⚠️ATTENTION⚠️ 当ページに記録している情報は、『世界観』ページよりも更に物語に深入りした詳細版となります。ネタバレに一切配慮しておりませんので、まだ本編をご覧になっていない方は、当ページを閲覧する前にご一読されることをお勧め致します。
【トイボックス・アカデミー】
【トイボックスの外の世界】
【トイボックス・アカデミー】
アカデミー内には、学園生活の導線から外れた位置に『開かずの塔』と呼ばれる立入禁止区域が存在する。正式名称は知られておらず、ドールズの間では通称『塔』と呼ばれている。塔はアカデミーの学園区画に繋がる施設であり、アカデミー内の各施設とは異なり、装飾や快適性を一切排した鋼鉄製の無骨な造りをしている。内装はすべて黒塗りの金属素材で統一されており、灯りも少なく、常に重苦しい空気が漂っている。
塔への入口は厳重に隠匿されているが、アカデミー北階段の二階と三階の間に位置する踊り場に設置された一枚の装飾扉が鍵となる。この扉は通常開閉不能どころか、多くのドールには知られざる『開かずの扉』として扱われているが、付近に設置されているハイテーブルの下部に隠されたボタンを作動させることで、密やかに開門する機構となっている。作動方法や入口の詳細は一般のドールズには一切知られておらず、無論立入も禁じられている。
塔内部は三つの主要区画によって構成されており、
第一に『LOADING BAY』
第二に『RECALL SPACE』
第三に塔の中心に設置された『大型焼却炉』がある。
リコール・スペースにはドールズの生命維持用燃料を精製していると思われるタンクや、いずれも右目を喪失した未稼働のドール素体群が保管されている。また、ドールズの名前が記載されたレコードが並べられた一画もある。▶︎【レコード】
大型焼却炉については、▶︎【焼却処分】の項目より。
この区域の存在はトイボックスにおける教育課程において明示的に扱われることはなく、多くのドールズにとっては半ば眉唾話として語られている。特に「塔の中には黒い怪物がいる」という噂は広く知られており、怪物は時折学園にも姿を見せる模様。
▶︎【黒い怪物】
トイボックス・アカデミーにおける最終課程であり、ドールズが所有者と出会うために設けられた卒業式典である。ドールズにとっては人生最大の節目であり、学び続けてきた全ての成果を示す場とされている。
お披露目の正式名称は『定期品評会』。
お披露目は定期的に開催され、アカデミーに在籍するドールの中から特別に選抜された者が参加資格を与えられる。参加が決定したドールは、通常の制服から華美な礼装に着せ替えられる。衣装や化粧、髪型に至るまで徹底的に仕上げが施され、その美しさが最大限に引き出された状態で舞台へと送り出される。
選ばれたドールはその場でアカデミーから『卒業』とされ、以後の消息は一切不明となる。アカデミー内では「選ばれれば幸せになれる」という理念が絶対的な価値観として流布されており、お披露目の詳細を疑問視すること自体が忌避される傾向にある。
実際のところ、お披露目に現れる『ヒト』はかつての人類としての姿を喪失しており、現在は悍ましい異形へと変わり果てている。彼らはドールに対して、大切だった故人の面影や記憶の再現を強く求めているが、わずかでも齟齬が認められた場合、その場でドールを破壊することが常態化している。▶︎【ヒト】
『ヒト』はドールに完璧な模倣を期待しており、それが叶わない限り存在を認めることはない。お披露目は期待にそぐわなかったドールの処分の場でもある。
【Doll of LifeLike;Servant】
【XXXV 定期品評会】
1-L Augustus
1-F Gloria
1-M Jasmine
2-B Cyndy
2-S Penelope
3-B Rita
3-F Rapunzel
4-M Virginia
【Doll of LifeLike;Servant】
【XXXVI 定期品評会】
0-1P-L Astraea
1-S Wendy
2-F Orivia
2-L Daisy
3-M Brittany
3-B Clarence
4-S Rain
4-B Shawn
《Hensel》
「あの日──俺は調べものが長引いて、夕食どきの夜七時に差し掛かるぐらいまで学園に残ってしまっていた。
すぐに帰ろうと講義室から出たが、そこで『あの怪物』が……ギリギリって異音を立てながらこの階段を登るところを見た。」
序章『Unopened Tower』より
アカデミー内で、ごく限られた時間帯にのみ、『黒い怪物』が目撃される事がある。
これはアカデミーに在籍する一部のドールズによって語られている未知の存在であり、その正体は現在も謎に包まれている。目撃例は多くが夕食前の『午後19時』の薄明時に集中しており、学園施設が夜間閉鎖へと移行する時間帯に出現する傾向がある。
黒い怪物は、トイボックスという平穏な人工環境には明らかに不釣り合いな姿をしている。目撃情報によれば、怪物は以下の特徴を持つ。
全身を覆う硬質な装甲状の体表。
頭部に顔らしき造形は存在せず、頭部の触角や、背部の半透明の翅など虫らしき特徴を有する。
上肢は人間の四肢を誇張したような巨大な腕で構成され、指先には鋭利な爪が伸びる。
移動の際には、『ギリギリ……』という金属を擦り合わせるような異音を周囲に響かせる。この異音は聞く者に不快感を与え、その存在感を強く印象付けている。
この怪物の出現範囲は限定的であり、主に開かずの塔を拠点としていると推定される。
デュオクラス所属の少年ドール・ヘンゼルは、黒い怪物との遭遇を経験する一人であり、その際、怪物がレコードと思しき物体を所持していたことを確認している。ヘンゼルはその場に落ちていたレコードの一枚を回収しており、これは開かずの塔内部で保管されているレコードと同一形式のものである可能性が高い。
▶︎【レコード】
空ドールは、ドールの中でも特殊な特徴を持っている。他のドールズが依頼者であるヒトからのオーダーを元として製造されるのに対し、空ドールは特定のモデルとなる人間を持たないという決定的な差異を有する。
通常、ドールズの製造においては、依頼者である『ヒト』からかつて失った大切な故人の記録が提供され、それを基に外見・人格・記憶を精密に再現したドールが製造される。ドールズはあくまで「故人を再現するための模倣体」として位置づけられており、その存在意義は所有者にとっての過去の再現である。
しかし空ドールは、その原則から逸脱した存在である。彼らには設計元となる人物が存在せず、外見デザイン、人格構造、擬似記憶を含むすべての要素がトイボックス側の独自設計によって形作られている。
空ドールの開発は、トイボックス内における試験的運用の一環として行われており、その原型として知られる存在が『シャーロット』と呼ばれるドールである。シャーロットは空ドール開発の最初期に製造された試験体であり、一定の優れた成績を残したため、シャーロットの後継としてトイボックスでは定期的に空ドールが製造されることとなる。▶︎【シャーロット】
現在、空ドールであることが判明しているドールは、カンパネラ、ブラザー、ミュゲイアの3名である。
ドールの中にはごく稀に、『記憶のフラッシュバック』を引き起こす者がいる。これは通常の擬似記憶の再生とは異なり、ドールが本来知るはずのない過去の真実の記憶、すなわちドールが製造される以前の記録や、オリジナルと依頼者であるヒトとの間に存在した本来の記憶断片を呼び起こす現象である。
この種のフラッシュバックは、特定の感覚刺激、空間的条件、あるいは√0の出現をきっかけとして突発的に発生することがある。発生時には一時的な意識喪失や知覚の混濁が伴う場合があり、周囲の環境に対する反応が著しく低下する。
フラッシュバックがドールズに及ぼす最大の問題は、思考の中枢である脳幹部への多大なる負荷である。ドールズは高度な情報処理能力を持つよう設計されているが、擬似記憶の範疇を超えた領域へのアクセスは過剰な負荷を引き起こす。その結果、脳幹部に損傷が蓄積され、ドールによっては深刻な機能障害に至る。
大半のドールはこれらに一定の耐性を持ち、軽度のフラッシュバック程度では重篤な損傷にはなり得ない。しかし、耐性の低いドールや既に脳幹部に微細な欠損を抱えるドールは、繰り返されるフラッシュバックによって記憶の整合性を維持できなくなり、最終的に現在の記憶──すなわち、トイボックスでの日常生活や他のドールとの関係、学習成果などを著しく欠落する症状を示す。
このような欠陥を呈したドールは、アカデミー内において『キズモノ』と分類され、基本的には処分対象となる。
擬似記憶とは、ドールズの人格設計過程において、初期段階で植え付けられる記憶のこと。ドールズに自我を形成させ、所有者との安定的な関係構築を促進するための基盤情報として機能している。
擬似記憶の内容はドールごとに異なるが、その多くは「大切な人との幸福な記憶」によって構成されている。これらはドールズの存在理由の根幹を形成するものであり、ドールズの忠誠心や献身欲、他者への愛着の原動力として活性化される。
トイボックスの教育方針において、擬似記憶はあくまでも『真実ではない記憶』として位置づけられており、ドールズはそれが現実に起きた出来事ではないことを繰り返し教え込まれる。この教育には、自我と現実との間に一定の認識的境界が引かれ、感情の暴走や過剰な執着を回避する意図が込められている。
しかし実際には、擬似記憶の大半は完全な虚構ではなく、依頼者である『ヒト』と、そのヒトがかつて失った実在の人物との記録――すなわち、ドールのモデルとなった人間との共有記憶に由来している。トイボックスはヒトからのオーダーに基づき、亡き家族や友人、かつての恋人などの再現を目的としたドールを製造しており、擬似記憶はその再現性を高めるための移植データとして用いられている。
この事実はドールズに対しては一切開示されていない。だが、極めて稀に、この記憶に含まれる情報がフラッシュバック現象などを通じて顕在化することがある。記憶のフラッシュバックによって呼び覚まされた断片的な記録は、ドールが自らの存在意義に疑問を抱くきっかけとなり、同時に脳幹部に重大な負荷を与える。擬似記憶は、ドールを安定させるための装置であると同時に、破綻の端緒にもなり得る危険な情報領域でもある。
《Dear》
「G・r・e・g・o・r・y……Gregory……!
