無いけれど、言うべきだろうか、いやせっかくリヒトお兄ちゃんが教えてくれたのだから言うべきだろう。

「えっとね……ダンスホールで今扉が閉まってるんだけど。
 変な水音がしたの、あと何かを引きずる音? かな。
 あと鍵が向こう側からは絶対開けれないようになってて、こっち側だけ閉めれるようになってた。」

 そのくらい…………かな。
 あ、でも関係ないかもだけど少し言うべきかもしれないと思い口を開く。

「あ、あとこれは個人的なことなんだけど……アリスちゃんっていうドールがね。
 少し寂しそうにしてたの、ちょっと引っかかっちゃってね。
 オディーはみんなと仲良くなりたいから、どうにかしてあげたいなって思ってたり?」

 なんて言うも……でもでも自分がやりたいことだから、脱出には関係ないから気にしないでね。

 と伝えたはいいものの気にしないで欲しいと貴方に伝える。

 みんなと出るって時にほかのドールなんて気にしてたらきっと出れなくなってしまう。
 目標はお披露目会じゃなくてご主人様に会うこと、他のドールは関係ない。
 それでも自分はみんなが幸せになって欲しいと願うくらいのお人好しなのだ。

《Licht》
「ああ、約束な」

 オディーがむにっ、と手で笑顔を作ったのを見て、こちらも自分の頬を手でむっと押し上げる。おそろい。きっとミュゲに習ったんだろう。

 オディーは、やっぱり、ちょっとだけ不器用なだけの、優しくてキレイな子だ。

「閉まってた扉、引きずる音、変な水の音……」

 オディーの教えてくれたことをちまちまとメモに取りながら反芻する。リヒトにはその点のような、星空のような様々な謎は分からないが……これを繋げて星座を見てくれる人を、彼は知っていた。

「コジン的な事でも、大事なことだろ。オディーはやりたいことやっていいんだ。……アリスってやつと仲良くするのも、もちろんな!」

 もしかしたらそのアリスってのはあいつかもしれないけど〜〜なんて、心の隙間でもやもやしながら、それでもぱん、と言葉でオディーの背を押す。やりたいことをやっていい、したいことをしていいのだ。彼らはいつか誰かの手を待つドールだが……確かに、自分の心を持っているのだから。

「……あーあ、なんか遊ぶ感じじゃなくなっちまったな……どうする? オディー。一旦解散にするか?」

「オディー知らないことが多くてごめんね。
 少しでも力になればいいんだけれど。
 後で他のところも探索するからなにか見つけたら教えてあげるね!」

 自分が知っていた情報は少しでも役に立てただろうか?
 ダンスホール、図書室、カフェテリア。
 カフェテリアに関してはアリスちゃんがいたから調べられたとは言えないかもだけれど、調べたところはざっとこんな感じ、まだまだ行きたいところがたくさんだ。

「……! わかった、オディーしたいことする。
 アリスちゃんと仲良くなる!」

 リヒトお兄ちゃんの言葉で背中を押して貰えた。
 本当に踏み込んでいいのか。アリスちゃんが言っていた、お人好しは直した方がいいと。
 でもやりたいことをやっていいとお兄ちゃんが言うなら、お人好しでも構わない!
 やりたいことをやる、そう気合いが入った瞬間だったら。

「どうしようか、オディーはどっちでもいいよ。
 リヒトお兄ちゃんの手伝いもできるよ?」

《Licht》
「オレは……そうだな、柵について調べられたし、ジャックから話も聞けた……から……うん。ちょっと一旦寮に戻るよ」

 ジャックに出会えた事で、かたんと心の何かが、また蓋を開けて暴れ始めた。不安症とも言えない、バランスの悪い焦燥。せっつかれるように反射で足を出し、とにかく前に進まなければ。
 ぐぐっと伸びをして、少しばかりの悔しい気持ちと引き換えに、彼は一歩森から離れた。

「今度、今度な。今度遊ぼう!」

 未来の話をする度に、過去から業火が迫り来る。秘密に沈めておきたかった、後悔と罪が顔を出す。
 不安をふっと振り切るように、また今度、の約束をして、リヒトは大きく手を振ってその場からゆっくり立ち去った。

