Odilia

【学生寮1F エントランスホール】

David
Giselle
Sarah
Odilia

 ──朝食後、あなたは食事を終えて、ダイニングを抜け出す。廊下の先にはすぐに広々としたエントランスホールが存在する。吹き抜けになっており天井が高く、高所に位置する窓から神々しい梯子のような陽光が降り注いでいた。
 そのたもとで、先生が二人向き直って話し込んでいる。

「普段は二階の寝室に。造りはエーナ寮のものとそう変わらない。」
「はい、分かりました、デイビッド先生。」
「それとこれは……■■■■■だ。今後は君に一任することになるから、持っていてくれ。」

 どうやらデイビッドが、これからこの場所で生活することになるジゼルに様々なことを伝達している最中らしかった。あなたの目には、デイビッドがジゼルに何かを手放したのがはっきりと映り込む。

 そこでデイビッドは、あなたの存在に気付いて優しく微笑んだ。

「こんにちは、サラ。ジゼル先生のことが気になったのかな? 折角だ、少し話して仲を深めるといい。先生は荷物を纏めてくるからね。」

 人を安心させる頼もしい先生の笑顔が、あなたの背を押しているようだった。
 そうしてデイビッドは、二階へ続く階段へと足をかけ、歩き去っていく。代わりに、光を反射して艶やかに煌めく白銀の輝きを宿したジゼルが、あなたに向き直った。

「ご機嫌よう、サラ。私はジゼル。それと……そちらの子は、オディーリアかしら? ふわふわ可愛い髪ね、こっちでお話ししましょう?」

 同時に彼女はサラより後ろの方に目を掛けて、にっこりと明るく告げた。

 今日は朝から沢山の情報が舞い込んでくる。
 新しいオミクロン、グレーテルお姉ちゃんと……ウェンディお姉ちゃん。
 そしてお披露目は成功してしまったという事実。
 とはいえウェンディお姉ちゃんがここに来てるということは、お姉ちゃんだけでも助かったということ。

 そしてジゼル先生という新しい先生のこと。

 これからリヒトお兄ちゃんにいろいろと相談しようと思ってた矢先こんなことに……。

 とはいえ新しいことには突っ込んで行くべきだろう。
 まずは先生と仲良くするべきだと思う。

 先生はどこにいるのだろうか……。

 寮内を探してみるとジゼル先生とデイビッド先生が何やらお話している。
 もっとよく聞くために近づけば途中からでもよく聞こえていた。

 内容はよく知らないがきっと重要なことだろうそんなことが聞こえてしまった、リヒトお兄ちゃんに聞けば何かわかるだろうか。

 そんなことをサラちゃんよりも後ろで聞きながら考えていれば、声をかけられる。

「え、あっ……オディーはオディーだよ……です!
 ジゼル先生、初めまして。」

 あんまり気づかれないと思っていたがどうやら見ていたらしい。
 にっこりと笑うジゼル先生を見て優しそうだと思ってしまう。

 とはいえお披露目について知ってる先生だ一応警戒はするべきだと思う。
 そしてデイビッド先生は自分に気づく前に上に上がってしまった。

「お話……オディーのお話聞いてくれるの?」

 聞いてくれそうなことに頷きもっと先生の方へ近づくだろう。

《Sarah》
 残念ながら愛しい父であり先生である彼はもう去ってしまうようだ。後ほど体の不調についても訪ねてみようと思っていたのに……。
 デイビッド先生サンが知らない部屋の名前と共にジゼル先生サンに渡したのは……鍵だろうか。サラの知らない場所の鍵。先生の特別な部屋なのかもしれない。

「あっ、うん。行ってらっしゃい。」

 一体どれほどの間会えないのだろうか。少し寂しい。
 ふとオディーリアサンもそばにいたことに気づき彼女に会釈をする。来たばっかのエーナモデルの先生。あまり関わりのないテーセラクラスからしたら興味の対象。他のモデルから見てもお話したい人の一人かもしれない。きっと彼女は人気者になってここで良い先生に、母になるのかもしれない。わからないけれど。

「ごきげんよう。ジゼル先生サン」

 エーナモデルの先生だからかお話が好きなのだろうか? テーセラモデルと話しても何も得られないのに。

「オディー、サラ、初めまして。ご機嫌よう。

 勿論よ、お話ししたいことがあるなら何でも先生に聞かせて頂戴。逆に私にお話ししてほしいことがあってもね。私はこれでもエーナクラスの先生だから、知っているお伽噺は数えきれないぐらいあるのよ。」

 ジゼル先生は、とても背が高い。
 170cmは悠に超えているだろう。その為、あなた方にとっては見上げる高さに顔がある。身体つきはスレンダーで、デイビッドと同じ黒い制服に、タイトスカートを身に纏っている。胸元には親しみやすい笑顔を浮かべたうさぎと猫のアップリケが刺繍されていた。

 上背があるとはいえ、彼女はあなた方を見下したりはしない。すぐにその場に膝を揃えながら屈み込んで、にこにこと開花するコスモスのような笑顔を浮かべる。
 自身の胸元に手を添えながら、声を掛けることに躊躇などしなくてもいいと伝えようとする。

「これから一緒に過ごすことになるんだもの、皆さんと少しでも仲良くなりたいわ。

 二人はテーセラクラスなのよね。私、こう見えて運動だって得意なの。後でお外で遊びましょう、鬼ごっこでも、かくれんぼでもいいわ。」

 オディーよりも背が高くて、とっても綺麗な髪を持っているジゼル先生が、自分たちの目線に合わせしゃがんでくれる。

 デイビッド先生と同じ服を身にまとっているが、ふと目に入るのはうさぎと猫の刺繍。
 可愛いうさぎと猫ちゃん、ジゼル先生と同じように優しそうな笑顔を浮かべ先生の胸元で目立っている。
 先生が自分で縫ったのだろうか?
 そうだとしたら先生はきっとオディーみたいに不器用じゃなくて、きっと器用だ。少し憧れてしまう。

 コスモスのように明るく優しそうな笑顔を浮かべ、先生は提案してくれた。

 その提案はあまりにもオディーにとって楽しそうな提案だ。

「鬼ごっこ! 隠れんぼ! 先生と一緒に、いいの?」

 身体を動かすのは大好きだ。鬼ごっこでも先生に負ける未来なんて見えない、だってだってリヒトお兄ちゃんに褒められたくらいだもん。
 隠れんぼもオディーならきっと見つからないところに隠れれるはず。

 そんな甘い誘い乗らない訳には行かなかった、かけっこはリヒトお兄ちゃんとできたけど、もっともっとオディーは遊びたかったから、今こうして先生に提案してくれたことに感謝しつつ、警戒心は楽しそうなことに塗りつぶされ、鬼ごっこか隠れんぼどっちをやるか悩むだろう。

《Sarah》
 デイビッド先生サンとは違ってただの制服ではなくうさぎと猫がくっついている。一体どこから拾ってきて貼っつけたのだろう。
 図鑑から取り出して一緒にいるのか、はたまた先生だから外から連れてきたのか。
 サラより20cmほど高い彼女はドールの前に屈み込む。そうすれば今度はサラ達が先生の頭のてっぺんまで見えた。

「いいよ。ボクらはお話を覚える必要はないし。」

 ジゼル先生の話に興味がないという訳では無いが、テーセラドールに物語なんて必要ない。必要最低限の知識さえあればいい。
 テーセラに必要なのは友愛への理解、知識。体力。まだいくつかあるはずだ。
物語の語り手はエーナモデルで十分。

「……オディーリアサン駄目だよ。ジゼル先生サンはエーナの先生サン。
 体力も、筋力も違う。」

 せっかく白い子狼が盛り上がっているところ申し訳ないが、サラにはジゼル先生に負ける気がしない。エーナモデルの先生とテーセラドール。差は明らかなはずだ。
 負けるわけがない。
 それに、来たばっかの先生を二人がかりで壊してしまうかもしれない。
 先生が壊れるわけなんて無い、わかっているけれど可能性が0なんてことはいつだって無い。