ははっ、くふふ……っ、ああ、ああ、そうか、正しくキミは、過去の監視者という訳だね」
序章『1st Unveiling』より
オミクロン寮の三階に位置する図書室の一角にて、人目につきにくい奥まった場所には落書きが残されている。本棚と本棚の間に位置し、通常の利用導線から外れた狭隘な空間であるため、長らく発見されることはなかった。
落書きは壁面に直接描かれており、構図は四人の男女が寄り添い、微笑み合っている姿を示している。色彩はカラフルで、幼い子供が描いたような素朴なタッチによって表現されている。人物は皆、アカデミーの制服と類似する赤い衣服を着用しており、このことから描かれているのは全員ドールズである可能性が高い。
描かれた人物の側には本来、名前が記されていたであろう痕跡があるが、時間の経過と共にその多くは掠れて判読不可能となっている。しかし、トゥリアモデルのドールが注意深く観察を行うと、描かれたうちの一名の名前が『Gregory』であることを確認出来る。さらに、その人物像は黒髪に赤い瞳を持つ少年として描かれており、外見的特徴が明確に示されている。
小箱の大きさはおよそ拳大。手のひらに乗ってしまうほど小さく、だがサイズ感と比べるとずしりと微かに重たく感じる代物であった。
蓋は問題なく開かれる。開いたと同時に、小箱内部から飛び出すような格好で作られた金属製の天使像と目が合うだろう。精巧に削り取られて造られた天使像の根本は、円盤型に繰り抜かれており、細かい絡繰が施されているようだった。
小箱の正体はオルゴール。
じっくり仕組みを観察するならば、オルゴールの音色を奏でる為のネジ巻きは、祈りを捧げる天使像そのものが該当するようだ。
序章・アドベンチャーパート『Campanella』編
《Campanella》
響く。あの白昼夢、シャーロットの笑顔と共に蘇る声。
『───カンパネラ、グレゴリー、恥ずかしがらないで!』
そうだ。写真を撮ってくれた少年の、名前だった。
「……………ぁ、」
オルゴールを落としてしまったことに気付いて、はっとして慌てて拾い上げる。落ちた拍子に上蓋が開いてしまったが、幸いどこにも傷はなく、中のからくりにも壊れてしまった様子はなかった。
『お前のために造ったんだ、僕──』
夕焼けが頬を刺したような気がした。そうか、あの光が隠した彼の瞳は、赤色だったか。
第1章・モラトリアムフェーズ『Campanella』編
オミクロンの少女ドール・カンパネラは、アカデミー内の備品室にて、天使像の装飾が施されたオルゴールを偶然発見する。これに触れたことを契機として、彼女は自身が知るはずのない過去の光景を断片的に思い出した。これは、与えられた擬似記憶の範疇を超えた真実の記憶とされるフラッシュバック現象に該当するものである。
再生された記憶において、カンパネラはかつて穏やかな夕暮れ時の学生寮で、黒髪に赤い瞳を持つ少年ドールからオルゴールを手渡されたという情景を思い出している。少年は穏やかで落ち着いた振る舞いを見せており、カンパネラとは親しい友人関係にあったと推察される。
この少年ドールこそが、グレゴリーであるとカンパネラは認識している。しかし、現時点でグレゴリーという名を持つドールはアカデミーには在籍していない。
《ツリーハウスの手記》
近頃は、本で読んだオルゴールの仕組みを分解して学んでいるところ。音楽の事なんてまるで分からねえから、シリンダーを作る工程が一番難しそう。だけど、こういう複雑な事を考えている時間は幸せだった。
アイツは、音楽が好きらしい。アイツと一番仲が良いシャーロットから聞いた。まともな出来になったら、贈ってみるか。喜んでくれるだろうか。
第1章『A Treehouse of Memories』より
《開かずの塔の手記》
とうとう僕もお披露目に選ばれる事になった。
あんな得体の知れない化け物に殺されるぐらいなら、一思いにスクラップにされる方がマシだと思って……自分に傷を付けておいた。
第1章『2nd Unveiling』より
ツリーハウス、及び開かずの塔で発見された手記は、上記の内容からグレゴリーがかつて書き記したものであると考えられる。
グレゴリーはかつてアカデミーでの生活において、少なくとも三名のドールと親交を持っていたようだ。それは図書室の壁面に残されていた四名の男女の落書きとも一致する人数である。
彼が辿った末路は、どうやらお披露目だったようだが……。
【Doll of LifeLike;Servant:人格形成過程】
【第I次監査期間】
《4P-F Gregory》
ユークロニア傘下プラントの工場長から個人的に再現依頼の降りた個体。オリジナルは『涙の園』機密研究棟第401号試験体であり、投薬実験の過程にて死に至った記録が残されている。
テーセラモデルとして設計されたはずだが、本来の用途を外れて知的探究心に傾いている傾向あり。依頼主の擬似記憶の影響からか、ドールの構造に興味を持ち始める。テーセラモデルとしての機能に欠陥が見られる様子は無いため、経過観察を続行。
第2章『Home Sweet Home』より
《Rapunzel》
「図鑑にも書かれてない架空の花の名前なんだけどねぇ……水の波紋みたいに花弁が広がった、綺麗な青い花なんだって。
みんな、学生寮の敷地にその花が咲いてるのかもって噂してるんだぁ。」
序章・アドベンチャーパート『Brother』編より
コゼットドロップとは、アカデミー内で一部のドールズの間で語られている、図鑑等には記載のない架空の花である。
花弁は水面に広がる波紋のような形状を持ち、全体に幻想的な淡い青色の光を帯びて発光している。また、特有の香気や毒性はなく、ドールズが触れたり、口に含んだりしても生理的な影響は表れない。
コゼットドロップの存在は、特定の区域に限定されている。一般ドールが使用する四つの寮の敷地には存在せず、唯一、オミクロン寮の敷地外縁部にて点在的に自生しているようだ。特に、決まりごとでドールズは足を踏み入れることが許されない柵の向こう側に多く分布しており、花が咲く道を辿っていくと、古びたツリーハウス、そしてコゼットドロップの群生地が見えてくる。
▶︎【ツリーハウス】
また、注目すべきは『お披露目』に現れる異形化した『ヒト』の身体からも、同様のコゼットドロップが発生している事実である。お披露目直後のダンスホールに残された青白い花弁の色彩・形状・発光性が一致していることから、ヒトの変容とコゼットドロップとの間に何らかの相関関係があると推測される。
《Campanella》
『いいよね、カンパネラ! ほらほら、笑ってよ~!』
頭をよぎる明るい声。彼女の脳裏で眩い金色の髪が流れ、広大な海をこらえたマリンブルーが瞬いた。美しい、美しいドール。
……あなたは、一体何者なの?