Rosetta
 Odilia

 リヒトお兄ちゃんと別れてから数十分後。
 何をするのか、何をしようか、誰か居ないかふわりふわり、ゆらりゆらりと、小さな森の中を探索した。
 綺麗な木陰、小鳥の囀り、変な模様の葉っぱ、全部全部楽しいけれど、飽きてしまった。

 あとは何をしようかと考えてれば結局寮に戻ってきていた。

「う〜ん本当に何しようかな〜。
 オディーが今したいこと」

 頑張って可愛い頭を使い考える。
 かけっこもした、本を読むこともした、鬼ごっこは独りだからできない。

 ふとここで思い出す。
 ダンスホールが空いてなくて、結局考えて踊ることを実行できないことを。
 幸い寮前で、お姉ちゃんお兄ちゃん達しかいない。それに広いステージが広がっていた。

 そうだ! ここなら踊れるかもしれないと顔を喜ばせる。

「そうと決まれば早速準備運動……まぁかけっこしたし大丈夫かな?
 身体いっぱい動かしたし!」

 大丈夫だと思い見切り発車とも言わんばかりだが大丈夫だろう。
 頭の中に憧れの姉を思い浮かべる。
 記憶の中のお姉ちゃん、バレエが上手で素直になれない赤髪のお姉ちゃん。
 キラキラした姿に自分は憧れていた。
 そのお姉ちゃんの動きを真似る。

「えっとここをこう構えて……。」

 クルクルとつま先立ちをしながら回転し足を伸ばすタイミングでかかとをつける。
 フェッテ・アン・トゥールナンという技である。
 靴でよくできるなと他人は思ってしまうだろうが、これも練習の賜物で、まぁ裸足でやった方がやりやすい。

 顔も真剣な眼差しで、これだけは譲れないという気迫を感じるであろう、近くに誰かがいるのなら。
 真白く舞う姿は白鳥のようにきっと美しいであろう。

《Rosetta》
 白銀の髪が、翼のように広がるのを見た。

 「何をしているの?」

 ロゼットが声をかけたのは、ほんの気まぐれであったのだろう。
 美しいものを見た、というのもあったし。本人が単純に暇だったということもある。
 まだ何もない日常の一幕だ。緊張感と呼べるようなものは、まるで持っていなかった。

 「その動き、綺麗だね。どうやってやるの?」

 機敏なテーセラとは違い、トゥリアは身体を動かすことに長けてはいない。
 デュオのように、見ただけで物事の本質を理解し、再現することもまた難しい。
 だが、ロゼットはその動きを真似したいと考えていた。
 赤い鳥など早々居はしないが、可愛らしい同級生と同じことがしたかったのだろう。
 教えてもらえずとも、いつもの薄笑みを浮かべ、オディーの動きを見ているだろう。

 ふと、優しい声が聞こえ白鳥は水辺に止まるように回転を止める。
  止まる姿も優雅であり頭からつま先まで白鳥になりきってた彼女は声をかけられた方を向く。

 そこには薔薇のような赤い髪をしたお姉ちゃんが。

「あ、ロゼットお姉ちゃん!
 えっとね、ダンスホールが空いてなかったから、何処かで踊りたくって、ここでバレエを踊ってたの!」

 そう質問に対して明るく答えるだろう。

 そのあとどうやるのか聞かれる。

 どうやるのか……説明が難しい。自分は記憶の中のお姉ちゃんを真似して踊ってるだけだから。でもお姉ちゃんにもバレエの楽しさを知って欲しいし。

「うーんと、まずは多分回転中に足を伸ばすのは難しいと思うから、普通に片足でつま先立ちしながら回転できるようになればいいと思う。」

 といいロゼットお姉ちゃんにお手本を見せる。
 片足でつま先立ちをしながら4回程度クルクル回る。まるでオルゴールの人形のようにクルクルと。

 お勉強を教えるのは少しはできるけれど、こうやって感覚でやってたバレエを教えるのは難しい。これで伝わってるかな、大丈夫かな、と心配になりながらも、できる? と貴女に聞いてみるだろう。