 素直に目を輝かせて、目一杯身体を動かすことに胸を躍らせている様子のオディーリアとは一転。サラという少女は何処か排他的で、そのあまり懐いていない仔猫を思わせる態度にジゼルはぱちりと瞬きを一つした。
 子供らしい傲慢さと、ほんの僅かに感じられるこちらへの気遣い。ジゼルはジッとサラの、起伏のない声色と凪いだ表情を観察して、それから優しく愛らしい色をした瞳を細めて、笑った。

「あら……あなたたち、デイビッド先生とお外で鬼ごっこや隠れんぼをしたことがあるでしょう、テーセラモデルなのだから。

 彼はとても運動が出来る方だけれど、何より先生はとっても賢いの……だから小柄な上に体力もあって、小回りが効く有利なあなたたちでも、相当手強い相手だったはずよ。」

 ──テーセラモデルの授業は、その多くが課外学習だ。実際に寮の周辺を使って、身体の動かし方や持ち主に万が一危篤があった場合の救助方法など、頑丈に作られた身体全体を使った多彩な物事を学ぶのである。
 その過程であなた方は、デイビッドと本気の鬼ごっこで遊んだ事もあった。彼の背丈は高く、体格もそれなりに恵まれている。身体は重く俊敏には動けないであろうに、素早く逃げ回るあなた方を常に追い込むような動きで詰めてくるため、逃げ切るのは至難であったことを覚えているはずだ。

「私は確かに、お話の仕方を教える為の先生よ。だけどこれでもデイビッド先生と同じ役割を持っているんだから。

 鬼ごっこも隠れんぼも、体だけじゃなくて頭を使って遊ぶもの。体力や筋力で劣っていても、油断してたらあっという間にみ〜んな捕まえちゃうんだから!」

 彼女は優しげな表情から一転、どこか悪戯っぽく、口角を吊り上げて挑発するように笑って見せた。テーセラモデルの優れたあなた方相手にも負けないと、啖呵を切って見せたのである。

「あとでお友達を呼んでお外にいらっしゃい。平原でも森でも、好きなところで目一杯鬼ごっこしましょ。

 ……そういえば、私に何か聞きたいことがあるのかしら?」

 ふと、ジゼルは思い出したように二人に問うた。何か用事があったのではないかと心配になったのだろう。

「あ……そっか。ジゼル先生はテーセラの先生じゃないから耐えれないかもだもんね。」 

 受け入れたようにオディーのワクワクしていた顔がしょんぼりした顔に変わる。
 仕方ないのだ、壊れちゃったらダメだし、着いて来られなかったらつまらないから。

 やっぱりテーセラみんなで遊ぶしかないのだろうか。それまで我慢といったところだろう。

 たがジゼル先生は諦めないように教えてくれる。
 自分はデイビッド先生と役割は同じだと。

 デイビッド先生とも遊んだことはある、素早さも体格も全部違うのに先読みしたように追い込まれたことを。

「じゃ、じゃあ一緒に遊べるね! ジゼル先生がどれだけ頭を使ってきてもオディーは負けないよ!
 オディーの走りはリヒトお兄ちゃんに褒められたから!」

 そう胸を張りながら自慢する。
 オディーにとって褒められることは嬉しいことだった、自慢するほどに。テーセラクラスにいた頃は落ちこぼれだったから、あまり褒められたことはなかったから。

「えーっと誰誘おうかな……リヒトお兄ちゃんでしょ、ストームお兄ちゃんでしょ。ソフィアお姉ちゃんとか、アメリアお姉ちゃん達も誘っていい?」

 ほかにもいっぱい誘いたい、新しく来たウェンディお姉ちゃんやグレーテルお姉ちゃん達も、みんなで遊んだらきっときっと楽しいから!
 そしたらオディーも嬉しいから。

「あ、じゃあオディー、質問……ウェンディお姉ちゃん、元気なさそうだったんだけどお披露目で何があったの?」

 アストレアお姉ちゃんがあぁなってしまったんだろうな、というのはディアお兄ちゃんから聞いたことで何となくわかっている。だが、ウェンディお姉ちゃんがそうならず帰ってきた原因は、不慮の事故の怪我だけというのは本当におかしい。
 ジゼル先生には話せないけれど……オディーのせいだったら。あの時のせいだったら、本当に謝らなきゃいけない。
 オディーはそのことが心配だった。

《Sarah》
 デイビッド先生との鬼ごっこ。最初の方にやったのは今でも覚えている。背が高く大柄な彼ならば大丈夫、とたかをくくり細かく動き回っていたというのに、最後は捕まってしまう。
 速さには常に自信があった。それが唯一の取り柄だから。しかし呆気ない敗北。ただ走るだけではなく相手のことも意識しながら動き回るようになったのは、その頃だったか。
 よく羽の生えた馬や紫色のチーターともかけっこをしてサラだって鍛えているのだ。今ならデイビッド先生からももう少し長く逃げれるかもしれない。

「……でもボクは負けないよ。」

 頭脳では負けてしまうかもしれないが、やっぱり鬼ごっこに一番大事なのは体力と速さ。彼女が自分に勝つことはないはずだ。いくら頭がデュオのように回ろうが、逃げればいいのだ。追い込まれたって下が崖だろうが飛び降りてしまえばいい。逆に反り上がっているのなら登ればいい。
 頭だけじゃ鬼ごっこはできない。

「ボクも、質問ある。
 アストレアサンが、ミシェラサンがどんなドールだったのか。」

 あぁ肝心な質問を忘れていた。エーナの先生だったなら二人のことをよく知っている。もし仮にないとは思うが自身が忘れているとしたら何かしら思い出すかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら質問を問いかける。
 不審に思われぬようにあんまり関わらなかったから、と付け足し。

 年相応に負けず嫌いで、勝ち気な様子で宣言する微笑ましいテーセラクラスの少女二人を見据えて、ジゼルはうっそりと眼を細める。あなた方のやる気を込み上げさせられたことに安堵しているようだった。
 指折り数えるようにオミクロンクラスの仲間たちを諳んじて、上目に問い掛けてくるオディーリアをアーモンド型の瞳に写し込み、先生は深く頷く。「勿論。何人でも呼んでいらっしゃいな。みんなで遊べたら、きっと楽しい時間になるわね。」心なしか、先生の声も弾んでいるようだ。はしゃぐオディーリアと共に気分を盛り上げてくれているのだろう。

 が、質問を求めれば投げ返ってくるものに、彼女は表情を真剣なものに変えた。

「ウェンディはね……お披露目に行く直前で傷を負ってしまったの。悲しいことだけれど、怪我をしたお人形がお披露目に行けないのは、あなたたちも知っているでしょう?