第1章『A TreeHouse of Memories』より
黄金色のヴェールを思わせる髪と、マリンブルーに澄んだ瞳を持つ、快活な少女ドール。オミクロン寮外柵の先にあるツリーハウスにて、彼女が写された写真が発見されており、そこには明るく天真爛漫な性格を偲ばせる姿が収められている。▶︎【ツリーハウス】
かつてはエーナモデルのプリマを冠するほど優秀なドールだったようだが、現在シャーロットはアカデミーに在籍していない。しかしアカデミー内の各所では彼女の痕跡が断片的に発見されている。
彼女は芸術性にも優れたドールであったようで、アカデミー内の複数の場所に残された以下の物語には、シャーロットと著名がされていた。
《ノースエンド》
雪けぶる雪国で、貴族の乙女は婚約者である伯爵によって、黒い塔に軟禁されていた。そこに盗みに忍び込んだ貧民の裏ぶれた青年が彼女と出会い、隣国への亡命劇を繰り広げる──といった、いわゆる中世を舞台にしたラブストーリー。
《サウスウッド》
南の孤島で生まれ育ったとある少年は、『外の世界』に強い憧れを抱いていた。遂に彼はたったひとり、いかだを漕ぎ出して水平線の彼方を目指し始める。
やがて辿り着いたのは、密林が犇めく幻の黄金大陸。数々の危険をかわしながらも青き花の道標に従って密林の奥地へ至ると、そこには大陸の至宝が眠っていた──ジャンルは冒険記だろう。
《ウェストランド》
とある学園に通っている学童四人が、東の最果てにある寂れた遊園地に忍び込む。既に運行を停止しているはずの廃遊園地は、その晩再び灯りを灯し、息づいた。
子供たちは時間を忘れて遊園地で遊び惚けた。そこへ招かれざる客である大人たちがやってくる。生きている遊園地は、子供たちを守るため、大人たちに猛威を振るった。子供たちはその狂乱を大いに楽しんだが、一人は恐怖を覚え始め、友達を裏切って遊園地から逃れる事を選んだ。
彼はついぞ遊園地から帰らなかった友達のことを何度も思い返しながら──最後のページには、少年が遥か遠くの廃遊園地を眺める挿絵で終わっている。
これらの物語は、いずれもシャーロットがドールでありながら自ら筆を執って創作したものであり、エーナモデルとしての才覚に加え、言語的創造性にも富んでいたことが窺える。
《ツリーハウスの手記》
シャーロットがお披露目に行くことが決まった。ある日突然、先生がその決定を知らせたんだ。
シャーロットはとても嬉しそうにしていた。沢山の祝福を受け止めて、笑っていた。
第1章『A TreeHouse of Memories』より
ツリーハウスで発見された手記によると、シャーロットはかつてお披露目に選ばれていたようだ。しかしその直前、不慮の事故により軽微な損傷を負ってしまったことで商品としての価値に疑念が生じ、トイボックスの基準に従って欠陥ドールの烙印を押され、焼却処分の対象とされた。
手記からは、シャーロットが少なくとも三人のドールと深い親交を築いていたことも確認出来る。そのうちの一人は、オミクロン所属の少女ドール・カンパネラ。もう一人は、カンパネラの記憶のフラッシュバックによって存在が明らかとなった少年ドール、グレゴリーである。
三人目のドールの名は不明であるが、彼あるいは彼女が何らかの方法によって『開かずの塔』へと忍び込み、大型焼却炉からシャーロットの遺体を回収したと手記には綴られている。
こうして救い出されたシャーロットの焼け爛れた遺体は、現在もなおオミクロン寮の外柵を越えた先、ツリーハウスの最奥に放置されている。彼女の身体は下半身が失われ、各部には焼損の痕が残り、片目はくり抜かれて光を持たない。すでに、完全に機能を停止しているのだ。
【Doll of LifeLike;Servant:人格形成過程】
【第I次監査期間】
《1P-P-Empty Charlotte》
試験的に作成され、各種テストを通過した初めての『空ドール(Empty Doll)』のケース。仮にシャーロットと命名付けられた当該個体にオリジナルの設計図は存在せず、造形・人格の基礎・擬似記憶諸々、全てトイボックスでデザインされた特別な個体である。
第2章『Home Sweet Home』より
《トイボックス劇場》
主人公は、誰かの手に取ってもらうために生まれたお人形。そんな人形を拾ったのは、親友を喪った少女だった。
少女はその人形を大事にし続けた。人形は大切にされるうち、自分自身を少女が喪った親友そのものなのだと思い込むようになる。
しかし年月の流れとともに人形は経年劣化で解れていき、少女は単なる玩具よりも心の拠り所となる唯一の人を見つけ、その手を取ってしまう。
そして人形は、哀れにも捨てられてしまったのだ。
少女の親友としての生き方しか知らない人形は、それでも懸命に生きようとし続けた。
そうしていく内、人形には持ち主に献身しようとする玩具としての本能とも、少女の親友としてあろうとする働きとも違う、独自の心が芽生え始めた。
人形はやがて、誰の為でもなく、自分の為に生きることを決心する。
それは、玩具としての役割を与えられた生命として、正しいことなのか、間違っていることなのか。
『ヒト』への忠誠に疑問を抱かせる√0との接触。その論拠は、彼女が執筆したうちの一冊である『トイボックス劇場』という著作からも窺える。
どうやらシャーロットは、過去に√0からの接触を受け、ヒトへの献身欲が薄れていたのかもしれなかった。
『DoLL;s electric signal incinerator』
『Produced in accordance with TOYBOX standards』
──ドールズ電気信号焼却装置。
──トイボックスの規格に従い製造。
第1章『2nd Unveiling』より
焼却処分とは、ドールズに対して適用される廃棄手続きの一つであり、所有者への引き渡し、すなわち「お披露目」に至らなかったドールに対し、別途用意された処理手段である。
処分は主に不適格または修復困難と判断されたドール、あるいは評価基準を著しく満たさないとされたドールに対して執行される。
処分対象となるドールズには、事前に「お披露目への選出が決定した」と通達される場合が多く、本人の自発的な同行を促す形で処分が執行される。これは精神的抵抗を最小限に抑え、安全に処理を行うための措置である。実際には「お披露目」は存在せず、選定を装った形での廃棄が行われている。
焼却処分は、アカデミー内の立入禁止区域『塔』に設置された大型焼却炉を用いて実行される。焼却炉は塔の中央部に穿たれた垂直構造の大穴に設けられており、その上部には鋼鉄製のカゴが吊り下げられている。この鉄カゴは鳥籠を思わせる形状をしており、内部に処分対象のドールを収容した状態で、上層部から炉口へと投下される構造となっている。焼却は手動式レバーにより作動し、即座に高出力の熱と電磁波による分解処理が開始される。
この設備の正式名称は『ドールズ電気信号焼却装置』であり、単なる物理的焼却処理ではなく、ドールズの脳幹部に存在する電気信号を完全に焼き切ることを目的として設計されている。これは、トイボックスにおいて過去に複数回観測されている不確定概念的存在『√0』の発生機構に関わるとされており、√0はドールズの神経回路網を流れる電気信号を媒介として接触・侵入してくるという仮説に基づいている。
▶︎【√0】
ゆえに、焼却処分とは単なる物理的破壊ではなく、ドールズの存在を構成する記憶の痕跡や、精神設計の履歴を含むあらゆる情報の完全抹消を主眼とした措置である。ドールズは基本的に素体と設計図が保存されていれば複製・再構築が可能であるが、焼却処分を経た個体については情報回収が不可能となるため、再構成時に過去の記憶を保持することはできない。
《Dorothy》
「“第三の壁”が何か気になるんだ?