《Rosetta》
 「バレエ……その踊りがバレエって言うんだ。すごくシャープでいいね」

 褒め言葉として相応しいかはともかく、彼女はそう返した。
 うっかり「コンパスみたい」とでも言えば怒られかねないが、これぐらいならまだシンプルな賛辞のラインだ。
 そして。そんなオディーの動きを真似るのは、ロゼットには難しかったらしい。
 片足で半回転をし、姿勢を崩してふらつく。
 そんなことを数回繰り返したが、彼女は中々楽しんでいるらしい。

 「ふふ……そのうち早く回って、コマみたいになったら面白いね。ねえ、コツはある?」

 つむじから糸を引くように、自分の頭上に手を掲げる。
 そうしてようやく一回転し、「こんな感じ?」とロゼットは目を輝かせた。

「ロゼットお姉ちゃん上手だよ!
 そんな感じで大丈夫だよ、その回ることを何回かできるようになればオディーみたいに踊れるようになるよっ!」

 シャープでいいと言われてちょっと嬉しい。バレエはオディーにとって1番自慢できること。それを褒められるということは、今までの努力を認められたようでちょっと嬉しい。

 擬似記憶の中のお姉ちゃんみたいにはまだまだできない、でもそれでも褒めて貰えたことに心が明るくなった。

 ロゼットお姉ちゃんにももっとバレエの楽しさ面白さについて知って欲しい。
 でもきっとお姉ちゃんには難しい、でもクルクル回ってるだけでも楽しいと言ってくれた。

「じゃあもっとクルクル回ろう〜お姉ちゃんもきっと楽しいよ?」

 クルクルと数回回り、丁寧に貴族がしそうなお辞儀のようにふわりと止まる。

 今も楽しいけれどもっとみんながいればもっと楽しい、でもロゼットお姉ちゃんと2人でも楽しいのだ。

 みんなでいつかダンスパーティーしたいなと思いながら、練習のようにもう1回楽しくくるりと回る。

《Rosetta》
 子犬のように喜ぶオディーリアを見て、ロゼットは目を細める。
 自分の何を楽しんでいるかは分からないが、仲間が楽しんでいるならそれに越したことはないのだ。

 「いいよ。どっちが綺麗に回れるか、見せ合いっこしようか」

 花弁が風になびくように、ロゼットは舞う。
 そのじつは回っているだけだったが、曲がなくても、舞台でなくても、彼女は楽しかった。
 木の騒めきが聞こえてきて、木漏れ日が降り注いでいて。
 何より、共演者が横にいる。今はそれだけでいいのだ。
 回りすぎて目が回り出した頃、ロゼットは地面に座り込む。そうして、「楽しかったけど、つかれたね」なんて呟くだろう。

 音楽なんて流れてないのに流れてるように感じる空間。
 狼は白鳥となり、地面を水面に見立て羽ばたくように飛んだり、水面を泳ぐように回る。
 1種の演技のように……。
 ふわりふわりと優しく。

 とはいえ、走った後、長い間踊ったこともあり、ロゼットお姉ちゃんの疲れたねという言葉で、白鳥は水面で翼を休めるように止まる。

「流石に、テーセラのオディーでも疲れたかも。
 踊る前に走ったりしたしでもでも久しぶりにちゃんと踊れたから楽しかった!」

 そう言えば彼女は地面へ座り、見てくれたロゼットお姉ちゃんに感謝を込めたのか頑張って練習した笑顔を指で作り見せるだろう。

「まだまだ下手だけどバレエも笑顔も頑張らないと!
 もっと上手になったらお姉ちゃんまた見てくれる?」

 なんていう可愛らしい質問を首を傾げながら貴方に尋ねるだろう。

《Rosetta》
 「うん、楽しかったね……でも、体力がないからついていけるように練習しないと」

 かなり疲弊しているようだが、楽しかったという言葉に偽りはない。
 いつも通り、本心からの微笑みで、彼女は口にした。

 「もちろん、いいよ。上手にならなくても、別のことでも、いつでも見てあげる」

 頭を撫でようとして、手を引っ込める。
 彼女は触れられることを好まない。笑顔もさほど上手くはない。けれど、望めばきっと叶えようとしてくれるだろう。
 ありのままの彼女が愛おしいから、無理はさせたくない。

 「だから、また一緒に踊ろう」

 希うように、それだけを約束のように口にする。
 彼女は差し出した手の、小指以外を握り込んだ。