 本当なら、お披露目に出ることは素晴らしい名誉なのだけれど……彼女は緊張しすぎて、お披露目に行きたくなくなったのかしら。彼女自身の手で、肌に傷をつけてしまったから……このクラスに連れてくるしかなかった。そして今、お披露目に行けなくなったことを後悔しているんだわ。」

 『ウェンディの元気がなかったことについて』、先生はいかにもそれらしい理由を述べた。オミクロンクラスに堕ちてくる妥当な要因と、そのきっかけとなる彼女の心理状態について。
 しかしオディーリア。あなたの知る知識の中で、その言葉はきっと間違いだと確信出来るだろう。

「アストレアと……ミシェラ?
 どちらもかつては私が受け持っていたエーナモデルのドールね。訳あってオミクロンクラスに来てしまったのだけれど……あなたは会っていないの? お話しする前にお披露目に向かったのかしら。」

 そして、サラの『アストレアとミシェラというドールについて』の質問には、彼女の方が不思議そうに問い返す。
 彼女たちはあなたと同じクラスだったはずだ。覚えがないのか──? と、至極当然の質問を。

 怪我を負った、そのドールがお披露目会へいけないことはオディーも理解してる。
 実際怪我をしたドールはみんなオミクロンへ来てるらしいから、真っ当な形では絶対にお披露目会には出られないのだろう。

 でも引っかかる。

 自分の手で傷をつけた?
 あの優しいウェンディお姉ちゃんが?
 オディーのために、怪我をするかもしれなかったのにアリスちゃんを叩いたウェンディお姉ちゃんが?
 ありえない。オディーの知るウェンディお姉ちゃんじゃありえない。
 それにウェンディお姉ちゃんは、アストレアお姉ちゃんのことを大切に思ってくれてた。それなのに自分だけ出れないようにするなんて考えられない。
 きっと元気がない理由は違う。

 アストレアお姉ちゃんがウェンディお姉ちゃんのことを守った?
 先生達が態々傷つけるわけもない、途中で出てったならあの中にいたドール、アストレアお姉ちゃんが一番の候補。

 オディーの頭が間違ってなきゃ多分正しい。

「ありがとうジゼル先生、オディーの質問に答えてくれて。
 みんなが笑顔だったらオディーも嬉しいの。
 だからウェンディお姉ちゃんのことも笑顔にできるよう頑張るね! あ、もちろん先生のことも笑顔にできるように頑張るよ!」

 みんなを笑顔にすること、オディーの目標のひとつのようなものだ。
 オディーにとってみんなが笑顔だとオディーは嬉しい。
 みんなが幸せだとオディーも幸せ、そういう純粋なことを幸福だと思えるからこそこういうことを目標にしているのだ。

 もちろんオミクロンじゃない、他のドールにも幸せをプレゼントしたい。

「それじゃあオディー、頑張って鬼ごっこのみんな集めてくる!」

 じゃあね! 先生と明るい声で言えば大きく手を振りその場を離れるだろう。
 その後、気合いを入れるエイエイオーという声も小さく響いてくる。

【寮周辺の森林】

Licht
Odilia

「えーっと……リヒトお兄ちゃんは何処にいるんだろう?」

 そんな独り言を吐きながら少女、探してる存在を求め、前あった場所に来ていた。
 少女は悩みながらもいるであろう場所を探す。

 少女の目的は探してる存在、リヒトお兄ちゃんに情報を提供すること、そして聞きたいことがあるからそれを聞くこと、それとジゼル先生と遊ぼうと頼みたい、それが目的だ。

 そんな森の中で太陽のように明るいオレンジ色の髪のお兄ちゃんを見つけ駆け出す。

「リヒトお兄ちゃーん!!」

 そんな明るい声はきっとまだ気づいていないであろう貴方にも聞こえてくるだろう。

 少女は駆ける、オレンジ色の髪のドールに向かって、まるで草原を駆ける狼のように。

《Licht》
「ぅ、おっ!」

 ちょうど、授業を終えて。森の向こう側をぼうっと見つめていた時。さっと風が呼んできて、振り返ったその先に。ころころと丸い真っ白な彼女が、こっちに走ってきた。とん、と受け止めて、そっと笑って。

「よお、オディー! ……オレの言ったこと、覚えてるか?」

 やりたいことをやっていい、したいことをしていい。自分で言っては見たけれど、現実は躊躇うことばかりだ。それでも、ころんと丸い狼のオディーに合わせて、しゃがんで目線を合わせる。
 一応、オディーはテーセラの妹分で。リヒトはテーセラの先輩分でもあるので。可愛いオディーが、アリスのせいでひどい目にあったとか、そういうことがないかも気になるので。

 話を聞く体勢を整えながら、リヒトはオディーに尋ねた。

「覚えてるよ! でも……」

 やりたいことをやっていい、お兄ちゃんはそう言ってくれた。そう言ってくれたからこそ、オディーはアリスちゃんに思いを伝えた。
 でも結果は空回り。

「伝えたんだよ……伝えた……アリスちゃんの友達だよって……。
 アリスちゃんにはその思いが正しく伝わらなかったみたいで……」

 アストレアお姉ちゃんを傷つけろ、と命令されたことは伏せておく。余計なこじれ方をしそうだったから。
 いやちゃんと伝えればこじれないのかもだけれど、オディーには伝える勇気がなかった。オディーはみんなに嫌われたくないから、このままの仲の良い関係でいたいから。
 その方がみんな笑顔だし幸せだろうし、オディーもそれで嬉しいから。

「あとあと! 他にもいっぱい情報集めてきた!」

 いちばん重要なのはこっちだろう。オディーはお兄ちゃんやお姉ちゃん達の力になりたい、みんなに貢献したい。

 オディーの情報が少しでも役に立つならそれで十分だ。みんなのように器用じゃないオディーができる精一杯の努力だ。
 それにリヒトお兄ちゃんならちゃんと有効活用してくれると思う。他のお兄ちゃんお姉ちゃんにも伝わると思う。そうすればみんながここを出れるようになる、そしたらオディーも嬉しいのだ。

《Licht》
「……まあ、そういうこともあるさ」

 空回り、空回り、くるくる回って走って結局、何も残せない悔しさ。リヒトは知っている。何かしてやりたい。何か言葉を返してあげたい。……オディーの“やりたいこと”の相手がまあ、あのアリスなのは若干……いやかなり……気まずくはあるけれど。

「どうすりゃいいか、俺には言えないし、アドバイスとかも出来ないけれど。でも、オディーの傍には居れるから! だから、さ。……たっぷり休んで、またチャレンジしてみようぜ」

 だから、せめて声に出して伝える、精一杯の年上仕草。何もいい案なんか思いつかなくて、何もいいアドバイスが出来なくて。それはちょっと苦しくて。でも、何も出来ないからできる、ここに居るよ、のエールだ。迷って迷って迷いながら、オディーの目を見つめて話す。

 そして、情報いっぱい集めてきた、と自慢げなオディーに、リヒトは目をきらりと見開いた。

「OK、そしたら……」

 持ってきたカバンの中からいそいそとノートを取りだして、開く。寮の方をちらりと見遣りながら、その場にあぐらをかいて、長い話になるなら座ろう、という流れを作って。持ってきた羽ペンをピン、と立ててマイクのように見立て、リヒトは首を傾げて言った。

「話を聞きましょうか、オディー調査員?」

「調査員!!」

 リヒトお兄ちゃんに言われた言葉に目を輝かせる。
 調査員ってことはちゃんと仲間になれたってことだよね、とそう考える。
 ちゃんと調べる仲間に入れて貰えた、それだけでオディーは嬉しい。

「じゃあリヒト隊長にちゃんと報告しないとだね。オディーはね、ダンスホールと控え室全部と三階を調べたの!」

 そのことを簡潔に分かりやすく不器用ながらまとめていく。

 ダンスホールの幕は降りており、客席の奥には開けれない大きな扉があること。
 控え室にはドロシーお姉ちゃんのドレスがあって破かれてたこと。 カフェテリアでカラフルなチラシを見かけたこと。 ガーデンテラスのガラスの向こう側から変な機械音が聞こえたこと。

 重要になりそうな大きなこのくらいだろうか。

「あ、あと……なんか調査中にね、頭が痛くなっていろいろと思い出しちゃったんだけど、お兄ちゃんは何か知ってる? それに……その記憶のようなものの中に、リヒトお兄ちゃんが出てきたの。
 本当の記憶なら、オディーはリヒトお兄ちゃんに前から会ってることになるのかな?
 何か知らない? お兄ちゃん。」

 ここから出ることに関係あるのかは分からないが、オディーは気になっていた。この現象はなんなのか、どうしてリヒトお兄ちゃんがオディーの頭の中に出てきたのか。本当か偽物か分からない曖昧な記憶だが、もしかしたらリヒトお兄ちゃんなら知ってるかもしれないと貴方を頼るだろう。

《Licht》
「オレは隊長じゃない!! えーっと……そう、隊長はフェリ、フェリシア!! そしてオレたちは“トイボックス調査隊”な。センセーたちには秘密の調査隊だ」

 隊長、なんて呼ばれた瞬間に間髪入れずに否定する。とりあえず、オレに隊長なんか出来ないことは確実だ。その一線だけは守らないと行けない。
 うんうん、と頷きながら、控え室全部と言われた時には驚いて、たくさんの調査報告にひとつひとつ反応を返しながら聞いていく。妹分はどうにも、眩しく真っ直ぐに、この箱庭の調査を進めているらしい。その底抜けの明るさを眩しく思いながら、報告を聞いているうちに……ペンを持つ手が、ピタリと止まった。

「……え、オレが? な、何やってたの?!」

 ぽかん、と口を開いて一言。

 なんで、オレが?