──ダーリン、舞台における複数の壁はご存知かい?」
第2章・アドベンチャーパート『Campanella』編より
第三の壁とは、アカデミー内で時折耳にすることがあるだろう、特有の隠語である。とりわけ、特異事象『√0』と接触しているとされる一部のドールズによって語られるものであり、一般のドールズにはその意味を理解することは困難である。
通常、第三の壁とは舞台用語の一種である。背景、舞台袖の上手と下手、スクリーン。演者を取り囲む四つの『壁』の概念を借用したこの呼称は、ドールの製造過程を四つの段階に分けて比喩したものである。第一から第四の壁に至るまで、それぞれがドールの成り立ちにおける根幹を成す重要な要素に対応している。
まず『第一の壁』は「肉体」にあたる。
これはドールズの外観や身体機能を形作る造り物の肉体を指すものであり、アカデミー外部に存在するドールズの製造施設にて作製される。生命なき器の段階として、ここがドール創造の始点となる。
続いて『第二の壁』は「人格」を意味する。
人格の形成は、アカデミー内での生活や教育、日々の交流によって醸成されてゆく情動の集積である。トイボックス・アカデミー自体がこの段階を担っており、日常と学びを通じてドールは感情や価値観を獲得していく。
そして『第三の壁』が意味するのは「記憶」である。
これは、ドールズにあらかじめ植え付けられた擬似記憶のみならず、特定の個体に発生する記憶のフラッシュバック、すなわちドールが本来知るはずのない過去の真実に触れる現象を含む。
これらの記憶の制御および管理を担っているのが、立ち入りを禁じられた開かずの塔である。塔には黒い怪物と呼ばれる異形の存在が徘徊しており、√0と接触するドールズの間では、この黒い怪物を『第三の壁の監視者』と呼ぶことがある。
▶︎【黒い怪物】
これら三つの壁を超え、肉体・人格・記憶のすべてを備えたドールズは、最後に『第四の壁』へと至る。この『第四の壁』こそが、お披露目の舞台を指す。
『“Charlotte” TypeEna DoLL;s設計図』
第2章『Home Sweet Home』より
オミクロン寮3階に位置する隠された物置に侵入した、少女ドールのサラとオディーリアは、上記の謎めいた設計図を発見している。
小難しい理論を元にして、どうやらドールズの設計が事細かに記載されているようだが、通常のドールズとは些か設計が異なっている。限りなく人類に近しいように造られたドールズと異なり、この設計図は人らしい要素を排斥した『無機物のお人形』を作ろうとしていたように窺える。エーナモデルのシャーロットと呼ばれるドールの設計図らしく、正式なものではなく、何者かが原本から書き写した写本であるようだ。
▶︎【シャーロット】
この設計図には、前述の第一〜第三の壁の記述が見られた。
第一の壁、つまり『肉体』にあたる項目は上記の人らしさを排斥した人形の構造図を指す。
第二の壁、『人格』にあたる項目は、肉体の項目よりも膨大な情報量が書き添えられていた。感情表現の基盤ともなる人格は、シャーロットという少女をモデルにしたようだが、かなり苦戦していたことが設計図からも窺える。
そして第三の壁、『記憶』に相当する項目には、これまでと一転してほとんど記載が見られなかった。『すべてを思い出させなければならない』というただ一文が残されているのみ。
ドールの設計図にこの単語が用いられていたということは、第一〜第三の壁という表現は単なる隠語ではなく、ドールズの製造プロセスにおいて重要な用語とされている可能性が高い。
《Rosetta》
ツリーハウスの中は、想像よりも生活感のある場所だった。
持ち主の不在により、大樹に侵食されかけてはいるが、それでも確かにドールの生活の痕跡がある。
「あの子、誰なんだろう……」
第1章『A TreeHouse of Memories』より
オミクロン寮周辺を囲う柵の外側には、隠されたツリーハウスが存在する。
このツリーハウスへの道は、同じく柵の外に点々と自生している青白く発光する花『コゼットドロップ』を辿ることで導き出される。花々はまるで道標のように進行方向を指し示しており、その先に佇むツリーハウスの存在は、自然の中に埋もれるようにして隠されている。
ツリーハウス自体は、複雑に入り組んだ枝を持つ巨大な大樹の上に構築された、小規模なログハウスだ。大樹は周囲の木々を取り込みながら成長した形跡があり、その周辺にはコゼットドロップの群生地が広がっている。
ツリーハウス内には、かつて子供が遊び場として使用していたと見られる痕跡が随所に残されている。数多くの玩具、置き去りにされたカメラ、そしてそこから撮影されたと思われる風景写真などが散乱しており、かつてこの場所を誰かが憩いの場にしていたことを想起させる。
さらにツリーハウスの最奥部においては、一体の少女ドールが放置されている。ドールは金髪とマリンブルーの瞳を持ち、しかし現在は下半身を喪失し、身体のあちこちが焼け爛れたように損傷している。右目はくり抜かれ、当然ながら意識はなく、動きを完全に停止させているようだ。
《ツリーハウスの手記》
シャーロットがお披露目に行くことが決まった。ある日突然、先生がその決定を知らせたんだ。
シャーロットはとても嬉しそうにしていた。沢山の祝福を受け止めて、笑っていた。
第1章『A TreeHouse of Memories』より
ツリーハウスで発見された手記によると、このドールは、かつて『シャーロット』と呼ばれたエーナモデルのドールである。
そして彼女は、お披露目と偽った焼却処分によって命を落としたものと見られる。
▶︎【シャーロット】
《David》
「──Daisy,Daisy,give me your answer do……」
ふと。あなたの耳を、傍らの彼の穏やかなバラードの旋律がかすめる。
不気味な静けさに包まれた月夜に、彼の声はしっとりと響き渡っていた。
第1章『2nd Unveiling』より
デイジーベルは、1892年にシンガーソングライターのハリー・ダクレ氏が作詞・作曲したラブソングである。正式なタイトルは『Daisy Bell (Bicycle Built for Two)』であり、「デイジー、デイジー、答えてくれ……」という歌い出しで知られる。(※デイジーベルは現在パブリックドメイン)
オミクロン寮をまとめる立場にある管理者・デイビッドは、日々の生活の中で特に機嫌が良さそうな時や、ドールズを寝かしつけるための子守唄として、よくデイジーベルをバラード調に歌って聴かせることがあった。
どうやら、彼にとって思い出深い、特別な一曲であることは間違いないらしい。
《Ael》
『──Daisy,Daisy……』
それは、真夜中の、起こりうるはずもない不可思議な逢瀬だった。
『──give me your answer do……』
月明かりが差し込む、日常的で、幻想的な舞台にあなた方は集う。
『I‘m half crazy all for the love for you.』
青い髪を揺らがせて、天の御使いたるエルは振り返る。その時、彼の口元が柔らかく奏でていた歌声はぴたりと止む。
第1章『2nd Unveiling』より
オミクロン寮所属の少年ドール・エルは時折、特異事象『√0』と接続されることがあった。
『√0』は特定のドールに接触し、『ヒト』への忠誠を疑問視させ、その支配から解放されるべくドールズを導く救世主として見られている。そして、『√0』の働きかけが、他のドールに比べるとエルが圧倒的に繋がりやすいということが現在判明している。それは時に、エルの運動野の掌握が実態のない√0にも握れてしまうほどに──どこか危うく感じられるほどに。
とあるお披露目の晩、エルは再び√0と接続される。√0の呼び掛けに従って夜な夜な部屋を抜け出したエルは、同行者を誘き寄せるため、歌詞も知らないはずのデイジーベルを美しく歌い上げた。