「と、とにかく、ええと。それは多分……『擬似記憶の、見えていないところ』だと、思う。上手く言えないけど、きっと、本物だ。ドールズの擬似記憶にはオレたちの知らない部分があって。それで、頭が痛くなって、それを思いだすことがあるらしい……ってのは、アメリアから聞いた」

 気を取り直して、もう一回内容を精査して、以前教えられたことについて、オディーにも共有した。詳しくはアメリアに聞いた方がいい、ということも。

 それから、躊躇いがちに、心配そうに、それ以上に……うっすらと恐怖すら見える眼差しで、リヒトはオディーに尋ねる。少し、声が震えている。

「……その、大丈夫か? オディー、頭が痛かったり、胸が痛かったり、青い蝶々を見つけたり……何か、忘れたり……して、ないか?」

「フェリシアお姉ちゃんの方が隊長なの?
 わかった! じゃあリヒトお兄ちゃんは隊員だね!
 トイボックス調査隊……フェリシアお姉ちゃんとリヒトお兄ちゃんとオディー達だけの秘密の調査隊。わかった、先生にはお口チャックだね」

 秘密だということをわかったことの証明に、口の前にシーっと指を立てる。

 またひとつ秘密が増えた、これはいい秘密。
 みんなを助けるための秘密、先生にはごめんなさいだけれど、オディーみんなの力になりたいから秘密にするね。
 と思いを心に秘める。

「え、リヒトお兄ちゃんがやってたこと?
 えっと……確か転んでたよ、オディーは車椅子に座ってて、その視界の端で

 何となく覚えていることを話す。
 いつもの通り花冠を被ったオレンジ色の綺麗な髪のお兄ちゃんがいた事を。
 でもそこで終わってる。
 その後のことは出てこなかった。

「擬似記憶の見えないところ……。
 アメリアお姉ちゃんが知ってるんだね、会ったら聞いてみるね!」

 どうやら本当の記憶らしい、頭が痛くなって知らないところが思い出される。
 オディーが体験したことと同じことだ。詳しくはお兄ちゃんも知らないのかもしれない、またアメリアお姉ちゃんに会えたら聞いてみよう。

「え? 頭は思い出す時に痛くなったけれど……ほかは大丈夫だよ?
 青い蝶々も見かけてないし、ちゃんとオディーみんなのこと覚えてるから大丈夫!」

 元気に明るく、健康で大丈夫だと心配そうに恐怖心を抱えてるお兄ちゃんに言うだろう。

 今ん所そういうことは無い。もしかしたら他のお兄ちゃんお姉ちゃん達はそうなってるのかもしれない。目の前にいるリヒトお兄ちゃんも、もしかしたら……。

「えっと……リヒトお兄ちゃん、大丈夫だよ、そんなに怖がらなくても……」

 そうなにかに恐怖する貴方に優しく声をかけるだろう。
 どうか少しでも恐怖が消えますように。

《Licht》
「いいか、オディー。たぶん……たぶんな」
 
 優しく掛けてくれたその声を、掴んでしっかり立ち上がるように、リヒトはしっかり息を吸って、言葉を紡ぐ。

「オディーが思い出したのは、大切なことだ。大切だから思い出したんだ、大切だから、思い出せたんだ。……だから、さ」

 自分の、擬似記憶のスキマを。今だけでいいから思い返す。
 もう帰ってくるか分からない、文字だけになった記憶たちを思う。このコワれた頭がこれから失う、全てを想って、


 約束だ、オディー。


「もう二度と、無くすんじゃないぞ」

 『そうしてくれたら、オレ、もう何にも怖くないや』なんて言って、あの時と同じように、自分の頬をむにっと押し上げて、笑顔を作った。

 そして息を吸って、次はオレの番だな、と明るい声で言って、長い話を始める。

 まず、トイボックスから脱出するのが、きっと、みんなの目的であること。
 トイボックス自体が、丸ごと海に沈んだ施設であること。
 不思議な青い蝶が、時々トイボックスの中で見つかっていること。
 『ガーデン』という不思議な施設について、ロゼットが調べていたこと。
 オミクロンは何かの実験に巻き込まれていること。
 ドールズには、センセーがドールズを探すための発信機がついていて……それは右目の中にあること。
 他のドールズも色々調べているから、他の子にも話を聞くこと。

 ……それから、この全てを、センセーたちには秘密にすること。最後にしーっ、と人差し指を立てて、リヒトは念を押した。

「大切なこと……宝物……」

 思い出したものは大切なもの、お姉ちゃんとの記憶。
 赤くて綺麗な髪のお姉ちゃん、オディーは大好きだ。
 大切な大切な宝物。

「わかった……! 絶対に手放さないし手放したくもない!
 絶対無くさない!」

 お姉ちゃんとの記憶はどんな宝物よりも価値があって、どんな宝石よりも輝いている真っ赤な記憶。

 あんなことがあるまで忘れていた記憶。もう手放しはしない、だって赤い糸のように強くて、運命のように鮮明に残る記憶だから。
 絶対に忘れるなってことだと思うから。

 リヒトお兄ちゃんが無くすなって言ってくれたおかげで、再度思いを固める。

「海……沈んでるの?」

 実感が湧かなかった。
 こんなに太陽の日差しがあるのに沈んでるなんておかしいと思う。
 朝、昼、夜。ちゃんとあるのに沈んでるの?
 まるであの汽車と同じように訳が分からない謎技術だ。

「発信機、オディー達のいるところ筒抜けってこと!?
 た、多分オディー変なことしてないから大丈夫だと思うけど……お兄ちゃんもあんまり無茶しないでね。」

 筒抜けならおそらく森の奥にあった柵を超えると気づかれるのだろう。
 度が過ぎた行動は全部良くない方向へ倒れていく。
 先生に見つかったら脱出なんて困難にも程がある。
 それに何されるか分からない、お披露目に行かされるかもしれない。
 リヒトお兄ちゃんが行っちゃったら、
オディーはどうすればいいのだろう。
 本当に無茶だけはして欲しくない、リヒトお兄ちゃんだけでなくみんな。

「あとはガーデンって施設がある……っと、ガーデンテラスみたいにお花いっぱいなのかな?
 オディーは今の所そういうのは見かけてない。
 みんなも色々と調べてるんだね、オディー会ったらお話いっぱいするね!
 あ、先生にはもちろん秘密にするよ、大丈夫、信じて!」

 そういうと指で口角をあげ笑顔を作り証明するだろう。

《Licht》
 大事なことを飲み込むように、ちゃんと抱えて離さないように。オディーの瞳は赤く煌めく記憶を抱いて話さない。ああ、だから、きっとオレは、何処までも行かなきゃいけないんだ。

「信じるよ、でも、オディーも無茶しないこと。おーけー?」

 『発信機は、何とか出来ないかみんなに聞いてみるよ』と付け加えて、オディーに言葉を返す。無茶しないで欲しいのは、こっちもだ。こっちもなんだ。

 オディーの、擬似記憶のスキマ。そこに自分がいるって、どういうことだろう。そもそも、擬似記憶のスキマは、オレたちにとって何なんだろう。急に、急に思い出がこっちに来たのは何でだろう。……どうして、オレは、オレだけは、忘れてしまうんだろう。

 ────コワれてるからか。

「よーし、そしたら、宝探しだ。この場所について徹底的に調べて、いつか外に出るぞ……トイボックス調査隊、えいえい、おー!」

 切り替えるためにパッと声を出して、リヒトはノートとペンを仕舞う。そして、掛け声に合わせてえい、と拳を前に突き出して、グータッチの構えをした。トイボックス調査隊は絶対、諦めないのだ。

「オディー無茶しない! オディーにはみんなとお外で踊るって夢ができたから、無理のない範囲で頑張る!」

 オディーはディアお兄ちゃんとロゼットお姉ちゃんと話して踊って、やっぱりみんなと踊りたいと再確認出来た。
 そのためにはここを出なければならない。
 とはいえ無茶をするとオディーがお披露目会に選ばれちゃう。それだけは絶対にダメ!
 オディーは絶対に無茶しない。

「発信機の方は頑張って! オディーも色々頑張ってみるね!」

 おっけーと指で作り証明する。

「オディーもみんなと頑張る! えいえいおー!!」

 オディーもリヒトお兄ちゃんの真似をし、リヒトお兄ちゃんの拳に合わせるように前に拳を出す。

 リヒトお兄ちゃんに一旦報告もできたし状況も整理出来た、他に伝えることはないだろうか……。

「あ、そういえばジゼル先生とお話したんだけどね、一緒に遊んでくれるって!
 オディーみんなを集めてるんだけど良かったらみんなにも伝えてね!

 あ、あとリヒトお兄ちゃん、通信室ってわかる?

 そういえば伝え忘れてたことと聞き忘れていたこと、遊びのことと通信室のこと。
 片方はまぁどっちでも構わないが、もう片方。通信室のことはリヒトお兄ちゃんは知らないだろうか……そう思い聞いてみる。

《Licht》
「よろしい、さすがオディー。みんなの妹分」

 えいえいおー! と拳をあわせて、悲壮な現実に立ち向かう。どれだけ暗い場所でも明るいオディーは、まるできらきらひかる北極星のようだった。それはとても眩しくて、とても輝いていて、あまりに善良なものだから……嫉妬にも劣等感にも付け入る隙を与えない、純粋な好意がリヒトを満たす。たとえ直ぐに、掻き消えてしまうとしても。

「……通信室?」

 遊びについて了解したあとに、オディーが付け加えた言葉。リヒトはその部屋を知らなかった。もちろん、訳の分からない部屋はこのトイボックスに少なからずあるが……そのうちの一つなのだろうか。寮の物置、開かずの扉、思い当たる節は沢山あった。リヒトは首を傾げて、推測交じりに尋ねてみる。

「つうしん、って言うとなんか、ピー、ガー…みたいな。知らねえなあ……オディーは場所を知ってるの?」

「ん……デイビッド先生がね、ジゼル先生にそこの鍵を渡してたの。
 そんなやりとりが聞こえちゃったの。だから気になっちゃって……」

 そうジゼル先生と話してる時に聞いてしまった。
 それはサラも知ってるけど、多分自分しか調べようとは思わないかもしれない。
 そのためリヒトお兄ちゃんなら何か知ってるかと思ったが、宛は外れてしまった。

「リヒトお兄ちゃんでも分からないか……なんか先生達が話してたから重要なことかもしれないの、場所が分かれば調べようがあるんだけどね……」

 とはいえ今調べてもきっと鍵は開いてないだろうけれど、盗むとしても先生をどうにかしなきゃいけないだろうし。
 無謀な挑戦だ、とはいえ場所位は知る価値はあるかもしれない。

「オディーは場所が分からないの、他のみんなにも聞いてみるけど……なんか分かったらリヒトお兄ちゃん教えてね。」

《Licht》
「…………待って!」

 センセーがわざわざ引き継ぎで渡すなら、通信室はきっと学園のものじゃない。センセーが管理してる、寮のものだ。寮の部屋なら、一個だけ、何に使うか分からない扉を彼は知っている。思い付きの勢いそのままにリヒトは口を開いた。

「これはヒミツの話なんだけどな……先生の部屋には、本棚の裏に隠し扉があるんだ。元々、先生が『物置』って言ってた、二階の先生の部屋、その隣のナゾの空間……そこがもしかしたら、ほんとは、ほんとは、通信室なのかも! しれ、な、い……」

 しかし、途中から声はしりすぼみになっていく。そもそも、通信室の名前と、ちょっとした自分の知識で話しているだけなのだ。証拠も何も無い。何よりリヒトはコワれているから、自分の言葉が正しいと思えない。かわいい妹分の前でさえ。

「……まあ、かもしれない……ってだけだけど………」

 目線を逸らして、頭をかいてそう付け加える。筋金入りの自己肯定感の低さは、いつだって彼から心の強さを盗みとる。それでもなけなしのプライドが、このままカッコ悪いのはいやだ、と足掻いた。

「うん、よし。まだまだオレたちだけじゃなんにも分かんないな。色んなやつと話したり、色んなところ探したりしようぜ。そして、また今日みたいに話そう。調査ホーコク会だ!」

 な! と話して、リヒトはまた微笑んだ。このまま、オディーが新しい遊び仲間探しに走っていくなら、彼もまた大きく手を振って、その背中を見送るだろう。些細な日常を、明るい彼の一等星を、そっと両手で摘むように。

「先生の部屋に……」

 確証はない。でも、情報がない今これが一番答えに近い部屋かもしれない。
 謎の空間、謎の部屋、オディーやきっとお兄ちゃんお姉ちゃんも見たことない通信室。
 かもしれなくても重要な情報だ。
 オディーは先生の部屋に入ったことがない、本棚の裏に隠し扉があることも知らなかった。

 けれどもきっとオディーひとりじゃいけないだろう。というより行ったら多分見つかるし、秘密ってことは隠したいものだろうし、発信機の話もある。あまり迂闊に行動するとオディーもお披露目に行っちゃうことになる。
 それはきっと……お兄ちゃんお姉ちゃんが悲しむことだからダメだ。
 けれどもお兄ちゃんお姉ちゃんも同じ危険に巻き込むのもどうかと思ってしまう。
 ここら辺は後で考えよう。
 確証はないのだから、確実性は無いのだから。

 それにリヒトお兄ちゃんも少し心配だ、オディーがお披露目に行くことになったらまたリヒトお兄ちゃんが変わっちゃうかもしれない、それにソフィアお姉ちゃんやウェンディお姉ちゃんもきっと……。
 そういうのを最悪な事態というのだろう、それだけは絶対に回避したいと心に決める。

「お兄ちゃんありがとうね! でもオディーは危ないことはしないから安心して、確実にそこが通信室ってことがわかるまでは多分行くことはないから。

 頑張って他のところを調査してまた報告会する!
 今日はね、学園の二階を調査しようかなって思ってるの!
 オディーに何か用があったらそこら辺探せば多分オディーがいると思う、いなかったらごめんだけど……」

 じゃあ行ってきますといい、手を大きく振りながら学園の方へ向かってくだろう。

 真っ白い狼はまたここへ来た。息苦しいここへ。でも調査のためには受け入れるべき苦しさではある。

 大丈夫……オディーは調査しに来ただけ、オディーはお兄ちゃんとお姉ちゃんの力になるためにここに来ただけ、と自分におまじないをかける。
 そうすれば勇気が出るから。そうすればなんでも出来る気がするからそう言い聞かせ、二階の方へ向かおうとする前に。