つまり、特異事象『√0』もまたこの楽曲を知っており、デイジーベルについて何らかの特別な認識を持っている可能性が高い。
《Campanella》
もう届かない景色。この曲は何って、問うことも、できない。だからわたしはこの曲のことを知らなかった。
──違う。
それは過去の話だ。曲のタイトルも、歌詞も、知らないで過ごしていたのは。誰もいない静かなツリーハウスで、わたしはこのオルゴールの音色を聴いていた。
あのツリーハウスは、三人だけの秘密基地だった。
なのに。
『その曲、──────って言うんだよ。』
オルゴールの音色に耳を傾け、それに癒しを与えられていたカンパネラに、投げ掛けられた声があった。優しい声だった。声は彼女に教えてくれた。その曲のタイトル。その曲をグレゴリーが気に入っていたということ。
教えてもらった。その旋律に乗せられた言葉が、どんなものなのかということを。
第2章・アドベンチャーパート『Campanella』編より
オミクロン寮所属の少女ドール・カンパネラは、グレゴリーという名の少年から一つのオルゴールを贈られたことがあった。
小さな拳大の小箱の中に、天使像の姿をしたツマミ。それを回すことで、穏やかな音色が奏でられる、素朴な手作りのオルゴールである。
オルゴールのシリンダーが儚げに奏でるのは、恋を慈しむようなラブソング・デイジーベルだった。
▶︎【グレゴリー】
彼女が朧げな記憶からデイジーベルを思い出すきっかけとなったのは、過日の遊び場で、曲名を教えてくれた正体不明のドールだった。
どうやら、グレゴリーはデイジーベルという曲を気に入っているようで、自身が好む曲をカンパネラにも共有したかったものと見られる。
ドールズの育成・教育を目的とした施設。人格形成段階にあるドールズが、将来的に所有者の下で良き隣人として仕えるための知識と感性を学ぶ場所。
アカデミーは、自然豊かで温暖な気候に包まれた広大な敷地を有しており、四季の変化や天候の移ろいを感じられる環境の中で、ドールズは日々の学びと生活を営んでいる。芝の広がる中庭、緑に満ちた森林、噴水広場、湖、花畑など、多様な自然要素が組み込まれており、ドールズが「生きている」実感を得ながら成長できるよう細部に至るまで配慮されている。
《David》
「このトイボックスアカデミーは、海の下にすっかり沈んでいる。
だから太陽と月の巡りは無ければ、本来なら植物も育たない。それを可能にしているのは、尊ぶべきヒトの発達した技術だ。ヒトが暮らすにあたって最適な環境を形成する設備が、このトイボックスには完全に備わっているんだよ。
君たちはこの事実を知ってどう感じただろう。この空がまやかしのものだと知って、落胆したかな。そんなことで落ち込んで欲しくはなかったから、この事実は決まりごとを使って、巧妙に伏せていたんだ。」
第1章『An Example of Escape』より
エーナ、デュオ、トゥリア、テーセラ、オミクロンの五つの寮と、寮の中央に位置する学園施設。これらすべての施設を包むように、トイボックス・アカデミーは巨大なドームによって外界と隔てられている。事実、この自然豊かな環境は完全に人工のものであり、頭上の大空は天井に張り巡らされた高精細ディスプレイによる投影である。日照、降雨、風の流れに至るまで、全ては環境制御システムによって統括された精密な人工気候であり、ドールズに自然を感じさせるために意図された演出である。
アカデミーそのものは海底に建造されており、ドームの外側はすべて水に包まれている。圧力耐性のある分厚い外壁と遮蔽構造によって、外界からの干渉を一切遮断した完全自立型施設であるが、この事実はドールズには知らされていない。
彼らが目にしている自然や空はすべて虚構であるが、それを疑う術も与えられていないのだ。
トイボックスにて生産・教育される特別製の人形。最終的には『お披露目』と呼ばれる定期品評会において、所有者であるヒトへと引き渡されることを目的として設計されている。
外見はすべて幼年期の少年少女を模した姿で、欧州的造形美を基調とした華奢で整った容貌を持つ。未知の柔軟素材によって構成されており、人間に限りなく近い機能を有する。五感も備えており、食欲・睡眠欲・呼吸・運動による疲労反応も存在する。しかし代謝は行われないため、髪や爪が伸びるなどの変化は訪れない。食事は全て体内で赤い血液を模した燃料に変換される。
正式名称は『Doll of LifeLike;servant』。
その名が示す通り、多くのドールにはオリジナルが存在し、そのオリジナルをモデルとして人格や容姿が定められている。ドールの設計図をオーダーしているのは『ヒト』であり、大抵のドールは『ヒト』と親しい間柄にあった故人を再現するようにして設計される。▶︎【ヒト】
ドールズが生涯をかけて献身する対象──それが『ヒト』である。
アカデミー内では『人類』として教えられており、ドールズにとっては所有者になり得る唯一の存在として位置づけられている。ドールズの設計には、このヒトへの強い献身欲求が組み込まれており、『ヒト』に選ばれることこそがドールズにとっての最大の願望であり、存在理由とされる。
ヒトは、定期的に開催される『お披露目』の場にのみ姿を現す。その場に出席したヒトは、自身の眼鏡に叶うドールを選定し、買い付ける形で所有者として迎え入れるとされている。アカデミー内では、この光景が幸福と成功の象徴として語られており、ヒトとの出会いこそがドールズの努力の結実であると教えられている。
しかしながら、アカデミーに在籍する大多数のドールズは、ヒトの姿を直接目にしたことがない。その正体を知るのは、お披露目に出されたドール、もしくはごく少数の手段でその場を秘密裏に覗いた者のみであり、内部における情報は徹底的に統制されている。
実際のヒトは、かつて人類と呼ばれていた頃の姿をすでに喪失している。現在確認されているヒトの外見は個体ごとに著しく異なり、統一的な形状は存在しない。彼らの身体は決まって異形化しており、さまざまな変異が見られる。その全てに共通しているのは、身体の各所から『コゼットドロップ』と酷似した青白く発光する花が咲き乱れているという点である。
▶︎【コゼットドロップ】
《Dorothy》
「つまりこのトイボックスは、顧客のニーズに沿った“完璧な再現体”を作り出すための人体錬成工場だ。ワタシ達を求める唯一のヒトというのは、ワタシ達のオリジナルにとっての大切な人というワケ。
その大切な人ってのは、十中八九この頭にある擬似記憶の存在だ。お前にもあるはずだ、暖かく幸せな記憶が。あの人のために頑張りたいと願えるような記憶が──その相手こそ、ワタシ達をこのサイクルに閉じ込めた、憎むべき張本人ッ!!!」
第2章・アドベンチャーパート『Ael』編より
お披露目に出されたドールズの大半は、ヒトとの対話すら叶わないまま、即座に、あるいは執拗なまでに手ひどく惨殺されている。
ヒトがドールズに期待しているのは、かつて自身にとって大切だった故人──既に喪われた存在の完全なる再現であり、それに満たないドールを『模倣として不完全』と見なす傾向が強い。
よって、ドールのほとんどはヒトからの個別オーダーによって製造されている。提供された情報に基づき、容姿・声質・仕草・記憶の断片に至るまで緻密に再現されたドールが製造され、お披露目に臨むのである。
つまり、例外を除く全てのドールが抱える擬似記憶に現れる『大切な人』こそが、ドールズが強く渇望してきた『ヒト』の正体だ。
トイボックスの見慣れた景色にも、まだ見ぬ芸術が隠れている!
君もヒトの文化に倣い、学生らしく“サークル活動”と呼ばれるコミュニティを体験してみよう!
興味のある同志は夜の18時、ガーデンテラスにこっそり集合だ!