「一階の本格的な調査はまた今度にするけれど、入口周辺くらいは調査してもいいかな。」

 そうロビー、とは言っても隅々まで調査するのは後回しだ、本当の目的は二階の調査なのだから。
 でも螺旋階段周辺は調査してもいいと思った。
 結局見るのだから。

 そう思い螺旋階段周辺を少しだけ見るだろう、変わったところとかないか、何か繋がるものはないかと。

【学園の螺旋階段】

Jack
Odilia

 ドールの往来のあるロビーを抜けて、あなたは二階へ通じる螺旋階段に足を踏み込む。黒い鉄製の足場がぐるりと一本の柱を取り囲むように上階まで連なっており、あなたはカンカン、と金属質な靴音を立てながら登っていくことになるだろう。

 その道中、上階の方からも同じように、金属質な足音が狭い空間に反響しているのがあなたの耳に届いた。あなたが上の階を見上げるのなら、丁度二階から螺旋階段に現れ、下階へ降りようとしている青年ドールの姿を見つけることになるだろう。

 作り物とはとても思えない健康的な小麦色の肌に、明るい茶髪を結いこんだ、コメットブルーの瞳を持つ青年。
 以前にオミクロン寮敷地内でも見かけた──あなたのかつての同級生・ジャックである。
 彼もまた向かいからやってくるあなたに気が付いたのか。眼差しをあなたのふわふわとしたシルエットに向けながら「……オディーリアか……」と低い声で問い掛けた。

「久々、だな……あれから、調子はどうだ……?」

 ジャックは階段をゆっくりと降りてあなたに近付きながら、問い掛けてくるだろう。

「ジャックお兄ちゃん!!」

 上から来るドールには見覚えがあった。元同じクラスのお兄ちゃんでこの前敷地内で会った、懐かしいジャックお兄ちゃんだ。

「久しぶりだねお兄ちゃん! えっとオディーの調子? 全然元気だよ!」

 調子は全然大丈夫。むしろ元気いっぱいでこれから探索に行く予定だったのだから。アストレアお姉ちゃんのことは……あれだったけれどクヨクヨしてたらもっと大変なことになってしまうから、オディーは元気いっぱいでいるべきなのだ。

「あのね! オディーはね、今から二階で調べ物するの。いっぱい知ったらお兄ちゃんお姉ちゃんの力になれるからね、だから元気いっぱいなの!
 そういうジャックお兄ちゃんは元気?」

 いっぱい情報を集めて報告会をして色んなことを知っていく。それが今ん所のオディーの目標。だからこそ二階が今の所探索したい重要な場所なのだ。
 とはいえジャックお兄ちゃんにはあの日以来会っていなかったから会いたかった。まだまだ時間はあるしお話聞いても良さそうだから、自分も元気かどうか尋ねてみることにした。もし元気がないならオディーが何か貢献出来るかもしれないし、オディーはみんなが笑顔ならそれで嬉しいのだから。

 あなたがなんとも溌剌な様子で受け答えするのを見て、ジャックは目元を僅かに和らげた。ジャックも、恐らくあなたも、表面上はきっとにこりともしていない。表情の移り変わりが希薄なドールであると、同級生であったあなた方はきっとお互いに理解しているはずなので、対話に支障はなかった。

 彼はあなたの弾んだ声色から、いつもの通りにみなぎる元気を持て余しているのだろうと察すると、そちらと目線が合う位置まで階段を下ってから、改めて。

「そうか……それは良かった。以前はあまり話せなかった、からな……元気そうで何よりだ、安心した……。

 俺も、問題ない。お前の元気な顔をまた見られたからな……。オディーリア、お前は前より表情が柔らかくなった。オミクロンでも、よく勉強できてるみたいだな……」

 ジャックの口ぶりは、まるであなたの兄のようである。久しく会えなかった家族の息災を安堵する様子で、あなたは彼からの親愛を強く感じ取るだろう。

「調べ物か……何か困ったことはあるか。俺に相談出来る事なら、何でもするといい……今は手が空いてるからな……」

「うん! オディー頑張ってるよ! お勉強もね、お兄ちゃんお姉ちゃんに教えて貰ってるの。だからねだからね、その恩返しも込めてオディーは今頑張ってるのです!」

 そう自信満々に言う。

 恩返し。オディーはみんなに支えてもらってる。
 何事も教えてもらわないと出来ないのだから、オディーはその支えを多分一番多く貰ってると思う。
 だって不器用だから、だってほかのみんなと違うから、お兄ちゃんお姉ちゃんの方が優秀だから。でもオディーはそんなお兄ちゃんお姉ちゃんの力になりたい。だからこそ調査員として色んなところを調べるのだ。

「ジャックお兄ちゃんも元気でオディー嬉しいよ!」

 笑顔は作れない、怖がらせてしまうから。狼の笑顔はほかの動物には伝わらない、だから伝わる方法で伝わって欲しいとジャックお兄ちゃんに抱きつくだろう。

「お手伝いしてくれるの?」

 ジャックお兄ちゃんに頼みたいこと、二階は直接オディーが見たいし、三階は見たし一階は無さそうだし。

「うーんじゃあ、ジャックお兄ちゃんなんか学園内で変わったこととかない?
 ほんの些細なことでいいの、オディーは少しでも情報を持ち帰ってお兄ちゃんお姉ちゃんに貢献したいんだ。」

 ジャックお兄ちゃんならなにか知ってそうだ。それにお披露目についても知っていたわけだから聞いても問題ないだろうと質問するだろう。

 ぶわっと白い髪を舞い上がらせながら、その小柄な身を飛び込ませてくるオディーリアを、ジャックは少しも体幹を揺らがせることなく頼もしく抱きかかえるだろう。彼女を甘やかすような抱擁を経て、彼は穏やかな大樹のように寡黙に笑っている。

「そうか……偉いな、オディーリア。お前が頑張っている事をきっとオミクロンのクラスの者達も、知っているはずだ……」

 こちらを見上げるあなたと目線を合わせるため、彼は僅かに身を屈めながら、澄んだコメットブルーであなたのピンクパールの双眸を射抜く。

「学園内で変わったこと、か……。」

 彼は何を語るべきか迷っているようだ。何しろジャックは、あなたが概ねの事実を既に知っている事を知らない。故に無闇にトイボックスの闇に踏み込んだ情報を漏らして、彼女の身を危険に晒すわけにはいかないと考えているのだ。
 少し悩んだ後に、ジャックは顔を上げた。

「オディーリア、お前は……青い蝶を見かけたことがあるか? ……近頃、この学園のドールがしばしば目撃するらしいんだが……」

「蝶々? そういえばリヒトお兄ちゃんがそんなこと言ってたような……」

 確か頭が痛くなったことを話したら慌てたように蝶々を見なかったか……なんて言ってたような気がする。

「リヒトお兄ちゃんにも言ったけどオディーは見てないよ。
 でも青い蝶々なんて幸福の象徴みたいだね。なんだっけ、青い鳥ってお話あるけどあれも幸福の鳥だから。」

 青い色というのは物語でも幸福を示すものがある。鳥もそうだし青い花もそう、だったら蝶々を見つけたら幸福になるのだろうか。みんなが幸せになれるのだろうか?

「その青い蝶々ってどこに行ったら会えるの?
 多分オディー会ったことなくって、オディーも会ってみたい!!」

 青い蝶々は白い狼の好奇心を擽った。それに知るべきだと思う。青い蝶々がもし幸せになれる方法ならその蝶々を捕まえれば、きっとみんなが幸せになれると思うから。そしたらオディーもいっぱい幸せだから。
 そんな純粋な思いで、ジャックお兄ちゃんに聞いてみるだろう。

「確かに、青い色の蝶なんて滅多に見かけない。そもそも、このトイボックスでは生き物の気配自体、ほとんど感じられないが……幸福の象徴、か。確かに、言い得て妙かもしれないな……」

 あなたの言葉に、ジャックは否定せずに同調して頷く。物語に精通していないテーセラでも、幸福を示す青い鳥の逸話は知られているらしい。
 青い色の蝶、という不可思議な存在に、神秘的な気配を感じるのも自然な事だろう。

「どこに、というのは定かではないが……稀にドールの前に現れては、幸せな夢を見せてくれるらしい。

 ……だが、夢を見るのと引き換えに、ここで過ごした記憶を失くしてしまうドールもいるようだ。

 退屈な生活の中で、刺激欲しさにどこかのドールが流した不穏な噂かもしれないが……時折不思議な夢を見るドールは、実際に存在する。

 オディーリア、お前はここで過ごしている時、覚えのない夢を見たことはないか……? 擬似記憶の再生じゃない、白昼夢のような、それでいてリアルな夢だ。」

 青い蝶を目撃したドールは、本人の意志に関わらず記憶を欠落してしまう──そんなゴシップをあなたは初めて耳にするだろう。同時にジャックは、あなたに不思議な夢について問う。心当たりはないか、と。

「記憶が……き、消えちゃうの!?」

 記憶、大切な宝物、お姉ちゃんどの記憶、甘く淡くまるでショートケーキのように幸せな記憶。
 それを青い蝶々に出会ったら消えてしまうらしい。
 この甘い記憶が……。
 そう思うとなにか引っかかる心の底で何かが、なんだろう。
 リヒトお兄ちゃんが無くすなって言ってくれたけれど、今思えばこのことなのだろうか?
 憶測の域を出ない、けれども無くさないと約束したから会わない方がいいのかな? とも思ってしまう。

「……頭が痛くなった時に擬似記憶じゃないのを見たの、多分それ?
 優しい記憶だったよ……でもちょっぴり寂しかった。」

 記憶によぎるのは赤髪のお姉ちゃん、強くてかっこよくてオディーの大好きなお姉ちゃん。
 それと病院の記憶。
 多分これのことなのだろう。オディーにとっては大切な記憶だ、失いたくない、手離したくない記憶。
 こっちはどっちかって言うとチョコケーキのような感じだけれど、それでもショートケーキのような記憶と同様大切な記憶だ。

「でもこれみた時には蝶々さんいなかったよ?
 見た時は舞台の上だったり、ブレスレットだったり、お花だったり結構バラバラだったけれど……どこにも蝶々さんなんていなかったはず?」

 ダンスホール舞台、控え室のブレスレット、ガーデンテラスのお花、共通点はよく分からないけれどオディーに深く関わっているもので、それを見た時には多分蝶々なんて周りにいなかったはず。
 別に蝶々さんがいなくても見れるということなのだろうか……。

「……そうか。お前も、それらしき記憶を見たんだな……」

 あなたが白昼夢のような不思議な光景を目撃したことを告白するならば、ジャックはさほど驚くでもなく、どこか納得したように頷いた。

「俺も、覚えのない記憶を夢として見ることがある。それは擬似記憶の続きのようにも思えたが、どれもヒトに献身するため、人格に個性を芽生えさせるために存在する擬似記憶の役割とは、逸脱しているように思えた。

 根拠こそ無いが、恐らく、俺たちが時折見る知らない記憶は、実際にあったことだと、俺は思う……オディーリア。思い出した記憶は、大切にしておけ……たとえそれが、寂しい記憶だとしても。」

 きっとあなたならば、擬似記憶の大切な人との思い出も、その先を映していると考えられる光景も、大事に抱え込んでいられるだろう。
 ジャックはあえてあなたに言って聞かせるように述べた。ヒトに仕えるというドールに課せられた大目標は、このトイボックスの真実が残酷なものであった以上、いずれは果たす事が出来ないことを知るだろう。だからこそ大切な人との出来事を、例え空虚なものであったとしても心の支えに出来るなら、それ以上の事はないはずだ。

「青い蝶は、ドールが記憶を思い出す手助けをしてくれるらしいが……実は、俺もまだ見かけたことはないんだ……。……お前が見ていればと思って聞いてみただけだ、悪いな……。

 ……俺から話せることは、これくらいだな。あまり大したことを聞かせてやれなくて、すまない。」

「うん……寂しい記憶でもオディーにとってはお姉ちゃんとの大事な繋がりだから、ちゃんと抱えておくよ。」

 だってお姉ちゃんはオディーにとってのバレエの原点。
 私の大好きで自慢のお姉ちゃん、何処へ行っても何をしてもかっこいいお姉ちゃんだってことをオディーはちゃんと覚えている。
 それにずっと覚えていたい。

 もちろんお姉ちゃんのことだけじゃなくてオミクロンのみんなや、ここのドール全員のことをちゃんと覚えていたい。大切にしていたいと思う。

「ううん大丈夫だよ、オディーも見てみたいから頭の片隅に入れておくね!
 お兄ちゃん、お姉ちゃんにも報告すれば何かわかるかもしれないし!
 見つけたらジャックお兄ちゃんにも教えるね!」

 リヒトお兄ちゃんなら何か知ってるかもしれない、また集まる時に報告した方がいいかもしれない。
 もしかしたら青い蝶々に会わせてくれるかもしれない。記憶が消えるとか言っていたけれど、けれども消えないかもしれないし試してみる価値はあると思う。

「後からでも他になにかあったらオディーとかオミクロンのみんなにいろいろと教えてね! ジャックお兄ちゃん。
 きっとみんなジャックお兄ちゃんのこと大好きだから!
 あ、でもオディーがいちばんジャックお兄ちゃんのことだーい好きだよ!」

 にーっと、指で笑顔を作れば、ぎこちないけれども満面の笑みの花がオディーの顔に咲くだろう。

 本当の笑顔が出来たら良かったけれど、オディーの本当の笑顔はみんなを怖がらせちゃうから。頑張ってぎこちないけれど、ミュゲお姉ちゃんに教えてもらった方法を使って表現出来ればそれでいい。
 いつの日か本当にみんなのように笑顔ができるようになるその日まで。

「これからオディー、二階の調査行くけれど、何かあったら来ていいからねお兄ちゃん!
 それとも一緒に来る?」

 と、もふもふの狼のように無邪気なオディーは尋ねるだろう。

 ジャックお兄ちゃんが増えたらそれはそれで楽しいことにはなるけれど、何かあるなら邪魔しちゃ悪いしなぁと思いつつも。

 自分の力ではうまく笑えないからと、指を使って口角を持ち上げて、どうにかぎこちない笑顔を浮かべるオディーリアを見て、ジャックも僅かながら口角を持ち上げて笑って見せた。
 彼女の笑顔はたしかに不格好だが、明るく弾んだ声色や大きな身振り、そして喜びに輝く白銅の瞳が彼女の前向きな感情を大いに知らせてくれるから十分なのだ。

 相手が『ヒト』と呼ばれる主人であれば、それは許されないだろうが……彼女は何より向上心がある。勉強熱心で真面目なところがあることも、ジャックは知っていた。故にこそ周囲の者から可愛がられるのだろうとも。

「……ありがとう、オディーリア。俺もお前を悪しからず思っている……何か分かったら、かならずお前に聞かせよう。」

 そんなあなたの人格をジャックは何より信頼していたため、好意的な言葉を述べて頷いて見せる。
 同時に誘いをかけられれば、少しだけ瞬いて、考える素振りを見せてから。

「そうだな……お前がいいと言うなら、同行しよう。……しかしひとつ聞かせてくれ、調査というが……お前は何の調査をしたいんだ? お前に手を貸すからには、そのことを一度聞いておきたい。」

「ジャックお兄ちゃんには話しても大丈夫かな?