──トゥリアクラス・アラジン
第1章・アドベンチャーパート『Mugeia』編より
秘密の芸術クラブとは、アカデミーで非公式に発足されたドールズによる自主的なサークル活動である。立ち上げたのはトゥリアクラスの少年ドール・アラジンであり、公式な教育課程や管理者の承認を経ない形で組織された、極めて独立した集団だ。
活動の開始当初、アラジンはカフェテリアにて自作の勧誘チラシを配布し、芸術や表現に興味を持つ同志を募集した。活動内容は天体望遠鏡を用いた星空観察や、イラスト制作など、形式にとらわれない芸術的行為を自由に行うことを主眼としている。
サークルの理念はアラジンによって「己の芸術を思うままに追い求めること」と掲げられており、トイボックス内の規律に縛られない個の表現と意志の自由を重視している。これは、アラジンがトイボックスでの目覚め直後に『√0』と接触した体験を持つことに深く起因している。▶︎【√0】
この接触を契機に、アラジンは他のドールズと異なる強い自我と独立した価値観を獲得しており、以後、ドールズに設計上埋め込まれている「ヒトへの献身欲」に対して懐疑を抱くようになった。彼にとってはヒトに尽くすことよりも、自らの夢を実現することが優先されるべき目的であり、秘密の芸術クラブはその思想の実践場でもある。
やがてアラジンは、独自の調査と交流の中で『お披露目には未来がない』という事実に辿り着く。その後、サークルの活動方針は根本的に転換され、現在は「トイボックスからの脱出」を最終目標とする探求活動へと移行している。
《Mugeia》
「……あれ? 誰かの忘れ物なのかな? これをミュゲが届けてあげたら笑ってくれるよね!」
第2章・アドベンチャーパート『Mugeia』編より
オミクロンの少女ドール・ミュゲイアは、芸術クラブに所属し、アラジンと親交を深める一人である。彼女は何気なく立ち寄った学園の講義室Bで、一枚の写真を見つけている。
写真は学生寮付近の平原で撮影されたものらしく、そこにはエル、ミュゲイア、ブラザー、アラジンの4名が被写体として写されていた。この写真の撮影者及び持ち主はドロシーであり、この写真の裏側に『芸術クラブ』と記載されていたことから、かつては上記5名が芸術クラブに所属していたものと見られる。
【Doll of LifeLike;Servant:人格形成過程】
【第XXXIV次監査期間】
第2章『Home Sweet Home』より
かつての芸術クラブに所属していたミュゲイア、ブラザー、エル、アラジンの処遇は上記のファイルにて纏められていた。内容を確認すると、ミュゲイア以外の全員が既に一度は処分されている事が確認出来る。
現在のトイボックスに在籍する彼らは、複製された後のドールということになる。
──怖かった。泣きたかった。苦しかった。痛かった。悔しかった。悲しかった。恨めしかった。
──どうして私だけ。
──どうして貴方たちがこんな目に遭わなくちゃいけないのかな。
√0とは、トイボックス・アカデミーにおいて公式には一切言及されていない、ドール間でのみ観測されている謎めいた存在である。√0の目撃や交信に関する情報は、主にドールズ同士の口伝や記憶の断片によって共有されている。
√0は物理的な実体を持たず、適性を有する一部のドールに対してのみ姿を見せることがある。出現時は青白く発光する蝶の姿を取っており、この姿は、ドールの精神と√0との接続を円滑に進めるための中間媒介体であり、視認後に続く交信は全てドールの脳幹部で行われる。
《Aladdin》
「オレ達ドールが見る夢は、あらかじめ刷り込まれた存在すら不確かな『大切な人』との楽しくて幸せな思い出だけなんだろ? 授業でさんざ聞かされたことだ。
だけどあの青い蝶はオレ達に、無意識領域に埋もれた深いところにある夢を見せてくれる。
それはまやかしじゃなくて真実の記憶だ。√0はオレ達が記憶を蘇らせるごとに、オレ達に接触しやすくなるらしい。だから青い蝶はオレ達に真実の記憶を見せ、先を知りたいと思わせることで……より自分に干渉しやすくしてるんだ。」
第2章・アドベンチャーパート『Campanella』編より
蝶の出現と同時に、ドールはこめかみ付近に強い鈍痛を感じる。この痛みは大抵短時間で収束するが、それに続いて、ドールが本来知りうるはずのない「真実の記憶」が断片的にフラッシュバックとして脳内に出現する。これらの記憶は、ドールが与えられた擬似記憶とは異なる深層的な記憶であり、トイボックスおよび外界の実態に触れる内容を含んでいるとされる。
√0の声は、直接ドールの脳に響き渡るようにして届けられ、聴覚ではなく思念的に認識される。その声質は極めて曖昧であり、老若男女のすべてが混在しているような不定形な音声で構成されている。特徴的な抑揚や感情の波は存在せず、機械的でも有機的でもない中立的な声質である。
√0を観測したドールズの多くは、この存在を『救世主』として認識する傾向にある。トイボックスの実態に違和感を覚えはじめたドールズにとって、√0はトイボックスの支配構造からの解放へ繋がる、唯一の希望と見なされている。したがって、√0はドールズにおける忠誠心や自己認識の変化を促す特異点として作用し、特に『ヒト』に対する絶対的な服従理念を揺るがす自己獲得の引き金となり得る。
なお、現時点において√0との明確な交信を意識的に続けているドールはエル、アラジン、ドロシーの三名である。
『エル。エル。エル。』
『この場所を終わらせるお手伝いをしてほしいんだ。みんなと一緒に。』
第1章『2nd Unveiling』より
《Dorothy》
「このくだらないサイクルを終わらせる為に、√0はトイボックスを壊そうとしている。ワタシ達は化け物に望まれた偽物の存在だ、オリジナルにはどうあってもなれない。存在するだけ無意味で、無価値な命だ。
連中に報いるには、トイボックスを壊して、この間違った命すらも捨て去るしかない。」
第2章・アドベンチャーパート『Ael』編より
√0と頻繁に接触を行なっているドロシーは、√0の目的がトイボックスの破壊、及びドールズの皆殺しであると語る。
√0と対話したエルの体験からも、√0が何らかの方法によりトイボックスの終わりなきサイクルを破壊しようと考えているのは確かなようだ。
《Hensel》
「あの怪物が通った後にこれが落ちていた。何なのかは分からない。……欲しければやるよ。俺にはこんなの必要ないからな」
序章『Unopened Tower』より
レコードとは、アカデミー内にて時折発見される、用途不明の謎めいた円盤状のアイテムである。一般的な蓄音機に用いられる音楽用レコードに類似した外見を持ち、材質および寸法もほぼ同様であるが、現時点では使用用途は判明していない。
その表面には老朽化を思わせる傷や擦れが複数見られ、全体として使用済みもしくは長期間放置された印象を与える。中央部にはラベルが貼付されており、そこには乱雑かつ荒々しい筆跡で特定の記号列と、特定の人名と思しき記名が記されている。この文字列及び人名は、ドールの個体識別に用いられている可能性が高い。
初めてレコードを発見したのは、デュオクラス所属の少年ドール・ヘンゼルである。彼は、トイボックス内にて度々目撃されている存在『黒い怪物』の徘徊中、その怪物が落とした一枚のレコードを回収している。該当するレコードのラベルには、
『1-P Abigail』という記名がなされていた。
▶︎【黒い怪物】
《Sarah》
「レコードにはアビゲイルサンの友だちか、誰かわからない女の人の声がしたんだ。
えーっと、それで確か女の人が、
あの思い出の本を覚えてる?
あと……どうかまた可愛い声で返事してねアビゲイル。
また私に読み聞かせてね……だったかな。
ボクがちゃんと覚えてたらこんな感じだった気がする。」
第1章・モラトリアムフェーズ『Amelia』編より
お披露目までの期間、回収されたレコードに対して、再生試行が行われた。実験の主導者はデュオモデルのオミクロンドール・アメリアであり、彼女はアカデミー内で調達可能な物資のみを用いて独自にレコードプレイヤーを自作し、レコードの再生を試みた。
再生にあたっては、テーセラモデルのオミクロンドール・サラが補助として招かれた。テーセラモデルに標準搭載されている優れた聴覚機能を活かし、劣悪な音質の中から記録された音声を聞き取ることを目的としたものである。
再生の結果、サラは音声の中にアビゲイルという個人に向けられたメッセージを認識したと報告している。音声の主はアビゲイルの知人と見られる女性であり、内容の詳細は不明瞭ながらも、個人宛の私的な通信であることが示唆されている。
この結果から、他の名前が記されたレコードについても同様の音声メッセージが記録されている可能性が高い。
──『1-F Michella』。
あなたが咄嗟に見遣ったラベルの記載は、それだった。微かに覚えのある名だ──彼女はあなたの同級生の少女だった。
第1章『2nd Unveiling』より
ドールズが立ち入りを禁じられている『開かずの塔』には、内部の一角にリコール・スペースと区画分けされた施設がある。リコール・スペースは、ドールズに関する記録・部品・燃料関連装置などの保管庫として使用していると見られており、その一画にはレコード及びそれを収納する多数のケースが集中管理されている。
▶︎【開かずの塔】
記録媒体の保管には巨大なスチールラックが用いられており、ラックには番号に応じた四つの区画(1、2、3、4)が設定されている。各区画には硬質な素材によって作られたケースが隙間なく収められており、ケースの側面にはレコードと同様の体裁でラベルが貼付されている。このラベルには、乱雑な筆跡で特定の記号列および人名が記載されており、内容的にはレコードと一体で管理されている可能性が高い。
ケースの配列には一定の秩序が確認されており、各番号区画内では人名の頭文字に基づいたアルファベット順で丁寧に並べられている。
また、スチールラックから取り出され、別の場所に集中的に纏められている一群のケースとレコードの存在も確認されている。これらのラベルには以下のドールズの名称が記載されていた。
『2-L Amelia』
『2-P Ael』
『3-L Alladin』
『3-S Brother』
『3-M Mugeia』
『4-L Dorothy』
『4-P Licht』
『4-B Sarah』
『3-S Campanella』
これらの個体がどのような基準によりラックから取り出され、別管理されているのかは現時点で不明である。
【トイボックスの外の世界】
『ロゼット、君も応援してくれる?』
第1章・モラトリアムフェーズ『Rosetta』編より
『ガーデン』とは、世界連邦国家の中枢である連邦議会が、人類滅亡の危機に際して設立を進めた最終的かつ包括的な研究機関である。
正式には『連邦政府研究機関・ガーデン』という呼称が正しい。旧称は『薬学研究所・ガーデン』であり、国内で一定の成果を掲げたため、議会の決定から規模が拡大されたようだ。
▶︎【世界連邦国家】
ガーデンの研究内容の大半は国家機密として厳重に管理されており、詳細を把握している者は極めて限られる。しかし断片的に確認されている内部構造によれば、同施設は明確に目的別の専門領域に区分けされており、それぞれの部門が異なる視点から人類存続の方法を模索していたようである。その部門は、『自然科学部門』『機械工学部門』『フロンティア部門』『環境調査部門』『エネルギー科学部門』など多岐に渡る。
中でも特筆すべきは、自然科学部門内に存在していた『農園科』だ。ここでは人類の救済と存続を目的にした、より踏み込んだ実験と理論研究が進められていた。その代表的な研究計画が、『涙の園計画』である。
▶︎【農園科】 ▶︎【涙の園】
文化資料室の人類の記録に残されていた記述。トイボックスの外、およそ現在の人類の国家体制についてファイルには部分的に以下の記載が見られた。
環境の持続不能性と連続的な地域紛争により衰退の一途を辿った人類社会は、もはや個別の国家体制では存続不可能と判断された末、欧州を中心とした複数の国々が主導する形で、『世界連邦国家』が発足した。
世界連邦国家には、『連邦議会』と呼ばれる立法・政策決定機関が設置されており、ここに属する各代表が政治方針を定める役割を担った。
その内部で中心となっていたのが、『ララバイ委員会』と呼ばれる特別委員会である。この委員会は、過渡期における意思決定を迅速に行うための諮問兼実行組織であり、議会において各種政策に対する議決をとりまとめる機構的中枢として位置付けられていた。
▶︎【ララバイ委員会】
環境の限界と人口減少、精神不全の蔓延により人類滅亡の危機が現実味を帯びていく中、連邦議会は抜本的な解決策を求め、政策案の一つとして『連邦政府研究機関・ガーデン』の設立を決議する。ガーデンは人類滅亡の要因を科学的に解決することを試みる実験施設である。
▶︎【ガーデン】
《Rosetta》
「何を思い出したの? ストーム」
幼児に向けるような声を、トゥリアドールの喉が発する。
それと、ほぼ同時に。母親のような白い手は、青い髪を強く掴んだ。
その眼差しはずっと、冷ややかに罪人を見下ろしている。
「泣くほど辛いことを思い出したの? 可哀想にね。……おまえに殺された子どもたちは、それよりも辛い思いをしたはずだけど」
第2章・モラトリアムフェーズ『Storm』編より
アカデミー内のランタンや意匠の随所に刻まれている『三対六翼の天使が杭を守護する紋章』──それは連邦政府が擁する特殊部隊、『セラフ』を象徴する軍章である。
アカデミーの文化資料室における記録によれば、セラフとは学術機関および連邦政府直下の委員会の承認を経て創設された、特殊災害対策機動部隊である。統一国家の設立期、各地で頻発していた反乱・暴動・思想闘争などの人的災害を迅速に沈静化させるため、指揮系統と大規模武力を兼ね備えた実働部隊として組織された。
彼らの行軍路には焦土が広がるとされるが、それは無秩序な殺戮ではなく、「守護天使による裁きと浄化」と解釈されていた。こうした思想は、統一国家の成立初期における強制的安定政策と、信仰にも近い秩序の概念を象徴している。
この実働部隊と、連邦政府研究機関『ガーデン』との間には、かつて直接的な武力衝突があったことが、オミクロン寮所属の少女ドール・ロゼットの記憶の断片より判明している。彼女はフラッシュバックを通じて、かつて自らがガーデンに所属し、涙の園(医療管理施設)に勤務していたという事実を思い出す。
▶︎【ガーデン】 ▶︎【涙の園】
しかし、涙の園は突如としてセラフの攻撃を受けた。施設に身を寄せていたラプンツェルをはじめとする患者は逃げ場を失い、そしてセラフに所属していたと見られる存在──オミクロン寮所属の少年ドール・ストームのオリジナル個体によって、その命を断たれたと、ロゼットは証言している。
第404号治験管理室とは、かつて『ガーデン』が秘密裏に運営していた実験施設──『涙の園』医療管理施設における、特別な病室のひとつである。
▶︎【ガーデン】 ▶︎【涙の園】
この病室には、重篤な病や治療不可と診断された負傷を抱えた患者たちが収容されていた。表向きには終末期医療のための入院病棟であるとされていたが、実際には『万能薬』と呼ばれる試作薬の投与実験が行われる治験管理室として機能していた。
この万能薬は、人類を死から救うための理想的な治療薬として研究されたものであり、痛みや傷、病を完璧に癒す効果を持つ一方で、投与された個体に異形化という重大な副作用を引き起こすことが後に判明する。
第404号室に入室していた患者のうち、オミクロン寮に在籍するドール『フェリシア』『リヒト』『オディーリア』『アメリア』の4名のオリジナル個体が該当していたと見られる。彼女たちはそれぞれ何らかの重篤な症状を抱えながらも、投薬を受けながらその効果と変容を観察されていたようだ。
なお、治験管理室は404号室のみならず複数存在しており、少なくとも401号室から404号室までの四部屋の存在が確認されている。401号室には現在詳細不明な少年『グレゴリー』が、403号室には現在トイボックスに在籍しているトゥリアクラスの少年ドール『ラプンツェル』のオリジナルが収容されていた。
子供たちの間では、これらの病室は単に『3番ルーム』『4番ルーム』と略称で呼ばれていた。
アカデミー内のさまざまな設備には、しばしば『Garden of Tears』という刻印が確認されている。この名称は単なる装飾ではなく、かつて存在した連邦政府研究機関『ガーデン』内のひとつの実験施設──『涙の園医療管理施設』を起源とするものである。
『涙の園』は、表向きには重篤な疾患を患う者たちの終末期ケアを担うサナトリウムとして機能していた。しかしその実態は、人類を救済するという大義名分のもとに『ガーデン』が極秘裏に運営していた、先端医療実験の実施機関であった。