 オディーはね……色んなことを見たし、教えてもらったの。
 リヒトお兄ちゃんにはお披露目のこととか、色んなことをね。あとディアお兄ちゃんにも化け物が出るってことをダンスホールで教えてもらったの。」

 少し落ち着いてからそういうことを聞いたということを話す。
 実際に見たことは無い、強いて言うならあの扉程度。
 でもリヒトお兄ちゃんやディアお兄ちゃんが嘘をつくとは思えない、だからオディーは信じてる。

「だからね、それに繋がるようなこととか、私たちオミクロンに関することとかを調査してるの。」

 脱出できる道標を、オミクロンはなんであるのかを、お披露目とは何なのかを、真実を……。
 そしてみんなが幸せになれて笑顔いっぱいの未来を。
 オディーはずっと探してる、オディーの行動はいつも自分のためではなく、他人のために向いている。
 勉強する理由も、もっとお兄ちゃんお姉ちゃんの力になりたいから、こうやって調査する理由もお兄ちゃんお姉ちゃんが幸せになって欲しいから。

 誰かが幸せになることそんなごく単純なことをオディーは幸福だと言える。
 誰かのために行動することオディーの幸せというものはそういうものだ、そしてこの調査も、みんなが幸せになるための一歩とも言える。

「オディーはみんなの幸せのために頑張りたいの、お兄ちゃん手を貸してくれる?」

「…………!」

 お披露目、そして化け物。
 普通にこのアカデミーでの日常を享受しているだけでは到底知り得ないであろう、それらの単語を耳にして、ジャックははっと目の色と表情を変える。
 あなたの爛漫な様子に僅かながら緩んでいた頬は引き締められ、普段の険しい顔色に逆戻りした。だがこれで、真剣な空気が互いの間に流れ始めるだろう。

「そうか……お前はもう聞いていたんだな。だったら俺にも、もっと協力出来ることがあるはずだ。調査に同行するがてら、分かっていることを出来る限り話しておこう。」

 オディーリアは残酷な真実を知り、存在意義を見失ってなお、この学園の友人のために力を尽くそうとしている。旧友であるジャックはそんな彼女の行動の事由を聞いて、協力しない理由はないと考えたようだ。
 こちらの様子を伺うように問いかけてくる彼女へ深く頷き、ジャックはポン、とあなたの方を優しく叩いた。それは彼の考えを表しているようであった。

「移動しよう。お前はどこから見に行きたい? その判断に従おう。」

「オディーはさっきも言ったけど二階を調査するの!
 三階はいっぱい調査したから、ここの残りはあと三階と、一階の残りかな?」

 オディーはこれまでいっぱい見てきた。控え室だったり、三階のカフェテリアやガーデンテラスだったり。
 あと大きく残ってるのは二階だけ、お兄ちゃんが手伝ってくれるなら早く終わるかもしれない。
 オディーだけじゃ調べられないところも、もしかしたらジャックお兄ちゃんが教えてくれたり調べてくれるかも?
 そうなったら心強いなと思う。

「えっと……じゃあまずは講義室から調べてみる?」

 端から調べるのが多分きっと鉄板だろう。
 講義室に今、何があるのかオディーはまだ分からないけれどそこに何か情報があるなら持ち帰るのが調査員としての使命だろう。

「じゃあ、ジャックお兄ちゃん一緒に調査頑張ろ!」

 オディーはえいえいおー! と気合いをこめて拳を上にあげる。
 どんなことがあろうとオディーは受け止めるつもりだ、それがみんなの力になるならと、そんな思いで歩を進めるだろう。

 ジャックはしっかりと頷いて、あなたの後に続いて歩き出してくれるだろう。彼はかなり恵まれた上背を持ち、隣に立つと彼の顔を見るために随分見上げなければならない。
 凸凹としたテーセラの子供たちは共に連れ立って二階へと向かう。その足先は教室の一つへ向かうだろう。

【学生寮2F 講義室B】

 講義室Bは、もう一方の講義室Aとは対になるような、鏡写しの部屋の作りをしていた。

 講義室は、各クラスの先生による座学を中心に使用されている。部屋の右手側の壁には広い黒板が張り付けられており、教壇と、揃えられたドールのための机と椅子が存在する、シンプルな教室といったところか。

 現在は人気も特になく、授業の予定も見たところ無さそうだ。


「少し前にテーセラクラスの授業があったんだ、この場所で。珍しくドロシーも真面目に受講していたな。」

 ジャックはぐるりと室内を見渡しながら呟く。
 一通り歩き回っても、目に留まるものは見当たらない。

「ドロシーお姉ちゃんも授業受けたの?
 珍しいね……」

 ジャックお兄ちゃんがドロシーお姉ちゃんの最近について教えてくれる。
 珍しいと思った。ジャックお兄ちゃんが教えてくれる事じゃなくて、ドロシーお姉ちゃんが勉強受けてることに。

 とは言ってもオミクロンに落ちてないから、オディーよりも頭が良くてちゃんとしてるんだよね……とオディーは思う。

 講義室には特に何も無さそうだ。
 確か向こう側も同じようなはず、向こう行っても何も無いかもだ。

「講義室Bは何もなし! 隣も同じかな? ジャックお兄ちゃんはどう思う?」

 同じようなら調べなくて、隣の備品室へ行くつもりだ。とはいえ全部調べた方がいいのも事実。
 どっちがいいのだろうか?
 白い狼は首を傾げ悩むだろう。

「そうだな……俺の私情になるが、講義室Aにはあまり近づきたくない。

 ……気に食わないドールがよくあそこに居るんだ。きっとお前が行っても、不愉快な気持ちにさせられる。俺はお前に、必要のない悪感情を抱かせたくないと思う……」

 隣の講義室へ行こうかどうか。判断をこちらに委ねてくれるオディーリアの眼差しに対して、ジャックは難儀そうに眉を顰めた。
 どうやら反りが合わないドールが隣室には留まっているらしい。それにあなたはそもそもオミクロンのドール。学園を歩いているだけで欠陥ドールは嘲笑の的だ。
 ジャックはあなたを気遣って言ってくれているのだと充分に伝わるだろう。

「だが、お前が調査の必要があると思うなら話は別だ。俺は同行しよう。

 俺からの提案としては、講義室Aと備品室は調べずに廊下の向こう側、演奏室を調査するべきだと思う……」

「そっか……Aにはジャックお兄ちゃんでも嫌がるドールがいるんだね。」

 なんか珍しいかも。お兄ちゃんは優しくてかっこよくてオディー達のお兄ちゃんだから、苦手なドールなんていないと思ってた。

 でも大きな理由はオディーなのだろう。
 何となくそんな感じがした、優しさが滲み出てる。
 オディーが傷つかないようにしてくれてる、やっぱりお兄ちゃんは優しい。

「じゃあ講義室Aと備品室はまた今度みんな連れて調べるね!
 じゃあ目標は演奏室!」

 ごー! と腕を上に上げ、明るい足取りで演奏室へとオディーは歩を進めるだろう。

「ああ、そうした方がいい。俺の勝手な都合で悪いな……だが、お前が元気でいるならそれ以上のことはない。わざわざ、不快な気持ちになりに行く必要はないからな……」

 ジャックはあなたの行動を私情により阻害したことをすまなく思っているのか、少しの憂い顔で目線を逸らした。
 だがすぐに意気揚々、次の目的地を定めてくれるオディーリアの様子に目元を和らげて頷き、着いてきてくれるだろう。

【学園2F 演奏室】

 演奏室には授業等で残っているドールはおらず、静かなものだった。

 部屋の大きさは講義室と変わりない。しかし机の数はこちらが少なかった。代わりにグランドピアノ、コントラバスやハープ、打楽器類など、運び出すことが煩雑だが使用頻度がそこそこ高い楽器があらかじめ部屋の端に寄せられるようにして出された状態になっている。
 その他の楽器は全て奥の楽器保管庫に収められているのだろう。


 共に室内に踏み入ったジャックは、教卓の上に何かを見つけたらしくそちらへ歩み寄っていく。彼の手元を見れば、掬い上げられたのはどうやら一冊の冊子のようだ。
 見たところカタログらしく、様々な種類の楽器が掲載されている。

「老朽化した楽器を買い替える予定らしいな……先生が忘れて行ったのか……? オディーリア、お前も見るか……」

 ジャックはあなたにも見えるよう、カタログを広げてくれるだろう。