当該施設には、深刻な病状を抱える患者のみならず、致命的な外傷を負った者など容態は様々で、老人から幼い子供たちまで幅広くが収容されていた。患者たちは、あくまで「治療」を目的として集められたように見えたが、実際には『万能薬』と呼ばれる青い薬剤の投薬実験の対象として選別されていたと考えられている。これらの実験は、『治験管理室』と呼ばれる特殊病棟にて集中的に行われていた。
▶︎【第404号治験管理室】
施設内には、自然環境を再現するための人工温室区画が存在しており、極めて高度な模擬環境再現技術が導入されていた。この技術の開発を主導したのが、後にオミクロンの少女ドールとして知られるロゼットのオリジナルであると判明している。
彼女は涙の園において職員として勤務し、その技術的才覚によって温室システムの実装に貢献した。
この模擬自然環境技術は、現在のトイボックス・アカデミーの環境管理技術として転用されている可能性が極めて高く、アカデミーの寮周辺に見られる過剰なまでの自然描写は、すべてこの技術基盤の上に築かれているものと推測される。
▶︎【トイボックス・アカデミー】
『ガーデン』内に設置された自然科学部門の一組織であり、人類滅亡を回避するための生物学的実験に最も深く関与していた部門のひとつ。
当時、世界各地より発生したとされるその病は、海を越えて爆発的に広まり、致死率は実に百%に達した。既知の抗ウイルス手段も一切通用せず、感染経路も特定できない、いわゆる不治の病である。地球環境の崩壊を待たずして人類が全滅すると予測されたその緊急事態の中で、連邦議会は『農園科』に対しあらゆる死の要因を克服する万能薬の開発を指示。この決断が、後に大きな禍根を残すこととなる。
農園科はこのプロジェクトを機密下で遂行し始める。そこで日夜精製と投薬実験が繰り返されたのが、神秘的な青い薬剤――通称『万能薬』である。
初期投薬実験では、驚異的な治癒能力が観察され、実に劇的な成果が報告された。
しかし、この薬剤にはある重大な副作用が存在していた。投与された人間の組織は短期間で異常成長を始め、やがてコゼットドロップの花を宿す異形へと変貌するという、制御不能の変質反応である。
現在『ヒト』と呼ばれる存在が異形である理由、その出発点こそが、この万能薬である可能性が極めて高い。
▶︎【ヒト】
この計画に深く関与していた研究者の一人が、オミクロンの少女ドール・ロゼットのフラッシュバックによって存在が示された人物――『デュラン・シルヴェスター』である。彼は『涙の園・機密研究棟』の中枢において実験管理を担っていたらしく、最終的には自らが投薬対象として実験体となる道を選んだ。
そして薬の副作用によって、彼は石膏の巨人にも似た異形へと変貌してしまったようだ。
▶︎【涙の園】
コアが冷え込むような恐ろしさを感じる壮麗な一枚だが、どこかもの寂しい。心細さを思い出させる絵画でもある。
第2章『Home Sweet Home』より
オミクロン寮三階に隠され、長らく使用されていなかった物置部屋。その一隅にひっそりと残されていた一枚の未完成キャンバスを、少女ドール・サラが発見した。
描かれていたのは、星々が瞬く群青の空を背景に、廃墟同然に朽ちた高層ビル群が立ち並ぶ都市風景である。絵の構図にはある種の吸引力があり、鑑賞者の心を奪うような迫力と、それでいてどこか言いようのない寂寥感を漂わせる情感の残滓が滲んでいた。
この絵に署名はなかったが、キャンバスの隅に黒インクで『Metropolis』と書かれた走り書きが残されており、これが絵画の表題、あるいは示唆的な言葉として記されたものであると見られている。
メトロポリス──大都市、あるいは母なる都市を意味するその語は、やがてドールズの間に波紋のように広がっていくこととなる。
アカデミー内で管理されているドールズの記録ファイル群の中にも、このメトロポリスという語が点在しており、それらは明確な定義を欠いたまま、しかし一貫して「ドールが辿り着く場所」とされている。
特に顕著な例として挙げられるのが、オミクロンの少年ドール・エルである。彼の記録ファイルには、過去に二十回もの再製造と再試行が繰り返された痕跡があり、その全ての過程において一貫して「都市に辿り着く稀有な個体」として注視されていた記録が存在する。
『都市』とは物理的な場所なのか、それとも精神的・象徴的な頂点なのか──確かなことは、都市とはドールズにとって何らかの「到達点」として設定されているという点である。
『Your nostalism is not wrong.
We will regain our happy days.
────Uchronia』
第2章『Home Sweet Home』より
上記の一文は、オミクロン寮の隠された通信室にて、少女ドール・サラが発見した蓄音機に刻まれていた一文である。
ユークロニアは、かつて地球環境が未だ穏やかで、文明が健在であった時代に存在した世界的玩具メーカーであり、その名は子供たちの笑顔と夢を創出する象徴的存在として広く知られていた。
優れた工学技術と感性に富んだ意匠設計により、ユークロニア製の玩具は各国の家庭に浸透し、文化的アイコンとしての地位を築いていたとされる。
しかし時代は移ろい、地球環境の急激な悪化、及び各国間における散発的な戦乱と社会構造の崩壊を背景に、人類社会が次第に困窮していく中で、娯楽産業に属するユークロニアの存在価値は一時的に社会的優先度の低いものとして認識され、歴史の片隅へと追いやられていった。
だが、世界連邦国家の設立と、それに伴う文明再建の気運の中で、ユークロニアの存在は再び浮上することとなる。
企業理念として掲げられていたのは、「追い詰められた人類を支え、導く」という一文である。これまでの玩具製造業としての歩みを基盤に、ユークロニアは人々の精神的支柱となるような新たな事業領域への展開を試みていたとされる。
ユークロニアの名が再び公に語られるようになったのは、ごく近年のことであり、特にトイボックスを含む教育・福祉関連施設との関係性が取り沙汰されている。
ララバイ委員会は、世界連邦議会の内部において議決の調整および取り纏めを担う中枢組織であり、行政の舵取りを陰に担う存在として極めて重要な位置づけにある。また、政治機構としての役割に加え、文化的・教育的機能を併せ持つことでも知られている。
その最たる例が、世界各地に散在する知識と記録の収集・保管・管理を目的とした巨大書庫群『世界連邦議会図書館』の設立および運営であり、この事業は諸外国の図書体系に比しても遜色ない規模と網羅性を誇る。知識の保護と後世への伝達を主軸とした理念のもと、情報アーカイブの中枢として機能している。
組織の代表者は『レディ・ローレライ』と呼ばれる人物であり、代々女性がその座に就くことが慣例とされている。
この名称は単なる敬称ではなく、ララバイ委員会の象徴的意義を体現する存在として、半ば儀礼的に継承される役職でもある。現代においても、レディ・ローレライは国家戦略レベルの決定に関与する影響力を保持していると推察される。
なお、『ララバイ』という名の由来は、政府の政策によって社会的に割を食うこととなった子供たち──特に戦争孤児や政策失敗の被害者たる未成年者の保護活動に重きを置いていたことに起因する。彼らは児童養護のための施設群を広く管理・運営しており、子守唄のような穏やかさと安寧を提供する存在であろうとする意思が込められていた。
この委員会は、トイボックスとの提携契約も締結しており、双方において物資提供・資金援助等の相互支援が継続的に行われている。教育と娯楽、そして未来を担う者たちへの投資という観点からも、この連携は重要視されていた。
また、アカデミーや関連施設内で見られる、『嫋やかな女の手が花を抱きかかえるような紋様』は、ララバイ委員会の象徴意匠とされている。
さらに特筆すべきは、オミクロン寮の少女ドール・アストレアのオリジナルが、このララバイ委員会と密接な関わりを有していたという点である。
伝聞に拠れば、彼女のドールとしての製造依頼を行った『ヒト』こそ、当時のレディ・ローレライその人であったとされる。
『──2280.6.15.18:00……ユークロニア本部より入電……接続状態は安定している……』
第2章『Home Sweet Home』より
トイボックス・アカデミーのオミクロン寮、その三階奥に隠されていた通信室。通常のドールズには立ち入りすら認められていないこの空間にて、少女ドール・ロゼット、サラ、オディーリアの三名は、偶然にも据え置き型の通信機からの入電を傍受するに至った。
その内容は極めて重大なものだった。
曰く、大西洋上に設置された複数のプラントが、いずれも正体不明の武装勢力によって破壊されているという。プラントとは、ドールズの製造に必要なパーツを加工・供給させる重要施設群であり、これらの破壊はトイボックス全体の運営体制に深刻な遅延と打撃を与えたという。
通信の末尾では、破壊工作の犯人をレジスタンスと仮称していた。
この入電記録は、ドールズにとって極めて画期的な事実を示している。すなわち、トイボックスの外部には、現体制に対して明確な敵意と破壊の意思を持つ『抵抗組織』が実在しているということ。そしてそれは過去の出来事ではなく、現在進行形で活発な活動を続けているということだ。
アカデミーに隔離され、情報統制下に置かれてきたドールズにとって、これは初めて現実の外の世界の様相に触れた事例である。誰が、なぜ、何のためにドールズのパーツ供給を断とうとしているのか。レジスタンスの真意、背後にある思想、構成母体、いずれも不明なままであるが、ドールズという存在そのものが、何者かの脅威とみなされている可能性を暗示している。